勇者来訪
大いなる精霊によって生み出された世界『エル・スターディア』。
人、エルフ、ドワーフ、亜人など様々な種族が住む広大な大地に凶報がもたさられる。
数多の魔物を束ね、強大な力を持って世界の破壊を目論むという『魔王』が誕生したのだ。
多くの町や国が魔物によって滅ぼされ、世界は混沌の渦に巻きこまれていく。
しかし、人々には一つの希望があった。太古より言い伝えられてきた大いなる伝説。
『魔王を倒すため、精霊により選ばれし勇者が立ち上がり、世界に平穏をもたらすであろう』
この伝説は、『エル・スターディア』の歴史として、幾度も実現されてきた。
新しく生み出される魔王と選ばれし勇者の物語。
今また、世界の命運を賭けた最大の決戦が始まろうとしていた―
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「あなたが魔王……ですか?」
「フハハハハ!遂に来たかこの時が!」
「えーっと……」
「よく来たな勇者よ! 我が名はヴァレント=ヴァーミリオン=ヴァレッタ! 数多の魔物を束ねし、災厄の根源! 大魔王である!」
「その……」
「さあ、私を倒してみるがいい!」
精霊により選ばれた勇者はジトッと目の前の人物を眺める。
見た目の年は20歳くらいの女性。整った顔立ちをしており、透き通るような白い肌と、眩いほどの金髪に、ギラリと輝く金色の瞳は、女性である自分からしても色気があり、どこか不気味なくらい美しい。
そこまでは良いのである。
だが、ここは場末の酒場で、テーブルを挟み不釣り合いなくらい豪華なソファーに寝そべっている自称魔王様は、どう見ても町娘の格好をしていた。
勇者は、軽く溜息を吐くと魔王に言う。
「とりあえず、せめて起きてもらえますか?」
「なんじゃ……面倒くさいのう」
もそもそと起き上がった魔王は、枕代わりにしていたクッションの位置を整えてから勇者に向き合う。
ソファーから立ち上がる気は一切ないようだ。
「よし、では早速私を倒してみるがいい!」
「その前に、山ほど聞きたいことがあるんですが」
「ふむ、冥土の土産という奴じゃな?何なりと聞くがいい」
何から突っ込んだものかと勇者が頭を抱えてしまう。
その姿を不思議そうに見ていた魔王は、何かに気付いたようにうんうんと頷き、ニコリと微笑んだ。
「ああ、立ち話もなんじゃな。おーい、店主! 椅子とエール二つ持ってきてくれー!」
「分かりやした―」
カウンターに立っていた屈強そうな店主は気軽に答えると、椅子を一つとエールの入ったジョッキを二つ持ってきた。
「勇者様は、こちらにどうぞ」
勇者は勧められるままに置かれた椅子に座る。
店主はジョッキをテーブルの上に置くと、魔王に尋ねる。
「肴は良いんですかい?」
「ふむ。今日は何がある?」
「今朝方、ゲルトの奴が鹿を仕留めたらしくて、それを焼こうかと」
「それは良いのう! それじゃ! それによう! それ二人前な!」
魔王が興奮気味に店主を指差し注文する。
「では、準備しますんで少々お待ちください」
そう言って、店主は厨房に行ってしまった。
鹿の肉が楽しみなのか、満面の笑みを浮かべた魔王はジョッキを取って、エールを飲み始める。
「くはー、美味いのう」
「じゃなくてですね!?」
勇者の怒鳴り声に魔王がビクッと体を竦める。
「あー、酒は飲めんかったか? 悪かったのう……」
「いえ、お酒は飲めるんですが……」
「では、遠慮なく飲むが良い。余の奢りである」
得意気に語る魔王を見て、いよいよ馬鹿馬鹿しくなってきた勇者は、溜息を吐くと自分もジョッキを取って飲み始める。
魔王に奢られる勇者って一体なんだろう。そもそも、この状況は何なのだろうか。
だが、問題とは一つずつ解決していくものである。そう心に決めた勇者はジョッキを置いて魔王に尋ねた。
「本当に魔王なんですよね?」
「勿論じゃよ? お主になら分かるじゃろう?」
「それは、まあ……」
精霊から勇者としての力を授かった時に右手に刻まれた刻印。それが目の前にいる相手が魔王であると告げている。
「なんで魔王が酒場にいるんですか? 普通、魔王城にいるもんじゃないんですか?」
「ずっとここにおるからのう」
「人間の酒場に入り浸る魔王って初めて聞くんですが」
「いや、ここに住んでおるもんでの」
「住んでるんですか!?」
「うむ。300年くらいになるかの」
「今の魔王が誕生してから300年のはずですが!?」
「うむ! 余は300年間ずっとここにおるぞ!」
胸を張って笑顔で答える魔王に勇者は呆然としてしまい、次の言葉が出なくなった。
その様を見ていた魔王はジョッキを置くと、腕を組んでしばし黙考した後、ゆっくりと語り始めた。
「余が生まれてきた時の話をするかの」
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ヴァレント=ヴァーミリオン=ヴァレッタが生まれたのは、北西にある大陸の古城の中である。
父や母といった存在があるわけではなかった。
気が付いたら城の玉座に座っており、自分というものが存在していた。
ヴァレッタが生まれた時、大広間には誰もおらず、ぼんやりとした意識のまま状況を確認し始める。
自分は『魔王』という存在であり、世界を滅ぼすため『勇者』と戦う者。
漠然とだが、分かってきた。既に知っていたのだ。
理解した彼女は、椅子から立ち大広間を抜け、翼を広げて外に飛び出す。
手ごろな荒野を見つけると、自分の性能を確かめるため、魔法を放つ。
そんなに魔力を込めたつもりはなかったが、爆炎が大地を焼き、衝撃が雲を切り開いた。
なるほど。この力があれば世界を滅ぼせる。
どんな鎧でもこの腕の力は簡単に引き裂くだろう。どんな剣でもこの身を傷つけることはできないだろう。内に秘めた魔力があれば一国を滅ぼすなど容易いものだ。
意気揚々と自分の城に帰り、どっかりと玉座に座る。
これから、どの様にこの世界を混沌に落としてやろう? まずは、多くの魔族を生み出すか、呼び出し、人間やエルフ共の国を攻めるのだ。
奸計を巡らせ、スパイを送り内紛を起こしてやっても良い。来るべき時に備えて、力を溜めておくのだ。
多くの人々を殺し、大地を荒らし、空を穢し、海を汚す。
この世界を凌辱するのだ。それは、何という甘美な光景だろう。
そうやって暫く愉悦に浸っていたが、一つの考えに行きつく。
あれ? 何やっても自分が負けるんじゃない?
『魔王』として生まれたヴァレッタには、この世界での歴史がある程度把握できていた。
幾度も繰り返される破壊と再生、魔王と勇者の戦い。
『不滅の竜』と呼ばれた魔王も、『不死の王』と呼ばれた魔王も、『破壊の権化』と呼ばれた魔王も皆、勇者に倒されてしまっているのだ。
それが、この世界のルール。
何だか無性に虚しくなっていた。何をやろうが意味がないのだ。
結末は変わらず、あとはどれ位、自分が暴れるかだけの話。
もちろん、勇者がすぐに現れる訳ではないだろう。
だが、遅かれ早かれ勇者がやってきて自分を滅ぼすのだ。この世界を守るために。
それで自分のやってきたことは台無しになる。
そう考えると、途端に世界が下らなく思えた。道化も良いところである。
そして、新たな考えが浮かんだ。
全部投げ出してしまおう。
自分が手を出さずとも、いずれ人は死ぬのだ。魔王の役目など知った事か。
人間など自分の知らないところで勝手に争い、勝手に死ねばいい。
自分はのんびりと、その時が来るまで―
「何もしない!」
ヴァレッタは勢いよく玉座から立ち上がると、城の中を徘徊し始めた。
応接間らしきところで豪華な三人掛けのソファーを見つけて、座り心地、寝心地を確かめる。
魔王城にあるだけに、なかなか立派な物だった。これからは、このソファーだけが自分の城だ。
満足したヴァレッタは、それを軽々と小脇に抱えると、再び外に向かって飛び出した。
上空から大地を見つめる。ここらの地域はちょっと寒すぎる。
どうせなら、色んな季節が楽しめる場所が良い。
美味しい食べ物や飲み物もある場所。なるべくなら住み心地が良い場所。
「南東に向かおうかの」
ソファー(魔王城)を持った魔王様は、そのまま飛び去ってしまった。
その事に、魔族たちが気付いたのは、しばらく経ってからの事である―
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「というわけで、それ以来、余はここにおるんじゃ」
「……」
「最初に来た頃は砦だけでのう。今ある城は、ここに領主が来てから建て直したものなのだぞ」
と、勝手に町の解説を始めた魔王を見つめる勇者。
その瞳に最早輝きはなく、ただただ諦観の念だけが篭っていた。
というか死んだ魚の目をしていた。
「他に何か質問はあるかの?」
「何もしてないんですか……?」
「うむ! 何もしてないぞ!」
「基本的に食っちゃ寝してるだけですもんねえ。魔王さんは」
焼いた鹿の肉が盛られた皿を置いて店主が続く。
「それが余なりの世界への貢献である! おお! 美味そうじゃのう!」
最早、溜息も出ない勇者は、ぼーっと目の前の光景を見つめていた。
「おお! 美味いのう! さすがじゃのう!」
「ええ、ゲルトの奴も褒めてやってください」
「勿論じゃ! 勿論じゃ!」
嬉しそうに鹿肉を頬張る魔王と、笑顔で答える店主。
気付けば酒場は満員。入ってきた人々は親しげに魔王に挨拶し、魔王もそれに答える。
ただ、向かいに座っている自分を見て不思議そうな顔をした後、店主に小声で確認を取っているようだった。
「倒される覚悟はあるんですよね?」
ぽつりと呟いた勇者の言葉に、魔王は動きを止めた。
それまで喧騒としていた酒場が一気に静まり返る。
「ふぉひろんふぁ」
「口の中の物を飲みこんでからで結構です!」
言われ、口の中にあった肉を噛み、エールで流し込んで魔王は答える。
「勿論あるのだ」
「今まで話したのは本当の話で、今の答えも本気なんですよね?」
前のめりになった勇者に対し、きちんと姿勢を整え直して魔王が答えた。
「当たり前だ」
勇者が椅子を立ち、腰に携えた剣に手を伸ばそうとする。
固唾を飲んで、見守る衆人。
勇者を見据えて、ニッコリと微笑む魔王。
「魔王さんいじめちゃダメー!!」
その静寂は、一人の少女によって破られた。
「ちょ、ちょっと待ってくれんかの? メイ、ダメじゃろ? 言っておいたではないか!」
あわあわと自分の前に走ってきたメイと呼ばれる少女を抑える魔王。
「だって、魔王さん優しいのに、いっつも遊んでくれるのに、何で倒されなきゃいけないの!?」
「余が魔王じゃからの? ええい、だから前から……」
「だって、だって」
「あ、ちょっと待ってくれるかの? この子の前ではさすがにの? メイ、良い子じゃから……」
一生懸命、メイをあやす魔王。その光景を見た勇者は剣の柄から手を離し、溜息を吐く。
「あのねぇ……」
「わ、分かっておるって! だからなメイ……?」
「こんな中で貴女を倒したら、どう考えても私が悪者じゃない!」
テーブルを叩いて勇者が怒鳴る。再び静寂を取り戻す店内。
「その、あの、な? 怒りっぽい人は魚を食べると……」
「そうじゃなくて!」
「メイ、魚きらーい」
「好き嫌いはいかんと、前から言っておるじゃろう?」
「だってー」
「ああ、もう! 話にならないから帰らせてもらうわ!」
勇者のその一言で、周囲の大人たちも一斉に安堵に包まれる。
「そ、そうかのう……せっかく来てもらったのにすまなかったのう……」
メイを抱えながらしょんぼりと魔王が答える。
「あと、魔王に奢られるわけにはいかないから! お代置いていくわよ!」
「そ、そうかの……」
テーブルにお金を置いて、店を出ようと扉を開くと後ろから多くの声が聞こえた。
「またのー」
「またねー」
「またのご来店をー」
「姉ちゃん勇者様だって? またきなよー!」
「あの姉ちゃんも美人だったな」
「いやー、やっぱり魔王さん……」
扉に手を掛けた勇者が振り返って魔王に言う。
「魔王なのに何もしない。ただ討たれるのを座って待つだけ……貴女、単なる穀潰しよね?」
ピキリと酒場の空気が音を立てた。
「……」
酒場にいる全員が声を出せない。
「そ、そんな……余は……余は……」
おろおろと周囲の人間を見まわす魔王だが、誰も目を合わせてくれない。
「え? え?」
勇者はゆっくりと扉を閉め、酒場の外に出る。一矢は報いただろうか?
外はすっかり夜になっており、見上げると星が空に瞬いていた。
「勇者か……」
自分の右手の甲に光る刻印を見つめて、一人呟く。
「私は……」
今は何も考えられなかった。
ただ、宿へ向けて足を進めるしかなかった。