迷宮19)夢だと思うの
ずーっとずーっと。
どこか遠くにゆられていくような感じがした。
深い眠りとともに、この世界にきて、わたしは初めて夢を見た。
たぶん。
夢だと思うの。
だってわたしは、前世と同じ姿をしていたから。
胸元の羅針盤懐中時計だけかな、違うのは。
この世界で迷宮さんになったときのように、わたしは、暗い場所にいた。
トンネルのように思えるその場所に、わたしは立っていた。
この糸は、なんだろう?
わたしの身体から、糸のような細い何かが、左右にのびている。
先端は遠すぎて見えなかった。
トンネルの後と先に、それぞれ真っ直ぐに伸びて、暗闇の中に消えている。
わたしが迷わないようにかなぁ?
まっすぐまっすぐ。
どちらかの糸を辿れば、どこかに出られそうな気がする。
わたしは、糸にそって、薄暗い中を歩いていく。
……まだ、着かないのかな?
大分歩いたような気がするのに、トンネルの出口は見えない。
反対側の糸を辿ったほうがよかったのかな。
暗いから、方向感覚が分からない。
わたしの場合は、明るくてもわからなそうだけど。
いっぱい歩いたから、戻ってもう一つの糸を辿っても、また同じぐらい歩く気がする。
だから、わたしはてくてくと、糸を辿ってそのまま歩き続けた。
幸い、疲れは感じないのが嬉しい。
迷宮さんになったからかな?
それとも、夢だからかな?
どのくらい歩いただろう。
だんだんと、辺りが明るくなってきた。
出口が近いのかな。
そうだと嬉しい。
疲れなくても、暗い中を歩き続けるのって、気持ち的にちょっと楽しくないのですよ。
わたしは、心なしか足早に、出口に向かって歩き進める。
だんだん、出口の光は大きくなって、視界が開けた。
『えっ』
わたしは、息を飲む。
声は当然出ていないのだけれど。
開けた視界に映し出されたもの。
それは、前世の世界だった。
『お、かあ、さん……?』
わたしは、どこかの部屋の上から、中を覗いているような感じで見ていた。
出口は、透明な壁に阻まれて出られない。
お母さんが泣いていて。
すぐ側に駆け寄りたいのに、出来なくて。
お父さんが、お母さんを支えるのが見えた。
ここは、どこなの?
ベッドで眠っているのは、わたし……?
わたしの身体から伸びている糸は、ベッドで眠るわたしに繋がっていて。
ひっぱっても、取れなくて。
ベッドの周囲には、弟と、あと、トラックの運転手さんがいた。
運転手さんはね、わたしが顔を覚えていたからすぐにわかったの。
ごめんね、わたしが飛び出したせいで。
信号は赤だったから、トラックの運転手さんは少しも悪くなくて。
だけど必死に、お母さんに頭下げているのが見える。
声は聞こえないけれど、動きでわかった。
でも、あれは誰だろう?
わたしの眠るベッドの側に、見慣れない背中があった。
お医者様?
ううん、ちがうよね。
だって、お医者様なら白衣を着ているもの。
長く伸ばした黒髪を後で縛っている男性。
少し、アンティークな服を着ている。
どこか懐かしいような、不思議な気持ちだ。
会った事なんて、ないと思うのに。
お母さんが、わたしの手をとって、さらに泣きはじめた。
わたしはズキンと心臓が跳ねるのを感じた。
きっとこれは、わたしが死んじゃった時の夢なのね。
ごめんね、お母さん。
親より先に死んじゃうなんて。
お父さん、黙ってるね?
つらいときは、何も言わずにじっと耐えるのがお父さんだものね。
ごめんなさい。
ごめんね、伸くん。
今頃きっと、こんなことなら俺が雑貨屋まで案内しておけばよかったって、きっと後悔してるよね。
駄目なおねーちゃんで、ほんと、ごめんね……。
いつの間にか、わたしも泣いてて。
でもどうにも出来なくて。
その場にうずくまった。
死んでしまったことを、本当に後悔した。
……?
いつまで、出口でうずくまっていたかな。
だれかが、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
――さん――迷宮――さん……
羅針盤懐中時計が、淡く輝いた。
『迷宮さん……っ!』
この声、ルーくん?!
ルーくんの呼ぶ声が、直接、頭の中に響いた。
必死に、精一杯叫ぶ声。
ルーくんに何かあったの?
そうだ。
迷宮の、みんなは?
わたしははっとして立ち上がる。
出口から見えるみんなに、わたしは深く、頭を下げる。
きっとこれは、神様からの贈り物だ。
死んじゃったときは、本当に一瞬だったから。
夢でも、みんなの姿を見れて、よかった。
声が届かなくとも、謝れて、よかった。
大好きでしたよ。
わたしは、出口に背を向けて、トンネルの中に戻った。
来た時とは反対の糸を辿るようにして、わたしは進んでいく。
進めば進むほど、ルーくんの声と、羅針盤懐中時計の輝きが増してゆく。
わたしは、光が溢れる出口に、一直線に飛び込んだ。
◇◇
「迷宮さんっ!」
「ん……っ」
眩ゆい光に、わたしは目を細める。
ルーくんが、わたしを抱き起こすように支えてくれた。
でも。
「ルーくん……?」
「迷宮さん、良かった、目を覚ましたんだね」
「ルーくん、なの?」
わたしは、目を瞬く。
ルーくんは、ルーくんだけどルーくんじゃなかった。
すごく、大きくなってる。
女の子みたいだった面影はそのままに、精悍な顔つきに。
細かった身体は、背がぐっと伸びて、程よく筋肉がついている。
もう男の子じゃない。
青年だ。
「あの日からずっと眠ってて、迷宮のみんなもいなくて。でも、青い月の夜がまた来たら、迷宮さんの気配を感じたんだ」
「ずっと? ルーくん、わたしは、どの位、眠ってたのです?」
「五年だよ」
「五年……」
実感がわかない。
でもルーくんの姿を見る限り、事実なんだと思う。
わたしは、五年間も眠ってしまってたのです。
「あっ、迷宮のみんなは? みんなっ、どこっ?!」
わたしは、パッと立ち上がる。
え。
立ち上がる?
わたしは、自分の身体を見た。
「えっ、わたし、人間?!」
「ううん、ちょっと違うかな。迷宮さんは、女神像だよ」
「女神像? でもちゃんと、肌の感触があるわ」
自分で自分を抱きしめる。
肌を抱きしめているのが分かる。
でも、そこに温もりはなかった。
衣類も女神像のもので、胸元にはルーくんがくれた羅針盤懐中時計が揺れている。
「迷宮さんの気配を感じたから、ここに駆けつけたんだ。そしたら、女神像が光って、迷宮さんになったんだよ」
「そうだったの。迎えに来てくれて、ありがとう。ルーくんがいなかったら、起きれなかったかも」
夢の中で、ルーくんが呼ぶ声が聞こえて。
だからわたしは、戻ってこれたの。
わたしは、意識を迷宮中に張り巡らす。
コビットさんが、スライムさんが、ゴーレムさんが目を覚ます。
ソードさんにケロケロさんに、ハーちゃんピーちゃん小鳥さんの三羽も目覚めた。
とたんに騒がしくなる迷宮。
『こびっ☆』
『ぷーにぷにっ♪』
『ゴーレム、眠りを守った!』
『今日も平和だケロ』
『ソード、こびこびっ!』
「うぉっ、ソードさん、寝起きから元気だな。いいぜ、稽古に付き合うよ」
「あらぁ、しばらく見ないうちに随分男前です事。わたくしのしもべにしてあげてもよろしくてよ?」
「わたくしたちのしもべになれるなんて、光栄ね」
「ね~♪」
「おいおい、ハーピーさんたち、しばらくぶりなのにそれ?!」
「うんもぅっ、ちゃんと名前で呼んでくれませんと、怒りますわよ?」
「わりぃ、ハーちゃん、ピーちゃん、小鳥さん。おはよう! みんなが元気で嬉しいよ」
うん、みんなも一緒に眠ってたのですね。
五年間も眠っていたのに、みんなが無事でよかったのですよ。
でも。
「わたしの迷宮、ゴミだらけだーーーーーー!!」
誰も掃除を出来ずに五年間放置だったから。
埃はもちろんの事、落ち葉やら何やらがうっそうと降り積もってる。
つるつるすべすべだった壁は、いまやゴワゴワぼろぼろだぁっ。
「迷宮さん、俺も手伝ってあげるからさ。そう嘆かないでよ?」
ルーくんが肩に手を置いて慰めてくれた。
しくしくしく。




