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10.村の防衛戦(決着とその後)

 ()()は機会を窺っていた。自ら墓穴から出てきた“餌”を食べるのを我慢し、新鮮な、小さく若い少年を口にするこの時を。


「さァ、ワタシにィィィ――ッ、柔らかい肉ヲォォォッ!!」


 革のベストにしっかりと爪を突き立てている。ジャミルは必死で腕を伸ばすが、長さが違いすぎる。牙を近づけまいとする姿を見て、()()の食欲が一段と増したように見えた。


「うわああっ、や、やめッ、た、助けてえぇぇぇ――ッ!!」


 ジャミルにはどうすることもできず、必死で周りに助けを求めた。

 その声がどこまで届いたのか不明だが、扉の向こうへ届けるには十分だった。


『ジャミルッ!? どうしたのですッ、ジャミルッ!?』


 どんどんと扉を叩くが、外から施錠されているため開くことができない。

 鍵はポケットにある。しかし、ベストに刺さった爪を引き抜き、鍵を二つ解錠している間に、牙が突き立てられているだろう。

 いや、それよりも、いくら窮地であっても扉の鍵を開くわけにはいかない。


「い、いえッ、な、何でもありませぇんッ!」


 酷く情けない声になってしまった。

 執事として、男として、主君に助けを求めるなんて情けないことはできない。

 しかし――


「イイコ、イイコォォォォッッ!」

「ぐ、グールなんてどうやって倒したらいいの……ッ!?」


 魔物の正体――それは、グールの(メス)だった。

 正しくは〈グーラー〉と呼ばれている。グールは死体を食す食屍鬼であり、スカベンジャーに近い魔物だ。第一声に『あなたに平和を』と挨拶すれば襲ってこなくなるが、今となっては手遅れである。親切にすればそれに応えてくれるが、欲求はそれをも上回るのだろうか。


「う、ぐゥゥゥ……ッ!」


 これが魔物の力なのか。 グーラーの力は強く、馬乗りにされている状態では身体を揺り動かすのが精一杯だった。それによって、肩にかけていた乳房が目の前にだらりとぶら下がった――。

 この状況を切り抜ける方法は、たった一つだけ、ある。しかしそれは、あまり……と言うか、絶対にしたくない方法だ。


「うっ、ブッ!?」


 乳首が口元で揺れ、ジャミルは唇を硬く閉ざした。

 グールは精霊(ジン)が死体に取り憑いたものとされており、精霊(ジン)にはそれぞれ、人間のような性格を持っている。

 目の前の()()はきっと、母性が強いタイプなのか、“窮鳥懐に入れば猟師も殺さない”ような、情に弱いタイプなのだろう。グーラーは、そっと唇の上に乳首を乗せてきた。

 切り抜ける方法――それは、彼女の乳を吸うことなのだ。彼女(グーラー)の子供となることで、乳兄弟として他のグールからも襲われなくなるのである。


「さァ、ワタシの子におな――?」


 グーラーが頭を上げたと同時に、ぶんと低い風切り音がした。


「ギャア――ッ」ゴッと鈍い音がし、絶叫のような悲鳴が起きる。


 直後、ジャミルの身体がふっと軽くなった。グーラーが転げ落ちたのだ。

 仰向けに横たわったまま、天と地が入れ替わった視界の中で、茶色の革鎧を着た人がそこに立っていることに気づいた。

 一番出てきちゃいけない人が、一番持っちゃいけない物を持って出てきた。

 ジャミルは『助かった』と、思うよりも先に、そう思った。


「――ジャミルは私の子です! 他の誰の子にもさせませんっ!」


 そこに立っていたのはエリザだった。手には、こん棒の先端にエグい棘が飛び出す鉄球がついた〈モーニングスター〉が握られている。


「お、奥方っ……!? ど、どうして……」

「実は石工の方に頼んで、壁に抜け穴を造って頂いてたのです♪」


 金貨三枚でしてくれました、と悪びれもしない。

 ノミとトンカチを持っていたのは、手にしている武器を隠すためか。本当に油断も隙もない人である……。

 ジャミルは立ち上がり、地面の上でうずくまるグーラーを見下ろした。

 左目付近が痛々しいまでに砕けているようだ。奥方の持つ〈モーニングスター〉の棘には、赤い血がべったりと付着しており、ところどころに肉片もこびりついていた。


「あ、ぐァ……ヨ、ヨクモ……ヨクモ……ッ!」


 グーラーはよろよろと立ち上がると、憎悪に満ちた目をエリザに向けた。

 立っているのもやっと、ではない。グールは不死身で、頭や手足を切り落としても蘇るのだ。

 火で焼くか聖水で浄化すれば倒せるが、エリザが手にしているは得物は〈聖剣〉の力を帯びていない。

 目の前にいるグーラーの陥没した頭は、みるみる内に治ってゆく。


「――こ、こうなったらっ!」


 ジャミルは腰の剣を引き抜き、構えた。

 奥方の短刀の他に、〈聖剣〉の力を帯びた剣は他にない。

 聖なる力を帯びている剣にグーラーが怯え、仰け反ったその時――、


「ジャミル――そいつの腹を切れッ!! 奴は腹の傷だけは治せんッ!!」


 道の向こうからダリアさんが叫んだのとほぼ同時、だった。

 耳から入ってきた言葉が、身体に直接命じたように、グーラーの腹に切っ先を突き入れていた――。


「ガッ……う、ゥゥ……」


 グーラーは震えながら、両手を目一杯伸ばした。

 その目には、殺意も敵意も感じられない。


「僕には母が二人、いるのです。貴女の子供には……なれません……!」


 グーラーは膝から崩れ落ち、溶けるようにして消えていった。

 最後に微笑んだように見えたのは気のせいか、それとも――。



 すべて片付いた後、盛大な打ち上げが行われていた。

 怪我人こそいれど死者は出ていない。『死んでたら、この〈聖剣〉で弔ってやるのによ』と、皆して笑い合っていた。

 どうして真っ直ぐこの村に向かってきたのか、とは考えていない。

 そもそも、この疑問を抱いたのは、ブアーラ国からやって来た者たちだけである。


「恐らくだが、レスカンドで何かが起こっている」


 用意された部屋に戻ると、ダリアさんは早速切り出した。

 その横では奥方が頭をさすりながら、「うー……」と唸っている。脱走を企て、蔵に孔をあけたことがバレ、拳骨を喰らったのだ。恐らく主人(あるじ)に手を出せるのは、この人だけだろう。


「やはり、ゾンビが組織だって動くのって変なのですか?」

「死んで間もないなら記憶が若干残っているし、空腹感から記憶にある場所に向かうことはあるが……あれらは死んでから長い奴らだ」

「あのグーラーが操っていた、とかですか?」

「グールは確かに精霊(ジン)の憑依によるもので狡猾だ。しかし奴らは、人やハイエナに化けられる。ゾンビを操ってまでやるくらいなら、徘徊しているのを食う方を取るだろう。仮にお前の存在を知っていてもな」


 となれば、やはり何者かが仕向けている。

 しかし、その術を調べるとなれば、方法は一つだけだ。


「じゃあ――」奥方が顔を上げた。

 だがダリアさんはすかさず、「行きませんよ」と釘を刺した。


「えぇ〜……」

「もう冒険は充分に堪能したでしょう。帰りますよ」

「まだ冒険者になってませんし、お金も全然使ってません!」

「もうたくさん使ったでしょう! 武器防具の仕入れや村人への報酬、約束した村の拡充など――金貨千枚はいってます!」

「千枚なんてまだまだです〜……。あと五十倍は使わないと、地下金庫まで到達しませえん〜……」


 何度聞いても次元が違う、とジャミルは思った。

 旦那様も奥方も共に変わり者だ。ダリアさんも変わり者と言えばそうだろう。ブアーラにやって来る人もまた“普通”とは少し遠い人が多い。けれど、悪い人は一人もいない国――いや、正しくは、『悪いことをする人は、自然淘汰されてゆく国』だ。

 ……と言うのも、ブアーラ国には、“呪い”が存在しているのである。


 人を騙して得たお金は、その倍額の損失を出す。強盗など屋敷に押し入ろうものなら、翌日その者の死体が川に浮かぶ――。つまり、不当にお金を得たものに、その“呪い”が降りかかる、と言うものだ。

 これだけならまだ、いい意味での“呪い”だ。

 本当に恐ろしいのはここから、損害額以上のお金が国に返ってくることにある。

 そして、これこそが旦那様が頭を悩ませる、最大の原因なのであった。


(本当に呪われてるのかな、ブアーラって……)


 “呪い”は国外でも起こるらしく、貸し付けたお金は回収率100%。しかも必ず利子を伴って返ってくる。それはまるでお金に意志があり、『いい国だから一緒に行こうぜ』と仲間を誘っているようにも思えてしまうほどだった。

 そして、そんな国のナンバー2は今、だだをこねる子供のように食い下がっている。


「明日の朝、スタルクに向かいますからね!」

「ふぇ~ん……嫌ですぅ~……っ!」


 奥方が情けない声をあげたその時、入り口の方に影が差した。


「あのう……お取り込み中すみません……」


 従者にすがりつく主人。この光景は随分と奇妙に見えるだろう。

 やって来たのは村長の奥方で、どうしてよいのか分からない表情を浮かべていた。

 ジャミルは執事として、いそいそと用件を聞きに入り口に方に向かった。


「先ほどスタルクの街からの使者が参られ、奥様にこれを、と――」


 村長の奥方は明るい橙色のローブの袖を揺らしながら、手にしていた包みを差し出した。

 受け取ったジャミルの両手に、ズシリとした重みがかかる。それは手触りのいい紫色のシルク布に包まれ、十字に束ねる紐の先端には猫の留め具がされてあった。


「これは……旦那様からのようです!」


 奥方に確かめるように目を向けた。


「あの人から? いいです、開けて下さい」


 ジャミルは頷き、ささっと包みを解いた。

 中には、一冊の鍵のついたぶ厚い本と、メッセージカードが一枚が入っていた。


【愛する我妻、エリザ――。

 冒険の旅はどうだ? 何やら聞くところによれば、ゴブリン退治をしているそうではないか。

 怪我はないか心配だ。便りがないのは元気な証拠と言うが、どうか壮健であっても状況を伝えて欲しい。お前のいない布団の中は、随分と寂しく、金の悪夢に濃さも増している……。

 それはそうと、その本のなのだが……ルムタンの病院の院長から本を借りていたので、ファルスにいるのなら、少し遠いが届けてきてもらえないだろうか?


 追記:ファルスの村での使用額は、最終的にデナル金貨1260枚のようだ。これではまだまだ足りていない、遠慮せずどんどんと使ってくれ――】


 ジャミルは声に出して読んだことを後悔した。


「あなた、流石ですぅっ!」逆転勝利した奥方は満面の笑みを浮かべ、対するダリアさんは、「ジャミルッ、お前えぇぇッ!」と、面覆いから覗く目をつり上げた。


 執事の仕事は理不尽だ……と、ジャミルは己の職務を呪った。

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