3.ライム様登場
静まりかえったギルドの中で、奥方のご機嫌な鼻歌だけが響いていた。登録証を胸の前で持ちながら、部屋のあちこちを調べている。
そんな後ろ姿を見ながら、ジャミルは力なくうな垂れていた。
手には【ジャミル・ハディン・シナン】と書かれたカードが一つ。
ついでに、とエリザに登録されていたのである。
「うう……どうして僕まで……」
この登録証は身分証代わりにもなると教えられたが、身分証なしで登録できるものが証となることに、ジャミルは疑問を抱く。
カードの中には、登録された街の名、受けた仕事の内容を書く欄があった。まだ受け取りたてなので、そこには【レスカンド支所】としか書かれていない。
ジャミルは嫌な予感がした。
「うーん、何か寂しいですねぇ……」
奥方がそれを見ながら、不穏な言葉を発したのだ。
ダリアさんのを見せてもらうと、擦り切れ黒ずんだカードにはびっしりと文字が書かれ、そのあちこちに“朱印”と分かる、赤い丸印が押されてあった。
「これは確か二枚目だな。一枚目は真っ赤だぞ」
と、言うので、ジャミルは二度驚かされる。
案内してくれたお姉さんが『ファティマ』と呼んだのは、ダリアさんの登録名が【ファティマ】となっているからである。これが本名なのか、偽名なのか訊ねることはできなかった。
じっとそれを見ていると、ダリアさんが声をかけてきた。
「ところで、ジャミル。宿は取れたのか?」
「はい、滞りなく。四人部屋を取っています」
するとその時、ジャミルは「あっ!」と、思い出した。
「そうでした。ゾンビはこの東の砦を根城にしており、ギルドは専らそれに関する依頼ばかりのようです。それとルムタンは、娼婦が病気に冒されており、頼まれた薬は恐らく――」
「ジャミル」
ダリアの目に、ジャミルは「あっ」と、咄嗟に口を塞いだ。
そこで身を縮めていた男の人たちが顔を上げ、奥方もまた身体ごとこちらに向いた。
「なら、せっかくですし――」
「行きませんし、行かせませんよ」
ダリアさんが先手を打った。
「えぇ〜……。いよいよ、ゾンビ退治の佳境にですのにぃ……」
「目的が違っています。我々の目的は、旦那様の依頼をこなすこと。ゾンビ退治の依頼を受けたわけではありません」
「むぅぅぅ、討伐に行きたいですぅ……。そこに、参加者を募る貼り紙もされてますし」
壁に貼られた真新しい依頼書を指さす奥方に、カウンターにいたおじさんが「それはもう定員に達したぞ」と言った。
「討伐隊への参加は、ついさっき締め切った。妙な甲冑姿の奴も、それで退散して行ったんだ。あれは厄介……いや、あんたたちより腕が立つ。次の募集まで待てねぇってんなら、冒険者たちの“お世話役”としてなら参加させてやってもいいぜ。ぐへへ……」
女にしか出来ない仕事だからな、とニタニタと不快な笑みを浮かべながら続ける。
これにダリアは目を座らせ、小さく息を吐いた。
「これは仕方ありませんね。定員以下はあれど以上の募集はまずありませんから。さぁここで一日休んだら、すぐに出発しますよ」
奥方は「うー……」と憎々しく唸るが、これにはジャミルも納得するしかない。
冒険者ギルドにやってきて分かったことなのだが、冒険者と奥方は、明らかに住む世界が違う。彼らは今日生きられたことを喜び、隣り合わせの死を考えぬよう、酒場などで身を寄せ合って生きる。
ここで軸になるのが、〈お金〉という存在だ。
彼らにとってのお金は、“生”を買うために存在する。壁などに貼られている“仕事”の報酬はどれもチンケなものだが、生きていることを実感するための通貨を求め、支払い続けるのだ。
しかし、奥方はそれを知らない。
なぜなら、“支配者と奴隷”――心の赴くままに行動できる、支配者側に立つ人だからだからだ。
「奥方、ダリアさんの言う通りです。道を急ぎましょう」
「ふぇぇん、ジャミルまで裏切りました~……」
「僕は奥方の執事ですから」
最善の方法を取らせるのも仕事である。
そう言おうとした時――ギルドの扉が突然、バンッと勢いよく押し開かれ、一人の音が転がり込できた。床の上に両手をつき、ぜえぜえと肩で息をしている。その顔は真っ青で、鬼気迫るものを感じた。
真正面に立つギルド職員が「確かおめぇは、さっきの……」と目を丸くした。
「いったい、何があったんだ」
「は、ハリルたちが、や、やられた……ッ!」
「ハリルたち――」ギルドのおじさんは、手元の何かを確認すると「まさか、一緒に討伐隊に登録した連中か!?」
「そ、そうだ……! 妙な、青い甲冑の男が、い、いきなり立ち、塞がって……!」
息を切らせながら話す男に、ギルドのおじさんが「青い甲冑……まさか!」と、確信めいた声をあげる。すると、まさに言葉通りの格好をした人が、開け放たれたままの入り口に、ぬっと姿を現した。
「ひッ……!?」男が悲鳴をあげ、床に尻をつけたまま後ずさりしてゆく。
青い甲冑。故郷・エウロ大陸の高位騎士を彷彿とさせる、板金鎧に身を包んでいた。
逆光でよく見えないせいか、ジャミルは恐怖心を抱かなかった。
すると、ダリアはさっと腰の剣を引き抜き、エリザを後ろにやった。
「ジャミル、奥方をつれて下がれ! こいつは魔物だッ!」
「え……」
ジャミルだけでなく、その場にいた全員がどよめいた。
「魔界の軍団を率いた将・アルゴルの鎧――色こそ違えど、その鎧は確かに奴のもの! 最近、天族の博物館から喪失されたと聞いていたが……!」
ダリアがそう言うと、甲冑の男がわずかに頭を動かした。
「……え、それマジ?」
「……は?」
ダリアは頓狂な声をあげた。
「アイツのかよ!? どーりで、腋が臭ェはずだ! おい誰か、デオドラント持ってねェか!」
見た目に反して随分と軽い口調に、皆が呆気にとられていた。
そんな中で、奥方だけはまったく動じず(何も考えていないだけだが)、「バラの香水ならありますよ~」と声をあげた。
「お、いいねェー。オレ様、フローラルな香り大好きよ」
「奥方ッ、引っ込んでいてください! こいつが何者か分かっていないのに、近づくのは危険です!」
ダリアさんが強い口調で言うと、
「オレ様が何者か分からない? ハッハッハ、そんなこと知っても何の意味もねェ! なんたってオレ様は――あれ、何だっけ? まぁ何だっていいや、好きなように呼べ」
甲冑の男は、一歩前に歩を進めるとギルドのおじさんに目を向けた。
目と言っても頭を覆う鉄兜から、顔らしきものが一切見えず、細いY字のスリットからは混沌のような闇が覗いている。関節部分など、ところどころ真っ黒に見えるのは、影なんかではない。鎧の中に、闇が詰まっている――。
「ひッ……」
「さっきの討伐隊の枠、三つ空いたはずだ。オレ様が参加できるだろ?」
「え!? で、ですが……あ、ああ! 枠が余分にできちゃうのはマズいから、やはり――」
「枠が余るゥー? んなもん、どっかから適当に――お、そうだそこのご婦人、暇してんならゾンビ退治に行かねェ? オレ様が面倒見てやっからよ」
思わぬ誘いに、エリザはパッと顔を明るくした。……が、すぐに曇らせる。
「是非とも行きたいのですが、他につれて行きたい者がおりまして~……」
「奥方ッ! 行きませんよッ! さあ帰り――」
「ひいふう……ああ、そのガキんちょもそうか。えぇっと、じゃあ後一つだな」
甲冑の男がそう言い、腰から剣を引き抜くと、転がり込んできた男の人に身体を向けた。
「な、何をっ、や、やめ……ッ!?」
ヒュンッ――と音を立てた直後、小さな呻きが部屋中に響き渡った。
「これで枠は四つ空いた」
ぶ厚い剣は床に、人間の喉を串刺しにして突き刺さっている。
誰もが言葉を失い、赤い池が広がってゆくのを静かに見守るしかできなかった。
「――どうだ? その役立たずより使えるはずだぞ?」
「ひ……わ、わかりました! お、おお、お名前は?」
「名前? あー、何にすっかな……。まぁ別に何でも構わねェが。んー、よしっ、耳をかっぽじってよく聞け。オレ様の名は――」
すると、それに奥方がパンッと手を叩いた。
「私、ライムが好きなので、ライムさんって呼びますっ♪」
「――あ、はい。それでいいです」
甲冑の男の名前は、ライムさん(?)らしい。




