4.内部調査
ダリアとエリザは着替えると、涙目のジャミルをつれ、レスカンド・ルムタンの一帯を治める領主・ハンズールのいる屋敷に向かっていた。目的は挨拶のためである。
本当は明日の予定だったのだが、ダリアが『我々の後をつける者がいる』と言い、トップに立つ者として、なおざりにできなくなったのだ。
太陽が西の山に落ちようとしており、町は藍色に染まり始めていた。
領主は町の最北に居を構えているらしい。石積の豪壮たる建物を前に、ジャミルは思わず口が半開きになった。まるで城のようである。
訪れた時は分からなかったが、町の北端・屋敷の裏には水路が設けられているようだ。
ミッディージア大陸の北東部は緑が多いと聞いているため、このルムタンの町が南部の砂漠地帯との境目なのか、とジャミルは頷いた。
玄関門の前に立つと、屋敷から一斉に人が出てきた。
まずは使用人たちが両端に列を作る。そしてその真ん中を、白いターバンと白いローブを着た者がノッシノッシと歩いてくる――領主・ハンズールである。
でっぷりとお腹が出て、褐色の顎が揺れる。その後ろをついて歩く、青色のパーティードレスを着た女性もまた、“似たもの夫婦”との言葉が当てはまる体型だった。
「これはこれは、ようこそおいで頂きました!」
両手を広げるが、その笑みは明らかに歓迎を喜ぶものだけではなかった。膝からその首元、頭のてっぺんまで舐めるように視線を動かし、下品な笑みを浮かべる。
エリザの薄緑色の〈アバヤローブ〉は、白い肌と滑らかな身体を際立たせている。
同じ男ですら不快感を覚える笑みなのだ。それを受ける奥方はひとしおだろう、とジャミルは腹立たしさを堪えながら後ろに控えていた。
屋敷の中に案内されたが、中はお世辞にも褒められるものではなかった。
ブアーラの屋敷よりも大きく、造りは小さな城のようである。だが調度品はお粗末なものだ。価値を見せつけるだけのそれは悪趣味であり、物のよさをまったく引き出せていない。
「奥様、今晩は是非ともうちにお泊まりになって――」
「申し訳ありません、うちの子が旅の途中調子を悪くしてしまい、先に宿を取ってしまったのです……お気持ちだけ頂きたく存じます~」
「そ、そうですか……それは、仕方ありませんなぁ。それで先に病院にゆかれたのですか?」
「あら、よくご存じですね~」
「あっ、いえ、この町はその、小さいので誰がどうしたなどの話がよくですね、はは、ははは!」
化かし合い――と言ったところだろうか。
以前ダリアさんが『奥方はまれに頭が回る』と言っていたが、まさにその通りだ、とジャミルは思った。
「歓迎の宴の準備もしておりますので、是非とも召し上がっていって下さい」
「まぁっ、それは感謝致します! ですが……うちの供は牛がダメなのです。申し訳ありませんが、うちの子と共に厨房に向かわせ、覗かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞどうぞ! うちの奴隷に案内させましょう」
エリザの目配せを受けたジャミルは頷き、ダリアと共に案内にやって来た奴隷の少年の後について歩き始めた。
年がほぼ同じか、少し年下だろうか。上半身は紺のベストだけと褐色の肌を大きく露わにしていた。
厨房は屋敷の一番奥、方向からして川に面しているらしい。
灯りの油やろうそくをケチっているのか、そこまでの道は随分と暗く、また掃除など行き届いていない。かつてエリザから『家はその家主の心を表します』と、厳しく指導されたのを思い出したジャミルは、面覆いの布の下で、なるほど、と静かに頷いた。
料理のいい香りが漂ってきた頃、ダリアは前を歩く奴隷の少年を呼び止めた。
「――すまないが、便所はどこにある?」
「こちらからですと……少し戻ってすぐの角を曲がり、その突き当たりにあります」
分かった、と言うと来た道を引き返した。
ジャミルはそのまま少年の後について歩いていたが、少年は突然振り返り、ジャミルの顔をじっと見つめた。
「な、何ですか……?」
まさかバレたのか。一抹の不安が頭を掠めた。
「君も、僕と同じ奴隷?」
「え……?」
「顔に酷いことされた跡が見えたから……」
ジャミルは「あっ」と、その部分を抑えた。
確かに『酷いことをされた』と言えばそうだ。そこはダリアさんにガシガシされた所で、口紅が広がったのか、擦られて赤くなったのか分からない――。
「でも不思議だよ。どうして奴隷なのに、そんないい服着せてもらってるんだい? 僕は外に出る時もこの格好なのに」
「旦那様も奥方も、奴隷は奴隷として扱う、ってことはしないよ」
「えっ、そうなの!?」
「奴隷も勤め人、身分の差はあっても差別はしないって考えだから」
「うちとは大違いだ……」
「君のところは、そんなに酷い扱いされているの……?」
「うん……。仲間には『娼館で働いた方がマシだった』って言う人も多いよ」
少年は顔を曇らせ、しばらく灰色の石床を見つめた。
「ところで……君の国は、魔族派?」
「え? う、うーん……どっちかは名言してないけど、魔族寄りかなぁ」
「そっか。うちは多分、天族派に就くよ」
意外な情報に、ジャミルは目を見開いた。
「この前、屋敷の地下に戦用の油が入ったタルを搬入したんだ。旦那様は機運を伺って、優勢な方に就く――それまでの時間稼ぎに、先にここにやってくる天族側に、油を売るつもりだよ」
「そ、そんな情報を……」キョロキョロしながら言うと、少年は「いいさ」と言った。
「聞いていても奴隷だけだ。それにみんな、戦争して負けることを願ってる」
もう一度、奴隷として売られるから、と続ける。
「次は君みたいな、いい旦那様に巡り会えたらいいな」
希望と悲しさに満ちた笑みを浮かべた。
ジャミルは何も答えられず、ただじっと黙っていた。
相手もそこで話を終えるつもりだったのか、つかの間の静寂が区切りをつける。
それからは事務的なやり取りだけだった。厨房まで案内され、料理の確認と飲み物らの指示を出してゆく。
宴は滞りなく行われ、ジャミルもその席につくことを許されたものの、先ほどの話が気になり、振る舞われた料理の味はまったく分からなかった。
この領主は下品そのものに思えてしょうがない。食事のマナーから何まで、すべてが目についてしまっていた。
――やはり、自分は恵まれているのだろうか
本来の奴隷は悪ではなく、温情を持った扱いをしなければならない。……そのはずなのに現実は、ただの耐久消費財として扱われている奴隷の方が多いのだ。
浮かぬ気持ちのまま屋敷を後にし、奥方の後について宿屋に戻った。ダリアさんはその後しばらく、燭台のろうそくを変えた頃に戻ってきた。
「――なるほど。ずっと沈んだ顔をしていたのは、そういう事情だったのですねえ」
調査報告会が始まった時、ジャミルは奴隷の少年のことをすべて明かした。
奥方は一つ息を吐くと、ゆっくりと言葉を続けた。
「ジャミルは確かに、奴隷としては恵まれているかもしれません」
「やはり……そうですよね」
「ですが、それは間違いでもあるんですよ」
「……え?」
「それが当たり前のことなのです。奴隷に尊厳なぞない、なんて思ってはなりません」
ジャミルは静かに頷いた。
「ですが、地下に油ですか……。これは危ないですねぇ……」
それを受け、ダリアは懐から一本の葉巻を取り出した。
「その油の在処は見つけてあります。領主は葉巻を吹かしながらそこの近くを歩いていたのか……廊下のあちこちに、これと同じ葉巻の灰が落ちておりました」
「まぁっ!」
「可燃物は近くに置く、埃は溜まる……危険物の扱いがまるでなってません。大きな事故を起こすのも、時間の問題と言えるでしょう」
エリザは指を顎にかけ、「んー」と思案するように唸った。
燭台の火が揺れ、壁にかかる影がしばらく遊ぶ。
そして、「よし」と頷くまで、ジャミルたちは沈黙を守ち続けた。
「決めました!」
「決めたって……何をですか?」ジャミルは恐る恐る訊ねると、エリザは「買うのです!」と元気に答えた。
「買う、って――」言葉尻を捕まえた質問を繰り返すと、エリザは指輪を細い指に通し、口を開いた。「あの娼館をです♪」
燭台の炎は揺れていないのに、橙火の輪の淵が揺らめいた。まるでその灯りが最後の砦かのように、光と闇の攻防が続く。やがて黒い塊が輪の一部に食い込んだかと思うと、それは人の形となり、光の領域を大きく侵食した。
「――ようやく私の出番ってワケね」
それは〈サキュバンク〉の代表・サキュバスであった。
腰に手をやり、気だるそうに亜麻色の髪を掻き上げながら、人間たちを見据える。
「ようこそいらっしゃいました」
「私をここに留めた用件は何かしら? ここは管轄が違うから、必要以上に長居するとややこしいことになりかねないのよ……ってか、もう用件は分かってるんだけどさ」
「あら、では話が早い――」
「お断りよ」
まさかの返答だったのか、エリザは呆気にとられた。
サキュバス腰に右手をやって、小さく息を吐いた。
「正しく言えば『無理難題』なの。さっきも言った通り、ここの管轄が違う――よそ者であるサキュバスが行けば、連中に侵略かと捉えられかねないのよ」
「そう、なのですか……」
「だけど――ある方であれば、恐らく可能でしょう。だから、お金の輸送だけはしてあげるわ」
「ある方、とは?」
エリザが小首を傾げると、サキュバスは無言で入り口の扉を指さした。
『ここでオレ様の出ば――おいっ、鍵かかってんぞ、オイッ!』
ガチャガチャと金属の閂を打ち鳴らす音と共に、『カッチョよく出れねーじゃねェか!』との叫びが、空しく響き続けた――。




