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9.蛇の血は蘇生の力を持つ

 エリザの訪問から一週間が過ぎ、トグサルの城の奥で臥せっていた城主・ナーマは重いため息を吐いた。


(ハッサースにはまだ早かったか……)


 病はもう治ったも同然であるものの、息子の失態が気を重くしていた。

 髪がベタついて気持ちが悪い。壮健だった頃に比べると、腕が随分と痩せ細った気がし、力が入らなくなってきたかもしれない。これがナーマの気を更に落とさせた。


(よもや、アズィムの森を“買取”すると言い出すとは……ハッサースより、あの肌の白い女が一枚上手だったやもしれんな)


 ナーマは、『元々トグサルは南部・魔族側に就いており、天族の進軍を阻む目的で植樹した』、との話を思い出していた。

 南側の総大将が破れた際、トグサルは天族側に下り……今では、その南側の進軍を阻む壁となっている。板挟みとはまさにこのことだ。進むも退くも、トグサルにはロクな未来が待っていない。――しかしそこに、板挟みから逸せる好機が訪れた。


(だがしかし、どこまで信用できる?)


 寝返りをうち、もぞっと身体を横に向けた。

 エリザから贈られた薬はよく効いた。こうして楽に寝返りができるのが何よりの証拠である。

 最初は毒かと疑ったが、使用人に毒味をさせても問題はなかった。『敵意はない』との証しであろうが、これで“借り”が、交渉権が向こうに渡ったことになってしまう。

 別に向こうが勝手に与えたのだから、と追い返しても問題がないだろう。

 しかしその、『なにも問題がない』のが厄介だ。妥協点がなければ、向こうが出した条件――“金”が、クズ銅貨一枚も入ってこなくなってしまう。


(戦争は金だ。とにかく金が無ければ戦争は始められん)


 大臣のザカラは何も言わないが、子供の頃からの付き合いだから分かる。

 このトグサルから金がなくなりつつある。そうなれば、完全に敗北してしまう。


 ――アシガの連中はもはや死に体。じり貧となっていくだけでしょう!


 ハッサースは自信満々にそう言っていたのを思い出し、無理にでも痛む喉から声を出し『攻撃の手を休めるな』と命令を下すべきであった、と顔をしかめた。

 するとその時、部屋の入り口の方に気配を感じた。


「む……」ナーマは上半身を起こすと、ザカラが何とも言えない表示で突っ立っているのに気づいた。「旦那様……」

「どうした? そんな神妙な顔をして」

「それがその、先日のブアーラのご内儀から、新たな贈り物が……」

「贈り物?」


 ナーマは眉を寄せると、入り口に立つザカラは通路に目をやった。

 するとそこから、艶やかな朱色のドレスに身を包んだ、褐色の肌をした女が現れた。


「なるほどな」ナーマは口元を右手で揉みながら呟く。女は許可を取らないまま近づこうとし、ザカラに呼び止められたが、「よい」と手招きをした。

「まだ起き上がれんぞ」

「女はお世話するだけですから」


 それは、ルムタンの娼婦であった。

 女が艶かしく笑みを浮かべると、ナーマもニヤりと笑う。

 交渉・取引に“接待”は付き物だ。国が変動する裏には必ず女の影がある、と言われるほど女の存在は重要であり、いかに“上玉”を揃えられるかが国、はたまた王の腕の見せ所である。

 見たところ、この“贈り物”は中々のもの。相手が男であれば、最終決定の材料や後押しとなるだろう。


(なるほど、薬はそういうことか。エリザと言う女……中々したたかよ)


 王は国であり、その首をハネねば国は死なない。

 放っておけば国王が病死するかもしれないが、病で死ぬと兵士や民の中に“王”という意志と魂が宿る。自身は民から恨まれるようなことはせず、『民の期待に添える王であった』と、胸を張って神に言えることはしてきたつもりである。死後も民の意志はくじけぬだろう。

 国を占領しても、王が生きている限り“器”を占領されているだけに過ぎない。――だから、薬を与えることでそれを封じたのだ。


「やはり、男の薬はこの柔肌よな」

「ん。いきなりお尻なんて、せっかちねぇ」


 女のドレスの裾から、ナーマの手がするりと滑り込んだ。

 尻たぶの感触を楽しむように、ごつごつとした手が滑らかな曲線を這い続ける。


(しかし、所詮は女と言うことか。一気にコトを進めようとし、調査を怠ったな――)


 ナーマはニヤりとほくそ笑んだ。

 女の存在は重要だが、その“仕事”がイマイチであればどうなるか?

 薬も使用方法を誤れば毒となる。最後の一手が、悪手となる場合もあるのだ。


「しかし困ったな。儂は起き上がれないどころか、イチモツももうダメなのだ」

「え?」

「ふふ、とうの昔に勃たなくなってしまってな」


 満足させられなかった、ともなれば、それが相手の負い目となる。


「これは困ったわねぇ」女の困り顔に、ナーマは勝利を確信した。……が、それもつかの間、

「なぁんてねー」と、悪戯な笑みを浮かべた。「ちゃんと調べてあるわよぉー」

「何……?」

「王様は昔、冒険者使ってアソコに効く物を集めた過去があるでしょお? 娼婦(おんな)たちは、そういうことに凄く敏感なんだからぁ」


 この首がかかってるからね、と首をトントンと叩いた。

 まさか……と思ったが、それを治す方法なんてないはずだ。ナーマはそう思い、落ち着かせようと身じろぎした。


「そう言う人にオススメ! かの名医・ハルンが考案した、この“精力剤”!」


 女はそう言いながら胸の谷間から、赤黒い液体が入った瓶を取り出す。

 きゅぽんっ。瓶のコルクを抜き一口嚥下した女は、その瓶をナーマの口元にやった。


「そ、そんなもの!」


 唇を堅く結んだナーマに、女は「勝負します?」と、挑戦的な目を向けた。


「なに?」

「これを飲んで、勃起したら私の勝ち、しなかったら王様の勝ち」

「ぐ……」

「どうしますぅ? 長らく、女を味わってないんでしょう?」

「や、やってやろうではないか……!」


 ナーマはそう言うと口を開き、得も言えぬ味の薬をぐっと飲み込んだ。

 女は艶めかしく微笑むと、着ていた朱色のドレスを脱ぎ落とし、まるで蛇のようにベッドの中に潜り込む――ナーマは薄布の下で、寝間着のズボンが剥がされていることが分かった。


「ふん。いくらイチモツに効く薬とは言え、あれこれと試し――んふぉぉうっ!?」


 ぬるりとした感触に全身を震わせた。


「ば、馬鹿な……医者すら匙を投げたてぇいゆのひい……!」

『ひょれはただの医者、ハルン先生は名医ふぇふから――まぁ、調合したのはふぇふですけど』


 ナーマの耳にはそれが届いていなかった。

 勃起していた。何年、いや十何年ぶりかもしれないそれに感動し、懐かしいその感触にすべてを委ねていたのだ――。


『うふふ……お世継ぎ争い起こしてみます?』


 その言葉は、天使のようで悪魔の囁きであった――。



 それから三日、ナーマはみるみる内に力を取り戻していた。

 エリザからの“贈り物”はすがりつくように引き留めたが、『落とし子が分かったら、私の命が危ういですから』と、妖しい笑みを浮かべ、証しとなるトグサルの王家の紋が入った短刀を持って去った。

 してやられた……と後悔し、ぼすん、と後ろから枕に倒れ込む。

 いや、後悔はない。“男”が生き返ったのだ、これ以上の悦びがあるものか。


(あの薬はいったい何なのだ……)


 ナーマは、白い天井を見ながらそう思った。

 それは、ジャミルが教わった〈精力剤〉である。材料となる〈蛇の血〉には何と、メデューサの首から流れ出た物を使用した、唯一無二の特効薬なのだ。


 ――メデューサの右の血管から流れた血は、“蘇生”の力を持つ


 ナーマはそのようなこと、知るよしもない。

 ただ「ああ、そう言うことか……」と、本当の“贈り物”はあの薬であり、女はただ“容れ物”だったのだな、と思い起こすだけである。

 そして“お返し”には、将来的に財産となるものが宿っているかもしれない。生きている内に、どちらを応援するか――部屋に入ってくる、ナーマの息子・ハッサースを見てそう思った。


「父上。もうお元気になられたようで」

「うむ。お前には世話をかけた」

「いえ、なんのこれしき! しかりとこの城を守り抜いてみせましたぞ!」


 胸を張るハッサースに、ナーマは頭痛を覚えた。

 城に引きこもるのは守ることではない、そう言いたいのをぐっと堪える。


「して……首尾は? 物資は足りているか?」

「芳しくありませんね。隊商の者どもは足下を見て、先日などは『アシガの方が高く買い取ってくれる』などと申しまして」

「ふむ……。ジェバリスクの方へは遣いを送っているか?」

「あ、いえ……。何やら死者が徘徊するようになっているらしく、商人たちの足がなかなか……」


 援助の要請を送ってないな、と思ったが、それよりも『死者の徘徊』との言葉が気になった。


「死者か……天族の地域では珍しい……。では、海路は?」

「それがその、ジェバリスク沖で海賊が出るらしくて……」

「海賊ぅ?」思わず頓狂な声をあげて身を起こすと、ハッサースは「はい」と飄々として答えた。

「何やら魔物と結託しているようで、迎撃に出た船は沈められ、奪われたそうです」


 ナーマは頭痛にこめかみを抑えながら唸った。

 そんなこと、よく他人事のように話せるな、と――。


「ですが、明るい材料もあります。この父上が服用された薬に関しては安く手に入るようですよ! これで兵士が前線に復帰すれば、アシガにも攻めることが可能です」

「この、馬鹿者ぉ……」


 ナーマは掠れ声で嘆いた。


「え……?」

「それは補給路が完全に断たれ、あのブアーラの内儀に商人を掌握された、と言うことだろうがぁ……。金貨は食えぬ、我々は高くても商人から食い物を買い、じりじりと生き続けるしかできないのだぞ……」

「で、ですが、ジェバリスクから増援がくれば!」

「制海権を取り返せない、ゾンビどもを討伐してない状態で、連中がどうやって来るのだ」

「あ……」


 考えろ、と吐き捨てた。

 息子はもう一人しかおらず、後を任せられるのがこのハッサースだけだ。しかしそのせいで、玉座の上で胡座をかいて周りを見てこなかった――ナーマは『失敗した』と悔やんだ。

 そして、久々に堪能した女とその言葉を思い出す。


 ――ブアーラが敵? 無限の金を相手にしてるようなものですよ


 あはは、と笑う女の言葉の意味が、今ようやく分かった。

 この戦いに勝ち目などなかった、相手は物価を操作できるほどの財力と人脈を備えた〈黄金の軍隊〉なのだ。


「ジェバリスクは元々信用ならん国だ。我々を切り捨て、防衛に専念するだろう。――となれば、我々がすべきことは分かるな?」

「あ、アシガに一斉攻撃、ですか……?」

「どうしてお前はそこまでアホなのだ! アシガにいるブアーラの内儀に、『先日の話を進めたい』と使者を送ることだろうがっ!」

「で、ですがそれは!」

「鞍替えする最後のチャンスだ。しかし条件はすべて呑まん、森にいるゴブリンを追い払うことを約束させろ」


 ゆけっ、と強く命じるや、ハッサースは部屋から飛び出ていった。


「やれやれ……」


 ナーマは布団に潜り込み、そこに残る女の香りを胸に取り込んでゆく。

 そして、瞼を閉じた。夢かただの妄想か、瞼の裏には新たな世継ぎを腕に抱く光景が映っていた――。

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