6 見たくなかった
長いので、半分に分けました。
変なところで切れています。
「魔族が生き残れるよう、協力する。けど、あなたは本当に、それでいいの?」
「それで、とは?」
「虚構と知ってショックを受けたのは、わかる。けど、魔族の命と安全を守って、それで終わり、でいいの? フローレンス大陸を包むフローラの守護が完全に復活したら、あなたはローズマリーとは会えなくならない? あなたの目的の一つは、昔の恋人の生まれ変わりであるローズマリーでしょ? 『人間に危害を加えない』と誓ったら、ローズマリーとも関われなくならない?」
「そんなことまで知っているのか」
魔王はかすかに舌打ちしたようだった。
「かまわん。それらを含めての、虚構だ」
「…………だから、彼女をあきらめるってこと? ローズマリーがこのまま、前世を思い出さずにシリウスと結ばれても、かまわないってこと?」
「ああ、かまわぬ。好きな男と結ばれればよい」
なんだか疲れたような虚しいような、投げやりにも聞こえる口調に違和感を覚える。
ダークロードは魔王だが、マーガレットに関しては純愛の男性で、彼女の生まれ変わりらしきローズマリーにはかなり執着している風に、漫画では描写されていた。こんな口ぶりは彼らしくない。
いくら自分もマーガレットもローズマリー達も、虚構と知ったからといって…………。
「あ」
そうだった。私がこちらに来たのは、『ハイドランジェ編』のラストちかく。
そのハイドランジェ編は…………。
「あの…………ひょっとして、レイン伯爵領での彼女を…………見た? 鏡でのぞいた?」
魔王は無言。
だが視線を合わせない無表情が、彼の暗黙の肯定と不機嫌を表現していた。
私は納得した。
『第五の聖花・ハイドランジェ編』。
それは、全十八巻のシリーズ中、屈指の盛り上がりを見せたパートであり、ヒロイン、ローズマリーの評価が真っ二つに分かれるきっかけとなったパートでもある。
『ハイドランジェ編』では新しいキャラクターが登場する。聖花ハイドランジェを奉るハイドランジェ神殿を領内に有する、レイン伯爵の長男、アルタイルだ。
アルタイルは漆黒の髪に金色の瞳、いかにもクールな顔立ちの『俺様系男子』で、あとがきでは、作者が大好きな隻眼の戦国武将をモデルにしたと明言されている。
『ハイドランジェ編』冒頭、ローズマリー一行は聖花ハイドランジェを復活させるため、レイン伯爵領を訪れる。そこで、『冷酷』と噂される伯爵子息が、幼い子供を投獄しようとする光景に遭遇する。
子供は空腹からアルタイルの金貨を盗もうとして捕えられたのだが、ローズマリーが「幼い子供相手に厳しすぎる」「領主の息子なら、もっと愛情を持って民に接するべきだ」と止めに入るのだ。
いま読み返すと、この論はどちらも一理ある。
レイン伯爵領は、聖花ハイドランジェが枯れた影響で収穫量が落ち、困窮から治安の悪化を招いていた。レイン伯爵や次期伯爵のアルタイルが犯罪の厳罰化を進めたのは、領内の治安維持のための当然の判断と言えるし、一方で、あまりに厳罰化が進むとかえって民に悪影響が出るのも、歴史の事実である。
なお、この時点ではアルタイルはローズマリーの正体を知らない。ただの町娘にすぎないはずの少女が、次期領主である自分に真っ向から反抗してくるのだから、俺様系男子であるアルタイルは『当然』、興味を抱く。「この俺に立てついた女は初めてだ」というやつだ。
その後、ローズマリー一行は聖花復活への協力を求めてレイン伯爵邸に赴き、そこで互いの正体を知ることとなるのだ。
このアルタイル、登場こそ遅かったが、シリーズ後半ではシリウスに飽きてきたっぽい作者の一番のお気に入りとなり、ローズマリーをめぐる三角関係が発生する。
それ自体は『アリ』だと思う。
長期連載というのは、どうしても中だるみしやすい。『セイントローズ』も『ハイドランジェ編』の手前で、ローズマリーとシリウスはキスを済ませ、告白や将来の約束もほぼ済ませて、恋愛物としては『ゴール寸前』の状態だった。
ここで二人の間に障害を作るのは、『中だるみさせない』という点で巧手だったと思う。
ただ、やり方がうまくなかった。
ヒロインに強く自己投影するタイプの作者である花宮愛歌さんは、アルタイルが一番のお気に入りになったせいで、本来のヒーロー、シリウスの存在をかき消す勢いでローズマリーとアルタイルのラブストーリーを展開してしまったのだ。
同じ三角関係でも、ローズマリーの気持ちは固まっていて、アルタイルが一方的にアプローチしてくるパターンなら、彼女の評価が下がることはなかったのかもしれない(その場合、魔王とかぶるが)。
だがローズマリーの『ふらふら』っぷりは…………ローズマリー派だった当時の私の目から見ても、「もう、完全に心変わりしてるよね?」というレベルだった…………。
まず、ハイドランジェ神殿への道案内として、アルタイルがローズマリー一行に同行することになる。シリウスは冷酷なアルタイルを信用できないが、ローズマリーは「アルタイルは本当は優しい人よ、私は彼を信じるわ」とかばう。
この時点で、ローズマリーはアルタイルから露店で焼き菓子を奢ってもらい、雨が降り出した時にマントをかけてもらっていた。
読者としてはわかる。この手の少女漫画で、仲良くなったりドキッとしたりする、定番のシチュエーションだ。私自身、小学生の時は「あれ? アルタイルって、いい人?」と思った。
だが、シリウスはその事実を知らないし、彼はローズマリー同様、アルタイルが幼い子供を厳しく処分しようとしていた現場を目撃している。シリウスが「何故、急にアルタイルを信じるんだ?」と不思議がるのは当然だ。
ここで、ずっと順調だったローズマリーとシリウスの関係に溝が生じる。
そこへ、敵の罠により、ローズマリーとアルタイル、シリウスとダリア、残る旅の仲間と、三組に分断されて旅する展開になる。
アルタイルと二人っきりになったローズマリーは、急速に距離をちぢめていくのだ。
アルタイルがローズマリーの足の怪我を手当てしたり、歩きにくい道で手を貸してくれたりするたび、ローズマリーは「アルタイルって優しい人ね、もっと怖い人かと思っていた」と笑顔を見せまくり、やや前かがみになって胸を強調するような、あざといポーズをとる。
アルタイルもすっかりローズマリーに気を許して、寂しい過去を語ったりする。
ここだけ見れば、少女漫画王道のほほえましい『仲良くなっていく二人』展開だが。
肝心のシリウスは、心配どころか『忘れた』レベルの扱いだった…………。
恋人と離れ離れになっているのに、ローズマリーはずっと笑顔で、アルタイルと二人きりになれて嬉しがっているようにしか見えなかったのだ…………。
しかも道中、二人は宿を見つけるが、お約束のように「一部屋しかない」といわれる。
女性であり、セイントローズでもあるローズマリーを気遣い、アルタイルは「俺は廊下で寝る」と告げるが、ローズマリーは「ベッドは二つあるんだから、一緒に休みましょ」と誘う。
俺様系男子であるアルタイルは「いいのか? 襲われても文句は言えないぞ?」と色気たっぷりに脅すのだが(この絵はいま見ても眼福でした、ありがとうございます)、ローズマリーは「アルタイルはそんなことしないわ、信じているもの」と笑って否定するのだ。
その笑顔に毒気を抜かれて、アルタイルも同じ部屋で休んだのだが、今だったら、不用心だと理解できる。いくら信用していても万一ということがあるし、ましてセイントローズは処女が鉄則、警戒しすぎるくらいで当然だ。
それにあの時点で、ローズマリーはシリウスと将来の約束をしていた。私だったら、付き合っていなくても、弘史に変な誤解をされないため、絶対に部屋は別にしてもらう。
おそらく作者の花宮愛歌さんが、そういうシチュエーションを作りたかったのだろう。
アルタイルはローズマリーが寝入ったあと、起きて彼女のベッドに近づく。下心があったかは明確でないが、安らかに眠るローズマリーの寝顔を見てほほ笑み、彼女の額にこっそりキスして、自分のベッドに戻ったのだ。
昔、読んだ時はドキドキしたが、今ふりかえると危なすぎる状況だし、それで翌朝のローズマリーは「あーよく寝た」である。いろいろツッコミが多すぎる。
ちなみにシリウスもダリアと二人で別の宿に泊まり、「部屋は一つしかない」といわれる。彼の場合、「私は護衛ですので、部屋の外にひかえています」というダリアの主張を却下してベッドで寝かせはしても、自分が同じ部屋で休むことは一度もなかった。
この一連のエピソードで、読者のローズマリーへの評価は一気に落ちた。「恋人と離れている間に、別の男と仲良くなる尻軽女」と思われてしまったのだ。
ローズマリー好きだった昔の私でさえ、全員合流後に偶然、シリウスがダリアを抱きしめる光景を目撃したローズマリーが「ひどいわ、シリウス。私を好きと言ったのに」と泣くシーンには、「え? でもローズマリーは、アルタイルが好きになったんじゃないの?」と思ったくらいだ。
しかもそのシーンで、ローズマリーを慰めたのはアルタイルであり、泣いている彼女を抱きしめて「俺にしておけ」「俺がシリウスを忘れさせてやる」と言って、キスまでしているのである。ローズマリーは抵抗しなかった。
私は「うーん」と心の中でうなる。
最終的には、ローズマリーとアルタイルの仲はそれ以上、進展しなかった。作者自身はあとがきで「アルタイルエンディングにしたかった!」と明言していたが、担当編集者の反対にあったらしい。私自身、十巻以上かけて山ほどシリウスとの恋愛エピソードを見せられた末に別の男と、というのは、小学生の時でも納得できなかったと思う。
やがてハイドランジェ神殿に到着したローズマリーとシリウスは、ぎくしゃくした雰囲気のまま魔族との戦いに臨むのだが、敵の攻撃によってローズマリーとダリアが崖から落ちかける。
ここでシリウスは迷いなくローズマリーに手を伸ばし、引き上げた彼女をかたく抱きしめ「今わかった、私は君がいないと生きていけない!」と断言する。
ローズマリーもこの台詞でシリウスの自分への愛を確信し、「私が好きなのは、あなただけよ、シリウス」と宣言するのだ。
そして抱き合う二人を目の当たりにして、アルタイルは彼らの想いの深さ、絆の強さに、負けを認めるのである。
この直後、アルタイルは魔族の攻撃からローズマリーをかばって致命傷を負い、シリウスにローズマリーを託して、ローズマリーの腕の中で死んでいく、という最高ランクの見せ場をもらって、物語から退場する。
アルタイルの退場には、昔の自分も悲しい衝撃をうけたものだったが、ダリアとなった今では、彼女の気持ちのほうが気にかかる。
恋していたシリウスに迷いなく見捨てられ、居合わせた他の仲間全員からも、ローズマリーが無事だったか確認したあと、ようやく、とっくの昔に川に流されてから、崖をのぞき込んで「駄目だ…………」の一言で終わりなんて…………ダリアが不憫すぎる。
世界にただ一人のセイントローズであるローズマリーの重要性は理解できるが、誰か一人くらい、ダリアを真っ先に心配してくれるキャラがいても、良かったのではないか?
原作では、『天才少年魔術師』リゲルは許嫁の少女のため、『伝説の盗賊』ベテルギウスは亡妻が遺した一人娘を救うために旅に出た、という設定で、ダリア一人がフリーだった。
自分だったら、『いたたまれない』なんてものではない立場である。
とにかく、そんなこんなで『ハイドランジェ編』はいろいろな意味で、シリーズ屈指の盛り上がりを見せた。
その『ハイドランジェ編』を、この魔王が見ていたとしたら。
(ストーカー云々は置くとして)私だったら、相手の女性の誠実さを疑うと思う。
仮にこれが弘史で、私の手の届かないところ、それこそ日本で今、婚約したての彼女と別の女子との間をふらふらしていたとしたら…………絶対に怒る。呆れる。そういうヤツだったのかと、殴りたい気持ちになる。
弘史は私の彼氏ではないけど、そういう問題ではない。
二股などあり得ないやつだと思ったから、好きになったのだ。
それなのに今さら『二人の間を行ったり来たり』なんて、一種の裏切りだ。
むろん、弘史に私の理想どおりに動く義務はない。そこは理解している。
ただそれでも、失望はまぬがれないだろう。
別の女を選んだ、というだけなら、哀しくても失望はしない。
誠実を貫く相手が私ではなかった、というだけの話だ。
だが、婚約者以外の女性に惹かれた、というのは話が別だ。
それは『私を選ばなかった』というだけではなく、『選んだ女性に対して不実を働いた』という意味である。
魔王も失望したのだろうか。『ハイドランジェ編』のローズマリーの態度に…………。
正確には、ローズマリーは魔王の恋人ではないが、好きだったのは事実だ。その好きな女子が、恋人のいない所で平然と別の男と仲良くするような性格だったら、失望も呆れもするだろう。魔王がローズマリーにかつての恋人を重ねているのなら、なおさらだ。
原作では、マーガレットは魔王の回想の中で数コマ登場するだけで、顔も明確に描かれてはいない。ただ、魔王の話で『純粋で心優しい』『醜く恐ろしい自分にも怯えなかった、ただ一人の人間』と語られている。
魔王がマーガレットを清純無垢と信じれば信じるほど、『ハイドランジェ編』のローズマリーにはがっかりしたのではないだろうか。
それが、世界の真実を知った驚愕や絶望と混じりあって、「あんな女、どうでもいい」という気分になることも、ないわけではないかもしれない。
読者としては、大変面白かった『ハイドランジェ編』なのだが。
「納得したのなら、もういいか」
魔王の声が、延々と横道にそれていた私の思考を現実に引き戻した。
「あなたが後悔しないと言うなら、それでいい。あなたと、できるだけ大勢の魔族が生き延びられるよう、手を貸すよ」
魔王の雰囲気が少しだけ和らいだ気がした。
ハイドランジェ=紫陽花
紫陽花の花言葉=元気な女性、辛抱強い愛情、一家団らん、移り気、浮気、冷淡、高慢