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8.黄金の槌と判決

 翌朝、いや夜更けから町は騒然となった。

 曇天の空が月の輝きを遮っているため、北の藍色の空はより煌々と染まっていた。

 ライムが『火事だぞー、領主の屋敷から火が出たぞー』と、叫んで回れば、町の者は慌てて外に飛び出し、不安げに赤く染まった空を仰いでゆく。

 それを宿屋の窓から眺めるジャミルは、『情報とはこれほどまで早く広まるのか』と、驚いていた。


『戦用の油が燃えたってよ』

『領主が近くで葉巻を吹かしていたそうよ』

『油は天族側に売る予定だったってよ』

『廊下の絨毯とか可燃物に火がつきまくっているらしい』


 誰かが『何事か』と訊ねれば、このような情報がどんどんと飛び交ってゆくのだ。

 どうしてコトの子細まで流れているのか?

 それは、火を眺める群衆が“噂の源泉地”になっているからである。


「サキュバスのお姉さん、凄い……」

「おい、オレ様も触れ回ったんだぞ。こんな風に――」


 ライムさんは目を赤く光らせ、頭をくるくると回転させ始めた。どうやら危険を報せる信号であるらしい。

 噂を流しているのは、サキュバスのお姉さんだ。


『不安を抱いたものは、誰かに喋って紛らわせようとする。また新鮮な情報を口にすれば、皆がそれに目を向け、耳を傾けてくれる。無意識の優越感がその者の口を滑らかにするのよ』


 一番情報が広まりやすい場所から、“領主の不祥事”を広めている。

 これは“隣人のお茶会”と称され、悪魔たちがよく使う手法なのだそうだ。


「人の不安につけ込むのは気が引けますが~……仕方ないですねぇ……」

「民にも知る権利があるからな。ただし、知る情報はこちらが選ばせてもらうがよ」


 ハハハと笑うライムの横で、エリザは小さく息を吐いた。


「情報は火、人は油。心は気……空気が足りねば黒煙となり、大気を汚し、雰囲気を悪くするのですね……」

「お、イイこと言うねェー。……が、それが完全に悪ってことはねェ。破壊がなければ再生はない。大事なのはその後の再生よ。オレたちが見えない火を広め、この腐った町を焼き尽くし続ける――んんー、イイ響きだ」

「その後の再生……」


 エリザは自分に言い聞かせるように復唱し、顔を引き締めた。


 ライムの言葉の通り、明け方になると領主宅の火は完全に鎮まったものの、町の“火”は勢いを増し続ける。噂に扇動された町の者が薪をくべ、扇ぎ続けた。

 町に被害は出なかったものの、煙と共に流れ出た“不祥事”は、弱き者の怒りを買うのに十分であったようだ。

 病によって命を落とした者も少なくない。領主・ハンズールは屋敷から出てこず、奴隷たちが人間のバリケードを作って、屋敷を問い囲む殺気立った遺族・関係者たちの侵入を食い止めている状態だ。


 ――私が話をつけてきます


 そこにやってきたエリザの言葉に、一触即発の空気は一瞬かき消えた。が、「白い肌の女に何ができるんだ!」と、すぐさま怒りの矛先が向けられる。

「無礼者!」とダリアが一喝し、「この方は、ブアーラ国のご内儀、エリザ・ハキム・シナン様であらせられるぞ!」と続けると、その場は騒然となった。

「ぶあーら?」知らぬ者が首を傾げると、「黄金の国って呼ばれてるところだよ!」と知る者が説明する。そしてそれを聞いた者は、「えぇっ!?」と、驚嘆の声をあげ、平服した――。

 横でライムが興奮しながら、ジャミルの肩を突いた。。


『ガキんちょっ、早く印籠出せ、印籠!』

『い、いんろうって何ですか……?』


 ジャミルは、ライムの言葉がまるで理解できなかった――。


 屋敷は半焼したらしく、真っ黒に焼け焦げになっていた。階段が崩れ落ちた場所もあり、一部の通路が分断されているところもあるようだ。

 炎の残り香にむせるライムの横で、ダリアは〈ニカーブ〉の下で眉を寄せていた。

 いくら戦用の油と言えど、ここまでは燃えない。そもそも、奴隷や使用人たちに被害が及ばぬよう、そこに通じる階段と周辺の廊下に油を撒いただけなのである。

 何らかの力が加わった――そのように感じていた。


「被害者がゼロだったのが、奇跡のようですね……」


 エリザ小さく安堵の息を吐く傍らで、ジャミルやダリアも同意するように頷いた。

 奴隷には何の罪もない。罰されるのは屋敷の奥で力なくうなだれる領主・ハンズールのみなのだ。


「こ、これはエリザ様……!」


 これまでのように両手を広げるが、以前の姿とはほど遠く映った。

 むしろすべてを失ってもなお、自身を大きく見せようとする虚栄心が愚かしくさえある。

 悪行の殆どが町の者に知れ渡ってしまったため、ハンズールに残されている道は二つに一つ――これまでの暮らしを捨てるか、首をハネ飛ばされるかのどちらかだ。独裁色を強め、反発する者を粛正する手段もあるが、わずかな延命にしかならないだろう。


「此度の大火事、お悔やみ申し上げます。半焼で済んだと聞いておりましたが、目の当たりにして私は言葉を失ってしまいました……誰一人とて死者を出さなかったことは、まさに神のご加護が、ハンズール様の、領主としての行いの賜物でありましょう」

「うっ!? あ、ありがとうございます……」


 動揺を隠せぬハンズールを他所に、エリザはゆっくりと周囲を見渡した。


「しかしこれは……修繕にかかる費用も膨大になりそうですね」

「え、えぇ……」

「こんな時に、お金の話になってしまいますが……今、寄付はいかほどまで?」

「いっ!? い、い、今はまだそこまでは――」


 エリザは、「そうですか」と、静かに頷いた。

 ハンズールが狼狽した理由を知っている。本来であれば、息のかかった者が恩を売ろうと金を出しに来るのだが、ここまで寄付を申し出たのは誰一人としていないのだ。

 やっと誰か来たかと思えば、得体の知れない商人風の女。それも不幸につけ込むように、『ここにある奥様の宝飾品などを買い取りたい』と、裸足の足を見てきたのだ。

 背に腹はかえられず、ハンズールは時価1,000枚は下らないであろう宝飾品を、わずか十分の一で売りさばいた――。


「なるほど」


 その言葉の後、エリザは何か言いたげな様子のまま沈黙した。ハンズールや後ろに控えるその妻、使用人たちは次の言葉を待ったが、あまりに長い沈黙と意味ありげに目を動かすエリザの姿に、だんだんと不安ばかりが募ってゆく。

 やっと言葉を発したのは、ゆっくりとジャミルの方に振り返った時であった。


「――ジャミル。修繕費は概算でいかほどに」

「はい。そうですね……」


 ジャミルは少し勿体つけたように、焼け焦げた箇所を見回すと、


「ディナル金貨で、7,500枚――と言ったところでしょうか」


 その言葉に「なな――ッ!?」と、ハンズールは驚愕の声をあげた。

 見込額と売りさばいた貴金属類の額を合わせても、2,000枚に達するか分からない。

 むしろ見込み額も現在0であり、あくまで夢を見ての数字――厳しい現実を見れば100枚も集まればいいレベルなのだ。

 開いたままの口から魂が抜けたようなハンズールを前に、奥方は「それは大変――」と言うと、


「困った時はお互い様、ブアーラ国が全面的に援助させて頂きましょう」

「へ……? え、援助、ですか……?」

「はい。ですが無償で行うと、町の人は黙ってはいないでしょう。先日のお話を蒸し返してしまいますが――」

「ま、まさか……」

「ジャミル――」


 ジャミルは「はい」と短く返事をすると、おもむろに手帳を取り出し、読み上げ始めた。


「東の娼館:金貨4,000枚。病院と町の一角の土地:金貨1,000枚。残りの2,000枚は、奥方から町をまとめる方たちにお願いしてみます。それと、工事の間の奴隷の方々の給金は500枚ほどですね」


 喘ぐような声で膝から崩れ落ちた領主に、奥方は「よろしいですね?」とニッコリと微笑んで見せた。

 これを断ることはできない。娼館や土地だけならまだ余地はあっただろうが、町をまとめる区長などは、自分の息がかかった者ばかり――旗色が悪くなるや刃を向けた連中が、エリザに頼まれれば金を出す。これはつまり、既に“買収”されてしまっていることとなるのだ。

 彼らにから巻き上げるのではなく“出資”となれば、この屋敷という檻の中で、“金の鎖”で繋がれることになってしまう。領主はそれに気づかないほど愚かではなかった。

 ハンズールはもう、進むことも、退くこともできない。

 “金の槌”の裁決を、黙って受け入れるしか方法がなかったのだった――。

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