魔王さんと王女様
「勇者よ。アルコンを覚えておるかの?」
「誰だっけ?」
「一週間ほど前に、お主に好きなだけ殴らせた後、鎖に縛って川に沈めた魔族じゃの」
「あー、居たわね。そんなの」
いきなり始まった物騒な会話に、飲みかけていた紅茶が気管に入ったのかむせ返るマルカ。
「ゲッホゲッホ! そ、そんな事になってたんですか!? っていうか、お二人とも何してるんですか!?」
「いやー、魔王さんに頼まれたから」
恥ずかしそうに頭を掻くナージャ。
「それで、そろそろ話を聞いてやろうかと見に行ったんだがの。沈めたはずの場所におらんかったのだ」
「海にでも流れて行ったんじゃない?」
「っていうか、生きてるんですか!?」
「うむ。あれはしぶとい奴だからの。海に流されただけなら良いのだが……」
そう言って、考え込む魔王。
魔王に逆らった魔族の結末を知り、顔を青くするマルカ。
「やべえ。すげえ嫌な予感がする。一週間ほどしたら帰って来るわ」
突然、スミスが立ち上がり、お代を置いて酒場を走って出て行く。
「慌ただしい方ですわね」
出て行った扉を、不思議そうに眺めるアリス。
ダリルとマルカは困った顔で話し始める。
「なにが起こるんだ?」
「でも、自分だけ逃げるってことは、危険が迫ってるわけじゃなさそうですし」
そこへ、酒場の扉が開かれ、数人の騎士たちが入って来て整列する。
「アラドグラン王国、王女スピカ様のお出ましである!」
騎士の一人が、そう宣言すると、一人の少女が酒場に入ってくる。
年は十歳くらいだろうか。
ピンク色のドレスに身を包み、綺麗な茶色い髪をなびかせながらペコリと丁寧にお辞儀をする。
「こちらにスミスお兄様がいらっしゃると伺ったのですが」
それを見て、頭を抱えるダリルとマルカ。
呆然としたまま、口をパクパクさせている魔王とナージャとアリス。
「いらっしゃいやせ。スミスさんなら、さっき出て行きやしたよ」
店主だけが平然とそれに応じた。
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「はあ……また逃げられてしまいましたのね。困りましたわ」
適当なテーブル席に着くと、困り顔で溜息を吐くスピカ。
向かいには、ダリルとマルカが困り顔で座っている。
それを、ちらりと見ながら、顔を寄せ合って小声で話し合う三人組。
「アラドグラン王国って隣国ですわよね……」
「お兄様って事は……」
「スミスが王子なのかの?」
スミスが王冠を被って、白馬に乗り、王子の格好をしているのを想像して噴き出す魔王。
「ちょ、笑っちゃダメよ!」
「お、お姉様も笑いが堪えられえてませんわ!」
「アリスよ! お主も口元がヒクヒクしておるぞ!」
全員肩を震わせながら、笑いを堪えている。
「ダリル様も、マルカ様もお元気そうで何よりです」
「は、はい!」
「お陰様で……」
ニッコリと挨拶するスピカ。
そして、そのまま奥にいる三人に目を向ける。
「それで、あちらの方々は……」
「勇者のナージャ=フレアルディカと申します」
慌てて跪くナージャ。
「聖騎士のアリス=リィン=スガティニアと申します」
ナージャに合わせて跪くアリス。
「我が名はヴァレント=ヴァーミリオン=ヴァレッタ! 数多の魔物を束ねし、災厄の根源! 大魔王である!」」
両手を広げて宣言する魔王に酒場の空気が止まった。
その静寂を打ち破ったのは、スピカだった。
手を口に当て、クスクスと笑っている。
「勇者様に、聖騎士様に、魔王さんですか……お兄様もまた素敵なご友人を作られたようで。これもお兄様の人徳でしょうか?」
そう言って、席を立つと、お辞儀をする。
「では、お兄様もいらっしゃらないようなので、これにて失礼いたします」
と、カウンターの前を通った瞬間、スピカの動きがピタリと止まる。
スンスンと鼻を鳴らし、先ほどまでスミスが座っていた椅子を持って言う。
「こちらは、頂いておきますわね」
そう言ってニコリと笑うスピカ。
「へ?」
店主が珍しく動揺しているのが目に見えて分かった。
スピカは、椅子を持ったまま、外に出る。
「これは椅子の代金だ」
騎士の一人が、そう言うと、金貨を何枚かカウンターに置く。
騎士たちは、そのままスピカについて出て行った。
「あの、説明して頂きたいんでやすが」
困惑した店主が、ダリルとマルカにそう言った。
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「何から説明したものか……」
顎に手を当てて悩むダリル。
「えっと、スミスさんはアラドグラン王国の第三王子なんです……」
俯きながら答えるマルカ。
「ほ、本当じゃったのか……」
「え、じゃあ、二人とも実はスミスの護衛とか?」
ナージャの問いに首を横に振るダリル。
「いや、私の実家は商家です。自分には商売の才能がないので冒険者に」
「わ、私の実家は代々魔法使いの家系なので、それで冒険者に」
「じゃあ、三人は冒険者になってから出会ったわけね」
腕を組んで考えるナージャ。
「そうです。最初は私達も知らなくて……。スミスさんは自分が王子だって言ってたんですが……」
「まあ、信じられませんわよねえ……」
マルカの答えに嘆息するアリス。
「今回の様に、急に行方をくらませたと思ったら、スピカ様が現れて……」
「それで本当だと分かった訳だの」
ダリルの言葉に頷きながら答える魔王。
「それで、なんでウチの椅子が持って行かれたんですかい?」
店主の言葉に、身を竦ませるダリルとマルカ。
「そのスピカ様は、初めての妹だという事で、スミスも随分可愛がっていたようで……」
「そ、その極度のブラコンなんです……病的なくらいに……」
「えーっと、つまり?」
ナージャは額に汗が流れて行くのを感じた。
「す、スミスさんの匂いを嗅ぎ分けたんだと思います……」
続いたマルカの言葉に全員が絶句する。
「じ、実の兄妹よね……?」
「はい……」
「『何か、ある日から身の危険を感じるようになったんだよなあ』とスミスは言ってました」
魔王が頭を抱える。
「クソッ! まともな奴はおらんのか!」
「ちょっとどういう意味ですの!」
「私は、まともです!」
アリスとマルカの反応は無視して溜息を吐くナージャ。
「まあ、でもお兄様がいないと分かったんなら、大人しく帰るんじゃない?」
「そうだと良いんですが……」
マルカは遠い目をしながら答えた。
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暗い闇の森を歩く一人の男がいた。
元は豪華なものであったろう黒い服はボロボロに破れ、片足を引きずって歩いている。
歩くたびに、小さく血がしたたり落ち、今にも倒れそうな雰囲気である。
そこへ、血の匂いを嗅ぎつけたのか、野犬が唸り声を上げてやって来る。
「舐めるなよ。クソ犬風情が」
男が赤い目を光らせそう呟くと、野犬たちは慌てて逃げ去って行く。
「おのれ勇者め……魔王め……」
一歩ずつだが、確実に歩を進めて行く。
「必ず……復讐してやる……」
男は呟きと共に夜の闇へと消えて行った。
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「困りましたな」
「とんだお姫様がいたものだの」
珍しく領主が酒場に来ており、向かいには先日やって来た騎士の一人がすまなそうな顔で座っている。
「た、大変申し訳なく……」
領主にペコペコと頭を下げる騎士。
「私もそろそろ宿に帰りたいのですが……」
カウンターの席に座るダリルが呟く。
「み、皆様にはご迷惑ばかりを……」
止まらない汗を必死で拭っている騎士。
スピカが、この町に滞在を始めてから、早三日が経とうとしていた。
その嗅覚でスミスの滞在していた宿を見つけると、大金をはたいて貸切状態にしてしまった。
さらには、武器屋や防具屋へ行くと、スミスが使っていた武器屋防具を的確に見分けて買い取り、今日も今日とてお兄様の匂いを辿って町をフラフラと出歩いている状態である。
「あ、あのですね……スピカ様の目が私に対してだけ笑ってないんです……」
震えながらティーカップを抱えるマルカ。
「敵と認知されたんじゃないの?」
クッキーをかじりながら、呑気にナージャが答える。
「ええ!? こ、困りますよ!!」
がたりと立ち上がるマルカ。
「下手をするとマルカの命を巡って、シルヴィアとスピカの間で戦闘が起こりかねんの」
「な、なんで私がそんな目に!?」
頭を抱えて俯くマルカ。
「護衛もいるし、治安も良いとはいえ、お姫様がフラフラ出歩いてるのは問題よね」
「何かあれば即外交問題ですからな」
「余も、このような事で優秀な秘書を失いたくないので、一計案じてみようと思う」
「魔王さん、今サラッと私を秘書にしましたね?」
マルカのツッコミは無視して、ニンマリと魔王が笑う。
「題して『マスクドナイト大作戦』だの」
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作戦は至って簡単だった。
いかにも人相の悪い冒険者に頼み、町を出歩いているお姫様に絡んでもらうのだ。
それを、勇者と護衛の騎士たちに助けてもらい、他国の町は危険ですと言い含め、無事にお帰り頂くという作戦である。
「そんなので、本当に大丈夫なのかしらねえ?」
腕を組みながら、歩くナージャ。
「こういうのは単純な方が効果が高いんだの」
隣には、自慢げに話しながら歩く魔王。
作戦予定の場所である広場に近付くと、観衆が集まっていた。
「おお、早速やっておるの」
足早に観衆に近付いていくナージャと魔王。
「人攫いよ!」
「人質が取られてる!」
「冒険者も騎士さん達もやられちまったぞ!」
予想外の観衆の声に、慌てて広場に割って入ると、そこには犯人役の冒険者たちと、護衛の騎士たちが倒れており、スピカを片手に抱え、ナイフを持った黒ずくめの男が立っていた。
「アルコン! お主!」
「ようやくお出ましか。勇者と魔王が仲良く揃ってとは、また好都合な」
黒ずくめの男、アルコンは邪悪な笑みを浮かべる。
「その子を離しなさい! 今すぐに!」
「お前らこそ立場が分かっているのか? 今すぐに武器を捨てろ」
アルコンは、ナージャの怒声も気にせずに、抱えたスピカにナイフを近付ける。
「とんだゲス野郎ね」
ナージャの言葉に、ピクリと肩を震わせるアルコン。
怒りで、自分の中の何かが切れた気がしたアルコンは、大声で叫んだ。
「ゲスとは何だ! お前らの方が、よっぽどゲスではないか! 私をズタボロになるまで殴り続けた挙句、鎖で縛って、川に沈めて、一週間経ったら話を聞いてやるだと!? お前らには良心という物がないのか!!」
アルコンのツッコミに、観衆の視線が一気にナージャと魔王に向く。
明後日の方向を向いて俯くナージャ。
「私は、その、魔王に命令されて、仕方なく……」
「あー! お主一人だけずるいの! 半殺しで良いと言ったのに、半分だけ殺すとか器用なことできないわよって言いながら、喜んで殴っておったではないか!」
「あれ!? それ言っちゃう!? 貴女だって、嬉々として余は魔王だからのとか言いながら、両膝を砕いてたじゃない!」
二人の言い合いを聞いて、観衆からアルコンへの憐憫のまなざしが向けられる。
「アルコンさん、でしたっけ? 貴方も苦労されていたんですね……」
人質であるスピカにまで心配される始末である。
「ええい! やめろ! 貴様ら! そんな目で私を見るんじゃない! ククク! 決めたぞ! 勇者と魔王よ! どちらかが死ぬまで殴り合うが……」
ドゴーン! という音と共に二人は既に殴り合いを始めていた。
綺麗にお互いクロスカウンターを決めたまま止まっている。
「スピカ様と世界の平和のためよ! 大人しく殴られなさい!」
「フハハハハ! 町の平和とアラドグラン王国のために悔い改めるがいいの!」
そのまま笑い合いながら轟音を立てて殴り合いを始める二人。
思わず、アルコンが呆然としていた時―
「俺の妹に何してやがる!」
アルコンの右腕が切り飛ばされ、ナイフが転がり落ちる。
「おのれ!?」
斬りかかって来た影は、そのままアルコンからスピカを奪って離れる。
「ったく! 嫌な予感がして戻って来てみりゃこれだ!」
「お兄様!」
スミスに抱えられたスピカが叫んだ。
「貴様などに!」
飛びかかろうとするアルコンに矢が突き刺さる。
「無粋な真似はやめてもらおう」
弓を構えたダリルが、次の矢を持ちながら言い放つ。
「フリーズランス!」
氷の槍が、アルコンの身体を縫いとめる。
「うちのリーダーと、スピカ様に手は出させません!」
杖を構えたマルカが言う。
「私が全力であれば、貴様らなど……」
歯噛みするアルコンの下へ、コツリコツリと死神の足音が忍び寄ってきた。
「魔王さん? どっちがゲスか、ここで決めましょうか?」
「勇者よ。 魔王の力、侮るでないぞ?」
ゆらりと浮かぶ勇者と魔王の笑顔。
それが、アルコンの見た最後の光景だった。
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「スピカ。大丈夫だったか?」
優しくスピカの頭を撫でながら問いかけるスミス。
「はい。お兄様のお陰で、どこにも怪我がないですわ」
涙を浮かべて微笑むスピカ。
「大分背も伸びたみたいだな」
「はい。お兄様も……お変り……ないようで……」
涙が溢れるのを堪えきれないのか、そのままスミスに抱き着くスピカ。
「甘えん坊な所は変わりないな」
「お兄様……お兄様……」
その光景を微笑ましく見守る一同。
しかし、魔王は気付いた。
「スミス! いかんのだ!」
スミスも気付いたが、一瞬遅かった。
「す、スピカ? ちょ、ちょっと離れようか?」
「お兄様! お兄様! お兄様ああぁぁぁぁぁあぁぁ! この匂い、この体つき! まさしくお兄様ですわ! なんと優しい瞳! 頼りがいのある腕! 愛を感じずにはいられませんわ! 大丈夫です二人なら! いえ、お兄様がいればスピカは血の繋がりすら超えてみせますわ! 世界には私とお兄様だけ! それだけ存在していれば良いのですわ! だって、私たちが兄妹というのが、そもそもの運命なのです! 何よりも強い結びつきを持っているのです! 世界が私たちの存在を祝福しているのです! お兄様も昔、スピカがお嫁さんになると言ったら喜んでくださいましたよね! 私はずっと忘れておりませんわ! 毎年、年を重ねるごとにお兄様に近付いてるのだと感じると一秒一秒が愛しく感じられますの! お兄様もお分かりになりますわよね! スピカは毎日毎時間毎秒お兄様のために存在しているのです! ああ! 正直もう辛抱貯まりませんわ! お兄様このまま二人でどこかへ! どこか? いえ、それははしたないから言えませんわ! お兄様! お兄様! お兄様あぁぁぁぁぁぁあぁ!」
なお、ぶっ壊れたスピカは、ナージャの斜め四十五度からのチョップにより、一旦正常に戻った。
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「気を付けて帰れよー!」
護衛付きの馬車を見送るスミス達一同。
窓から身を出して返事をしようとするスピカだったが、慌てて護衛に止められていた。
「いや、なんか、うちの妹が迷惑かけちまったな」
頭を掻きながら謝るスミス。
「そうね。奢ってもらわないとね王子様に」
ニタリと笑うナージャ。
「ああ、なんせ王子だからな。快く奢ってくれるだろう」
腕を組んで頷くダリル。
「店主さんが、チーズケーキも作るようになったみたいで楽しみですわ!」
手を叩いて喜ぶアリス。
「い、妹さんとの関係もキチンと聞かなきゃですね!」
杖を抱えて何故か拗ねた口ぶりでマルカが言う。
「まあ、余は寛大なので、ほどほどで良いぞ。スミス王子」
ニンマリ笑う魔王。
「スミス王子ー俺らにもー」
元々、暴漢役だった冒険者たちもぞろぞろ着いてくる。
「あー、やっぱ俺の勘外れてなかったじゃねえか……」
がっくりと肩を落としながら酒場に向かうスミスだった。