10.茶番、再び
数日後、エリザはトグサル城の裏門に立っていた。革鎧を身につけ、真っ正面の枝が覆い被さり合う森を見据えている。見物のため外塁の上に立ったトグサルの兵たちは、エリザのその異様さに片眉を上げずにはいられなかった。
手には傘。これからゴブリン退治をしようとは到底思えない。
その横にいる〈ニカーブ〉を被った女が戦うのだろうか。誰もがそう思ったが、エリザの方が大きく前に出ており、そう捉えることは難しかった。
となれば、期待するのは“敗北とその後”である。壁の上に立つ兵士たちは下卑な笑みを浮かべ、ゴブリンの到来を今か今かと待ちわびている。
――ゴブリンの討伐をするにあたり、我々は一切手出ししない
それを条件にしたハッサースは、『なるほど』と頷いた。敗北すればアシガの連中は後ろ盾を失い、このブアーラの者たちが持ち込んだ金などをすべて奪い取れるのだ。さすが父上だ、とハッサースは思った。
付き人の一人は少年で、背中に負っているリュックはパンパンに膨らみ、ずしりと重そうだ。
勝てるはずがない。
誰もがそう予想している中で、エリザは顔を引き締めていた。
「うー、緊張しますねぇ……」
エリザは何度も傘の柄を握り直す。
そこにダリアが後ろから、「大丈夫ですよ」と、淡々と声をかけた。
「奥方はもうゴブリン一体を倒してるのですから。集団になれば恐ろしいですが、集は個の集まり、一体ずつ倒してゆけばよいのです。我々もバックアップしますから、奥方はやって来たゴブリンを相手にするだけでいいです」
「よ、よしっ! 頑張りますよ~!」
エリザはぐっと目に力をこめた。
ひゅう、と風が吹く。正面の森の木の葉擦れの音が、寂しく不気味に揺れた。この辺りはわりと雨が多い方だ。そのおかげで緑が豊かで、木々が生育できる環境が整っている。なので北に住む者たちの多くが、【ミッディージア大陸はもともと緑の大地であったが、砂漠がじわりじわりと蝕んできた】と、信じている。
地方の言い伝えなどが好きなジャミルは、これをメモしつつ、眉に唾をつけた。
砂漠は“魔族”を指し、侵略されていることを暗喩しているのではないか。潜在的に“魔は悪”だと刷り込んでいるのではないか。――そんな疑念を抱いた。
風が止んだ。つかの間の静寂が降りたのち、また木々がゆらゆらと揺れた。
風は吹いていない。エリザはぼうっとそれを見つめ、後ろに立つダリア・外塁に立つトグサルの兵が、同時に声をあげた。
「奥方、来ます!」 『ゴブリンが来るぞ!』
エリザはハッとして、傘を構えた。
正面の木が大きく揺れ、巨大な鳥の鳴き声のようなものが響き渡る。薄暗い影が落ちる木の根元から、灰色の輪郭が一つ、二つ……と浮かび上がる。そしてその輪郭に、陽の光が色をつけた。
ゴブリンが現れた――。先頭の一体を把握したその直後、次々と灰色の小鬼が姿を現せば、たちまち緑の大地が灰色に染め上げられた。
「さ、さあ、きなさいっ!」
森に向かって伸びる黄土色の一本道の上を、ゴブリンが走る。
エリザは右足を引き、地面をぐっと踏みしめた。見守る兵の誰かが『退け!』と叫んだが、それは誰の耳にも届いていなかった。
ゴブリンがエリザの間合いに入り、エリザが畳んだ傘を振り上げていたからだ。
「えーいっ!」
ぽすっ。傘がゴブリンの頭を叩いた。
「グェーッ!」
ゴブリンは鳥が鳴くような声をあげ、地面の上を転がった。
次々とやってくるゴブリン、エリザは傘を振りかぶり続ける。
「えーい、えーい!」
ぽすっ。ぽすっ。
「グエー」
「ゲェー」
ごろごろ。ゴブリンはエリザの後ろに流れると、すっくと立ち上がりジャミルの下に駆ける。
ジャミルはリュックを地面の下ろしており、その横で腰を落としていた。
リュックの中は金貨で一杯であった。一枚取り出しては、やってきたゴブリンに与えてゆく。
受け取ったゴブリンは嬉しそうに、城壁に沿って向こうに走ってゆく――。
『は……?』
外塁の上からそんな声がした。
ジャミルは次々とやってくるゴブリンに“報酬”を与えながら、『まぁそう思うよね』と苦笑を浮かべていた。
森に伸びる道の上でゴブリンが一列になって、奥方に殴られにゆくのだから……。
「えいっ。えいっ……はぁ、はぁ……」
奥方が手を休めれば、ゴブリンは牛歩のようにスローになる。
そして殴られたらまた速度をあげて、報酬を受け取っては皆が一箇所に集まって楽しげに笑い合う。
とんだ茶番であーる。ジャミルは頭の中でライムの口真似をした。
『な、何で、何でゴブリンどもが……!』
それは、ファルスの村から送られてきた“荷物”にあった。
中にはいつぞやの、エリザに倒されてもらったゴブリンが入っており、そこからこの森に住むゴブリンに話をつけてもらっていたのだ。
ダリアが先に述べた、『集は個の集まり』はこのことである。
その一方で、森の奥から、他のとは一線を画くする大きなゴブリンが姿を現していた。
手には木の枝が握られ、ずんずんと足を踏みならしながらエリザに向かってゆく。
エリザは肩で大きく息をしている。これがゴブリンのリーダーか。最後の力を振り絞るように、傘を掲げた。
「やぁぁぁ!」
ぱしっ。ゴブリンリーダーは枝でそれを受け止め、ぐっと押し返した。
エリザは「きゃあっ」と小さな悲鳴をあげ、後ろによろめく。その隙を逃さず、ゴブリンリーダーは距離を詰めると、また枝をぶんと振り上げた。
エリザは傘でそれを受けたが、溜まった疲労が思うように身体を動かさなかった。反撃をしようにも、相手の攻撃には隙がなく、防戦一方となってしまう。
『攻撃を受けるなー!』
『躱して回り込むんだ!』
いつしか外塁に立つ兵士も、エリザのそれを楽しんでいた。
攻撃を躱し反撃に出ると、今度はゴブリンリーダーが防戦に回る。しかし、再び枝で傘を受けられ、ぐっと押し返されてしまう。
脚の踏ん張りが利かず、エリザはついに尻餅をついてしまった。
革の鎧が鉛に変わったようだ。疲労困憊となった身体は、起き上がろうとする力すら拒否していた。
「あ、あ……」
じりじりと歩み寄ってくるゴブリンリーダーに、エリザは尻這いで後退してゆく。
しかし当然、相手の方が早い。ほぼ同じ目線になったエリザの目の前に、ゴブリンリーダーは立ちそびえると、そのゴツゴツをした足でエリザの胸を押した。
「きゃあああっ!?」
元々から腹筋のないエリザは、容易く仰向けにされてしまった。
青々とした空に、白い雲がたなびいている。こんな時なのに『綺麗な空ですね』と、エリザは思った。そして続けて、『ああ……負けを悟った人は、本当にこんなことを思うんですね』と思った。
その時、耳にダリアの声が届いた。『傘を突き出すのです!』
エリザは頭で考えるよりも先に手が動いていた。
気がつけば、傘の先端が、ぐっ……とゴブリンの胸を突き押していた。
「ゲアァァァァッ!?」
ゴブリンリーダーは地団駄を踏みながら大きくよろめき、ずでーんと仰向けに倒れた。
つかの間の静寂の後――ウォォォォッと大歓声が起き、大きな拍手が起こった。
仰向けのまま、両手で顔を覆って喜びの涙を流すエリザ。
ジャミルはつられて拍手をしながら、
(とんだ茶番であーる)
再びそう思っていた。
◇ ◇ ◇
城内に引き下がったハッサースは、『既に囲われていた……』と廊下の上で崩れ落ちた。
いや、当人は至って真面目に戦っていたのかもしれない。気づかぬなら相当のアレであるが、目の前のエリザであればそれも不思議ではないように思えた。
――商人と魔物の買収
街道を封じていたゾンビも、海路を封じていた海賊も、すべてこのエリザに買収されていた。
いや……恐らくは父・ナーマも買収されていただろう。女を贈られてからと言うもの、やけに上機嫌だ。
この戦いによる死者は誰一人としていない。あるとすれば、ハッサース自身が命令を下して散っていった兵士たちぐらいである。
金の包囲網……エリザがやってきてからと言うもの、減ったのは金だけだ。
もやは、トグサル城の金庫には干からびたネズミしかいない。
「国を売って、金庫が潤うか……」
ハッサースは薄暗い壁にもたれ掛かりながら、小さく呟いた。




