6立ち上がってください
6立ち上がってください
「『火炎弾』」
猛火が、黒い小鬼を消し飛ばし、ピンク色の肉の壁に激突する。けれどそれは少しも傷ついたように見えず、煙が晴れた後はそれまでと同じ様子でけろりとしている。
「壁は破壊不能か」
僕は分かりきっていたこととは言え、小さく溜息を吐く。
「だな。壁壊して進めれば楽でいいのにな」
コーイチが美少女の顔に憂いをみせて、残念そうに言った。
鯨の体内に飲み込まれた僕らは、しばらくパニックに陥ったけど、いつまでたってもゲームオーバーの表示が出てこない事から、これが予定された次のステージであるとすぐに確信した。四体の役付きシャドゥをたおせばステージを鯨の体内に移すというシナリオなんだろう。
まぁ、もしもこれでゲームオーバーだったら、すごいクソゲーだけど。
まず間違いなく、この奥にシャドゥロードがいるのだろう。
「しかし、どうにかならねぇか!」
まったくだ。
迷路のような鯨の体内には、小鬼が無数に生息していた。もう何百体倒したか見当も付かないほどである。そして、実は僕はかなり焦り始めている。
「『火炎弾』!」
僕はここにきて、ほとんど火炎弾しかつかっていない。
理由は簡単だ。
ここには液化して弾丸に出来る物質が存在しないのだ。
どんな場所でも補給なしで戦えるように考え出した僕の戦法は、ここにきてまったくの役立たずとなっていた。
「くそ」僕は悪態を吐く。小鬼達の掃討は非常に面倒なだけで問題はない。けれど奥に控えるシャドゥロードを、果たして火炎弾だけで倒せるだろうか?
「あっちだ、こいコーイチ!」
迷路の先に光明を見て、コージが僕を呼ぶ。
液状にした火炎弾を鞭のように振り回しながら、僕はうじゃうじゃと群がる小鬼たちを蹴散らした。
いつの間にか、時計の針は午前四時を指していた。三日間のとてつもなく長いクエストは、残すところ五時間しかない。
「時間切れとか、本当に勘弁してくれよ」
日本刀を振り回しながら、コージがぼやく。
まったくだ。
そう言えば僕はまだクエストを失敗した事はない。失敗したら、同じクエストにもう一度挑戦できるのかな。
『それはできません』
頭の中で、僕の疑問にソフィが答える。
『クエストに再挑戦はできません。ですから、より多くのクエストクリアに成功したソルボーイほど、有利になっていきます』
なるほど。
クエストの数が有限で、一度しかいけないのなら、獲得できるルナは失敗していないものほど多くなる。
このゲームにおいてはスキルこそがすべてだ。
であれば、一クエストも落とせない。
ましてや、このクエストははじめてのオープンクエストなのだ。
今後他のプレイヤーとの共闘、あるいは競闘が増えるとすれば、絶対にクリアしなくてはいけない。
僕は焦り始めていた。刻一刻と迫るタイムオーバー。封じられた戦術。三日分の精神的疲労。それらがない交ぜになって、僕の気ばかりを急かす。
焦りが、ゲームにおいて一番の敵だってことを僕はよく知っていたはずなのに。
やがて残り時間が三時間を切ったとき、僕らはようやくそこにたどり着いた。
そこはだだっ広い広間になっていて、ピンク色の玉座が一つ据えられている。そこに、シャドゥロードは独り座していた。
五メートルはありそうな身長。ソルジャーのそれより頑丈そうな漆黒の全身鎧。傍らに置かれた三メートルはありそうな巨大な幅広の剣。
そして二つの血走った目が、冑の隙間からこちらを睨みつけている。
それは、正に魔王と呼ぶのに相応しい風体であった。
「さすがに強そうだな、おい」
コーイチはそう言うと油断なく日本刀を構える。
僕は右手人差し指を魔王に突きつける。
この三日の、最後の戦いが始まる。
結論から言ってシャドゥロードは強かった。アーチャーとナイトを同時に相手したときの、大体二割り増しくらいの強さ。
いくつかのスキルを封じられている僕には決定打がない。
コージは隙を見てロードの大剣を奪おうとするものの、あまりに早い魔王の動きにそれが出来ずにいる。
魔王は力強く、それでいて素早かった。
まるで黒い竜巻の様に、すべてを巻き込む勢いで大剣が揮われる。その力はものすごい脅威だ。
しかし。
「だいぶ慣れてきたな」
コージが言うとおり、飛び道具がない魔王はだんだんと追い込まれてきていた。
如何に強いとは言え攻撃方法が物理攻撃一辺倒であれば、「飛燕」や「火炎弾」で、徐々に体力を削っていく事が出来る。甲冑のあちこちに皹が入り、動きもはじめの頃の精細さを欠くようになっている。
もう一息だ。
僕がそう思ったとき、魔王はしかし静かに大剣を地に下ろした。
「なに?」
コージが怪訝そうに半歩引く。
魔王はその両の手の平を向かい合わせるようにして構える。ここに来て飛び道具か!僕がそれを警戒して身構えたとき、魔王の手の平から目映い光が解き放たれた。
葬儀は雨の中行われた。
しくしくと降り注ぐ細い雨よりも、でも弔問客の涙の方がもっと重たく葬儀場を震わせていた。低く聞こえる読経。すすり泣き。
僕はその中で独りいたたまれない気持ちで顔を伏せている。
僕のせいだ。
僕が負けたばかりに姉ちゃんは死んでしまった。
涙で視界がにじみ、喉の奥がじんじんと痛む。どうして、どうして出来なかったんだろう。
「思い上がりはやめなさい」
「母さん?」気がつけば母さんが目の前に立っていた。
母さんは見たこともないような冷たい目で僕を見る。
「あんたが、これまで何か一つでも成し遂げられた事があった?ないでしょ。勉強も、スポーツも、習い事も、あんたの身になったものは一つもなかった。そのあんたが姉ちゃんを助ける?一体どんな根拠があってそんなことができると思ったの?」
母さんの言葉が僕の心に突き刺さる。
そうだ。
僕は何も出来ない子供だ。こんな僕に、どうして姉さんを救うことなど出来たろう。気がつけば、親戚も弔問客も、皆僕の方を見ていた。
それは一様に冷たい視線だった。
「なんでお前が残ったんだ」父さんがそう言った。
「ヒーロー気取りであんたがもたもたしてる間に」よく飴をくれる伯母さんがいった。
「なんであいつを助けてくれなかったんだ」姉ちゃんの彼氏が言った。
「孝一」じいちゃんがぞっとする冷たい目で言う。「お前には無理だったんだよ」
皆が言う。
思い上がるな。お前には無理だ。何様だ。
そうだ。
僕はそうだ。
僕は何も出来ないお子様だ。
今まで何か出来た事なんて一度だってない。
暗い、どこまでも暗い感情が僕の胃の辺りに重く圧し掛かる。
それが絶望だってことを僕ははじめて知った。
いつのまにか葬儀場は消え、人もその姿をなくしていた。ただ何もない空間で、無限の冷たい視線だけが僕をじっと見つめている。
冷たい視線が雨の様に僕を打つ。
「あぁ」
僕の意識は暗転した。
目を開けると、僕は美少女の体を横たえていた。
指がぴくりとも動かない。いや動かす気がおきない。
あれが魔王の見せた幻覚であることに、僕はすぐに気づく事が出来たけど、でもそれはどうでもいいことだ。
僕には無理だ。
僕ははっきりそう思った。
つらいことはいやだ。
いたいこともいやだ。
もういい。
もう、僕はここでいい。
魔王がいた。
黒い大剣を振りかぶり、それを今にも僕に叩きつけようとしていた。
いいよ、と僕は思った。
『マスター!立ち上がってください。よけてください!』
頭の中でソフィの声がする。
でも、僕はその声には答えられない。ソフィ、君もきっといつか僕に失望するよ。
『マスター!』
僕は必死に声を掛けてくれるソフィの声に嬉しさを感じ、この多幸感のまま切られるならいいや、とそう思った。
剣はゆっくりと振り下ろされ、そして飛来する斬撃にはじかれて僕の頭部を逸れた。
「冗談ごとじゃねぇぞ」
僕は視線だけを声の方に向ける。そこには、よろよろとしながら頭を押さえ、それでいて射抜くような目でこちらをみる金髪の美少女の姿があった。
「立て、コーイチ!!」
コージはそう言って魔王に切りかかる。
魔王はどこか困惑する様に後方に下がった。
「確かに」コージは言った。「確かに俺は最低な人間だよ」
「願いを叶える為に、本当は一番大切なはずのものを犠牲にする、最低な人間だよ。でもな、それが願いなんだよ。それが人間なんだよ。胸張って生きていけなくても、それが人間なんだよ。立てよ、コーイチ!お前の願いはそんなものか?どうしても叶えたい願いがあるんだろうが!」
「でも」と僕は言った。少女のつややかな唇が動いた事が、意外だった。「でも僕は何も出来た事がない。きっと今度も出来ないよ」
僕がそう言うと、コージが僕の胸倉を掴んでひっぱりあげた。だらりと四肢を投げ出すに任せる僕を、コージはしっかりと見据えた。
「お前はまだガキだろう?十四だろ?何が出来てなくても出来ていても、そんな事はまだいいんだ。望もうが望むまいが、生きていけばその後には何かが残る。道が出来る。あとからそれを見返して、その時こうすれば、ああすればなんて人間は考える。俺だってそうだ。いつもああすれば良かったこうすれば良かったって、そう思いながら生きてる。
だからだ!お前はまだ何も出来てないかもしれないけど、何も終わってなんかないだろ?願いの為に、まだ足掻いてもないだろ!立てよ。構えろよ。敵を倒せよ。何も出来た事がないって?何か出来るのが今日じゃないって、なんでそんなことが言えるんだ!」
僕の目に涙が溜まった。勿論それは錯覚だった。クレセントガールは涙を流さない。
「ソフィ」僕はいつか言った様に頭の中の少女に尋ねる。「僕に、姉さんを助ける事が出来るかな」
ソフィは少しの沈黙の後、やはり同じ様に言った。
「可能です」
その瞬間、僕の足は大地を踏みしめていた。
「ごめん」
「いいさ」
コージはそう言うと美少女の表情で笑った。僕は人差し指を魔王に向ける。
「シュート!」
倍化された火炎弾が魔王を襲う。
手札がないなら、ある手札で闘うだけだ。
燃え上がる魔王に向けてコージが切りかかる。
「『飛燕』!!」
剣閃はしかし大剣によって弾かれる。だが、僕はすでに次の手を打っていた。
「『遠隔五歩』『液体空気爆弾』」
僕の声に、驚いた様に振り返るコージ。でもコージは振り返った後より驚いた。
まぁ僕ならもっとびっくりしただろう。
振り返ったら青い髪の美少女が全裸でいたんだから。
「ごめんねソフィ。なりふり構っていられないんだ」
僕は真っ赤になりながらソフィに詫びる。しかし微笑と共にソフィは言った。
『マスター。行きましょう』
「うん!」
僕は液化したソフィの衣装と液体空気を混ぜ合わせた物体を魔王に向かって放り投げる。魔王は反射的にそれにきりかかり、そして爆弾が炸裂する。
轟音が鯨の体内に響き、魔王は顔面から白煙を上げながら、おもわずその手から大剣を取り落とした。
「コージ!」
「おう!『引き寄せ』!!」
慌てて大剣を拾おうとする魔王の手を逃れ、大剣がコージの手の平の中に納まる。僕は人差し指を魔王に向かって突きつける。
「シュート!!!」
「『飛燕』二刀!!」
火炎の塊と、二本の剣から放たれた斬撃が魔王を捕らえる。
続く攻撃を避けるすべを、すでに魔王は持たなかった。
「これで」
「仕舞いだ!」
炎の鞭と、二刀の剣が魔王に襲い掛かる。
悲鳴のような甲高い音を立てて、魔王の甲冑が砕ける。
「スキル変更『袈裟切り』『火炎弾』」
「スキル変更『ソバット』『火炎弾』」
コージは大きく振りかぶり、僕は右足を引く。
「『火鴉』二刀!!」
「『ファイアーシュート』」
甲冑が割れた魔王に炎の追撃が襲い掛かり、そして魔王の体が黒い霞となって消え去った。
「クエストクリア!」
ポップアップに急かされるまでもなく、僕はそれを確信していた。
「お前一回同期解除しろ」
そう言われて、僕は自分が全裸である事を改めて思い知り、赤面した。鯨から脱出した僕らは、いつの間にかあの巨大マンションからそう遠くない場所に下ろされていた。僕は同期を解除し、そして町の喧騒が蘇る。
目の前には青い髪の美少女。衣装はちゃんと復元していた。よかった。
「がんばりましたね。マスター」
「うん」
僕は短く言うだけだった。照れくさい。
「コージが待ってるから」
僕がそう言うと、ソフィは唇を尖らせ、でも次の瞬間には微笑した。
「そうですね」
ソフィは僕の肩をそっと掴み、唇に口づけする。
それはいつもよりほんの少し柔らかく、優しかった。
「フレンド登録」
新たにステータスウィンドゥに登場したその項目を見つけたとき、僕とコージは視線を合わせ、そしてにやりと笑った。
いつかは敵同士。
それでも、今日は友。
「アリシアがフレンド登録されました」
フレンド一覧に、コージのキャラクター名アリシアが表示される。
「コーイチ」コージが車のドアを開けながら言う。「送ってやるから、乗れよ」
帰りの車の中でコージはこう言った。
「最後の二人は俺とお前だ。俺とお前のどっちかが、最後に残る」
僕はそれを約束し、そして長い冒険を終えて家にたどり着いた。
「ただいま」という僕の言葉に返事がなかった。じいちゃんは留守の様だ。居間に書置きがあり、夕方には戻ると書いてあった。
ソフィを二階に上がらせると、僕は母さんに電話した。キャンプに行くという嘘は連絡しておいたが、三日間一度も電話をしなかったことに不信感を持っているかもしれない。そう思ったから。
でも実際に電話するとあっさりしたもので、今日まで僕のことを忘れてたと言う様なことを言った。僕は拍子抜けしてしまう。ソフィは調整力が働いたのだろうと言った。僕にこのゲームをさせている誰かさんは、社会的な都合で僕がゲームを継続できなくなることを望んでいない。だから、僕がクエストに行って三日も留守にしたことが、違和感なく受け入れられるように調整力が働いたのだという。
「先に言ってよ。そしたら変な言い訳する必要なかったのに」と不平を言うと、ソフィはバツが悪そうに微笑んだ。
コンビニに行き、食料品を買って帰る。ATMでお金を降ろそうとしたら、150万入金されててまじでびびった。このお金を母さんに説明することはまず不可能だけど、調整力とやらで何とかなるのかな。
僕はお弁当を二つ買うと一つをソフィにすすめた。ソフィは嬉しそうに箸を割った。PCでソルガルのページを確認すると、まずオープンクエストクリアおめでとうございますという文字。
次いで、中位スキルが開放されたことが書かれていた。僕はそれらを眺め、優先して覚えるスキルを吟味する。
またオープンクエストがいくつか更新されている。それらはクエスト参加人数が2とか4とかになっていて、開始時間と開始場所が指定されていた。すでに受注されているクエストもある。
その時、僕のPCにメールが届いた。差出人はアリシア。アドレス交換をしたからコージがメールしてきたのだ。
文面は短い。
「どれ行く?」
僕は苦笑してクエスト一覧を眺めると、一番ルナがもらえそうなクエストをメールした。
僕は忙しい。すぐに中位スキルとその複合スキルの研究をしなくちゃいけない。でも。
「ふぁ」
思わずあくびが出る。戦士にだって休息は必要だ。
僕はソフィに少し寝るから漫画とか読んでていいよ、と告げてベッドにごろんと身体を投げ出した。するとなんとソフィも僕の横に身体を投げ出してきた。二つのやわらかなふくらみが僕の背中に押し付けられ、すべすべした太ももが僕のふくらはぎのあたりに触れる。
「ちょっと、ソフィ」
僕が抗議しようと振り返ると、ソフィはもうすやすやと寝息を立てていた。
まぁ、いっか。
ソフィだって疲れたのだろう。僕はそのあまりの寝顔の可愛らしさに起こす気にもなれず、ソフィに背中を向けて目を瞑った。とてもじゃないが向かい合って寝る度胸はない。
姉ちゃん待っててね。
僕は心の中で決意を新たにする。
必ず助けるからね。
冒険は始まったばかりだけど、僕はとりあえずの休息の為に、まどろみの中に意識を落とした。