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4 あちらから来た

「そっちに行ったぞ!」


「くそっ! 罠を避けた!!」


「追え!!」


 男達の怒号をふり払うように、剛毛に包まれた巨体が駆けてくる。

 その巨体の行く手に飛び出し、「危ない!」「避けろ!!」という叫びを聞き流して、弓の弦を離した。

 矢が鋭く飛んで、猛り狂った敵の右の眼球に突き刺さる。

 突進してきた巨体を、横に跳んで避けた。

 敵は前足の力を失い、下草の中に顔を突っ込むようにして倒れる。

 狙い通り、眼球に刺さった矢は、弓から放たれた勢いだけでなく、突進してきた敵自身の勢いも加わって、眼球を貫いて脳にまで達したようだった。

 太い四肢がぴくぴくと痙攣して、やがて動かなくなる。


「…………仕留めましたか?」


 私、冬野花純ことダリア・ウィードリーフは、おそるおそる訊ねた。

 はたして、敵ならぬ今夜のおかず、ならぬ大きな猪は絶命していた。

 わらわらと男達――――弓やナイフをたずさえた猟師達が集まってくる。


「たいしたもんだ、あの距離から一発で仕留めるなんて」


「だが、危なすぎる。一つ間違えれば、猪の分厚い毛皮に矢をはじかれたかもしれんし、猪とぶつかって角が刺さっていた可能性もあったぞ?」


「すみません」


 年配の猟師のお小言に、素直に謝っておく。


「よし、縄を寄越せ。すぐに運ぼう」


 男達は馴れた手つきで猪の四肢を結び出す。

 私は弓矢に傷などできていないか確認しながら、自分がしとめた獲物を見やった。

 我ながら、たいした腕前、たいした戦果だ。猪は牛のように大きく、傷を負わせたのも眼球だから、毛皮にはほとんど傷がない。戦績としては上々だった。

 ダリア・ウィードリーフに転生(?)して、そろそろ一ヶ月。

 現在、私は『魔物の侵攻によって住んでいた家と家族を失い、命からがら逃げてきた少女、タリア』という設定で、ビオラという村で暮らしていた。

 この世界ではじめて目覚めた川岸から、とにかく王都や魔王城とは反対の方向に歩きつづけ、発見した道沿いに歩き、たどり着いたのが、このビオラ村だった。

 はじめは「田舎の村はよそ者に冷たそう」と心配していたのだが、今回は『田舎の村』というのが、いい方向に転がった。

 田舎なので、村長や、村に一人だけの神官をのぞいて、読み書きできる者がいない。計算も、日常の買い物程度でせいいっぱいだ。なので、貴族の娘の当然の教養として、基礎以上の読み書き計算を習っていたダリアは歓迎された。

 そして『鮮血の戦乙女』の腕前である。

 冬野花純だった頃は、弓など見たことも触ったこともなかったが、ダリアの肉体は中身が変わっても長年、積み重ねてきた技術を忘れることはなく、狩りに出れば確実に獲物を仕留める名射手として、あっという間に村で重宝されるようになった。

 猟師達が太い棒に猪をぶら下げ、二人がかりで肩に持ち上げる。


「じゃあ、先に帰って、みなさんに知らせておきます」


 猟師達に断って、森の獣道を走り出す。

 猪は大きいため、捌くのは数人がかりでの一日作業になる。村にいる女性達に、肉を捌く準備を整えておいてもらう必要があった。

 村に戻ると、エプロンをつけた女達が井戸を囲んで、文字どおり井戸端会議を開いている。

 頭巾をかぶった一人が、こちらに気づいた。


「おかえり、タリア。獲物は獲れたのかい?」


「獲れましたよ。大きな猪が一頭。あと、うさぎも二羽獲れたので、準備をお願いします」


「おやまあ」


 女性達の雰囲気が一気に明るくなる。

 大きな猪は、一頭獲れれば十数世帯分の夕食になるのだ。


「ご苦労さん、タリア。あとはあたし達がやっておくから、あんたは家に帰って水を使いな」


 一人の恰幅のよい中年の女性が井戸から水を汲み、持っていた桶に注いで、こちらに渡してくる。家で汚れた手や顔を洗え、という意味だ。


「ありがとう、ヘザーおばさん」


 ヘザーおばさんは、ビオラ村に来た時、はじめて声をかけてくれた女性だ。弓矢を背負って土まみれだった見ず知らずの少女に食事を提供し、寝床を与えてくれ、『家族を失って行く当てがない』と言ったら、『好きなだけいていいよ』とまで言ってくれた。

 ヘザーおばさんは農夫の夫と二人暮らしだが、子供ができなかったため、寂しい思いをしていたらしい。よく家事を手伝い、読み書きなど、役に立てる人間だと証明しつづけていたら、『うちの子になっておしまい』と冗談まじりに言ってくれるようになった。

 だましている罪悪感はあったけれど、そう言ってもらえるのは、ありがたかった。ダリア・ウィードリーフとして王都にも実家にも帰らない以上、居場所となる『家』をどこかにつくる必要があった。

 片手に桶、片手に弓矢を担いでヘザーおばさんの家にむかっていると、村の若者が声をかけてくる。


「よう、タリア。重そうだな、手伝ってやろうか?」


「ありがとう。でも、大丈夫。それより、もうすぐ猪が届くから、そちらを手伝ってあげて」


 笑顔でかわして、返事を待たずに家へいそぐ。

 幸い、相手は追ってこなかったが、この村に来てただ一つ困っているのが、今のように声をかけてくる若者達の存在だった。

『赤い瞳が不吉という理由で忌避されてきた』設定のダリアだが、顔立ち自体は美少女だし、行儀作法が身についていて教養もある。村の素朴な少女達を見慣れた若者達が興味を持つのは当然だし、村人達がタリアを歓迎する理由の一つも、それだと思う。

 つまり『嫁のなり手』としても期待されているのだ。

 戸を開け、ヘザーおばさんの家に入って床に桶を置くと、ため息が出た。

 重宝されるのは、ありがたい。けれど最後の期待に関しては正直、気が重かった。

 振られてしまったけれど、自分はまだ、弘史への想いを忘れたわけではない。未練がましいかもしれないが、あまりプレッシャーになるようなら、最悪、別の村や町に移動するべきかもしれない。


「せっかく、いいスタートを切ったと思ったのにな…………」


 弓矢をテーブルに置こうとして、手を止めた。

 気配がする。人とも獣とも異なる、妙な気配が。

 家の裏手、洗濯物を干している裏庭からだ。

 魔物だろうか。

 ダリア・ウィードリーフの記憶に照らし合わせると、それが一番ちかい。

 少し考える。

 魔物はおそらく、低級。ダリアは一人で百匹の魔物を倒した手練れだし、下手に村人を呼んで騒ぎになって、逆に、魔物に逃げられたり村がパニックに陥ったりするほうが面倒だ。

 矢筒を背負い直し、弓と矢をかまえて、そっと、入って来たばかりの戸から出た。

 できるだけ足音を殺して、家の壁沿いに移動する。

 いつでも矢を射れる体勢で裏庭に入った。

 庭には誰も、なにもいなかった。

 午後のやさしい風に洗濯物がたなびいている。


「気のせい…………?」


「フユノカスミ」


 低い声がひっそりと、けれど、はっきり耳に届く。背後から。

 はじかれるように体を半回転すると、誰もいなかったはずの場所に黒い影が立っていた。


「誰!?」


 叫ぶ。

 背の高い人物だった。真っ黒なベールを頭からすっぽりとかぶって、顔もろくに見えない。兜でもかぶっているのか、頭部が四角にちかい形をしていた。

 こちらが相手の胸のあたりに狙いをさだめると、ベールの中から声がする。


「お前は、フユノカスミか?」


「どうして、それを――――」


 それは、こちらの人間が知るはずのない名前。


「やはりフユノカスミか。ダリア・ウィードリーフ」


「!!」


 息を呑み、心臓が跳ねあがった。

 私の前世だけでなく、現在のこの肉体の正体まで知っている。

 絶対に、ただ者であるはずがない!

 とっさに矢を放った。

 が、「ぱしっ」という音がして、相手に止められる。

 黒いベールの端から指の長い手が現れ、飛んできた矢をやすやすとつかまえたのだ。


「えっ…………」


 びっくりした。矢を手で受けとめるなんて、どんな動体視力をしているのだ。

 目を丸くしたその数秒の間に、相手は距離を詰めていた。

 眼前に真っ黒なベールが壁のように立っている。


「だ…………!」


 大きな手が迫って、こちらの口をふさいだ。

 ベールがゆれて、赤く妖しく輝く、二つの眼がのぞく。


「協力してもらうぞ、ダリア・ウィードリーフ。いや、フユノカスミと呼ぶべきか?」


 たちまち全身から力が抜けて、意識が遠のきだした。

 失敗した、と後悔が頭をよぎったが、もう遅い。

 風がふわりと、黒ベールを大きくめくる。

 赤い瞳、長い黒髪、左頬の、炎を模したタトゥーのような模様。そして頭の左右に生えた、山羊のような湾曲した二本の角。


「ダーク…………ロード…………」


『セイントローズ』世界の魔王の登場だった。

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