1 気づくと
『子供時代の終わり』
それはいつ来るのだろう。
なにをもってそう定義するのだろう。
とりあえず私、冬野花純の場合はトリプルで来た。
一つは単純に年齢。
二十歳も過ぎて、二十一歳の誕生日を迎えた。
二つ目は大好きだった漫画作品からの卒業。
八歳から十三歳まで、ほぼ六年間。あれほど読み返し、単行本を全巻そろえてイラスト集にも手を出し、作者にファンレターまで出した少女漫画を、大掃除がてら久々に一巻から読み返したら…………感想が百八十度、変わった。
三つ目は…………これが一番、痛手だった。
同じ小学校、同じ中学、同じ高校に通い、周囲からは「付き合ってるんでしょ?」と訊かれつづけて、自分でも密かに「そうなのかな?」と思いつづけてきた片思いの幼なじみーーーー柴田弘史が婚約した。
相手は大学のサークルの後輩。恐ろしい(?)ことに私と弘史は大学まで一緒で、けれどサークルは別々で、いわば『ちょっと目を離した隙に持っていかれた』形だった。
そりゃ、一度も「好きだ」とか「付き合おう」と言われたことはなかったけど。
私自身、一度も「好き」とか「付き合って」と言ったことはなかったけど。
周りのからかい半分の『彼氏彼女扱い』に対して、お互い「そんなんじゃない」「ただの腐れ縁」と言いつづけてきたけど。
弘史が彼女と付き合い出して、周囲から「柴田って、花純と付き合ってたんじゃなかったの?」と驚かれた時も、「違う違う」と笑い飛ばしたのは私だし。
当の彼女から「冬野先輩って柴田先輩と付き合っているんですか?」と訊かれた時、「違うよ」「ただの幼なじみの腐れ縁」と答えてしまったのも私だけど(先に弘史に訊いて、弘史からも同じ返答をもらっていたらしいけど)。
バレンタインのチョコを「ただの義理」と言いつづけたのも、十代の間、毎日のように顔を会わせながら、一度も告白しなかったのも私だけど!
それでも、大学の構内で、彼女と二人で銀色のエンゲージリングを友達に披露しているのを見た時は、強烈なめまいで倒れそうになった。
弘史が私になにも言わずに『彼女』を作って、あとから私への報告と紹介を済ませて以来、漠然と「ああ、このまま終わるのか」という予感と覚悟を感じてはいたが、なにもこんなに早く、そこまで決めてしまうことはないじゃないか。
その日はそれ以上、大学にいつづけることができず、残りの授業はサボって家に直行した。そして夕食を抜いて部屋にこもった。
大泣きというほどではなかったけど、泣くこと自体はとめられなかった。
大学も三年生になって就活が迫り、幼い頃に好きだった漫画は以前とすっかり感想が変わり、なにより、私の十代を共に過ごしたともいえる存在が、私以外の女性と一緒に、私の手の届かないところへ行って、私の子供時代は終了した。そう思う。
そして今。
私の目の前に広がるのは、岩だらけの川岸。水際に横たわっていたところを、両手をついて身を起こしたばかりだ。足が半分、水に浸かっている。
「え…………なんで…………」
たった今まで、駅近くの歩道橋を歩いていたはずなのに。
クリーム色の半袖に七分丈のパンツとサンダルを履いていたはずが、黒を基調とした半袖を着て、胸には革製の胸当らしきものをつけ、短めのスカートと革製のブーツを履いている。なにより、頭からずぶ濡れだ。
「どういう…………」
濡れて顔にはりついた髪をかきあげて気づいた。
髪が長い。
「え? え? え?」
先週、顎のあたりでカットしたばかりの髪が、腰あたりまで伸びている。よく見ると、色も髪質も自分のものではない。心もち茶色く染めたはずなのに、今、手の中にある髪の束は灰色がかった黒。
「どうして…………?」
もう一度、周囲を見渡し、自分を見おろし、覚えのない腰のポーチに気がついた。
気は咎めたが、中をさぐってみる。すると手の平に乗る大きさの、薄めの円形の品物が見つかった。
調べてみると、予想どおりコンパクトである。アンティークな細工がほどこされた蓋を開いてみた。
…………はじめは誰かわからなかった。
絵が貼られているかと思った。
円形の鏡がはめられた部分。
そこに、見覚えない少女の顔が映っている。
黒々と濡れた長髪。燃えるような赤い瞳。白い肌に、冷えて血の気を失った唇。
眉はきりっとして目尻もつりあがり気味で、全体にきつめの印象を与えるが、問題なく『美少女』の域に入る。
だが、見知らぬ他人だった。
いや。どこか見覚えあるような…………?
つい最近、この顔を見た気がする。
そうだ、この黒い髪と赤い瞳のイラスト。
それにこの、古風というよりコスプレっぽいデザインの服。
「…………『鮮血の戦乙女』…………!」
ドオン!! と遠くで音が響いた。
音のしたほうを見やる。
すると灰色の空に一本の細い光の柱が見えた。
青紫色の光の柱が天に向かって伸びるにつれ、雲が晴れて青い空が広がりだす。
その柱から細かいものがあふれて空いっぱいに舞い、しばらくするとこの川岸まで届いた。
水色と紫色の花びらが吹雪のように降ってくる。
青い空、光の柱、そこから降ってくる二色の花びら。幻想的な美しい光景。
この光景には見覚えがあった。
見開き二ページを使っての、カラーイラストで描かれた光景。
「『セイントローズ 聖花の歌姫』…………?」
そう。私は卒業したはずの、大好きだった少女漫画の世界に来てしまったのだ。
ごていねいにヒロインの『かませ役』に転生する、という特典付きで。