8.ブラックマーケット
ちゃんとした金貨袋を手にすると、サキュバスは「店に向かいましょう」と言った。
それについて歩く一行がやって来たのは、街の南東側のブロックであった。そこはまだ昼間だというのに、日暮れ時のように暗い。視線の果てまで目を凝らしても、人影らしいものはまるで見当たらない場所だった。
建物の多くが何らかの店舗であるようだが、今も商いをしているのか分からない。
ブロックの中央付近・廃墟となった大きな屋敷の前までやってくると、サキュバスの足がピタリと止まり、一行と向き直った。
「遅ればせながら、我が〈ブラック・マーケット〉にようこそ、ご婦人がた――。こちらがその本部、我が店でございます。ここでは、お金から精液まで、また企画や魔の手まで扱っております。ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます」
これまでとは打って変わり、妖しい微笑みと共に恭しく頭を下げる。
ボロボロの玄関扉を押し開くと、「どうぞ」と、営業的に手を差し向けた。
建物の中は外観の印象のまま。蝶番の寂しげな音が、閑散とした雰囲気をいっそう際立たせた。
まず視界に飛び込んできたのは、大きい受付カウンターと三つの丸椅子だった。
右横には隣の部屋へ続く開口部あり、そこからは丸テーブルが四つほど、それぞれ椅子が四つ置かれている。談話室のようにも見えた。
(もしかしてここ、どこかのお屋敷を改装したのかな?)
ジャミルは反対側、左横の二階へ続く階段を見ながらそう思った。
壁際には見たこともない紫色の観葉植物のポッドが置かれており、この建物の中で唯一、生命を感じさせるものだった。
部屋の中は埃っぽく、隅の方にはクリーム色になった埃まで堆積している。
ジャミルはこれに、身体の疼きを覚えてしまう。
――掃除したい
清掃に関してエリザに厳しく教えられているため、こう言うのを見ると落ち着かなくなるのである。
「ふふっ、掃除したいならお願いするわ。でも箒がないから、納屋にある毟り取った天使の羽を使ってね」
「いっ……!?」
ジャミルは驚きの声を発した。
「あら、そんなのがあることが意外? 人間が狩猟で生計を立てるのと同じで、その獲物は天使なのよ」
「ほ、本当にいる、んですか……?」
「悪魔がいるんだから当然じゃないの。……とはいえ、天族側の天使は別物だけどね。ああそうだ、天族の手やおっぱい、腰ならたまにマーケットに並ぶから、気になったら足を運んでみてね」
「え、遠慮しときます……っ!?」
あら残念、とサキュバスのお姉さんは笑みを浮かべた。
場の空気が少し和んだのを見て、エリザは声を明るくしながら口を開いた。
「先ほど、企画が~って言ってましたよね?」
「ええ、街を混乱に陥れる工作とか、色々承っておりますよ」
「では、このお金を使って、街をあげて宴をあげることも可能ですか?」
「大騒動を起こす、との意味合いでなら受けられますが……。しかし、そのお金ではせいぜい店一つ貸し切るのが精一杯です。それに面倒くさ――いえ、我々がする手間を考えると、個人で動いた方がはるかに楽かと存じます」
「お金ならありまぁっす♪」
奥方は満面の笑みでそう言うと、サキュバスのお姉さんは「そうだった……」と下唇を突き出し、不承不承にそろばんの珠をパチパチと弾き始めた。
その間に、期間や内容、責任者に金の出所・名前を出すか訊いてゆく。
「期間は三日三晩にしましょう。内容は食べて歌って、死んでいった冒険者を楽しく弔うものにしてください。それと名前は匿名で、お金の出所だけ公表でお願いします♪」
「ああ、はいはい……」面倒くさい、と聞こえたのは空耳ではないはずだ。
エリザが匿名にしたのは意味があった。この大陸の寄付などにおいて、提供者は売名行為をしてはならないとされている。名を出してよいのは、他者に寄付の意識を強める時だけに限られ、今回のケースでは『金持ちの道楽』と見られないための配慮だった。
「それと、紹介して下さったのはライムさんだと思うのですが、今どこにいるのですか?」
「ライム……? ああ、あの方なら、ファルスの村に行くと言ってましたよ」
「ファルス、ですか~?」
いったいどうしてと小首を傾げたが、サキュバスは黙って見積もりを続けていた。
◇ ◇ ◇
ファルスの村の近郊・放牧地では、羊たちがのびのびと牧草を食んでいた。
ゾンビがいなくなったことで長く放牧することができ、豊富な牧草に毛並みもよい。
その穏やかな風景を肴に、葡萄酒をあおる者がいた。赤茶色の〈ガンドゥーラ〉が特徴的な金髪の男・エリオットである。
先日のゾンビ迎撃戦での働きで、村の一員として認められていた。
馬と羊の放牧を任されるほどの信頼を寄せられているが、これは戦争の働きによることよりも、この地に根を張る決心をつけた伴侶によるものが大きい。
エリオットは一つ息を吐き、空を仰いだ。抜けるような青空を見ていると、つい先日まで生死の狭間を歩いていたとは思えなくなってくる。
――剣も錆びるか
ゾンビを討伐してからと言うもの、何か憑き物が落ちたかのようであった。
尤も、完全に消滅したわけではないので鍛錬は欠かさない。……が、どうにも目的を失ってしまった気がしてならない。
近く、死んでいった仲間の墓を建てよう――そう思った時、急に羊たちが騒ぎ始めた。
エリオットはハッと顔を戻した。
狼だろうか。目を凝らしてその方向を見据える。
だがそれは、狼などではなかった。
「青い、フルプレート……重装歩兵か?」
重鎧を纏っているが、まったく重さを感じさせない足取りだった。
たった一人、羊を奪いにきた様子ではないが、こんな酷な環境の中、わざわざ鎧を纏ってくる酔狂な者はいない。
エリオットは剣の柄に手を添えながら、羊を掻き分け、その者の方に近づいてゆく。
「――そこの兵よ、止まれ。この地に何の用があって参った」
柵越しに手を突き出すと、青い鎧の者は足を止めた。
「困っているのなら手を差し伸べてやらんでもないが、相応の格好をしてから出直して参れ」
すると、青い鎧の者は、「ハッハッハッ」と、大きく笑い始めた。
「何がおかしい」
「いや、『手を差し伸べてやるのはこちらの方なのによ』と思ってな」
それは、ライムであった。
馬に乗ってこなかったのか、足は草の汁で緑色に染まっている。
「なに?」眉間に深いシワを寄せると、ライムは左手にはめられた四つの指輪の一つを抜いた。「――お前にもう一度、目的をくれてやろう」
「不要だ。私にはもうすでに手に入れてある」
「安寧か? 大敗を喫し、そこでお前さんの戦争は終わったか?」
エリオットは一瞬息を呑んだ。
そしてその鉄兜に、人の存在がないことに気づく。
「まぁ、そんなに身構えるな。別にオレ様と契約を結べと言うわけでもねェ、ただあるご婦人たちのために、兵隊を用意してもらいてェのよ」
「あるご婦人……?」
「お前がいま頭に浮かべた女だ。あれが人の妻なのが勿体ねェ……むっちりしたあの身体はたまんねェ」
エリオットはたじろぎ、頭をぶんぶんと振った。
「ってなワケで、ヨロシク――騎士団長サマ」
拒否権はねーから、と言うと指輪を投げ渡し、そのまま背を向けてきた方向を戻り始めた。
反射的に受け取ってしまったエリオットは、手のひらの指輪に目を落とした。
指輪は白く、よく見れば骸骨の顔が掘られている――。




