3.アイギス(もどき)
馬車に乗って北東を目指すエリザたちは、別れた場所から北北西に進み、ローウェルと呼ばれる町から進路を北北東に変えた。
天族が実効支配しているためか、肌の白い者の方が圧倒的に多い。彼らが優位に立てる数少ない地域でもあるため、唯一褐色肌のダリアは、エリザから借りたスカーフを顔に巻き、“商人の下で働く奴隷”のように見せていた。
商人であば当然、兵に呼び止められると“商売”をせねならない。ダリアの不得意分野なので、ジャミルが代わって対処にあたった。
「――なぁ、そこの召使いは売れねーのか?」
哨戒中の兵士は、注文の品を用意しているダリアを指さした。
今日、何度目かの相談である。
「すみません、あれはうちの大事な働き手なんですよー」
ジャミルは軽やかな口調で返す。
男は期待していなかったようだが、それでも残念そうに「ふうん」と言うと、もう一人、今度は横にいた兵士がエリザを指さした。
「あのねーちゃん……あれ、お前のママか?」薄汚い笑みを浮かべるが、これにもジャミルは態度を変えず、「ええ、そうです」と、少し困り顔をして応える。「父がちょっと病で臥せってしまって、母が代わりを務めているんです」
言いながらそろばんを弾き、男が何か言いたそうなのをいなすと
「ワインに干し肉、ナッツで――デナル銀三枚と銅貨九枚ですね」
「お、中々よく分かってんじゃねーか。へへっ……助かるぜ久々の酒だ、デナル銀四枚やっから後は小遣いにしとけ」
相場よりも安い値段に満足した兵士たちは、上機嫌で去ってゆく――。
このようにして切り抜けるジャミルに、エリザだけでなく、ダリアも感心の笑みを隠せずにいた。
「ジャミル、凄いですね~♪」
馬を繰る席に戻ると、その横に座る奥方が嬉しそうな声をあげた。
「本当の商人さんみたいでした」
「いや、その、サリーさんの対応を見ていたから、ちょっとその真似を……」
それは、奥方に叱られ追い出された時のことだ。
酒場でサリーさんの所で勤めていた時、そろばんや文字の読み書きができることから、商人からの買いつけに同席していた。客はどうすれば相手が喜んで値引きし、商人はどうすれば相手に高く売れるか、“かけひき”を横で聞いて勉強していたのだ。
「やはり外に出したのは正解でしたね~」
「え、えぇ……」一応は、と口の中でモゴモゴさせた。「ですが、やはり追い出されていても、どうすれば執事としてお役に立てるか、学んだことを役立てられるか、とのことばかりでした」
「まぁ」エリザは驚き、細い目を更に細めた「ジャミルも大人になりましたね」
すると、ダリアは「そりゃあそうでしょう」と口を開いた。
「剣の稽古をつけてくれ、と言って、私の尻を揉みにくるようなスケベ男になったのですから」
「ちょ、ちょっとそれは!?」
ジャミルは狼狽え、ダリアは「ふん」と鼻を荒々しく鳴らした。
「ああ、頭パッカーンされてましたねぇ……」
ライムに発破をかけられた後、ダリアに挑んだジャミルは、言葉通りに尻を鷲掴みにして思いっきり頭を殴られ、ぐりぐりとされたのだ――。
意外と柔らかい、と分かっただけだった。
「うぅ、ライムさんに騙されました……。恨みごとを言いに行ったら、『“ショタっ子激甘え。お姉ちゃん大好き作戦”のが正解だったか』なんて、あっけらかんと言う始末ですし……」
「はっはっは! そっちの方がまだ効果あるかもな。どれやってみるか?」
ダリアは両手を広げる。
ジャミルは「い、いえっ!?」と、照れて顔を伏せた。
「うふふ。ダリアもジャミルも仲良しさんですね~。でもジャミルは背も伸びたようですし、心身共に大人っぽくなったと思います。この旅で、我が子の成長を目の当たりにできました」
「本当なら嬉しいです」
「本当ですよ~。時間は前にしか進まないんですから、この時この瞬間をしっかり見るようにしていますから♪」
「なるほど……」
そう言うとジャミルは、エリザの顔をじっと見た。
「あら、私の顔に何かついてますか~?」
「奥方の目尻にうっすらとシワができてるような――痛ひゃっ!?」
エリザはジャミルの頬をつねりあげてあた。
「口は成長しなくていいんですぅ!」
口調は穏やかだったが、雰囲気は穏やかではなかった。
それから二日。エリザたちは特別怪しまれることなく、順調に進んでいた。
――しかし北の果てまでやって来ると、警戒も厳しくなりだす。おちおち火を熾してキャンプも出来なくなり、馬に水を与える時間すら気を休められなくなっていた。
それもそのはず。この辺り一帯は商人のルートに入っていないのである。
沿岸の近くなので、夜の風はひやりと冷たい。ジャミルはダリアに包まれ、エリザに包まれながら夜を明かし、陽が昇れば馬車を進めていた。
またそれと同時に、
「ダリア、周囲の様子はどうですか?」
「三名、始末しました。休憩はもう少し先にしましょう」
既に相手の厳戒区域に進入しているため、相手の警戒心は強く、呼び止めると同時に剣を抜く者も少なくない。やられる前にやる……このような会話も珍しくなくなっていた。
しかしこれはり、相手側の最重要地点にまで近づいている証拠でもあった。
地図上ではジェバリスクから最北に位置する場所を、少し西に進んだ地点にいる。このままゆけば残り半日もせず、目的の岬に到着できるだろう。
(岬に何があるんだろう……?)
そこに何があるのか。ジャミルは気になっていた。
――岬は断崖絶壁。そこで犯人と会話するのが、クライマックスのきまりであーる
ライムから『剣に〈聖剣〉の力を付与して欲しい』と、持ち込まれた際の言葉である。
これを聞いたジャミルは、『会話なら他でもできるのでは……』としか思えなかった――。
急勾配の道の両端には青々とした草木が生い茂っている。
気になっていると言えば、馬車に積まれたままの荷物もだ。幌のかかった荷台を横目でチラちと見た。ダリアさんは『これは売り物ではない』と言っていたが、中身については話さなかった。
(それにライムさんは、『五日後、コールリングで『ジェバリスクは燃えているか』と訊いてみろ』って言っていたけれど……)
ジャミルは目線を、ジェバリスクのある南の方へ向けた。
それは失敗ではないのか、と思ったが――
「あっ!」
黒い煙が細く、天に向かって伸びていることに気づいた。
「ジェバリスクが堕ちたか」ダリアさんが口元に笑みを浮かべ、「この場所からでも煙が分かるのならば、相当な燃え方をしているんだろう」
「まさか、本当に天族をやっつけるなんて……ライムさんは凄いですねぇ」
奥方は感激するように言った。
本当に何者なのだろうか。メデューサをけしかけ、僕を石にして攫ったことが破滅への引き金となった……と言えばそうだ。しかしあの人は、それすらも見越していて、何らかの目的のために僕らを、まるでゲームの駒のように動かしているようにも思える。
もしかすると、奥方の思いつきでブアーラを出たのも何らかの、運命的な糸に繋がれていたのではないか。――ジャミルはついそんなことを考え、そして、小さく頭を振った。
――神様じゃあるまいし
長い坂道を登り切ろうとした時、ダリアさんは右拳を上げて「止まれ」と命じた。
「奥方、ジャミル。敵が待ち構えていますので、戦闘の準備を――」
荷台から木箱を一つ、鞍二つ取り出して地面の上に置いた。馬は二頭おり、一頭は馬車に繋いだままにしてある。
ジャミルは馬に鞍を据え付けながら、「いきますよー」と、やけに上機嫌なエリザを見た。
革鎧の上に、子供を抱きかかえるための〈抱っこ紐〉を肩から吊していた。奥方は一体何を……そう思っていると、木箱からとんでもないものを取り出していた。
「お、奥方っ、それって――!?」
緑色の塊。何かの“藻”かと思えば、ウニョウニョと動いている――それは、ジャミルにとっては苦い思い出しかない、
「そう、メデューサさんで~っす♪」
「な、なんで、なんでそんなもの!?」
バイザーをつけたままのメデューサは、薄く笑い「相変わらずめんこい子じゃ。ほれ儂の頬にキスしてくれ」と言った。もちろんジャミルは断った。
「ほっほっほ。儂の首を使えば、邪悪・厄災を祓う最強の防具が完成する、と言うことよ」
「首だけになっても、目を見たら石になるのは残っているようです~」
「た、確かに奥方の鎧は、羊皮でできていますが……」
メデューサの頭を肩から吊す姿は、何とも異様ないでたちである。「死んでも右側の血で生き返るので、恐れずに死ぬとよいぞ」と、冗談めかして笑った。




