12 真相
気づくと白い天井を見あげていた。
「花純…………? 起きたの!? 花純!!」
「お母さん…………」
泣き腫らした母の顔。
戻ってきたのだ。
肉体はどうなっているのだろう。お母さんが『花純』と呼ぶからには、『冬野花純』の姿に戻っているのか。
「先生! 看護師さん! 花純が…………!」
「お母さん…………」
私はかろうじて、母の手をつかまえた。
「弘史は、関係ない…………私が、勝手に落ちたの…………お願い…………弘史を呼んで…………話を聞いて…………」
そこでふたたび、意識がとぎれた。
次に目が覚めた時、私はかなり頭がすっきりしていた。体の痛みはかるく、水を飲ませてもらって、医師の質問にもすらすら答えることができた。
弘史と会ったのは、その三日後だったが、面会はすんなりとはいかなかった。
できるだけ私の願いを叶えてくれようとする母に対し、父は例の噂を信じきって弘史を諸悪の根源とみなし、断固として私に近づけさせようとしなかった。弘史はむろん、弘史の両親も何度か見舞いに来ていたそうだが、すべて断っていたらしい。
弘史に会うにはまず、この父の見当違いの思い込みを叩き割るところから、はじめなければならなかった。
私は強く「弘史とは付き合っていない」「失恋していない」「まして弘史のために死ぬはずがない」「そもそも自殺じゃない、事故だ」と主張する。
「だったら、なんで屋上から落ちたんだ」
「それは…………」
返答に迷った。
こちらに戻ってきた際、記憶も完全に戻ったのだが、思い出してみればしょうもない経緯だった。
「…………私が倒れていた近くに、袋がなかった? 駅前のデパートの袋で、リボンがかかった箱が入った…………」
「これのこと? 倒れていた時に花純がにぎりしめていたって、救急隊員の方が渡してくれたんだけど…………」
母がベッド脇のテーブルに置かれていた茶色の紙袋から、汚れたデパートの袋をとり出してくれる。ずっとそばにあったのに、紙袋に入っていたので気づかなかった。
振ってみると、ガチャガチャという音が聞こえる。
「割れちゃったか…………だよねぇー…………」
「中を見たけど……ペアのマグカップよね? いいブランドの。その…………弘史君達へのお祝いだったの?」
「まさか」
私は否定した。これは、まぎれもない事実。
「これは、お父さんとお母さんの結婚記念日のプレゼント。縁が銀色のデザインだったでしょ? 結婚二十五年目は銀婚式だから」
両親はそろって虚を突かれた表情になった。
「駅前のデパートでこれを買って…………袋を手に持ってたんだけど、帰る途中、歩道橋で友達に会って本を貸りて。荷物になるから本をリュックにしまおうとして、ちょっとだから大丈夫だと思って…………袋を歩道橋の手すりに置いたの。そしたら、袋が手すりから落ちそうになって…………」
「ひょっとして…………袋を拾おうとして落ちたの!?」
あまりに間抜けすぎる真実で、恥ずかしさに返事ができない。
だが両親なら、この沈黙の意味するところを理解してくれるだろう。
「だからって、危ないだろう。なんで拾おうとしたんだ!」
拍子抜けした父はかえって怒りがわいたらしく、やや強い口調で責めてくる。
私は唇をとがらせて、ぼそぼそと反論した。
「だって、マグカップだから落ちたら割れると思ったし、バイト代はたいたから、これが割れたら買い直しは無理だし、他の物を買うにしても、あのデパートのセールは落ちた日が最終日だったから、次の日だと定価になるし、二割引きは大きいし…………」
親は二人そろって大きく息を吐き出し、天を仰いだ。
「とにかく、そういう理由だから。弘史のことは全然、まったく、完璧に、関係ないから! というか、あいつのために死んでやる命は持ってないから!!」
私は言いきり、ようやく弘史に会う許可がおりた。
「お父さん、ちゃんと弘史に謝ってよね。知ってるんだからね、弘史を殴ったこと」
「お前が言ったのか」
「いいえ。看護師さんかしら…………?」
ひそひそと話す声が聞こえる。
なにはともあれ、そうやって私は、一ヶ月ぶりに幼なじみに会うことが叶ったのだった。
「花純…………良かった…………本当に良かった…………」
「ホントよ。とんだデマ情報をばら撒かれるところだった。…………てか、もう撒かれているのか…………」
ベッドの脇の椅子に座った弘史は、泣き出さんばかり…………というより、泣いていた。
「花純が歩道橋から落ちて、意識不明だって聞いて…………それが、俺に捨てられての自殺らしい、って聞いて…………俺、マジで目の前が真っ暗になった」
「全然、違う。偶然」
私は両親にした説明を弘史にもくりかえした。
聞き終えた弘史は目と口を丸くして、言葉の出ない様子だった。『救われたような』表情とは、こういう顔だろう。さっきまで真っ青な顔で虚ろにただよっていたのが、明るい陽光の中でスキップしているかのような変貌ぶりだった。みるみる血色が戻る。
「俺…………てっきり自殺かと…………友達もみんな、そう言ってたし…………」
「だから、違うって。…………あーもー、みんなに説明して回んないと駄目なやつなのか、コレ」
この先の労力を思うと、ため息がもれた。
噂の件だけではない。入院中の、大学の単位もとり戻さなければならないのだ。
私はうんざりしたが、弘史と目が合うと、どちらからともなく笑い出した。
それからしばらくの間、私は弘史と他愛ない話をした。
弘史の婚約を知って以来、こんなにこの幼なじみと話したのは、はじめてだった。
胸が痛まないと言ったら嘘になる。だが、その痛みはぐっとかるく、やわらいでいた。
「けど、ホント。みんな言ってたんだ。花純は俺にふられたから、自殺未遂したんだって。みんな、そう言うもんだから、俺も『そうかも』って思えてきて…………」
「なんで私が、アンタのために死んでやらなきゃならないのよ。ていうか、みんなも、どうしてそういう発想になるかな。ずっと『付き合ってない』って言ってきたのに」
「それはまあ、そうだけど。周りからはそう見えたんだろ。ずっと一緒だったし…………」
「それだけで『付き合ってる』認定されてもなぁ。私、いま好きな人がいるし」
「え、マジ!?」
「マジ」
思いきり、いい笑顔を見せてやった。
ここは信じてもらわなければ困る。
「誰? 俺の知ってるやつ?」
「知らない人。偶然、会った」
「どんなやつ?」
「こう、黒髪の…………」
適当に答えようとして、脳裏に鮮やかに一つの面影がよみがえる。
「花純?」
頬に勝手に熱が集まり、それを知られたくなくて、弘史から顔をそらした。
「…………若干ビジュアル系? 髪が長くて、色が白い」
「ビジュアル系!? 花純が!?」
弘史は心底、驚いたようだ。そんなに意外だろうか。
でもまあ、世の中ってそんなものだ。
昔は漫画などの『ヒーロー、ヒロインに振られたキャラ同士がくっつく』展開を『在庫処分セール』のように感じて好きになれなかったけれど、実際に経験してみると『好き』というか『ほっとけない』気持ちなんだな、と理解できる。
「ビジュアル系というか…………『ダークロード』」
「ヘ? バンド名かなんかか?」
「魔王ダークロード。『セイントローズ』のラスボス。知ってるでしょ?」
「ああ、あの少女漫画か。花純が昔、ハマってたやつ。あれ? けど、あれはヒロインの恋人のほうが好きだって言ってなかったか? それか、途中で出てきた当て馬」
「シリウスはローズマリーとセット扱いだったから、単体で好きって感じじゃなかったし、それならアルタイルのほうが、まだ好きにちか
かった。ダークロードは…………最近、読み返したら、あの不器用っぷりが可愛く見えたの」
「…………女って好きだよな、不器用なイケメン。…………イケメンだっけ?」
「ほとんどベールをかぶっていたから。二、三コマしか、素顔は出てないと思う」
「で? そのラスボスに似てるのか? いま好きなやつが」
「…………うん」
また頬が熱くなってきたので、そっぽを向いた。
すると、なぜか弘史のほうがそわそわしだした。
「まあ…………そういうこともあるよな…………」
「なに、急に」
「いや…………なんか、急に『女』になった、って思って…………知ってるやつが急にマジ恋顔するの、見てられない」
「なにそれ。失礼な」
弘史のほうが視線を落として、いたたまれなさそうにしている。
大きくため息をついたその横顔が、なんだかあの時のシリウスの『お前、俺のことが好きだったんじゃないのか』という表情に似て見えて、ちょっと胸がすっきりした。
明日で終わりです。




