8.聖剣作りと小細工
ゾンビ討伐への準備は、思っていた以上に時間を要した。
原因は武器と呼べるものが少なく、東のスタルクから怪しまれない程度に仕入れねばならなかったからだ。その際、『援軍も要請しないのですか』とジャミルは訊ねたが、それはファルスの村の人たちが嫌がると教えられた。
ゾンビたちの数は約百体。真っ直ぐここに向かっており、偵察によればあと五日ほどで到達するだろうとのことだ。これを報された時、ダリアは眉を寄せた。
『ゾンビは“生”の匂いを嗅ぎつけるが、それは近場のものだけ。数日も離れたような場所から、目標を定めて一直線に向かってくるはずがない』
と言うが、集団で向かってきているのはまぎれもない事実だった。
すぐにキルダー騎士団の者らを交えた作戦会議が行われ、打って出るよりも、村の近くで迎え討つことに決定した。
皆が忙しく奔走している中で、ジャミルも村の片隅で“武器作り”に精を出していた。
「ふぅ……あともう少しだ……」
空き箱に腰掛け、滴る汗を手の甲で拭う。気分はさながら武器商人である。
傍らにはスタルクから仕入れた剣や槍、短刀や矢尻が入った箱がたくさん積み上げられ、刃を手のひらで撫でてゆく作業を繰り返してゆく。単調な作業だが、おかげでゾンビ戦が近いことを忘れられた。
――その力は神に与えられしもの。しかし、人はその力の使い方を誤ってしまうだろう。
――だからジャミル、父を許せ……神の力はきっと、お前を正しき道へ導いてくれる。
別れ際、父の涙の言葉が頭に浮かぶ。
しかし、思い出せるのは言葉だけ。顔も、声の響きはもうすっかり色あせてしまった。
この〈力〉をどのようにして得られたのか不明だ。朝起きると手が熱く、そんな感じがしたのが始まりだろう。そこで父親に話し、神の力を授かったと教えられる。
知らない人に言いふらしてはいけないと注意されていたが、うちの奥方は昨日、この村人全員に喋った……。
(まぁ、そのおかげで僕の評価は一変したけど)
口元に笑みを浮かべ、霞雲がかかる空を仰いだ。大陸は水で隔てられているのに、空は遠い故郷のまで繋がっているのかと思うと、少し奇妙な感覚にとらわれる。
ジャミルは視線を戻し、ぼうっと山の方を眺めていると、村の外れの方で赤茶色の鎧の者が見えた。
エリオさんだ。新しい鎧が支給されたけど、鈍色より錆色のが落ち着くらしく、わざわざ塗装しなおしたらしい。
しきりに周囲を警戒する様子が気になり、しばらく眺めていると、反対側から頭にスカーフを巻いた女性がやってきた。
確か村の馬の世話している人だ。はにかんだような笑顔が可愛らしい女の人だが、今見せている笑顔は特定の人にしか見せないものだと分かる。
元いたエウロ大陸の文化とは違い、ここ・ミッディージア大陸の女性は、大っぴらに男性と話すことはよしとされない。人目を憚りながら逢瀬するその姿に、ジャミルは、今の故郷・ブアーラにいる想い人を思い出していた。
「ルディナ、元気かな……」
ジャミルはハッとして、剣を撫でる作業に戻った。
しかし、一度考えると中々頭から離れてくれない。彼女のぷっくりとした唇に、胸元の膨らみ……頭は淫靡な姿を想像させ、年相応の反応を起こしてしまう。
がしかし、それはすぐに治った。実は今、全身筋肉痛なのだ――。
それからほどなくして、すべての武器に〈聖剣〉の力を施し終えたジャミルは、ダリアに報告するため村の中を歩いていた。
武器庫、食糧庫……いそうな場所を見て回ったが、どこにも見当たらない。
あちこち探し回っていると、女性たちが身を寄せる予定の蔵の中で、エリザの姿を発見した。床に這いつくばりごそごその何かを探る光景は、挙動不審を極めている。
「――奥方、いったい何をされているのですか?」
「ふぇっ!? あ、ああ、ジャミルですか〜。いえ、ちょっと自分の持ち場のチェックをですね〜」
「腰にノミやトンカチを携えてですか……?」
「しゅ、修繕箇所があればやるのですよ〜」
ほほほ、と笑って誤魔化す。
しかし蔵はまだ真新しく、修繕するような箇所は見受けられない。
ここは自分の持ち場にもなるので、ついでに周囲の確認もしておかねばならないが、内部のチェックは念入りにしておかねばならない、とジャミルは思った。
「と、ところで、ジャミルはいったい何をしているのですか〜?」
「あ、〈聖剣〉の力を施し終えたので、ダリアさんにその報告をしようと探していたのです」
「ダリアですか? 確かゾンビの群れを確かめに、高台に向かいましたよ」
「そうだったんですね。じゃあ帰りは遅いか……。奥方は何か用事はありますか?」
「んー……作業してちょっと喉が渇いたので、お茶をお願いします。ハーブティーがいいですね」
「かしこまりました。――お疲れのようでしたら、レモンバームはどうでしょうか」
「いいですね。ではそれでお願いします」
恭しくお辞儀をすると、奥方が「ふふっ」と嬉しそうな笑みを浮かべた。
「今日は、ちゃんと執事してますね」
「ひ、日々精進ですからっ!」
毅然とした態度で返そうとしたが、上手くできなかった。
「ダリアも、やっとジャミルが自分から剣の使い方を教わりにきたと嬉しそうに話してましたし、子供の成長はやはり著しいですね」
「え……」
訊ねるような目を向けたが、奥方は笑みを浮かべるだけだった。何も言わないのが“親心”なのだろう。
「もう一仕事してから向かいます。お茶を用意し、少し冷ましておいてください」
「かしこまりました。ですが――そのノミとトンカチは、預からせて頂きますね」
「……むぅぅ、ジャミルはやはり執事失格ですぅ」
「何でですかっ!?」
奥方から絶対に目を離してはいけない、とジャミルは心に刻みつけた。
◇ ◇ ◇
一方で、エリザが出発した後のブアーラ国では――。
臨時に設けられた謁見室の椅子に座るムフタールの前に、色あせた緑色のローブを被った、一人の老人がやって来た。袖口から覗く手はしわくちゃで、黒檀の杖を握っているが、はまだ健脚さを見せる足取りである。
「おお、マクタバ! 来たか!」ムフタールは顔を明るくして、深く腰掛けた椅子からピョンと飛び降りた。
「壮健そうでなりよりだ! 急に呼び出してすまない」
「そろそろ棺桶の用意をしようか、と考えておりましたぞ。若」
「まぁ、そう言うでない……ちょっと頼みがあるのだが、しばらくまた我が言葉を聞く耳になってほしい、と思ってな」
「若ぁ……この老いぼれをまだこき使いますか。我が耳はもう、ロバも同然――鞍を譲った若馬はどうされたのです?」
「その、なんだ。ちょっと家内と用事に出ておる」
マクタバは深くため息を吐く。
この老人こそが、ジャミルの前任の執事・屋敷を支えていた大臣なのであった。ムフタールが乳飲み子の頃から知る、屋敷の興盛を知る唯一の生き証人でもある。
「まったく……さっさと跡継ぎをこさえぬから、嫁がフラフラと冒険に出てしまうのです」
「知っておるなら訊くでないわ……」
ムフタールは肩を落とし、
「うちの内情を深く知るのはマクタバ、お前だけだ。使用人たちもよく働いてくれるから、これまでのような負担にはならないだろう」
「使用人どもが負担に思ったことはありませぬ。むしろ若の嫁の方が負担でしたぞ。自由奔放な、あの芦のような娘に、私がどれだけ振り回されたことか――」
エリザを呼び、探す声がしなかった日はない。
それを思い出し、苦笑するしかなかった。
「ま、まぁ、それがあいつのいい所でもあるからな」
「で、その愛する嫁どのの請求書が来ておりますぞ」
「請求書?」ムフタールが頓狂な声をあげると、マクタバは袖口から一通の封書を取り出した。
白い便箋には、船の紋様の封蝋――スタルクの公的な書類を証明するものだ。
「なになに……」
【武器類:剣・槍・弓・鈍器
防具類:革鎧・鉄鎧および鎖帷子・その他防具
食料類:干し肉・ナッツ・小麦・茶葉 等
ファルスの村拡張費用(羊・馬含む) 一式
総額:デナル金貨 1,260枚
※武器防具はすべて五十名分。一式価格にてて計上】
ムフタールは読み上げ、眉を上げた。
「嫁どのは、武器商でもするつもりか?」マクタバの呆れた言葉に、ムフタールは「さあ……?」としか言いようがなかった。