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13 おつかれさま

 それから私はリハビリを経て大学に戻り、落とした単位をとり戻すため、授業とレポートに奔走するかたわら、友人達と会うたび『自殺』の疑いを解いていく日々を送った。弘史はレポートの作成を手伝ってくれ、私はとにかく明るくふるまって、「好きな人は別にいる」とアピールしつづけた。

 やがて大学を卒業し、就職を果たし、それなりの実績を積んで、それなりの貯金もできた。

 弘史は大学卒業後、例の婚約者と結婚し、式の招待状は私にも届いた。

 仕事を覚えるので大変な時期だったし、まだ、そんなにたいした給料ももらっていなかったため、「欠席したいな」というのが本音だったが、友人達の最後の疑いを晴らすため、無理やりスケジュールをあけて出席した。

 まったく、なんで私があいつのために、ここまで苦労しなければならないのだ。本当に、これが最後の最後だ。



『セイントローズ』の世界から戻って以来、私のやんわりとした心配事は、『セイントローズ』の続編が出ることだった。

『セイントローズ』の続編が出て、ふたたび『かつての魔王、ダークロード』がラスボスとして登場する展開になったら。

 それを心配していたのだが、幸い、作者の花宮かみや愛歌あいかさんはアイドルものにハマり、『セイントローズ』は文庫化したものの、続編が出ることはなかった。

 実家で古くなった単行本を読み返しながら、ふと、思ったことがある。

 私は『セイントローズ』の世界に行った際、「過去に飛んだのか?」と疑った。理論上、そうなるからだ。

 そして日本に戻ったあと、過去へのタイムスリップもののパターンとして、『タイムスリップした主人公の行動で過去が変わる』パターンと、『タイムスリップした主人公が行動することで、正しい過去になる』パターンがあると知り、一つの仮説が生まれた。

 結論からいうと、ダリア・ウィードリーフは『ハイドランジェ編』で崖から落ちた時点で、()()()()()のではないか。

 読み返すと、『ハイドランジェ編』でローズマリーがアルタイルに惹かれてシリウスとの関係にひびが入り、シリウスとダリアが二人で旅していた最中、シリウスはダリアに気を持たせるような行動をしていた。

 シリウスがローズマリーとの喧嘩で落ち込み、彼女がアルタイルと一緒だと知って不安になった時、ダリアはシリウスを親身に励まし、シリウスはダリアに慰められた。

 そしてローズマリー達との再会後、ローズマリーとアルタイルの仲の良さに衝撃を受けたシリウスに、ダリアは「私はセイントローズ(ばらの聖女)ではなく、今となっては、ただの女、謀反人の娘ですけれど…………王子さえ許していただけるなら、ずっと王子のおそばにおります。あの日より、ずっとお慕いしておりました」と告白するのだ。

 対するシリウスも、ローズマリーに心を残しながら、ダリアを抱きしめ、最終的に「ローズマリーとは近いうちに決着をつける。少し待っていてくれ」と答えて、ダリアの額にキスするのだ。

 そのシーンをローズマリーが目撃して、「ひどいわ、シリウス。私への告白は嘘だったの?」となるのだが。

 とにかく、ずっと『お友達どまり』だったダリアにしてみれば、『ハイドランジェ編』のこのシリウスの台詞と急接近は夢のような心地だったろうし、「ひょっとしたら」と期待もしたに違いない。

 それなのに、『ローズマリーと一緒に崖から落ちたのに、迷わず見捨てられた』という形でシリウスの本心を突きつけられたのだ。

『つらい』なんてものではなかったはずだ。

 文字どおり、『心が死んだ』のだろう。

 崖から落ちた肉体は川に流され、下流で息を吹き返した。

 けれど、肉体は生きていても、ダリアの魂はすでに肉体を離れていたのではないか?

 だが、それでは物語は進まない。

『ハイドランジェ編』以降、本筋に大きく影響するキャラではないが、それでも原作どおり『魔王に寝返った裏切り者として再登場する』展開が、あの世界には必要だったのではないか。

 そのために、空っぽになったダリアの肉体に、私の、冬野花純の魂が宿ったのではないだろうか。

 私とダリアは、魂だか肉体だかの相性やら波長やらが合っていたのかもしれないし、あるいは本当に私はダリアの生まれ変わりで、ダリアの意識が死んだために、物語が完結するまでの一時的な処置として、私の意識があの世界に呼ばれたのかもしれない。

 今となっては確かめようのない事柄だが、そうまでして生かされた『ダリア・ウィードリーフ』というキャラには、同情を覚えた。

 ただ、ネットの感想サイトをのぞくと、「ローズマリーよりダリアが好き」「ローズマリーはあざとい、ダリアのほうが一途だと思う」という意見をちらほら見かけ、それがささやかな救いだった。

 あるいは、魔王達を逃すために、私がダリアとして呼ばれた可能性もある。

 だとしたら、魔族が生き残ることは、あの世界そのものに許された未来だったのだろう。

 魔王、ダークロードの出ているページは、何年経っても、なにかの拍子に開いていた。

 とはいえ、彼はほとんどのコマで黒いベールをかぶっており、素顔は描かれていない。

 口元だけ描かれた彼のコマを見ながら、ふと思った。

 計画が成功したあと、ダークロードが見せた、あの柔和な表情。ひかえめな笑み。計画の前夜、月を見あげた時の、寂しげにも見えた儚い横顔。

 あれらの表情は、ダリアとしてあの世界に行っていた自分だから、見ることができたもの。

 ひょっとしたら、作者の花宮愛歌さんでさえ知らない彼の姿を、自分は目にすることができたのではないか?

 それに気づいた時、私の胸はこれ以上ないほどあたたかいもので満たされ、同時に切なくしめつけられた。

 胸の痣が、熱をもったかのように熱い――――






「今年も咲いたわねぇ…………」


 私は自分が植えたリコリスの花の列を見おろしながら、そっと、その中の一輪をなでた。

 実家のベランダだ。両親は十年以上前に亡くなり、結婚しなかった私はローンを完済したこの家をもらって、そのまま住みつづけている。

 過ぎてみれば、人生はあっという間だった。最近は、若い頃の出来事がひんぱんに思い起こされる。

 あれから弘史とは、一度だけ会う機会があった。三十過ぎて出席した同窓会に彼も来ていて、昔話に花が咲いた。それだけだ。

 断っておくと、私だって、交際や結婚を申し込んでくる男性がいなかったわけではない。

 ただ、なんとなく「この人は違うな」と感じつづけた結果、誰とも先に進むことはなく、気づけば立派なお一人さまだった、というわけである。

 今の私の楽しみは、両親が遺したこの家で、ベランダの花壇の手入れをしつつ、昔の漫画を読み返すこと。

 漫画はもうぼろぼろで、『加筆ページあり』の謳い文句に惹かれて購入した文庫版も、すっかり変色していた。

 咲きたてのリコリスが風にゆれる様を眺めていると、とろとろした眠気に誘われる。

 寝てはいけない。今日はこのあと、高橋さんが来るのだ。

 なのに眠気ときたら、勝手に人の体から力を奪っていく。抵抗を奪っていく。

 だが、ふいに見えた光景に眠気が吹き飛んだ。


「探したぞ、花純」


 懐かしい顔がこちらを見て、私に手を差し出してくる。

 長い黒髪、雪花石膏アラバスターの肌、湾曲した山羊の角に、左頬の炎を模したタトゥーのような模様。赤く輝く瞳。


「あらかじめ俺の証を刻んでいたとはいえ、さすがに、異なる世界で人間一人を探し出すのは苦労した。来い、花純。もう、この世界でのお前の役目は終わっただろう?」


「…………ダークロード…………」


 長い間、ずっと私の心の一角を占めて、とうとう消えることのなかった存在が、目の前で優しく笑っている。指の長い手が、こちらに差し出されている。


「来い」


「え…………どこへ…………?」


「むろん、俺達の世界だ。迎えに来た」


 胸が一気に早鐘を打ち出す。眠っていた心が生気をとり戻す。

 けれど私は、素直に応じることはできなかった。


「駄目…………もう…………」


 悲しかった。


「見てのとおりよ。私はもう、こんなおばあさんなの。白髪だらけで、しわだって、こんなに…………」


 悔しかった。

 これはたしかに、何度も心の中で思い描いた光景なのに。

 あれほど望んだ存在が今、目の前に立っているのに。

 もっと早く再会したかった。女心は複雑なのだ。

 だが異世界の魔王は、なんてことないように笑った。


「老人? どこが?」


「え?」


 私は、私自身を見おろした。

 体が軽い。体型が変わっている。

 もうずいぶん長い間、ショートカットを維持していたはずの髪が伸びている。


「どういうこと…………?」


 顔をなでると、張りのある肌の感触が伝わった。指も手の甲も、しわひとつない。


「行くぞ」


 魔王が差し出す、大きな手。

 私はその手に、自分の手を重ねた。

 瞬間、私は理解した。

 ああ、そうか。私は長い旅路を経て、やっとこの男性ひとのもとに帰って来たのだ。


「俺がいない間、どう生きていた?」


「普通だよ。平々凡々」


「普通か」


「それが一番。幸い、仕事もあったし、貯金もできたし」


「結婚は?」


「…………聞かないでよ。生涯、独身」


「何故?」


「何故っていわれても…………する気になれなかったから」


「あなたのせいだと思う」という台詞は呑み込んだ。

 魔王、ダークロードは笑った。


「まあ、詳しいことはあちらでゆっくり、語ってくれ。時間はたっぷりある」


「うん。私もあなたの話を聞きたい。あれから魔族はどうなったのか、とか」


「いくらでも話してやる。数百年の時を経て、お前はようやく俺のもとに帰ってきた、花純。今度こそ離しはしない、マーガレット――――」


 魔王の腕に抱かれる。

 私は圧倒的な安らぎに包まれて、この世界を離れた。






「…………冬野さーん。冬野花純さーん。ヘルパーの高橋でーす」


「どうしました?」


「あ、管理人さん。冬野さんのお宅のチャイムを押しても、返事がなくて…………」


「ちょっと待っててください」


 初老の管理人が合鍵を持って来て、ドアを開ける。


「冬野さん…………冬野さん!?」


 ベランダの壁にもたれるようにして、一人の老女が倒れていた。

 高橋はすぐに駆け寄り、状況を確認すると、老女の主治医に連絡した。

 死亡診断書を書いてもらうためだ。

 もう少し早く来ていたら――――そんな思いがよぎる。

 が、老女の顔を見て、その後悔はぐんとやわらいだ。


「いい顔ですね、冬野さん」


 まったく、その一言だった。

 しわだらけの老女は、二十歳の娘のような、若く華やいだ笑みを浮かべて眠っている。


「あら…………?」


「なんですか?」


「冬野さんの胸にあった痣が…………消えているみたいで…………あんなにくっきりしていたのに…………そういうこともあるのかしら?」


 ベランダの花壇で、リコリスがいっそう美しくゆれていた。

このラストが書きたかった話です!

ここまで読んでいただき、また、たくさんのブックマークや評価、ありがとうございました‼


リコリスの花言葉=悲しい思い出、あきらめ、情熱、独立、再会、誓い、など

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