魔王さんと精霊
「魔王さん、勇者様の強さの秘密が分かったかもしれません」
「お主も気付いたか」
集まっているのは、珍しくマルカが使っている宿屋の一室。
部屋にいるのは魔王とマルカの二人だけである。
「まず、勇者様が使っているのは魔法ではありません」
「恐らく、そうだろうとは思っていた」
神妙に頷き合う二人。
「ここからは、完全に私の推論です」
「申してみよ」
マルカはゆっくりと頷いて語り始める。
「魔法は、魔力、術式、詠唱を介して外界に干渉する力……いえ、この場合、方法と述べるべきでしょうか」
「技術とは言わんのじゃな」
「もっと大きな括りで見る必要があると思ったんです」
「もっと大きな括り?」
「あれは奇跡です」
マルカは断言した。
その言葉に、さすがの魔王も言葉を失う。
「私達は、魔法という方法を使って、勇者様に外界への干渉方法を教えました」
「ああ、ライティングの術式を契約させたことだの」
「その方法を使って、勇者様は奇跡を起こしているんです」
「ふむ。珍しくお主にしては要領を得んの」
そこで一旦、一息ついてから、お茶を飲むマルカ。
それに合わせて、魔王もお茶を飲む。
「ちょっと別の話になりますが宜しいですか?」
「構わんよ」
「人には……いえ、この場合、意思ある者と言った方が良いでしょうか」
「随分回りくどい言い方だの」
「すみません。どうしても避けられないので」
「続けてくれるかの」
「意思ある者は、世界に干渉する事ができます」
「ふむ」
「例えば、今日食べる食事、明日何をするか、意思ある者は生きている限り、選択を行います」
「結果がどうであれな」
三百年余り何もしてこなかった魔王は自嘲する。
「それこそが、勇者様の力なのです」
断言したマルカに、目を丸くする魔王。
「思いは現実を超えます。程度の差はあれ、意思がある者なら……いえ、もしかしたら意思がない物ですら、その力は持っているんです」
「そこで、食事の例えに戻るわけか」
静かに頷くマルカ。
「食べたい物があるから、それを選択し、食べたい物をを食べる」
「魚が食べたいなら、漁師が魚を取り、市場に出され、それを店主が買い、客が金を出して、料理を食べるの」
「そうやって、少なからず人の意志は世界に影響を与えて行きます」
「つまり、それを突き詰めていくなら、人の意志は世界を変えることすらできる。人が望む世界がどうであれ……か」
「その、思いを現実に干渉させる力が、とんでもなく大きいのが勇者様なんです」
「ようするに、とてつもなく思い込みの激しい人間だという事か。さすが、おバカさん一号だの」
「だから、勇者様の使っているのは魔法ではなく、魔法という方法を使って、外界に干渉を起こしている奇跡なんです」
魔王は頭を抱える。
「確かに辻褄は合う。素振り用の剣を、『剣は切れる物』だと思い込んで使っていたわけか」
「魔法も、『唱えれば、魔力を使って何かが起こる現象』と認識しているんです」
そこで、魔王は気が付いた。
勇者を使えば今の世界を変えられる可能性がある事に。
三百年間、自分を縛りつけていた下らないルールを打ち破ることができるかもしれない可能性に。
「ありがとうの。なあ、マルカよ……」
喉まで出かけた言葉を飲みこむ。
もう決めたのだ。
例え、どのような犠牲が出ようとも。
未来の為に。
自分は魔王になるのだと―
「夜更かしはいかんぞ」
そう言って、部屋を出て行く魔王は、とても寂しそうに見えた。
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深夜の酒場で、魔王は一人ソファーに座り虚空を眺めていた。
そこに、突如として眩い光が目の前に現れ、銀髪の女性が姿を現す。
「そろそろ来るころだと思っていたの……精霊」
「お久しぶりと言えば良いのかしら?魔王」
そう言って精霊は微笑む。
「原初の竜まで呼び出すとは、随分と手の込んだことをしたの」
「ええ、貴女が何もしないものだから困ってしまってね」
苦笑いをする精霊を睨みつける魔王。
「あれで、余はともかく勇者まで死んでいたらどうした?」
精霊は何がおかしいのか、クスクスと笑う。
「原初の竜は時間が経てば消えてしまうもの。それで世界が混沌に満ちた時、また新しい勇者を選べば良いだけ。今度は魔王と仲良くなりそうもない人間をね」
「相変わらず、世界の管理者気取りだの」
「事実ですもの」
無表情に精霊は告げる。
「魔王と言う混沌をもたらす存在。勇者と言う平穏をもたらす存在。その混沌と平穏が回り続けることで、世界は発展していくわ」
「そこに転がる屍の数は無視してか」
「こういう事に、犠牲はつきものなのよ」
その言葉に歯噛みする魔王。
こいつは、命を何とも思っていない。
勇者も魔王も人も魔族も全ては駒なのだ。
魔王は嘆息して告げる。
「まあ良い。その思惑に乗ってやるかの」
「あら? どういう心変わり?」
「お主の鼻を明かしてやるためだの」
魔王は尊大に答える。
「ふうん? 何を考えているかは知らないけれど、貴女が動いてくれるなら問題ないわ」
「余は魔王だからの。世界を混沌に巻き込むだけじゃ」
「あらそう。勇者がそれを止めてくれると分かっていて?」
「さあ? どうなるかは分からんぞ? お前の言う世界そのものが滅びるかもしれん」
魔王が邪悪にニタリと笑う。
精霊が眉根を寄せる。
「余り、ナージャを舐めない事だ」
「余り、勇者を舐めない事ね」
その言葉と共に、精霊は消える。
魔王は、ゆっくりとソファーから立ち上がった。
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早朝。酒場の店主が起きて、掃除に向かう。
「おはようございやす。魔王さん」
いつも通り、ソファーの方を向いて挨拶したが、そこには誰もいなかった。
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「今日も戻って来ないのね」
カウンターに座るナージャが呟く。
「そうでやすね」
店主が、そう言いながら酒場の奥のソファーを見る。
そこに、ソファーの主はいない。
魔王が消えてから、早一ヶ月が経とうとしていた。
「もう遅いし、宿に戻るわ」
ナージャはお代を置いて、酒場を後にした。
宿に戻り、自分の部屋に行こうとした時、部屋の前にある物が落ちている事に気が付いた。
「これは……」
そこに落ちていたのは、一輪の白い花だった。
魔王が、ウィルに捧げる為に取った花。
ようやく戻って来たのかと、その花を手に取ると宿から飛び出して行った。
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辿り着いたのは、町の外れにある海の見える崖の上。
満天の星空の下、海を眺めて立っているのは見覚えのある後姿。
とっくに自分の事など気付いているのだろう。
ナージャはゆっくりと近づいていく。
「遂に来たかこの時が!」
魔王は両手を上げて大声で叫ぶ。
そして、ゆっくりと振り返ると邪悪な笑みをニタリと浮かべる。
「魔王軍と、大量の魔物を呼び寄せた。余を殺さねば、この町は滅びる」
その言葉に息をのむナージャ。
「我が名はヴァレント=ヴァーミリオン=ヴァレッタ! 数多の魔物を束ねし、災厄の根源! 大魔王である!」
「本気なのね?」
ナージャは腰に携えた剣を抜き放つ。
「さあ、私を倒してみるがいい!」
「貴女の最後の我儘に付き合って上げるわ!」
今また、世界の命運を賭けた最大の決戦が始まろうとしていた―