10.次の火種
レスカンドの北西には、広大な砂漠が広がっている。
ミッディージア大陸の北西・主に“北部”と呼ばれる地帯にゆくには、この砂漠を渡るか、ルムタンの北にある険しい山を越えるしかなかった。船で沿岸沿いに進む手もあるにはあるが、観光でゆけるような穏やかなルートではない。――なので、この砂漠を渡ることが最適解とも言える。
その砂漠の入り口となる岩盤地帯から、ライムはずっと砂の大地を眺めていた。
「やーっぱ、この〈ヴァジュ砂漠〉が厄介だな……」
腕を組み、顎に手をやっては思案するのを、何度も繰り返している。
北部は天族側の領地と言えど、彼らにはもう本拠点・ジェバリスクしか残されていない。故に攻略は難しいのだが、南部の勢力を注げば何とか勝利できるだろう。
しかし、正面に広がる砂漠がそれを阻んでる。
さてどうしたものか。ライムが頭をひねっていると――
「なかなかの難問のようですね」
背後の空間が歪み、そこから〈サキュバンク〉のサキュバスが姿を現した。
肩からズシリと重そうな金貨袋を下げている。
「なんだ、来たのか」
「お言葉ですね。腐心しているようなので、様子を見に来ましたのに――この砂漠を越えるのが、それほど厄介なのです?」
「厄介てなことはねェが……まぁ厄介だな。砂漠を渡った先にある、魔族側最後の陣地・アシガの村も劣勢だ。ここが陥落すると、地理的不利な場所で戦い続けることになる」
「渡った先……そう言えば、トグサルも天族側に下ってましたね」
サキュバスも下唇を突き出し、砂漠を睨んだ。
トグサルは元々は魔族側だったが、天族の勢力が南下した際に下ってそのままだ。
山間に設けられた堰のような城で、ジェバリスクに向かうにはまずそこを陥とす必要があった。
補給地でもあるアシガが無ければ、攻め込むのも骨だ。
「ですが、それだけなのですか? あの一行に砂漠を渡らせるだけなら――」
「いや、砂漠のど真ん中に、それ以上に厄介なのが行く手を阻んでんだ。虎視眈々と機を窺ってるし。お前と空間を渡れば、ここぞとばかりにやってくることになる」
「……ここ最近、ずっとアシガ方面を気にしていたのは、それが理由ですか?」
「ああ。デカい蛇がとぐろ巻いてやがんだが、オレ様でも詳細な潜伏先が分かねェ」
「蛇、ですか……」
「狙いは、あのガキんちょだ。可能な限り見張っているが、もし襲われた時は――」
ライムはゆっくりと、サキュバスに顔を向けた。
「できるだけ守れ」
「……はぁ。あの連中にしろ、あなた様にしろ。随分と悪魔をこき使ってくれますね」
「ハッハッハッ! 天に使われるよりマシだろう」
腕を組んで笑うライムに、サキュバスは「やれやれ」と息を吐いた。
そして、肩の金貨袋を担ぎ直す。
「それにしてもあの坊や。まだまだ若いですね」
「情でも移ったか?」ライムの軽い口調に、サキュバスは薄く笑みを浮かべる。「違いますよ」
「目的のために手段を誤っています。……少し、お灸を据えられるかもしれませんね」
「何だそりゃあ?」ライムは頓狂な声を上げた。
「カゴの鳥は王の果実を食べますので」
ライムは「なるほど」と、少し頭を揺らす。
「ガキの悪知恵を咎めてどーすんだ」
「親も親ですがね」
「ふぅむ……ま、いい機会だろうし放っておけ。どうせ頼る場所は限られてる」
その時は面倒見てやれ、と手をヒラヒラと振った。
◇ ◇ ◇
その頃、ブアーラ国では――
「旦那さまッ!? いったいどういうことなんですかぁぁッ!?」
「わ、私に言われても困る!?」
請求にきたサキュバスが帰るやいなや、ルディナはムフタールに詰め寄っていた。
理由は、ジャミルからの手紙……と、サキュバスからの補足説明である。
――坊やはお嫁さんをもらいました
これにルディナは、自分自身がどこか遠く離れていくように感じた。
旦那様やマクタバさんを見ても、聞き間違いでないと言わんばかりに、目を丸くするだけ――。しかも聞けば、相手は娼婦と言うではないか。
これにルディナは怒っていいのか、泣いていいのか分からず、ただ呆然と聞いていただけであった。
「奥方様は、私に何をさせたいのですかッ? 刺すんですねッ? 女が来たら刺したらいいんですねッ?」
「お、落ち着くんだルディナッ!? ジャミルの事情も汲んでやってだな――」
「逆です、事情ではなく情事です! きっと肉欲に溺れたんです!」
ルディナは悔しそうに金切り声をあげ、地団駄を踏むと、
――帰ってくるな!
と、大きな声で叫んだ。




