5.這い寄る蛇(砂漠)
エリザはすぐに出発したがったが、準備を万端にしろとライムに諌められた。
石になったダリアやサキュバスは、そのまま〈サキュバンク〉の中に残している。ライム曰く、店には魔術の鍵が施せるらしい。
ずっと掴めぬ苦しみを味わうのは酷だと思い、エリザはその女性らしからぬダリアの手に、ジャミルが使っていたベストを握らせてやった――。
金に糸目をつけなかったので、準備はすぐに整った。
武器防具はもちろんのこと、ナッツや干し肉、ドライフルーツらの保存食、そしてジャミルが作ったジャムをカバンに押し込む――。
場所は、レスカンド北西に位置する〈ヴァジュ砂漠〉の真ん中だと言う。
砂漠の旅は隊商についてゆくのが定石だが、これは人に多く話せぬ旅になる。なので、出発する旨や事情を話したのは〈アマゾネス〉の者にだけにした。
ダリアがやられたことをサリーに伝えると、しばらく沈痛な面持ちで床を見つめた。……が、すぐにいつもの気丈な彼女に戻り、こっそりと街を発てるよう手配する、と申し出てくれた。
すべての準備が終えたのは、襲撃から四日後――。
ライムは昼間に街を離れ、エリザはその日の深夜に街を発った。
互いに、砂漠の手前にある〈ラムール平野〉で合流することになっている。
ひやりとした空気に身を震わせながら、街外れに待機していた〈冒険者ギルド〉の馬車に乗り込むと、すぐに夜の空気を掻き分け始めた。馬車はギルドのものであるが、御者は職員に扮した〈アマゾネス〉の女である。
夜明けには着くらしい。エリザは流れゆく景色を眺めながら、深く長い息をし続けた。
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「お気をつけて。奥様に神のご加護を」
「ありがとうございます。あなたにもご加護を」
予定の場所まで送ってもらったエリザは、言葉短く挨拶を交わし、黒い頭巾を被った〈アマゾネス〉の女と別れた。
それと同時に、エリザの後ろがぐにゃりと歪んだ。そしてそこから、大荷物をしょったライムが姿を現した。
エリザでは文字通り荷が重いため、砂漠の横断に必要不可欠な水などはライムが持つことになっている。なのでエリザが持つ手荷物は、携行食が入ったカバンと短刀、そして〈フレイル〉だけであった。
「――ライムさん、重くないですか?」
「問題ねェ。オレ様には重さや痛みなど、人間でいうところの“神経”ってモンがねェからよ。いわゆる“無神経”ってやつだ」ハハハッ、と笑ったのち「……笑えねェ」と呟いた。
砂漠の手前まで送ってもらったので、すぐに砂漠の入り口を告げる〈ハマダ〉と呼ばれる岩盤が露出する山岳地帯に差し掛った。そこから砂利まじりの砂丘地帯の〈レキ〉を通り、砂の海が広がる〈エルグ〉の手前まで到達した。
その頃には陽が傾き始めていたため、この日の移動はここまでに、〈エルグ〉の境目となる場所で夜を明かすこととなった。
砂漠の夜は零下まで下がる。
その寒さに、エリザは毛布の中で震え続けた。
ブアーラも砂漠地帯にあるが、これほどまで寒いと思った夜はあっただろうか。
いつもぶっきらぼうで辛辣なダリアの低い声や、我が子のように可愛らしくてたまらないジャミル。ずっと側にいた者がいない寂しさは、毛布をいくら強く巻き付けてもその身を凍えさせる寒々しいものであった――。
そして朝を迎えると、今度は焼き付けるような日差しが襲う。
砂の大海原は果てしなく、そして過酷である。ギラギラと輝く太陽は、生ける者の身体から水分を奪う。細かな砂は、足裏を掴み一歩を重くする。
歩き始めて間もないのに、エリザの足はふらつき始めた。
ライムは『足を用意する』と言ったが、エリザは自分の足で歩くと言って聞かなかったのだ。――案の定それは長く続かず、ついに砂の上に両膝をついてしまった。
「だから足がいるんだ」
ライムは呆れながら言うと、砂漠のどこかからか、大きなトカゲを連れてきた。〈砂漠オオトカゲ〉と、何のひねりもない魔物の一種である。
性格は比較的温厚で、劣悪な砂漠の環境下でも生きてゆくため、己の体温を調整できるように進化したは虫類だ。
大きさは二メートルほどで、人を乗せてもその足取りは変わらない。いざとなれば戦力にもなり、ラクダに取って代わる乗り物になるかと期待されている魔物である。
……が、水を数日間飲まなくとも大丈夫なラクダに対して、砂漠オオトカゲには何度かの餌が必要となり、また人間では手なずけるのが難しい……などの課題も多い。
その背に乗ったエリザの表情は重く、ごつごつとした黄色い背中を見つめている。
「――酷な目に遭ったから救われる、ってのはただの自己満足だぞ」
ライムは正面を見ながら言った。
「ですが……」
「マダムの目的は何だ? 贖罪のために自分を痛めつけているつもりならば、真っ裸になり、その身を化け物に食わせりゃいい」
ボロボロな姿で辿りついても邪魔なだけだ、とライムは言葉強く言った。
それにエリザは、しゅんとトカゲの背に揺られ続けていたが、陽が暮れるにつれ気力を取り戻し、翌朝にもなればいつもの姿に戻っていた。
――頼るところは頼ってゆこう
目的はジャミルを助け出すことだ、と気持ちを一点に絞ることにしたのだ。
砂粒は小さくて軽く、そよ風一つで姿を変えると言われている。そんな永遠に続くような砂の大地の上を、来る日も来る日も、ただひたすら歩き続けた。
「方角は合っているのですか?」
「ああ、合っている。心配するな」
ライムはじっと一方向だけを見据えながら言った。
サキュバスの手が指していた本は、ライムが指にはめている指輪〈コールリング〉の前に作られたものらしい。
用事を言いつけたい時、居場所を知るために渡していたと言う。
「指輪はマダムが持ってっし、それを引っ張りだしてガキんちょに持たせたんだ」
「つまり……サキュバスさんは、自分がこうなると知っていて……?」
「だろうな。同じ魔の者として、来るならこのタイミングだと考えがあったんだろう。……だが、あのネーちゃんが手負いにしたのは、思わぬ収穫になったな。〈聖剣〉の力を帯びた剣で斬られてっし、しばらくはロクに動けねェはずだ」
「ふふっ、ダリアはうちの自慢の子ですから」
エリザは笑みを浮かべると、前々から気になっていたことを訊ねてみた。
「ところで……ライムさんとサキュバスさんの関係って何なのですか?」
「ん? 望んでいるような答えはねェぞ。ただオレ様が思念体となった時、それを持って逃げたのが始まりってだけだ」
「持って逃げた……?」
まさか、と思ったがエリザは追求することはしなかった。
それから更に二日――。
砂嵐にも襲われたが、これはエリザにとって不幸中の幸いにも感じられた。
代わり映えのない景色に変化をもたらしただけでなく、風に流されてきた砂が巨大な山を作るなど、“生きた砂漠”を目の当たりにできたことが嬉しくあったのだ。
しかし、いくら砂漠オオトカゲに乗っていると言っても、厳しい環境には変わらないし、疲労も蓄積する。エリザの表情も、疲労の色が濃くなっていた。
ついに視界が揺らぐのを覚えたその時――ライムは「あそこだ」と指を指した。
「あれは……街。ですか……?」エリザは一瞬、蜃気楼を疑った。
「涸れたオアシスだな。人間が捨ててったんだろう」
「では――あの中に、ジャミルが……?」
ああ、とライムは言葉短く答えると、虚ろがかった目になっていたエリザは、再び力が戻ってくるのを覚えていた。




