5.ゾンビと女は似ている
昼前に街を離れ、馬に揺られること数時間。空は茜色に染まり始めていた。
刺すような日差しは緩まり、ほのかに海の香りがする風が心地よい頃のはずなのに、今はただ生ぬるく、寒気を増させるだけものとなっている。草木が不気味に揺れ、ジャミルは小さく身震いした。
まさかの、“討伐隊の討伐隊”である。ライムさんは元からそのつもりで、ダリアさんともその方向で話をしていたらしい。――なので誰も反対の意志を見せなかった。
こうなっては仕方がない。ジャミルは腰に携えた剣を確かめるように、柄をぐっと握った。
するとライムが顎をしゃくり、ジャミルを見た。
「おい、ガキんちょ。剣より“男の剣”を握れよ」
「ちょ、ちょっと……!?」
「なーに顔を赤くして恥じらってんだお前。イチモツをおっ立て、向こうにいる女ゾンビのケツ見ながらシゴくぐらいの気概を見せろってんだよ」
ハハハッと笑うライムに、エリザたちも何も言わないため、ジャミルは余計に恥ずかしくなった。
つかの間、馬の蹄の音と、ライムの鎧が擦れ合う音だけが響く。
「戦の前に女を抱くな、なんて言うが、ありゃ嘘だと思うね。死に微笑まれた奴は、何をやっても死ぬ。そういう奴が今際の際で後悔し、女のヌメりを渇望ながらくたばるから、精霊に取り憑かれてゾンビになんだよ。――お前さんの様子からして、女を抱いた経験どころか、裸すら見たことねえな?」
「うっ……そ、そんなの、結婚してからじゃないとダメですよっ」
「乙女か!」
ジャミルは堪らず顔を俯かせた。
まるで見たことがないと言えば嘘になるが、確かにゼロに等しい。こちらにやってきたばかりの頃、エリザの着替えをチラりと見たとかその程度である。
「その者の言うことも一理ある」ダリアが頷く。
予想だにしない言葉に、ジャミルはハッと顔をあげた。
「やると決めた時に力を発揮できるのが男だ。小便に難儀しそうなほど縮こまらせているようでは、まだまだ未熟と言えよう。まぁ、以前のような魔物との戦いを重ねれば、必要以上の不安も感じなくなるだろうが」
「ん? こいつ獲物仕留めたことあんのか?」
「グーラーならある。後はゾンビを数体だな」
「ほー、ガキにしちゃまずまずの成果じゃねェか」
今度は照れから俯いてしまう。
するとダリアは「しかし」と、ライムに目を向けた。
「お前は魔物だろう? 同族と戦っても平気なのか?」
「オレ様は魔物じゃねェよ。魔人だ、ま・じ・ん」
「魔人……? あの、《イフリート》や、壺や瓶に封じられている精霊の一種か?」
「んー、“目に見えず、触れ得ないもの”って点で見れば精霊か? 気づいたら、オレ様の身体がどこかに消えちまっててよ、ちょうどいい依代になりそうな鎧を見つけたから憑依したってわけよ」
ダリアさんは「なるほど」と、得心したように頷いた。
鎧の持ち主・アビゴルにしては言動が軽いが、その鎧に憑依した精霊であれば納得できる。
ライムは魔術などに精通し、錬金術の研究を行っていた記憶もあり「術を失敗したのかもな」と言い、笑った。
また腰に掲げていた剣は「落ちていた」とのことである。
「あ、そうだライムさん。剣に〈聖剣〉を力を付与しておきますね」
ジャミルが思い出したように手を伸ばすと、ライムは慌てて上背を反らした。
「まてまてまてまてっ、今やるな、やるな! オレ様が分離して消滅しちまう!」
「え? あ、そ、そうか! ……だけど、普通の剣だとゾンビは斬れないのでは?」
「心配いらん。ゾンビは完全に不死ってわけじゃねェし、オレ様にはコレがある」
「指輪……ですか?」
ライムは左手の甲を見せ、中指だけを立たせた。
ドラゴンの爪のような小手の根元に、赤い指輪が光っている。薬指と小指にもあるが、親指と人差し指にははまっていない。
「オレ様の傑作〈コールリング〉だ。中指のこいつは、火でも雷でも発生させられる」
ぼっ、と火の玉が浮かぶ。周囲が藍色に染まり始め、橙色の光の輪が綺麗に映えた。
手から剣にそれを纏わせれば、たちまち〈魔法剣〉になると話すと、ジャミルは男の子らしく「すごいっ!」と目を輝かせた。
そして、こう言うのを見たら……と、その人物に目を向けた。思えば随分と静かだ。
「奥方、随分と静かですが――」
「くー……くー……」
馬の上なのに、船を漕いでいる。
「……このマダム、普段から目開いてんのか?」
ライムさんの疑問は、恐らく関係者全員が抱いている疑問だ。
奥方の糸目は白い部分が見えず、常に目を閉じているように見えるのである。
「見えていないのではないか、と思う時は多々ある」
「……でも、しっかり見えているんですよね」
しばらくそのまま寝かせることにし、一行は東の砦が望める場所でキャンプを張った。
ジャミルも疲労を感じ、この日は早めに寝袋に入ることにした。
そして空気がまだ冷たい頃、ジャミルはムクリと起き上がり、寝ぼけ眼のまま眼前の火を見つめた。
火の番はライムさんがしていたらしい。青い鎧に橙色の光がチラチラと踊っている。頭をぐるりと回しダリアさんを探してみたが、見える範囲にはいないようだ。
「何だガキんちょ。出発までまだ時間があるぞ」
「奥方の朝の準備をしなきゃいけないんです。ふぁ、あ……お湯を少し頂きますね」
火の横に置いていた鍋のお湯でコーヒーを煎れ、軽く濡らした手ぬぐいを火の近くで温める。
「――奥方、朝でございます」
「うぅー……」
小さく唸る奥方に手ぬぐいを渡し、それで顔を拭っている間にパンを用意する。
その頃には奥方が顔を拭い終わっているので、手ぬぐいと交換するようにコーヒーを手渡す。
今度はそれを啜っている間に、鉄串に刺したパンを炙る。軽く焦げ目がつき芳醇な香りがし始めたら完了だ。皿にパンを載せ、鞄からジャムの小瓶を添えて奥方の下へと運ぶ。
「本日はあんずのジャムです」
「ひゃーい……」
エリザは相変わらずぼうっとした顔である。ゆっくりとした手つきでジャムをパンにつけ、小さく齧りつく。モムモムと口を動かしている間に、エリザが使用していた毛布を畳んで鞄に仕舞い、傍らに鎧を置いておく。朝の支度はここで一段落となる。
ライムはその様子をじっと見ていた。パチっと火が跳ねる。
「――執事とは何たるや。オレ曰く、それすなわち“嫁いらず”のことであーる」
「あ、あはは……確かにそうかも……」
藍色の空気が次第に透明度を増してゆく。昨日は暗くて分からなかったが、周囲は大小様々な岩が突き出ていて、遮蔽物となりそうなものは少ない。目線を少し上げると、空と海と大地が一度に見渡せる。その境目に建造物の痕跡があった。
風は正面から吹き流れ、どこか腐臭が混じっているようにも感じられる。
馬はそのまま繋いでおき、徒歩で目的地に向かう。ダリアはその少し先で見張りをしており、合流すると「遺跡の方で灰色の輪郭が蠢いている」と砦を睨み、「しかし数は多くない」と続けた。
「他は棺桶で眠っている、みたいなものですか?」
ジャミルが訊ねる。
「地下に押し込めているのだろう。連中は女と同じで、古株になるにつれ日光を嫌うようになるからな」
ダリアは笑みを浮かべて答えた。そしてすぐに顔を引き締め、砦の方を見やる。
「――だから、来客を出迎えるのは新入りの仕事だ」
砦の方から現れる人だかり――客は神様から与えられた“機会”であるが、彼らの来訪者を歓迎する姿勢は、主の喜びのためのものではないようだ。




