5.慰問と少女
娼館の買収発表から四日、五日……と時間だけが過ぎた。
突然やって来たライムは『万事任せておけ』と言ったきり、その後の進展がなかったからだ。
その間、ダリアは単独で町での調査を続け、エリザはのほほんと町をぶらぶらして時間を潰した。そこにジャミルは同伴していない。彼には別の役目を与えられていた。
「こんにちは。具合を伺いに参りました」
「あらー、ご苦労さま」
頭に白い〈クーフィーヤ〉を巻き、服の上に白い前掛けを着けたジャミルは、いつぞや世話になった娼館に足を運ぶと、入り口に立っている女に挨拶を行う。
そして中へ入るよう促され、ジャミルは「失礼します」と足を踏み入れた。そこには以前のような恐々としたものではなく、胸を張って堂々と建物中に向かってゆく。
目的の場所は建物の最奥、渡り廊下を渡った寄宿舎にあった。そこに向かうには“商い”を行う棟を通り抜けねばならないのだが、その道中、
『あら、今日はこっち空いてるわよー?』
『坊や、見て見て。今日はセクシーな下着をつけてみたの』
『うふふ……イイコトしてみましょうよ』
――などと、色めいた仕草でからかわれるのも常であった。『今日こそは』と思っていても、すぐに『明日こそは』に変わってしまう。女たちもまた、顔を赤くして俯くジャミルが可愛くてたまらなかった。
しかし、渡り廊下が見え始めた途端、そのような者は皆無になる。棟に繋がる入り口の前に立つ女に、ジャミルは静かに頭を下げた。
「こんにちは。皆の具合はどうでしょうか」
「ご苦労様です。おかげさまで、快方に向かっています」
女は〈フェイスヴェール〉のように、口元に白い布をかけている。
初めて見た時とは違い、その目が穏やかなものになっていることから、彼女の言葉に偽りがないことが分かった。
「これが彼女らの体温と脈拍、それと便の様子です」
女はそう言うと、一枚の表を差し出した。ジャミルはそれを丁寧にカバンの中にしまう。
「では、ナイマの具合を見てもらってもいいでしょうか? 小さなお医者様」
「そ、そんないいものじゃないです!?」
「ふふ、“ごっこ”でも、病で気弱になっている者には励みになるんですよ」
今度、私も診察してもらいますね、と妖しく微笑まれ、ジャミルはいそいそとその場を後にした。
この棟は今、隔離病棟となっている。どうしてこんな所にやって来たのか、それは奥方に命じられて医師・ハルン先生の手伝いをしているからである。尤もらしい理由を挙げれば、『簡単な医術と、応急処置の方法を学ぶこと』であり、言わば“執事修行”の一貫なのだ。
それぞれの部屋の中には、熱と咳で臥せっている者ばかりである。最初はただの風邪だと思っていたのだが、唇の色の変色、胸の痛みを訴え、鉄さび色の痰を吐くなどから、初めて別の病だと気づいたらしい。発見が遅れたことが、町に病が蔓延した理由の一つとなっている。
自力で治した者もいるが、症状は長く続いている。先ほど告げられた“ナイマ”と呼ばれた者は、特に症状が重かったようだ。
届けた薬は優先的に彼女に与えられ、今は身体を起こせるぐらいまで回復している。年は二つ上で、娼館の中では最も若い。その若さで命拾いした――と見る者も少なくない。
その部屋の前に立ったジャミルは、垂れ下がる〈クーフィーヤ〉の両端をくるくると顔に巻き付けた。一枚布の大きなショールなので、首に巻いたりするなど状況に合わせて多用途に使えるものだ。
ジャミルは扉を小さくノックすると、中の様子を探るようにそっと扉の隙間から覗き込んだ。すると既に待ち構えていたのか、薄暗い部屋の中で、ひらひらと手のひらを振る少女の姿が見えた。
「――こんにちは。起きていて大丈夫なの?」
「こんにちは。ウチ今日は調子がよくて、お姉様方に身体を起こしてもらったんです」
「そうなんだ。元気になってるようで安心したよ」
「えへへ、ジャミルさんの薬のおかげです」
北部訛りが残るナイマは、白い歯を魅せてニコっと笑みを浮かべた。会うのは三度目だが、薄褐色の肌に彼女その笑顔はとてもよく映えた。
これまでボサボサ髪だったけれど、起こしてもらった時に櫛を入れてもらったのだろう。ぺったりとしているが、窓から差し込む光を受け、黒く艶のある髪に丸い輪を作っている。
「今まで病気らしい病気なんてしたことなかったんですが……来て早々、お姉様方に迷惑をかけてしまいました……」
「この病は“悪魔の粉”が原因らしいから、仕方ないよ」
「悪魔の、粉……? おかしな名前をつけるんですね」
それは、ライムさんが命名したものだ。砂漠の砂よりも小さい病気の粒が、ヒトの体内に入り込むのが原因であるらしい。
「多分、人間の力ではどうしようもないから、じゃないかな?」
「うーん、なるほどぉ……」
ナイマが宙を見上げた時、差し込む光がその肌を照らした。
「あれ?」ジャミルはその時、彼女の肌の色艶がいい理由に気づいた「もしかして、お化粧してる?」
「あ……」ナイマは恥ずかしそうに俯くと「病で弱った顔を見せたくなかったから……」と小さく呟いた。
「そ、そっか……」
やはり身だしなみを気にするのだろう、とジャミルは思った。
「その、ジャミルさんは……こんな商売している人を軽蔑しますか?」
「え?」
「ウチ、熱で苦しんでいた時ずっと考えていたんです……。そう言う宿命だから仕方ないけれど、苦しんでいても誰も助けてくれないのかなって。人に蔑まされ続けるだけなのかなって……」
「そ、そんなことはしないよっ!」
思わず声が大きくなった。ナイマは目を見張ったが、堰を切ってしまった喉は次々と言葉を流し始める。
「踏みにじられて当然、って思うのがおかしいんです。教えに反しているからと言って、その人を踏みにじる人がおかしいんです! 僕も一応は奴隷って立場だけど、旦那様や奥方は決してそんなことはしない。だから僕も、君を蔑むなんてことはしない!」
ハッと我に返ったジャミルは、フェードアウトしながら「すみません……」と謝った。
ナイマはそれに薄く笑い、シーツに目を落としながら「ありがとう……」と、消え入りそうな声で呟いた。
「デビューの日が来たら、最初のお客さんになってくれる?」
「え、デビューって……あ、いや、その僕は……」
小さな声で「まだしたことが……」と言うと、「あら」と少し明るい声をあげた。
恥ずかしくてたまらなかった所に、ナイマは少し身を乗り出し「大丈夫。私もベンキョウしておくから」と、紅を差した唇の両端を上げたのを見たジャミルは
――女の人はみな、サキュバスなのかもしれない
と、思ってしまった――。
◇ ◇ ◇
その頃、ダリアはライムと話をしていた。
領主のことについて探りを入れている時、生姜を売り歩いているところにバッタリ遭遇したのである。
「なぜ生姜なのだ……?」
「なぜって、病気には生姜って相場が決まってんだろォ? 発汗作用があるから身体を冷やすが、血行をよくし頭痛の緩和や免疫強化もするんだぞ。与えてくれた神に感謝して食えってんだよ」
「そ、それは知っているが、商売やっている暇があれば、娼婦の長とやらにだな――」
「ああ、奴にはもう連絡はしている」
ライムは言うと、少し間を置いてからダリアに兜から覗く闇を向けた。
「お前とあのマダムは、もう既に生理が終わっているか?」
「……いきなり何を言う?」
「奴は生理に苦痛を与えた奴だ」
ダリアはそれにハッとすると、
「サキュバスの管轄外って意味が分かったろ? 奴の管轄なら、ここの病の原因も仲間の仕業かとも思ったが……関わってりゃ死が広まっているはずだ。熱病と聞いてパズズも思い浮かべるが、奴が来てりゃ既に熱風で滅んでるからな」
「と言うことは、この流行病はあの領主が独断でやったのか……」
「お前さんはどこまで調べているんだ?」
ライムの問いにダリアは、領主が天族側に傾こうとしていること、領主は数本の柱・手下となる貴族や町の代表に支えられ、その者たちの操り人形にされている。つい最近、その中の何人かが殺害されたこと――など、調べたことをすべて答えた。
そして、天族側の支配地・北部のトグザル-ジェバリスクの辺りでは、ここと似た症状の病にかかり多くの死者を出している。恐らく名医がいることを利用し、治療薬を開発・販売しようとしているのではないか、との考えを話した。
するとライムは頷き、「そこまで気づいてりゃ問題ねェな」と言った。
「で、この町の“区画整理”等の話は着いているのか?」
「奥方がのんびりやっている」
「……オレ様でもあの女の頭の中が分からねェんだが、大丈夫なのか?」
「……まぁ、大丈夫だろう」
するとライムは「お前さんが計画を実行に移すなら」と、左手から赤い指輪を抜いた。
「これを使え。人間でも火ぐらいは熾せる」
「ふむ……」
「お前さんの腹の奥にある憎悪なら、どす黒い、煉獄の炎も作り出せるかもな」
ダリアはライムを睨み付けたが、どこ吹く風と言った様子で身を翻し、町への方へと歩いていった。




