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2.薬と娼婦

 ルムタンの町に到着するとすぐ、エリザは病院に向かうと告げた。

 町と言えど、要塞町・レスカンドを管理する領主が住まう地だけあり、都のように大きく、また人もたくさんいる。しかしレスカンドのような活気がなく、どこか重い空気に落ちているのは、広がっている病気のせいだろうか。

 道行く者がみな、口元を覆っている姿が、その暗い印象を増幅させた。

 ジャミルもそっと〈ニカーブ〉の口布を上げ直した。ダリアのものを借りている。布に染みついている匂いが、不安な気持ちを落ち着かせてくれた。

 病院は町の西の外れの方にあった。居抜きとなった宿屋をそのまま使用しているのか、入ってすぐの場所に、受付カウンターが設けられていた。

 外観とは想像もつかない、明るい板張りの受付。そこに満ちるのは、良い印象のない薬品の臭い。そして、殺気立った女たちが受付に詰めかける――。すべてがチグハグだった。


「ちょっと、ナイマが熱で苦しんでるのよっ! なんで優先してくれないのよ!」

「患者に順番なんて言ってる場合じゃないでしょ! 早くハルン・アラードを呼びなさいっ!」

「こっちも一刻を争うの!」


 肩の滑らかなラインを露わにした一枚布のドレス身を包む女たちは、今にも暴れ出しそうな剣幕で受付の女に迫っていた。


「そ、そうは言われましても、もうベッドに空きがなくて……順番が来たら先生が向かいますからぁ……」


 受付の女は仰け反り、泣き出しそうな顔をしていた。

 するとその横から、エリザがにゅっと顔を挟み入れる。


「何だいアンタ、割り込みするんじゃないよ!」

「凄く不条理なこと言われてる気がします~……」


 エリザは受付の女に顔を向けた。


「私、ブアーラのムフタール・ハキム・シナンの遣いとして参りました、妻のエリザと申します。夫より、ハルン先生への届け物を申し使っておりますので、取り次ぎをお願いできませんか」

「は、はいっ! 少々お待ちくださいませぇっ!」


 言うなり、助け船に暴風の追い風を与えたような勢いで、診療所の奥に向かった

 それからしばらく、詰めかけていたお姉さんに睨まれる中、受付のお姉さんは穏やかな水面を漕ぐようにして戻ってきた。


「奥のお部屋にどうぞー」


 となれば、抗議の声を背に受けるのは必至だった。

 女の人のお腹の中には、これほど汚い言葉を貯め込んでいるのか、ジャミルは肩をすくめて歩き続けた。隔てるものがない廊下が恨めしく思う。


「奥方への暴言は許せないのですが……」

「構うな。激情的な女に効く薬は、幻覚剤か眠り薬しかない。反論なんてしようものなら、千の金切り声になって返ってくるぞ」


 バンシーを相手にする方が楽だと、ダリアはため息を交じえながら続けた。

 エリザも同じなのか、完全にどこ吹く風のまま突き当たりの扉の前に立つと、折り曲げた人差し指と中指の第一関節で扉を叩く。コンコン、と軽く堅い音が廊下に響く。

 するとすぐ、中から『どうぞ』と、声がした。

 エリザは扉を小さく開くと、身体を滑り込ませるようにして部屋へ入った。ダリア、ジャミルとそれに続く。

 するとすぐ、薬品の強烈な臭いが突き刺り、ジャミルはたまらず顔をしかめた。

 室内には様々な本や書類などで雑然としている。その中央に、白い頭巾を被った褐色肌の男が手を広げて立っていた。


「ハルン・アラード様、ご無沙汰しております」

「とんでもない! 普段から連絡もせず、ペンを取ればこのような無心の内容ばかり……まこと、お恥ずかしい限りでございます」


 ハルン・アラードと呼ばれたおじさん……いや、おじいさんは、申し訳なさそうに頭を振った。


「いいえ、頼りがないのは元気な証拠。それにこの大陸中に病院を建て、医術を広めようと奔走されているのですから。むしろ、お金を出すことしかできない我々が歯がゆい思いをしているところです」

「何とありがたい言葉……神はまことによき方々と引き合わせてくれました。……して、イアン・ブルバイタールの薬は――」

「ええ。こちらに――ジャミル」

「は……はい!」


 目配せを受け、ジャミルは慌てて薬瓶を取り出した。

 落とさぬようしっかり握りながら奥方に差し出す。手のひらより少し大きな瓶なのに、これだけでとんでもない値がつくと言うのだ――。

 薬瓶がハルンに渡る。するとしばらく、ハルンは感慨深い目でそれを見つめ続けた。


「――これで患者たちの苦しみも、町の不安も和らぐでしょう」

「この町の病気は、そんなに酷いのですか? 入り口でも、大変な騒ぎになっておりましたが……」


 先生は薬を机に置くと、浮かない顔で横の壁を見つめた。


「入り口にいた女たちは、この町の反対側にいる娼婦たちです。町の病は彼女たちから広まったと考えられております――劣悪な衛生状態がそれを後押ししたんでしょうな。最も大きな被害者なのに、町には彼女たちを診療することを快く思わない者も多く……」


 男だけでなく病魔にも犯され続けている、と続ける。


「あと半年、いや三ヶ月の間に薬が増産できねば、病院裏の“寝床”が足りなくなるでしょうな」

「まぁ……」


 エリザは驚きと落胆が混ざった声をあげた。


「早急にどうにかしなければなりませんが、領主・ハンズール様はこれを何と?」

「それが実は……」言いにくそうに口をモゴモゴさせると「此度の騒動は、ハンズール様に原因あるのです」

「それはいったい……?」

「薬と病は言わば、善と悪、天使と悪魔と言って差し支えがないと考えています。人は光に安寧の温もりを感じますが、それは時に闇が姿を変えている――ハンズール様はこの町に病を拡げ、その治療薬で一儲けしようと企んでいるのです」

「な……っ!? そ、それは真なのですかっ!?」

「確たる証拠はありません。ですが、治療薬の被検体は娼婦たちを使うように指示したこと、治療薬が完成すればその権利を買い、薬が売れたお金で“援助”をしようと持ちかけられた時、これは何かあると気づいたのです」


 思えば、娼館に対しての徴税を強めて衛生環境を悪化させるなど、“前準備”をしていた動きがあった、と言う。

 これにはエリザも信じられない様子で、口を開いたまま唖然としていた。


「エリザ様。病気に備え、この薬をいくつかお持ちになってください」

「え……わ、私は健康ですし、この分はせめてあの女の人たちに――」


 言いかけ、「あ!」と声をあげると、ハルンは優しく微笑んだ。


「なるほど……分かりました」

「朝昼晩、食後に服用してください。食事はしっかりと、食欲がない場合は粥にすり下ろした生姜を入れてください」


 一人三包み、計九包みの薬を受け取ると、エリザは引き締めた顔をこちらに向けた。

 ジャミルの背筋が自然と伸びる。


「ジャミル。〈サキュバンク〉の方がお越しになったら、しばらくここに留まるよう伝えてください」

「分かり――承知致しました」

「そしてダリア。この町を調査し、同時によさそうな土地も探してください」

「は――っ、仰せのままに」


 それぞれが頭を下げると、ハルンは驚いた表情をエリザに向けた。


「い、いったい何を……?」

「ふふっ、ちょっと大きな買い物をしようかと思いまして♪」



◇ ◇ ◇



 その頃、ブアーラ国・ムフタールの屋敷では――。


「――と、言うことなので、ディナル金貨1,000枚よろしくお願いします」


 空間を歪めながら〈サキュバンク〉のサキュバスが謁見の間に現れ、“レスカンドの合同葬儀費”と称した代金の請求を行っていた。


「お、おぉ……」


 ぴっちりとしたスーツ姿のサキュバスに、対峙しているムフタールは思わず鼻の下を伸ばしていた。サキュバスにとっての賛辞ではあるけれど、今は仕事が立て込んでいる。


「この後、エリザ様に会いにゆく予定です」

「はっ!?」その言葉に、ムフタールは冷や汗を噴き出させ「マクタバッ、すぐに金を!」と命じた。


 マクタバは「ムスコが生き返りそうな女子(おなご)ですなぁ」と、スケベな笑みを浮かべ、のったりとした足取りで入り口にまで向かった。

 しかし、そこから先へはゆかず誰かを呼んで、通路の向こう側を指さす――それから踵を返し、サキュバスの後ろにある椅子に腰掛けた。視線はタイトスカートの曲線に向いている。

 サキュバスは小さく、呆れたため息を吐いた。


 ほどなくして、「お持ちしました」と若く可愛らしい女の声がした。

 メイド服を着た褐色肌の少女が、両手に白い革袋を抱えて入り口に立っている。


「おお、ルディナ!」


 ムフタールの明るい声に、サキュバスは小さく片眉を上げた。


(ルディナ……へぇ、これが、あの坊やのね)


 サキュバスは品定めをするように、目線を下から上に動かしてゆく。

 金貨袋を軽々と持ち上げる力もあり、器量も備えているようだ。それに“上玉”になる可能性が高い――。


「なかなかやるわね」

「あ、ありがとうございます」

「貴女のことじゃないわ」

「がーん!?」

「女が女を褒めるわけないじゃない」


 右手でひょいと金貨袋を持ち上げると、サキュバスはルディナの小さく尖った顎に指をかけ、くっと持ち上げた。


「それと――男と女の関係に、“安泰”なんて言葉はないわよ?」

「え……?」


 サキュバスは不敵な笑みを浮かべ、


「貴女のカレシは、“魔の手”を振り払えるかしら」


 そう言い残し、空間の歪みの中に消えていった――。

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