6.囲い込み
その後すぐ、エリザはナイマを呼んだ。
しばらくすると、部屋の中の空間が歪み、そこからナイマが大樽を抱えてながら姿を現した。
「――ん、しょ! 奥様、これでよろしいでしょうかっ?」
ブアーラとアシガを往復すること三回――。
大樽を置くたびに、ずしんと重い音が鳴り、ファイサルの屋敷が小さく揺れた。
「はい、ごくろうさまです♪」
ナイマは、「では失礼しますっ」と言い、再び空間を歪ませてブアーラに戻った。
その際、チラりとジャミルと目を合わせ、はにかみながら小さく手を振り合う。当人たちは気づかれていないつもりなのだが、周囲からはバレバレであった――。
大樽の中にはぎっしりと金貨が詰まっているが、枚数は数えていないらしい。
とにかく、“スコップ勘定”で入れられるだけ入れてきたものの、まだ謁見室の金貨がなくなりそうな程度で、地下金庫の蓋をには至ってない、とナイマは話した。
これを聞き、ファイサルは思わず腰を抜かしそうになった。
目が金色に染まる、一生に一度見られるかの光景を目の当たりにしたと言うのに、まだこれ以上の財を蓄えていると言うのだ。
しかもそこに加え、
「んー、もっと使わなきゃなりませんねぇ……」
と、エリザが言う――。
ファイサルはここで初めて、『ブアーラとは、私が思っている以上に、とんでもない国なのではないか……』と、気づいたのである。
いや、これを思ったのはファイサルだけではなかった。息子のターヒルもエリザを軽んじ、己の考えなしの発言を悔い、背中に冷たいものを滑らせた。
そしてライムが、「ジジイにこの樽を預かってもらおう」と、言ったものだから、翌日のファイサルは、老体にはキツい、眠れぬ朝を迎えることとなった――。
またその一方で、ぐっすりだったエリザも、朝目覚めるなり“手厚い待遇”を受けた。
「ご内儀、おはようございまぁす! さぁ、お茶をどうぞぉー。パンもございますので、どうぞ好きなのをお召し上がりくださぁい。ああ、ワタクシはターヒルの妻・ナイイェルと申しますぅー。あまり人前に出てはならぬ、と主人にキツゥく言われておりましたんですぅ。どうか、ご無礼をお許しくださぁぃ」
ねっとりとした口調にエリザは顎を引きながらも、「エリザと申します」と、定型的な挨拶を交わした。そして満足げに部屋を後にしたナイイェルを見送ると、彼女が消えた入り口に向かって小さなため息を吐いた。
これにはジャミルも口を横に、“イッ”とするのを抑えられなかった。
しかしそれを見ていたダリアは、
「先鋒としてあれを受け、追い返すのが執事の役目なのだぞ?」
と、ジャミルの執事としての自信を、へし折った――。
その後、よろよろと寝不足の身体にムチを打ちながら現れたファイサルと挨拶をし、商人たちを呼びに向かった長の息子・ターヒルの到着を待った。
金貨が詰まった大樽は、屋敷の前に移動している。
するとたちまち、噂を聞きつけた部族の長や村人たちが押しかけ、列を作って次々と拝んでは、十人十色の驚嘆の声を発し続けた。
昼を少し回った頃、道の向こうからターヒルの姿が見え、『隊商が来られたー』と、大きな声がした。一同は揃って目を向けた。
ラクダに乗った隊商が、ずんずんとこちらに向かってくる。
目と鼻の場所にまでやって来た時――屋敷の前に置かれた大樽を見るなり、先頭のムスっとした表情から一変し、驚愕の表情へと変わったのが分かった。
「な゛ッ、何だあれはッ!?」
後ろをついて歩く者もまた、向かい風が吹き抜けてゆくように、みるみる表情を変えてゆく――。
樽の前に立つジャミルは、驚愕と羨望の目を向けられているような気がし、『どうだ、えっへん』と、背中を反らせた。
「平和を」
エリザは数歩前に出ると、ラクダに跨がったままのリーダーを見上げ、恭しく身を屈めた。
「遠路はるばるお越し頂き、感謝しております」
エリザは赤と白の〈アバヤローブ〉の裾を摘まんだ。
それにリーダーらしき者はハッとし、ラクダから飛び降りた。
「あなたにも平和を」さっと、気品正しく上半身を屈めた。
「ブアーラ国の王・ムフタール・ハキム・シナンの妻・エリザと申します。この度のご縁、神に感謝いたします」
「儂……ではなく、私は〈赤の隊商〉を率いるアフマル、と申します」
「アフマル様ですね。さっそく取引の話になってしまいますが、お願いしていたものはご用意して頂けましたか?」
「え、ええ、あちらに。戦に備えた物と聞き、小麦や干し肉など保存の利く食べ物から衣類、薪などの燃料となるものまで――あらゆるものを取り揃えております。どうぞご覧になってください」
アフマルは自信を持って手を向けるやいなや、エリザは、「それは結構です」と、キッパリと断った。すると一瞬、アフマルの顔に焦りの色が浮かんだ。
「時間が惜しいので、すべて買いましょう。――ジャミル、お金を」
「かしこまりました」
ジャミルは一礼し、揚々とマスを掲げた。雑貨屋で急ぎ購入してきたものだ。(ファイサル邸のそれは、油でギトギトだったのである)
「量はいかほどに?」
ジャミルが訊ねると、エリザは間髪入れず「樽の半分を」と答えた。
これにアフマルは、「なるほど、半分……ん? えぇぇぇぇっ!?」と、急に体裁を取り繕わない驚きの声をあげた。それもそのはず、持ってきた荷物の相場は、ジャミルが手にしている金貨袋が一つ、ないし二つあれば十分な量なのだ。
アフマルは落ち着きなく身体を揺らすが、エリザは更に追い打ちをかけてゆく。
「――ああ、そうでした! トグサルにも売らねばならないのですから、全部と欲張ってはいけませんよね」
「い、いいい、いえ、どうぞどうぞ! こ、このまま帰る予定だったので、ぜ、全部買って頂けるのなら……ははっ、ははははっ!」
エリザは「まぁ」と楽しそうな声をあげた。
その横では、キラキラ、ジャラジャラと、皮袋の中に金貨が放り込まれてゆく。
小気味よい、そしてと流れ落ちてゆく金色の光と音は、誰の目を魅了するものだ。
アフマルを始め、後ろにいる者たちも恍惚の表情を浮かべ、見とれてしまっている。
「今後とも、よき取引ができますよう」
「こ、こちらこそ、ね、願ったり叶ったりでごじゃりますっ!」
噛んだ。恐らく金貨の量が気になって仕方ないのだろう。
「それで、お手数なのですが……あの量ではまだ足りないので、他に隊商の方がいればお声をかけて頂けないでしょうか? よき物、必要なものであれば、買い取らせていただきますので」
「わ、分かりました。できるだけアシガ村を優先するよう、伝えておきますっ」
「ふふ、助かります。手間賃もあるでしょうし、先払いとしてこの樽一つ、持って行ってください」
「――――ッ!?」
どこからそんな声が出るのか、とジャミルは思った。
腕がだるくなり始め、腕をぶるぶると振る。やっと半分放り込んだところだ。
「あと、これはちょっと大きな声では言えないのですが……」
「は、はぃ、な、何なりと!」
「ジェバリスクやトグサル……天族側の補給路は、北の方面や海からの仕入れになるのですか?」
アフマルは「あ……」と一つ息を呑んだ。
それが平素を呼び戻したらしく、しばらく黙したかと思うと、いきなり大きな笑みを浮かべた。商売人の笑みであった。
「その通り、でございますっ。主に海路を利用してジェバリスクから南東にある港に――ああ、お近づきのしるしに、これをどうぞお受け取りくださいっ。我々隊商が持つ、“商売ルート”を描いた地図でございますっ!」
「まぁ、そんな大事な物、いけませんわ。お仕舞いになってくださいまし」
「いえいえっ、もう頭に叩き込んでありますからなっ! 仲間には燃えたとでも言っておきましょう! 他の連中よりも、うちを贔屓にしていただければ何よりでございますし」
がははっ、とアフマルは笑う。
取引で使われるルート図は“商人の命”と言えるものだ。抜け道に近いものから、商人にしか知り得ない情報まで記されている。これを渡すと言うことは、完全に奥方に『心を売った』と言うことになる。
ジャミルはようやく三分の二まで袋に放り込み、指で汗をぬぐった。
(海路はライムさんからの依頼だけど……いったいどうしてまた?)
ジェバリスクは自らの手で落とすと言ったり、妙に躍起になっているような気がしてならなかった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、ナイマは羽をパタパタさせながらムフタールが座す、謁見の間へとやって来ていた。
「旦那さまっ、旦那さまっ!」
「むお?」
ダイニングではない正真正銘の〈謁見の間〉だ。奥の絢爛な椅子に、ムフタールは寝そべるようにして感慨に浸っていた。
「おお、どうしたのかね?」
「先ほど、奥様……じゃなくて奥方様から連絡があり『万事上手くゆきました』とお伝えして欲しい、とのことでしたっ」
ムフタールはこれに顔をほころばせ、金色の手すりをパンッと叩いた。そして「そうか、そうか!」と何度も頷く。
隊商を買う、と聞いた時には驚かされたが、確かにお抱えの隊商があれば何かと便利だ。それに娼館の建設と併せ、ようやくこの玉座が戻ってきたのだから万々歳である。
すると、ナイマは「それと」と言葉を続けた。
「また、お金を用意して欲しいのと、次は少々、旦那様のお手を借りたいとのことです」
「む、あの樽では足りないのか? 三つあれば船でも買えそうなものだが……して、儂にして欲しいこととは?」
「はい。スタルクと言う街で、“ある積み荷”の運搬をお願いして欲しいそうです」
「積み荷……ふむ? それは、金を用意することに関係しているのかね?」
「いえ、その……お金に関しては、ウチも聞き間違いかと思ったのですが……」
ナイマは「うーん」と、難しい顔で頭を掻いた。ムフタールは「何だね?」と優しく促すと、ナイマは「それが……」と口を開く。
「今度は国を買う、そうなのです」
ムフタールは椅子からズリ落ち、絨毯の上にずどんと尻餅をついた――。




