18大人になったら続きをしましょう
18大人になったら続きをしましょう
「どうした孝一」
じいちゃんがしょんぼりする僕を見咎めて歩いてくる。格好悪くてしかたないけど、僕はそれをじいちゃんに見せた。
「はは。どうしたんだ、これ」
「クラスの奴が書いたんだ」
僕のランドセルの後ろに木工用ボンドを使って、隣の席の女の子との相合傘が書かれていた。
別になんとも思っていない子だ。
よく話すけどそれだけの子。
女の子はそれを見て泣き出してしまい、僕はついついかっとなった。
僕はこの理不尽な仕打ちに頭に血が上って、そいつを叩いて泣かせると、ランドセルを抱えて家に帰ってきたんだ。
「ごめん、じいちゃんに買ってもらったのに」
ランドセルは入学祝いにじいちゃんが買ってくれたものだ。なんの変哲もないものだけど、だから僕のお気に入りだった。
情けない顔をした僕に、じいちゃんがにんまりと笑うと、「そんな顔するな、こんなのすぐ落ちるよ」と言って、僕を連れてお風呂場に向かった。
木工用ボンドは水溶性なので、お湯で簡単に落ちた。僕はほっと胸を撫で下ろし、じいちゃんに笑いかけた。
その日の夜、僕が叩いて泣かせた子と両親が家に来て、どういうことだと怒鳴り散らした。
僕のことを暴力をふるう躾のなってない子どもだとののしり、事実そうだったので僕は俯いているしか出来なかった。後ろから、まだ高校にあがったばかりだった姉ちゃんがそっと手を握ってくれた。
「孝一、下向いてることなんてない。お前、何か間違ったことをしたのか?」
じいちゃんにそう言われて、僕は顔を上げた。
そうだ。
僕は大切なものを守ろうとしただけだ。何一つ間違っちゃいない。
家族はみんな僕の味方をしてくれた。
当時はまだお父さんが家にいたので、「場所をかえましょう」といって向こうの両親と出て行った。
どんな話し合いがあったかはしらないけど、それ以来そいつが僕にちょっかい出してくることはなかった。
今思えばだけど、あいつは僕の隣の席の子を好きだったんだろう。他愛もない子どもの話。たまたま親が出てきたから話が大きくなっただけだ。
でも僕はこの時、自分が間違っていないなら、決して卑屈になってはいけないんだってことを学んだ。
じいちゃんはあの時言ったね。
お前、何か間違ったことしたのか?
姉ちゃんの為に戦わないじいちゃんは、間違っていないの?
その日が来た。
八月二十一日。すべてのソルボーイズにとって最後のクエストが始まる。
じいちゃんはあれ以来家には帰ってこなかった。
幸いお金は信じられないくらいあるので、ご飯は外食するか出前を取った。
上位スキルの研究、ウェポンの研究、そして少しでも多くのルナを集めるなどなど、やることはいっぱいあったので、僕は忙しさの中でじいちゃんのことを忘れることができた。
ソフィは心配そうに僕を見ていた。
僕はがむしゃらに戦った。
危険な時もあったけど、決して負けはしなかった。
八月二十日の夜、さすがに興奮して眠れない僕の隣に、そっと添い寝してきたソフィが囁いた。
「明日が最後ですね」
僕は振り向かないまま答える。
「うん」
目を開けると、低い声で言葉を続けた。
「今までありがとう」
「いいえ」
ソフィは僕の背にふわりと体を重ねてきた。心臓がバクバク言う。これでソフィは僕のケアプログラムだというのだから、完全に僕の健康には逆効果だ。
ソフィは上体を起こすと器用に僕の顔にその愛らしい小さな顔を寄せてきた。
気がついたときにはふっくらした唇が僕の唇に押し当てられていた。
同期?こんな時間に?
僕がわけも分からずわたわたしていると、ソフィの唇は何事かをつぶやくようにやわらかく動いた。
唇を当てているだけなのに、口の中に甘い味が広がった。
どのくらいそうしていたのか。
ソフィは唇を離した。
ソフィははにかむようにわらう。
青い髪が揺れ、襟から覗く形のいい鎖骨や白い肌にどきどきする。
「初めての、キスです、マスター。でもお別れの挨拶というわけではありません」
それは確かに同期をするためではない、ただキスをするためのキス。初めてのキスだった。
ソフィはそのままがばっと僕を抱きしめる。
いとおしいと言う気持ちが僕にもこみ上げてくるけど、だからと言って何をしていいかは分からない。
「大人になったら続きをしましょう」
僕は子どもなんだなと思った。
ソフィの暖かさの中で、僕は知らずまどろみ、意識が遠のいていった。
東京ドームに来たのは初めてではない。父さんと野球観戦に来たことがある。
タクシーを降りると、僕はソフィと同期した。
喧騒が消える。
世界は静寂に包まれる。
僕は青い髪の美少女の身体をしばし見る。
この三十日間、僕はこの身体で戦ってきた。
姉ちゃんを助ける為に。
この戦いが終わるころ、医師は最後の検査を行うことを、僕らに告げるだろう。
まだ生きている姉ちゃんの人工呼吸器を外し、自発呼吸がないことを確かめ、そして、姉ちゃんを死んだことにする。
僕だって分からない。
姉ちゃんの臓器があれば命が助かる人がいるというなら、それは正しいことなのかもしれない。
でも、でも。
僕の姉ちゃんはやらない。
返してもらう。
僕は東京ドームシティを抜け、エントランスをくぐった。
「ソルボーイの方ですね?お待ちしておりました」
小さな帽子をちょこんとかぶった受付嬢がそこにいた。
僕は反射的にどうも、とか言いそうになったが、ちょっと待て。これ位相差空間だよね?
「私はソルガル!のスタッフです。どうぞこのままお進みください」
スタッフ?いたのかそんなの?
普通に考えればいて当然なのだが、でもこれは非常識なゲームソルガルだよ?
僕は釈然としない気持ちで通路を進み、ドームの中に脚を踏み入れた。
その光景は僕の想像を完全に超えるものだった。
五万人の観客!
東京ドームの客席は完全に埋まり、どよどよとした人の雰囲気で騒々しい。
「なんだ、これ?」
観客席にはタキシードを着てシルクハットを被った紳士や、コルセットを巻いて胸を強調するドレスを着た貴婦人達がオペラグラスなんか持って談笑している。
これはなんだ?
観客なんて、そんなのいるはずがないのに。
この世界に存在するのは、クレセントガールだけのはずだ。
僕が困惑していると、受付の女性と同じ格好をしたきれいな女の子が現れて笑顔で言った。
「こちらです。プレイヤーの控え室にご案内します」
通されたのはどうやら個室だった。
東京ドームの選手控え室が、ホテルのロイヤルスイートのような内装をしているとは初耳だったが、まぁソルガルである。このくらいはするだろう。
「十五分後、九時丁度にクエストが始まります。そろそろ会場に向かいましょう。開会した後は、ここで寛いでくださってもリング脇で試合を見ていても結構です。試合の状況はドーム内エキシビジョンテレビや、個室の液晶テレビにも映ります」
僕は一息つく暇もなく女の子に連れられて会場に向かった。長い廊下をつかつかと歩く。
僕は道を歩きながら少女に尋ねる。
「ねぇ、君達はだれなの?」
僕の質問に少女は首を傾げる。
「誰?とは?」
「この世界、位相差空間にはクレセントガールしかいないはずじゃなかったの?」
僕の言葉に、少女はうっすらと微笑んだ。
「その認識は間違いです。正しくは、『あらゆる人間が存在しない』です」
だからなんで君達はここにいるの?という僕の質問は発されなかった。
目的地についたからだ。
「ようこそ。最終クエストが始まります」
綺麗な礼をする少女の背後で、重い扉が開いた。
定刻通り、クエストは開始された。
「紳士淑女の皆さん。ならびに偉大なる太陽の子どもたちよ。ついに、最終クエストが始まります!私は司会のデザイア。これから先のクエストの進行を担当します」
そう言ったのはきわどいレオタードのお姉さんだった。ハイレグの水着の様な衣装に、なけなしの小さなチョッキを着ていて、大きな胸がそれを持ち上げている。
腰までたなびく長い髪に切れ長の目をした美女、デザイアは愛らしく会場に笑いかけた。
観客が熱狂して歓声をあげる。
だから、なんなんだよあんたたち。
東京ドームの中央には巨大なリングが設えられていた。
僕のほかには十三人の美少女戦士たちがリングの前に並んでいる。
この数はかなり少ない。
それでもまだ二十人くらいのクレセントガールは残っていたはずだ。
このわずかな間に、その数はかなり減ったらしい。
僕はその中にコージの姿を見つける。
コージは決してこちらを見ようとせず、僕の胸がちくりと痛む。
「あら、おひさしぶり」
聞きなれた声に振り向くと、そこにいたのはメアリだった。相変わらず大きな胸が窮屈そうだ。っていうか何その格好?胸元開いたナース服を着た金髪の美女はいやらしく笑う。
「やだ。どこ見てんの」
うるさいですよ。
僕は自然とオリビアを目線で探した。その視線に気づいて、メアリが悲しげに目を伏せる。
「彼女はここまで来られなかったわ」
「そう……」
同情も、憐憫もない。
どちらにせよ、ここでたった一人にまでなるのだから。
当然のように、リリスとルシアの姿もあった。
「俺とあたるまで負けるなよ」
リリスの目が僕にそう語りかけていた。
デザイアが言葉を続ける。
「では、ルールを発表します!
今回のクエストは完全無欠のトーナメント方式!
十三人の参加者がランダムに決められた順に一対一で戦っていただきます。判定は唯一相手のクレセントガールの破壊、これのみ。勝利すると相手のクラスの鎧石が手に入ります。相手が所持している鎧石は残念ながら手に入りません。気になるトーナメント順は次の通り」
デザイアがそう言うと、エキシビジョンテレビにトーナメント表が映し出される。
ルシア 対 フェイ
サラ 対 アリス
リリス 対 レン
アリシア 対 ララ
ソフィ 対 メアリ
ミシェル 対 ジュリア
メイア-シード
「なん、だって?」
発表されたトーナメント表に僕は唖然とする。
僕の対戦相手は。
「お手柔らかにね、コーちゃん」
メアリは悲しげに笑った。
割り切れ。
これは遊びじゃない。
願いをかけた戦いなんだ。
姉ちゃんの命をかけた、戦いなんだ。
そしてその願いについて、デザイアは語り始めた。
「そして優勝者、たった一人の勝利者には、たった一つ、あらゆる願いが叶います。これは掛け値なしにあらゆる願いです。ソルガル!運営は三次元より高位次元の存在ですので、どんなとんでもない願いでも叶うでしょう」
この時、僕には閃くものがあった。
どんなとんでもない願いでも。
デザイアは今、そう言った。
姉ちゃんを助けるとことと、たとえばリリスの脚を治すことは二つの願いとしてカウントされるからどちらかを選ばなくてはいけないだろう。
でも。
たとえばそれが………。
僕はこの思いつきに賭けてみたくなった。
でもまずは勝つことだ。
ここにいる全員に。
メアリに、ルシアに、リリスに、そして。
コージに。
ねぇ。
僕はその言葉が届くはずもないと知っているのに、頭の中で言葉をつむいだ。
じいちゃんの願いはなんなの?