4.聖戦
エリザとジャミルは馬車から外された馬に、ダリアは荷台に繋がれたままの馬に乗っていた。
「――本当に、大丈夫なんですか?」
ジャミルは心配そうな目でダリアを見た。彼女の左手には短弓、背には矢筒を背負っている。
「安心しろ」ダリアは言葉短く答え、口元に笑みを浮かべた。
「では、ゆくぞ」
手綱で馬を叩く。
荷台はまだ重く、坂道なので馬は辛そうだ。小さく車輪が回り始めると共に、馬の踏み込む力もだんだんと軽やかなものになってゆく。ガタン、と小さな小石を踏み越えると、緩やかに馬車が遠のき始め――坂道の頂上付近で、ダリアさんは「ハッ!」と声を張り上げた。
頂点を超えると同時に馬が走った。その後を追うように、エリザが乗る馬も前に進んでゆく。
後ろに座るジャミルは、ぎゅっとエリザの腰にしがみついた。
「ジャミル。いよいよ旅も佳境ですね」
「ちょっとの冒険が、とんでもない大冒険になりました……」
「ふふっ、本当ですね。ですが長い旅のおかげで、我が子の成長も見られましたし、新しいお嫁さんも見つけられました」
結婚式は二回に分けてしましょうか、と言うと、ジャミルは照れて黙り込んでしまった。
「あらあら。そんなことで、帰ってからルディナにプロポーズできるんでしょうかね~……?」
「そ、それは……」
「まぁ、ライムさんが『帰ったら結婚するんだ、は死ぬ奴の言葉だ』って言ってましたし、今はまだ優柔不断な我が子、でもいいでしょう♪」
ダリアが消えた頂上に差し掛かると、エリザが「あらあら」と声をあげた。後ろのジャミルもにゅっと首を伸ばし、そして愕然とした。
そこは遮蔽物の一切ない、下り斜面いっぱいに広がる低草地域であった。
下には神殿のような四角屋根の建物が一つ。入り口の前には、四十、五十ほどの鈍色の鎧を着た兵士たちが陣を構えている。そして、敵を迎え討たんと斜面を駆ける兵が十ほどだった。
斜面を下るダリアは臆さず、手にした弓で、向かってくる敵を次々と射貫いてゆくのである。
一射一殺。相手の剣や槍をひらりと躱しては、的確に、果ては射程距離外だと言うのに、相手の弓兵までも仕留める。
草地に十ほどの死体が転がった頃、ひょいと身を反転させると、荷車と馬を切り離しにかかった。
「――うぅむ。さすが岩間の者と言うべきか、我が身体に深手を負わせただけある」
エリザの鎧に据え付けられたメデューサが唸った。
「岩間の、者?」ジャミルが言うと「何じゃ、知らなかったのか?」と、メデューサは片眉を上げた。
「奴は暗殺組織に身を置いていた者よ」
憎悪はもう薄れ、組織からも抜けておるがの、とメデューサは笑った。
ジャミルは『憎悪って何があったのだろう……』と不安になったが、「ジャミルがいるから大丈夫ですね」エリザが薄く笑うと、メデューサも「うむ」と声をあげた。
いったい何のことか、ジャミルは訊こうとしたけれど、それと同時にエリザは、「では、我々も出撃~♪」と馬を進ませたため、それは叶わなかった。
斜面からはダリアさんの姿が捉えられた。
荷車の切り離しに成功したのか、馬に跨がり、横に大きく逸れてゆくところだった。そして荷車は、敵の方へにまっすぐ突っ込んでゆく。
敵兵は左右に分かれ、まるで海を割るかのような荷車道を作った。ガラガラと落ちてゆくそれを深く警戒した様子はない。道を抜け、神殿のような入り口に差し掛か直前――ダリアさんはさっと左手を掲げる。
「な゛ッ!?」
ジャミルは目を剥いた。
光が先か、音が先か。荷車から赤い閃光が、轟然たる音がドンッと響き渡ったのである。
黒い煙がもうもうと立ち昇り、炎が周囲の草木を燃やしている。
鈍色の鎧を着た兵士たちは地面に横たわっていて、三分の一くらいが地面の上で小さく蠢いているのが分かった。
「メデューサさん、頼みましたよっ!」
「任せておけい! 儂を利用しようとした報い、こやつらに受けてもらうとしよう!」
頭が痛くなるような臭いに包まれながら、最も大きな黒煙に向かって突っ込んでゆく。
そして、メデューサが「カーッ!」と声を上げた。
ジャミルは煙が目に染み、咳き込んで何が起こっているか分からなかった。ただ耳には「すごい、すごーい!」と、パチパチと手を叩くエリザの声だけを聞いていた。
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ジャミルは目に涙を浮かべていると、エリザは「もう大丈夫ですよー」と言った。
風が吹き、少し黒煙が流されたその時――ジャミルは驚愕し、身体を震わせた。
「こ、これ全部……」
死体まで石になっている。ジャミルは改めてメデューサの恐ろしさを目の当たりにし、戦慄してしまう。
「さて。儂の罪償い、手助けはここまでじゃ」
メデューサは、すぅっと溶けるように消えていった。
入れ替わるようにダリアと合流すると、エリザはウィンチを使ってボウガンを引き絞った。
「じゃあ、中に入りましょうかっ♪」
先ほどの爆発により、入り口の扉は木っ端微塵に吹き飛んでいた。
中は真っ暗で、カビ臭い。ランプで照らされてやっと周囲が分かる程度であった。
長い廊下が続く。ひどく荒れ果てていて、崩れ落ちた壁や柱の瓦礫により、足の踏み場のない場所も少なくなかった。そのおかげでほぼ一本道となっていた。
また、天井が大きく崩れ落ちている場所もあり、ジャミルは不安げに宙を見上げた。
建物自体は頑丈であるようなので、今すぐに倒壊することはないだろう。
天井の穴は中央の広間に向けて多く、そして大きく広がっているようだ。そこから雨が流れ込み、緑のコケがびっしりと生えている。空気もまた湿っぽい。
「この扉が、中央の広間に繋がっているようだ」
ダリアは曲刀を抜き身にして、エリザとジャミルに目配せした。
それに応えるよう、ジャミルは抜いた剣の柄を握り直し、エリザはボウガンを眼前に構える。
「よし――」ゆっくりとドアノブを押し、小さな軋みを響かせた。
キィィ……と、乾いた音が静かに鳴った。
ダリアはその場で脚を踏ん張っていたが、中の様子にふっと力を抜いた。
そこは、それほど奥行きのない玉座のような間であった。天井にあいた穴から光が差し込み、白い筋が舞い上がる埃をキラキラと輝かせている。
扉の裏などを警戒しつつ、二歩、三歩、踏み入れたその時……全員がその足を止めた。
「これは……」
全員が息を呑んだ。
奥の一段高くなったフロアの上に、“巨大な存在”が佇んでいたである。
「が、骸骨……ではないですね」
白い光を浴び、静かに佇んでいるそれは、骸骨のような頭部をしている。いや、それは仮面のようにも見えた。突き出た爪がそれを掴んでいる。肩と腕、膝や脛は大きなベージュに近い白色のプロテクターに覆われている。
一見すれば“魔物”であるが、それは“神々しさ”も感じられた。
「まさか、これは……邪神・ハーディの……」
エリザが顎を震わせたその時、台座の方から『ご名答』と、抑揚のない男の声がした。
ダリアは身構えぐっとその方向を睨み付ける。薄暗い灰色の影の中から、ぼんやりと輪郭が浮かび上がる。両肩が山のように盛り上がっている奇妙なシルエットだったが、
「て、天使!?」
ジャミルは頓狂な声を上げた。白日の下に曝されたそれは、白鳥のような白い羽根だったのだ。
金色の甲冑に身を包んだ、凜々しい顔つきの男。切れ長のその目はジャミルの方を憎らしげに睨み付けている。
「邪に魅入られたか、選ばれし者よ」
「え……?」
「我がデシーヴに与えし神の力を、正しき世界に導こうとした彼の意志を踏みにじり、邪なる者の言葉に踊らされ、偉大なる父に仕える我らに刃を向けるとは。なんたる愚かなこと――さあ、選ばれし者よ。我が下に参るがいい」
手を差し伸べた天使に、ジャミルは剣を構えながら後ずさりした。
「どうして剣を構える? よもや、その力を持って私を斬るつもりではあるまい?」
くっと顎を上げたその時、「馬鹿馬鹿しい」とダリアが吐き捨てた。
「何が天使だ、嘘吐きども。貴様たちのやってきたことはただの侵略だ。ジャミルの力が神から与えられた物であれば、その行いは正しいこと――貴様に剣を向け、叩き斬れと命じていると言うことだ」
ダリアは剣を構えると、天使は「愚かな」と、腰から剣を抜いた。
金色の柄をした〈ロングソード〉。白銀の両刃がぎらりと光る。
「我が子を不良に導く者は許しません!」
エリザもボウガンを構えた。
「僕が泣いてお願いしても、あなた方の神は何もしてくれなかった――」
ジャミルは退いた分より一歩多く進み、
「僕に両親を与えてくれた、その願いを叶えてくれたのは――ここの神様です!」
天使はすうっと剣を掲げると、「邪なる神を信ずる者は――」
「断罪するッ!」
床を蹴った天使は、ぐんと一瞬にして距離を詰めた。
それは一直線にジャミルへと向かい、攻撃の間合いに入ったと思うと同時に剣を振り抜く。迎え撃つも反撃せず、ジャミルは横に飛び退ってそれを回避した。
ひゅんと眼前を刃が通り過ぎる。振り抜いた直後の隙を逃さず、ジャミルは長い柄をぐっと握り締め、ぶうんと振り上げた。
「ぬッ!」
天使は重厚な鎧を纏っているにもかかわらず、その身体はしなやかで、身体を反らせてジャミルの剣を躱した。
返す刃にジャミルに剣を振ろうとしたが、それを途中で止めて反対側の――向かってきたダリアに向かって振った。ダリアはそれを容易く剣で受け止めると、くるりと身を回転させながら剣を縦に振り下ろす。
その振りは早く、天使は「くッ!」と苦しげな声をあげた。ダリアは攻撃の手を緩めず、そのまままた身体を反転しつつ刃を逆袈裟斬りに、そして横払い……と、どんどんと押してゆく。
「ぬぅんッ!」
縦に振り下ろされた刃を、天使は剣で受け止めた。火花が散った。
つばぜり合いがしばらく続いたが、堪えきれなくなった天使は、前蹴りでダリアを押し飛ばす。バランスを崩して背中から転がったが、そのままピョンと跳ね上がった。
ダリアと睨み合う。再び床を蹴ってダリアに突っ込んだが、天使は羽根を広げ、それで身体を覆い隠した。
「なにッ!?」
ダリアは驚き、後ろに飛び退った。ひゅんと音を立てた刃は、その褐色の左肩を掠める。赤い筋が走り、次もまた同じ攻撃に備えようとしたその時――天使は、ダリアに向かわず、反対側のジャミルの方へと飛んだ。
ダリアは「しまった……ッ」と、声をあげて駆けた。しかし到底間に合わない。
ジャミルもそれに気づいている。ダリアさんと同じように飛び退っても、とても自分では避けきれないだろう。深手を負えばそれこそ……いや、相手はそれが狙いのはずだ。
差し違えてでも僕を殺すつもりでいる。どうしてかは分からないけれど、〈聖剣〉の力が関係している、何が何でもそれを得ようとしているのだ。
やってやる。そう決心した時、
――右足を引いて、左から右へ。横薙ぎに振るのであーる。
頭の中に声が響いた。
「やァァァァァァ――ッ!!」
ジャミルは力任せに、その言葉の通りに振り抜いた。
「なにィッ!?」
天使は突こうとした剣を咄嗟に垂直に立て、回り込むようにしてそれを受け止めた。
甲高い音が響く。火花は散らなかったけれど、相手の動きを止められた。
後ろからダリアさんが迫っている。再びつばぜり合いの格好になったその時、
「うちの子に手を出さないでくださいッ!!」
エリザの声と共に、何かが頭の右横を、風音が頬を撫でた。
そしてすぐ、ドッ……と鈍い音と共に、「うぶッ!?」と天使の苦悶が起こった。
「お、奥方……?」
「私だって戦えます!」
動き回る相手にボウガンで狙いをつけるのは難しかったのだろう。その手には金貨袋が握られていた。
「私の武器は、お金しかありませんから」
ニコッと笑みを浮かべたその背後で、天使がゆらりと立ち上がった。
凜々しい顔は、鼻からだらだらと垂れ流れる血で台無しになっている。「この、女ァッ」と声を荒げたが、直後、小さい悲鳴をあげた。
その肩の装甲のない部分から、先端が大きく反った刃を突き出ていた。
「――私も女だぞ?」
天使は喘ぐような声を吐き、膝から崩れ落ちた。
「ば、か……な……」
そこにジャミルは間髪入れず、左脚を大きく踏み込むと、右から左へ思い切りフルスイングした。
――聖剣でその糞野郎の首をハネ飛ばせ、ガキんちょ
そんな声が聞こえたか定かではないが、気がついたら身体が動いていた。




