1.砂漠の夜
ライムの指示により、ジャミルたちは枯れたオアシスに留まっていた。
『オレ様はメデューサを搬送してくっから。迎えが来るまでじっとしとけ』
と、言ってから五日が過ぎた。一行に来る気配がしないまま、ジャミルとエリザは六日目の夜を迎えようとしている。
「――それで、ジャミルはどんなお仕事をしていたんですか〜?」
この日の夜も、エリザはジャミルを後ろから抱きしめながら、嬉しそうに訊ねた。
「も、もう六回目ですよー……!?」
「ふふふ、何回でも聞きたいんですよ〜」
ジャミルのつむじに鼻を埋め、「ん〜♪」と、嬉しそうに顔を振った。たき火の光を受けるジャミルの顔が、一段と赤くなる。
砂漠の夜は寒い。けれど、エリザに抱きしめられている間はそれはまったく感じさせない。ジャミルはむず痒さを覚えながらも、つい顔を綻ばせてしまう。
メデューサにここの位置を尋ねれば、何とレスカンドから一週間もかかる、北西の砂漠のど真ん中にいると言うのだ。それも一週間は直線距離で結んだ場所で、弧を描くように移動しなければならないため、実際に歩けば倍の時間を要するだろう。
留まっているだけでも酷な環境なのに、危険を承知で助けに来てくれたことエリザに、ジャミルは感無量であった。
それが奥方のためになるのなら、目一杯甘えてあげようと思った。
「ですけど、まさかラクダさんのウンチが、燃料になるなんて思いませんでしたね~」
「糞の中に、消化できなかった草が固まっているから、だったと思います。硬い草を主食として、お腹を通ったことで肥料にもなりやすいそうです。というより……糞の燃料はブアーラでも使ってますよ……?」
「えっ、そうなんですか?」
「でも思えば、屋敷では奥方の目に入らぬよう使ってますので、知らないのも無理はないですね。時々ですが、牛糞ケーキを使う時もあります」
「それは美味し……くなさそうですね~……」
「食べ物じゃないですよ!?」
主にアビラビ国からの輸入品である。町の者たちはそれが主となっていると聞いたエリザは、「やはり私は、国のことを、民のことを知っているつもりだっただけなんですね~……」と、気落ちした様子を見せた。
「奥方は知らなくていいんですよ」ジャミルは顔だけを上げて言うと、エリザは「えっ」と驚いた顔を見せた。
「奥方は、高みにいる支配者側。下の世界を知らずとも構わないようにするのが、僕の、執事の仕事ですから」
ニッと笑みを浮かべたジャミルに、エリザは微笑み、優しくぎゅっと抱きしめた。
「ですが、もう少し下野をして世界を見続けますよ!」
「……本当に、アシガまで行くんですか?」
「ええ。ここからレスカンドへ戻るには物資が足りませんし、ジャミルはいくら男の子でも恐らく耐えられないです。――となれば、天族側が実質的支配する地になりますが、そこに向かう方が早いでしょう」
ジャミルを怖がらせた罰も受けてもらいます。と、サラッと恐ろしい言葉も続けた。
しかし、これは冗談として言っているわけではない。取ることができる選択肢がそれしかないのだ。
戦うか身を隠すか――メデューサは『天族に持ちかけられた』と言い、既に〈聖剣の作り手〉が、“ジャミル”であることを知られている。
身を隠すにも限りがある。いつ今回のような奇襲を受け、大きな損失を出してしまうかも分からない。隣からの煙に眉間に皺を寄せるのではなく、こちらから火の元を叩きにゆく。“報復”の名目を掲げ、天族に殴り込みにゆくしかないのである。(――が、ライムさんの言葉だ)
その足がかりとなるのが、ここから最も近いアシガの村である。
天族側の南下を食い止める防波堤となっているが、『東のトグサル・北東のジェバリスクの二方向からの圧には耐えられん』と、ライムさんは言う。村の先にある城が破られれば、次の防波堤がルムタン-レスカンドとなるらしい。特にルムタンには婚約者・ナイマがいる。
ジャミルは星空の夜を見上げた。嘆息したほどの満月から三日が過ぎているが、月はまだ美しく光り輝いている。こうして母と呼べる人と星を見る日は来ないだろう。“今”という時を与えてくれた神に感謝したい、とジャミルは思った。――と、その時、
「あれ……?」
「ジャミル、どうしましたか~?」
月が闇に食われた部分に、鳥のようなものが見えた。
気のせいか。砂漠に生息する夜行性の鳥はフクロウくらいのはずだ。ハゲワシや砂漠を走るミチバシリなどは昼間活動する。
「いえ、気のせいでした。こんな夜に飛ぶのはコウモリくら――」
ジャミルは言いかけ、その一点を唖然と見つめていた。
確かに何かが飛んでいる。……が、鳥ではない。
横に大きく広がった翼は、下に向かって伸びる独特な形状をしている。……が、それにしては胴体が長い。
まるで何かを掴んだまま飛んでいるようだし、何より、この距離から見えるシルエットは鳥にしては大きい。
「ま、まさかあれ……」
「まぁっ、サキュバスさんですっ! あれ?」
奥方もそれに気づいたようだ。
胴体からぶら下がる影は、ふてくされたようなオーラを放っている。
「ダリアさん!?」
「と〜……メリーさんではないですねぇ? ああ、ナイマさんです~!」
ジャミルは自身の目と、その耳を疑った。
コウモリの羽をはためかせ、たき火の近くに降り立ったのは――見慣れた〈ニカーブ〉姿の人・ダリアさんと、褐色の肌をした婚約者・ナイマだったのだ。
「ダリア、復活ですね~♪」エリザは嬉しそうにダリアに駆け寄ると「申し訳ありません。私が遅れを取ったばかりに、奥方の手をわずらわせてしまいました……」と深く頭を下げた。
その横では、ナイマが顔を俯かせ、上目遣いにジャミルを見つめている。すっとコウモリの羽を畳むが、サキュバスのお姉さんのようには消えない。
「な、ナイマ、さん――?」
ジャミルは確認の意図も込めて訊ねると、ナイマは「はい……」と小さく頷き、しずしずと返事を返す。
「え、えぇっと……その……」ジャミルが言いにくそうにすると、ダリアが「案ずるな。あのサキュバスが力を預けたのだ」と答えた。
「預けた……?」聞き返すと、それにやっとナイマが「お姉様が治療されている間――」と、コトの経緯を説明し始めた。
ある夜、寝ようとベッドに入った時、ぼんやりとした蒼白い幻光がポツポツと浮かび、集まり、人型を取った。そして覚えのある声で『一時的に力を与えてあげる』と、その光が胸に飛び込んだのだと言う。
それがサキュバスのものであり、“死”を感じ取ったと同時に、自身のサキュバスである部分の力がぐんぐんと増したのを覚えながら気を失い……目覚めた時には、コウモリの羽が出来ていたらしい。
「あのサキュバスさんは、生き返るって言ってましたけれど……」
エリザは沈痛な思いを隠せなかった。
それはジャミルも同じで、じっと地面を見つめ、硬い握りこぶしを震わせている。
「大丈夫です。今は魔界? で眠っているだけのようです!」
「眠って、いる?」エリザが聞き返す。
「はい。魔族は完全に消滅する死に方と、そうでない死に方があって、後者であれば魔界で肉体が再生されてゆくのです。だけど、完治するまで一週間か、一年か、十年か、分からないらしいですが……」
なるほど、とエリザは小さく呟く。
「だから、お姉様は死んでなんかいません! ウチの中で生きています! ……けれど、その、全部終わるまで、ジャミル様の夜とぎができません……」
「う……」ジャミルは返事に困る。『大丈夫だよ』なんて、曖昧かつ誤解を招くような言葉は不適だ。
「し、仕方ないね。すぐ終わるから、きっと大丈夫だよ」
正解だったのか、ナイマは顔を明るくした。人知れず安堵の息を吐くジャミルを他所に、エリザが感心したようにナイマの羽を眺める。
「悪魔さんって、命や経験を繋いでゆくんですねぇ~。これメリーさんの羽ですよね♪」
「お姉様の羽だって気づきましたか! これを、『バトンタッチしたキャラに、これまでの経験値が全部いくやつー』って、いうらしいです」
意味の分からない名だったが、ジャミルには考案者は誰かと察しがついていた。




