9.村の防衛戦(誘い込み)
それから三日間、ゾンビの群れを待った。
ゾンビには鮮度なるものがあり、新しいものは動きが速く知能(と呼べるか分からないが)を持ち、反対に古いゾンビは動きが鈍く、知能は皆無に近い。これを若ゾンビ・老ゾンビと呼ぶ者も多いと言う。
「【生前の運動機能の他に、年齢も関係し、老人がゾンビになると特に動きがトロくなる】――と、よし」
ジャミルは旅の記録をつけていた。ダリアから教わったことをメモし、それを胸ポケットに戻す。
他には出納なども記帳している。何があったのか記録するのも執事の仕事だが、今それをしたのは、いよいよ決戦の火蓋が切られるからである。
革のベストに革の小手、すね当て。腰に長柄の剣を掲げ、持ち場である女性たちが避難する蔵の前に立つ――。
白み始めた空はもうすっかりと青く染まっている。
メモを綴る文字は波打っていた。ダリアさんの訓練はその後も続き、付け焼き刃程度ではあるけれど、これまでに比べれば腕は格段に上がっている気がする。それに伴い、背筋も伸びたはずなのだが……いざ当日を迎えると猫背になってしまう。
「ジャミル」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、革鎧を装備した奥方が蔵の入り口を背にして立っていた。
「始まる前から拳を握り締めていては、いざと言うときに力が出ませんよ」
透き通るような声が、すっと胸に入り込んできた気がした。
「はい……」
「がちがちになっているようですし、万が一に備えて、扉の鍵は開けて――」
「ガッチガチに施錠しておきますので、ご安心ください」
「むぅぅ~……」
隙あらばである。ジャミルは奥方を蔵に押し戻す。
奥方の短刀に〈聖剣〉の力を付与してからと言うもの、それを使いたくてたまらないのか、『自分も外に立ちたい』とゴネ出したのだ。――それもそのはず。『女子供を守る』とのは役目はあれど、実際はただの隔離なのだから。
当然ダリアさんに却下されたが、大人しく引き下がるとは思えない。先日のノミとトンカチを持っていたのを思えばなおさらだ。――となれば、ドサクサに紛れて内から鍵を開けかねないため、外からかける鍵が急きょ設置された。二つも。
空を悠々と舞っていた鷹が、急に大きく旋回して離れた。
村の向こうから『ゾンビどもが来たぞ!』と言う声がするや、村はいきなり慌ただしくなった。
ジャミルは蔵の前に置かれた木箱に登り、額に手をかざして村の向こうを見た。
そして愕然とした。砂漠には〈砂漠バッタ〉と呼ばれる、集団で飛来しては穀物を食い尽くすバッタがいる。視線の果てに見えたのは、それを連想させる団塊だったからである。
そこに馬に乗った人間が向かってゆく。この村の人たちだ。
ゾンビたちはそれに気づいたのか、進行方向を若干変え、馬の方へと歩を進める。
こちらの数は七人。馬の上で弓を引き絞ると、みんな同じタイミングで矢を放った。
「すごい……!」
ジャミルは思わず嘆息した。
さすが遊牧民、と言ったところか。狙いが定まらない馬の上で、彼らはいとも容易く狙ったゾンビに射抜いてゆくのである。
群れに矢を討てば誰かに当たるのではなく、散らばらないよう仕留める相手をしっかり狙っている。中には、大きく弧を描いて射貫く、などの曲芸まで披露する者もいた。
弓を射ながら前進し、ゾンビたちは次々と倒れてゆく。
だが血気盛んであっても、ゾンビの塊に突っ込むような無謀な行為はしなかった。
鞍に据え付けてある剣を抜き、塊の脇にいるゾンビに一太刀を浴びせかける。一振りがやっとだが、それでも斬っては離れて、弓を射ながら近づくことを繰り返すことで、着実に敵の数を減らしてゆく。
それを数回、矢が尽きた村人たちは一直線に村へと戻る。
ゾンビの群れは多いまま。先頭はもう輪郭が分かる場所まで到達していた。
「ゾンビの世界は、先入れ先出しなのかな……?」
ダリアさんの見立て通り、古いゾンビしかいないようだ。
手にしている剣や槍で反撃も試みるが、どれも動きが緩慢だった。
運動機能の差からか、前しか見えていないゾンビの群れは、縦に伸びきっている。
いや、伸びきるようにした――と言うべきか。
ジャミルは視界の端で、その側面に突っ込んでゆく騎兵の姿を捉えた。
「エリオさん行けーーっ!」
馬鎧まで赤茶色にそろえた騎兵の槍が、ゾンビの横っ腹を刺し貫く。
奇麗に真っ二つに分断されたことで、敵の群れが先頭と後尾に分かれ、それぞれが異なった行動をし始める――先頭はそのまま村に、後尾は別働隊のエリオさんたちを追いかけ始めた。
「やったぁっ!」作戦の第一段階は成功だ。
戦見物に興じているジャミルの後ろ、蔵の扉から『ジャミル、ジャミル』と名を呼ぶ声がした。
「奥方、どうされましたか」顔を近づけ、扉越しに声をかける。
『戦況はどうなっているのです?』
「上々です。今はえぇっと……エリオさんの強襲が成功し、ゾンビの分断に成功。そして伏せる村人たちの下におびき寄せられ、次々と仕留めています!」
蔵の中から、女性たちの華やかな声が聞こえてきた。
その中で『サシャ、良かったわね!』と、喜びを分かち合う声がしていることから、女性のコミュニティの中では、二人の関係が知れ渡っているのだろう、とジャミルは思った。
『ところで、ジャミル――私はおしっこに行きたいですが』
「あと少しなので、我慢して下さい」
『むぅ……』
本当に隙あらばである。とはいえ、本当に行きたい場合でもそう言っていた。
後尾を壊滅させるのは二の次で、村に侵入したゾンビ集団を壊滅することが本題なのだ。
村に入ったゾンビたちの多くは、真っ直ぐこちらに向かってくる。
脇道や建物の入り口にバリケードが設けられているのもあるが、彼らは目ではなく臭いを頼りに動く。目指すのはただ一点――十字路の中心から漂う、羊の血の臭いだけである。
だが、彼らがその血を味わうことはできない。
建物を挟んで併走する騎馬の弓に射られ、前後左右、屋根から狙い撃ちにされた。
〈聖剣〉の力を帯びた矢を受けたゾンビたちは、苦悶にも解放の喜びともとれる断末魔をあげながら倒れた。そこで、潜んでいた遊牧民たちが一斉に飛び出し、死に損なった者たちにトドメを刺してゆく。
◇ ◇ ◇
ジャミルは勝利の雄叫びを聞き、ほぅと息を吐いた。
結局ゾンビが来ることはなく、取り越し苦労だったようだ。緊張の連続だったせいか、疲れがどっとやってくる。
奥方の機嫌は最悪だろう。どうして取りなすか、ハーブティーではなく、好物の砂糖をまぶした揚げパンを出そうか。
そんなことを考えながら、扉を見たその時、背後に人の気配を感じた。
「――すみません。逃げ遅れてしまい、床下に潜んでしました」
そこに立っていたのは、くすんだ緑色のアバヤローブに身を包む若い女の人だった。
顔の輪郭を隠す黒い〈ヒジャブ〉で覆っているが、その顔は“色気”を隠せていない。横に伸びた黒目に身体が熱くなるのを覚え、ジャミルは慌てて目をそらした。
「そ、そうだったんですか! だ、だだ、大丈夫でしたか?」
「ええ。問題ありません。それと、ゾンビはもうすべて倒したと聞きました」
「そうですか! あぁ、よかった~」
「村を救って頂き、我々は感謝の言葉もありません」
「いえ、ゾンビ退治は成り行きといいますか……ですし。ああそうだ、なら蔵の中にいる女の人を外に出してあげないと」
ジャミルはそう言うと、ポケットに入れていた鍵を二つ取り出した。
「いいえ。まだ閉じ込めておきましょう」
「え……?」
妙なことを言う。怪訝に思うと、色々と疑問が頭に浮かんできた。
しかし、その疑問は言葉にはならず、頭の中であやふやなまま漂い続けることとなった。
目の前の女の人が突然、胸元をはだけ、そのたわわな膨らみを曝け出したのだ――。
「な、何をしているんですかっ!?」ジャミルはぎゅっと目を瞑り、顔を背けた。
「お礼がしたいのです」衣類を脱ぎ捨てた音が、耳にハッキリと聞こえた。「――さあ、私の身体を見て下さい」
「い、いりません!」
ジャリッと土を踏みしめ、こちらに一歩近づいたのが分かった。
一瞬のことなのに、脳裏には二つの膨らみと先端の赤い小さなつぼみをしっかり覚えている。
(ん?)
その一瞬の邪念が、混乱で揺らぐ頭に冷静さを与えた。
それと同時に、先ほどの疑問が言葉になった。
――奥方が何度も点呼して、遅れた人がいないか確かめたはずだ。
この小さな村社会は横の繋がりが強く、濃い。『誰かが逃げ遅れている』となれば、必ず気づくはずなのである。だから……逃げ遅れた人なんていないはずなのだ。
(この人は……誰?)
ジャミルが目を開いた時、霞む視界の中心に“何か”を捉えた。
それは灰色に覆われ、無数の牙を剥き出しにした“何か”だった。
露わにされた乳房は長く垂れ下がっており、それを肩にかけた。
「なら――」
地響きのような唸り声に変わった。
目も真っ赤に染まっている。
「私にご褒美をチョウダイィィィィィィッ――!!」
化け物と化した女は鋭い爪を立て、ジャミルに飛びかかった。
◇ ◇ ◇
時を同じくして、最後のゾンビにトドメを刺した者がいた。
「老ゾンビでよかった、と言うべきか――」
黒い〈ニカーブ〉で顔を覆った女・ダリアだった。
道の上には大量のゾンビが転がり、冷たい目でそれを見下ろしながら、びゅんと湾曲した剣を払う。
住宅の並びから外れた道の上は、まさに死屍累々と呼ぶに相応しい。
――少しやりすぎたか?
ここの所、腹立たしいことが多くあったせいだと言い訳する。
そして、頭を大きく回して村のある方向を見た。そこにはジャミルと奥方がいる蔵がある。
(老ゾンビどもが、どうしてこんな組織だって動いているのだ……? それにどうして、我がもの顔で闊歩できるのだ。天敵となるグールは、アビラビ周辺の砂漠にいる悪魔だが、餌がウヨウヨしていれば嗅ぎつける――)
ダリアは「まさか!?」と声をあげた。
――もう来ているとしたら
その答えが出るよりも早く、蔵の方から悲鳴が起こった。




