11もう少しだけ、このままでいてください
11もう少しだけ、このままでいてください
ざわざわざわ
街の喧騒で僕は目を覚ました。
反射的に下半身に目を向けたけど、そこには傷一つなく、大体からしてそれは僕自身のジーンズに包まれた脚だった。
歩道脇のベンチに座る僕の頬に、髪の毛のいい匂いが香る。
「よかった。目覚められましたね。お加減はいかがですか?」
目線を向けると、青い髪の少女が安堵した表情で僕を見ている。僕はどうやらソフィにもたれかかって寝ていたらしかった。
ソフィの肩口、というよりほとんど胸に頭が寄りかかっている。
僕があわててその場を離れようとするとソフィにきつく抱きとめられた。
柔らかい女の子の身体のいろいろな部分が、僕のあちこちに押し当てられて困る。道行く人が、好奇心むき出しの視線で僕らを見て通り過ぎていく。
「もう少しだけ、このままでいてください」
夏の日差しは眩しかったけど、僕を抱きしめるアンドロイドの少女の身体は、それとは違う不思議な暖かさで僕を包んだ。
「君がコーイチか?」
僕ははっとして声の方を見る。
それは妙に落ち着いた少年の声だった。ソフィが僕をかばうように腕に力を込める。
「警戒しなくていい。こっちの世界じゃ、俺には何もできないよ」
そう自嘲気味に笑う少年の傍らに、赤い髪の少女がいた。
ふたたび同期して位相差空間に戻ると意外にも主だったメンバーがそのまま僕を待ってくれていた。
「コーイチ!」
「あらら、やっとお目覚めね」
そう言って迎えてくれるオリビアとメアリ。
僕はもう本当はこの場にいる必要なんてないのに、こうして僕を待ってくれていた二人に、照れくさかったけどお礼を言う。
「ありがとう」
二人はそれに笑顔で答えた。
「本当に申し訳なかった」
黒髪が艶やかな美少女、セシルが僕に謝る。僕は困った顔でやめてくれという。
「別にセシルのせいじゃないよ」
それは本心からの言葉だった。いずれにせよ、僕とリリスはいずれ戦っただろう。僕にはそんな気がしていた。
「いや、俺のせいだ。何もしらなかったで済まされることじゃない」
そうして頭を上げようとしないセシルに、僕はどうしたものかと困ってしまう。
事の顛末はソフィに聞いていた。
僕がリリスに勝利して意識を失ったあと、四戦目の合図が現れると同時に、セシルは自分で自分の宝石を壊したのだ。
クエストは僕らの勝利で終わり、意識を失っていた僕とリリスは強制的に同期を解除された。
もう一人いた対戦相手、ルシアはいつの間にかいなくなっていたという。
「あなたが宝石を壊してくれなかったら、僕は目を覚ましてあの苦痛をまた感じたかもしれない。それで十分だよ」
僕がそういうも、セシルは頑として受け入れようとしない。
それどころか、とんでもない要求を突きつけてくる。
「俺を破壊してくれ」
「は?」
「俺には願いをかなえる資格などないんだ。今回のことで自分の楽観がよくわかった。俺はリタイアするよ。君の手で破壊してくれ」
それで君の気が済むといいのだが、そう言って黒髪の美少女は目を閉じる。
「ちょ、困るよ」
「まったくだ。そんなに壊してほしかったら俺が壊してやるよ」
セシルが振り返るとそこにはコージの姿。
腰に差した二本の剣に手を掛けている。
「俺に勝てたらな」
そう言って金髪の少女がにやりと笑った。
「リリス・・・・・・・?」
僕がそう呼ぶと、少年は照れくさそうに笑う。
「街中でそれは恥ずかしいな。俺は彰って名前だ。コーイチ」
僕は、失礼なことだと思いながら彰と名乗った少年から目を離せないでいた。少年は僕の視線に気づいて肩をすくめて見せる。
「意外だろ?」
少年はまた、自嘲気味に笑う。
リリスの時、彼はどこまでも暗い瞳をしていたのに、現実世界の彼はどこまでも乾いた声を出す。
彰は僕と同じくらいの年恰好をしていた。でも、僕の同年代の友達にくらべればとても物腰が穏やかだった。とても位相差空間でリリスだったなんて思えないくらい。身長も、僕とそう変わらないかもしれない。
両足を失ってしまっている彼とでは比べようがないけれど。
車椅子に座る少年は、本当に穏やかな目で僕を見つめている。
「真剣勝負だ。オリビア、メアリ。手出し無用。わかってんな?」
「お前も好きだね」
「うるさい」
オリビアの揶揄に、コージは振り向きもせずにこたえる。
「アリシア・・・・・」
コージをキャラクターネームで呼ぶ黒髪のセシルは、まだどこか困惑した表情をしている。
「まだうだうだ言う気か?いいから来いよ。俺に勝てたら、ばらばらに壊してやるから」
セシルの願いは、もともとコージと決着を着けることだった。その為にヴァーサスクエストを企画したのだ。
律儀な彼は期せずしてその目的が叶うことに戸惑っているようだ。コージはいらいらしたように畳み掛ける。
「なんだ?お前、やっぱり勝てる気がしないんだろ?俺はいいんだぜ、不戦勝でも」
その言葉が、どうやらかちんときたらしい。根が単純なセシルはすっと目を細めた。
「勝てるさ。やってやる。・・・・・乗せられたような気もするが」
「よし!来い!性根を叩きなおしてやる!」
「お前こそな!」
ようやくいつもの調子に戻ったセシルが、スキルの組み換えを行う。
「コーイチ、合図」
「へ?」
「合図だよ。なんか、締まらないだろ?」
コージに促されて、僕はなんて言ったらいいかさっぱりわからなかったから、かなり間の抜けた声でこう言った。
「は、始め!」
陽光を受けて、コージの双刀が煌いた。
「中学に上がる前だった。事故に遭ったわけじゃないんだ。突然足が痛んで病院にいったら神経性髄膜炎だとか言われて、親と医者が何か話してて、気が付いたらこうなることが決まってた。笑うだろ?こんなこと自分に起こりっこないって思ってたのに。でも、俺比較的そういうの受け入れてこれたと思ってた。仕方がないことだって、親も俺に言い聞かせるようにいつも言ってる。学校だって言ってるし、車椅子でバスケする、集まりがあるんだけど、それにも出てる。運動には自信があったんだ。大人相手はしんどいけどね」
なせそんなことを僕に話すの、などと僕には言えない。彼は僕を同じだといった。正直彼に比べたらずいぶん恵まれた生活を送っている僕と彼が同じだなんて少しも思えない。同じところがあるとすれば、それはただ願いの強さについてだけだ。だから彼のこの話は、願いについての話に違いない。
「そんな時、ソルガルのメールが来た。よくわからなかったけど暇つぶしになればいいやというつもりで登録した。
リリスが家に来たときはびびったよ。そして同期して、俺は何年かぶりに地面に立った。おっかなびっくり歩いて、始めは嬉しくて仕方がなかったけど、でもね。次第に、何もかもがめちゃくちゃ憎らしくなった。
何でいまさら、こんなものが俺のところにくるんだ?俺が両足を切ったことなんてどうとでもなるとでも言うように、何でこんな。何でだ。
だいたいなんで俺だったんだ。原因不明の病気で、脚を切られた。原因不明って何だ。馬鹿にしてんのか?
ほかの奴がどんな願いを思ってるか、考えただけでむかむかした。俺がほかの奴にとっては当たり前のこと、ただ両足で歩けるようになりたいっていう、そんなことを願っている一方で、ほかの奴は何を願ってるだろう。金か。女か。
そんな奴らになんか、絶対に勝たせてやらない。勝利者は、俺であるべきだ」
それは、穏やかな声で語られたすさまじい感情の吐露だった。僕は流されそうになってそしてぎゅっと拳を握りこんだ。
ごめん、彰。僕にもかなえたい願いがあるんだ。
「姉ちゃんが目を覚まさない」
僕は彰を見据えて言う。
「このまま死ぬかもしれない。原因不明なんだ。姉ちゃんを助けたい」
今も神戸の病院で眠り続ける姉ちゃんと、その傍らで一人いるだろう母さんの事を思うと、僕は少し泣きそうになる。
「・・・・・お前の姉ちゃんは、俺の脚より大事か?」
彰がストレートに言う。ソルガルの勝利者は一人だけなんだ。僕はそのことにやるせない思いを募らせることしか出来ない。この、まるで神様が企画した様なゲームは、どうして気前よくみんなの願いをかなえてやらないのだろう。でも、それでも、姉ちゃんが助かるなら、僕は勝ちたい。
「うん、ごめん」
「・・・・・・・・・うん」
そう言ってリリスは夏の空に目を向けて、そのまま目を瞑った。
セシルは油断なく構えるコージに向かって大きく手をかざす。
「『陽炎』」
そう呟くと、その手のひらの中に光の剣が具現化する。発生系中位スキル「光剣」と何らかのスキルとの複合か。
「面白ぇ」
コージはそう言うと、二刀を大きく振りかぶる。
「『音越え』」
コージの剣が音速の斬戟を飛ばす。それをセシルは難なくその手に持つ光の剣で弾き飛ばす。斬撃は音速だが、それを放つコージの剣筋はそうではない。
至近距離では「音越え」は決定打になり得ない。
一気に距離を詰めるセシル。長い黒髪がつややかに揺れる肢体にたなびく。
「おっと」
迫るセシルに一刀を切りつけるコージ。
セシルはそれを光の剣で受ける。コージはそのままの姿勢で続く二刀目を繰り出す。
「何?」
その瞬間、コージがバランスを崩して倒れこむ。
危うく転びそうになったコージがたたらを踏んだ。そこに襲い掛かる光の剣。
「ちっ」
コージはそれを刀で防ごうとするが、なんと光の剣がそれをすり抜けてコージに襲い掛かる。
「そうか!」
コージは思い切り無理やりに地面を蹴って転がるようにその一撃を避ける。しかし、避け切れなかった攻撃がそのスカートの裾をずたずたに引き裂き、美しくも華奢な白いふとももがあらわになる。
「美味しそうなふともも」
「うるせぇ、外野」
うっとりとした視線のメアリを一蹴しながら、コージはセシルと距離を取る。
「『光剣』と『物質透過』か。やっかいなもんを思いついたな」
「陽炎」。まさにその名の通り実体を持たない刃というわけだ。引くときには受け攻めるときには透過する。コージがバランスを崩したのは不意に刃を透過されたからだろう。受けるときには音速の斬撃をすら受けるというのに。
このスキルの計算されたところは実剣ではないためにコージの引き寄せが意味を持たないところにある。引き寄せたそばから霧散し、セシルは新しい剣を出すだけで済む。まったく意味がない。光の剣だから白刃取りするわけにもいかないし。
近接戦闘中心のスキル構成ではなかなかしんどい相手かもしれない。でもコージ。このまま終わるわけじゃないんだろう?
僕がそんな思いを目に込めると、金髪の美少女がそれにこたえてひやりと笑った。
「いいスキルだ。考えたじゃないかセシル」
「その上から目線をどうにかしろ。どうする?その剣じゃ、勝ち目はないぞ」
それを聞いてコージが肩を竦める。別にこの勝負に勝ったからってコージが得することは何もない。ルナがもらえるわけでもない。負けて損することもない。でも、負けない。コージはそういうやつだ。
「まぁな」
そう言ってコージは二本の刀を鞘に収める。そしておもむろにスキルを変更し始めた。
「確かに刀じゃ、分が悪いからなぁ。『取り寄せ』」
プライベートスペースの物品をその手に取り寄せることが出来る移動スキルだ。普段は刀を取り寄せていることが多い。しかし今回取り寄せたのは、今まで見たこともない隠し玉だった。
「これ、個人輸入するの大変だったんだぜ?」
そう言ったコージの両の手の人差し指を基点に、二つの金属の輪がくるくると回っていた。
「チャクラム!?」
そう。それは確かインドだかの手裏剣みたいな武器だ。何かのゲームで見たことがある。コージがくるくると回しているのは三センチ位の幅の金属の輪で、直径は二十センチというところか。
外側が刃になっていて、扱いを間違えれば本人がすぱっと切れそうだ。それをコージはくるくると器用に回している。
「スキル変更『ブーメラン』『自動迎撃』」
コージはそのままスキルの変更を行う。「ブーメラン」とは攻撃系下位スキル「投や」の中位派生スキル。投げたものが必ず手元に戻ってくるというスキルで、投げた物品には耐久補正が付く。「自動迎撃」は知覚系スキル。リリスの仲間だったルシアが使っていたスキルだ。
「『パトリオット』」
コージが両手の人差し指を振りぬき、その指先から二つの金属の輪が解き放たれる。
「それが、どうした!」
黒髪の美少女は光の剣を素早く薙いで、迫りくる二つのチャクラムを見事に弾き飛ばす。
「これでお終いか?」
セシルはコージとの間合いを一気につめ、光の剣を振り下ろす。が、その瞬間、剣閃がその一撃を弾いた。
「何!?」
驚愕に目を見開くセシル。その腹部にコージが思い切り蹴りを入れる。
「うぐっ」
その隙に後退したセシルの指に、二つのチャクラムが戻ってきていた。お腹を押さえ何事かを思案するセシル。指先でくるくるチャクラムを回す金髪の少女は余裕の表情でそれを見る。
ややあって、セシルは口を開いた。
「そうか。弾いたと見たチャクラムは『ブーメラン』の作用でお前の手元に戻る。その際、俺が攻撃をしていればこれを『自動迎撃』するのか」
「その通り。『パトリオット(愛国者)』は不埒ものを見逃さないんだ。ほらよ」
そう言って再びコージがその指先から一つだけチャクラムを放つ。刃の輪は、まっすぐにセシルを目指す。
「くそっ」
それを当然弾くセシル。その間に一気に間合いを詰めるコージ。その左の指先には未だチャクラムが回ったままだ。なんて器用なやつなんだ。
「ちっ」
コージに向かって剣を振り上げようとするセシル。その攻撃を、しかし最初に放ったチャクラムが妨害する。
「よっと」
超至近距離で放たれる二つ目のチャクラム。これはかわしようがなく、セシルの肩口を切り裂き鮮血を迸らせる。
「痛っ」
大きく一歩退き、肩口を押さえるセシル。シャツが裂け、形のよい豊かな胸がまろびでそうになっている。
「美味しそうなおっぱい」
「じゃかぁしい」
コージにはメアリに突っ込みを入れる余裕すらある。
「さぁどうする、セシル?その剣じゃ、勝ち目はないぜ?」
人の悪い声でにやりと笑うコージ。セシルは数瞬考えた後、きっとコージを睨み付ける。
「やってみなくては、わからないだろ?」
「どうかな?」
地面を蹴るセシル。チャクラムを放つコージ。その二つのチャクラムの攻撃をセシルは弾かない!?
重い金属の輪が、回転しながらセシルが突き出した左腕と腹部の辺りに切り込む。
「うっ、うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それでも怯まず、雄たけびを上げながら突っ走るセシル。その様はどこか、鬼気迫るものがある。
「意気や良し。でもな、捨て身じゃ俺は切れないぜ?」
コージはそのままバックステップで距離を取り、そして、胸元から直径五センチほどの小さなチャクラムを取り出した。
「何!?」
肉薄するセシルに投げつけられる三つ目のチャクラム。さすがにこれを弾くしかないセシル。
「チェックだ」
その瞬間、セシルの首下には二本の小太刀が突きつけられていた。
「俺の、負けか」
コージを見るセシルの目に、どこか安堵の色があった。
「何を話してたんだ?リリスと」
帰りは送って言ってくれるというコージに甘えることにした。自前の車かと聞くのは馬鹿らしいのでやめることにする。
「気づいてたんだ」
「そりゃあ、遅すぎたからな」
僕が気づいて戻るまで、ちょっと時間がかかりすぎたみたいだ。すごいスピードで通り過ぎる景色を見ながら、僕は脚を失った少年のことを考える。
「あのビル」
「ん?」
「あの、リリスが壊したビル」
「ああ」
「あの日たまたま解体工事だったんだってさ。業者も休憩中でだれもいなかった」
「そんなアホな」
「無理やりだよね」
それでも調整力という奴は、僕らが極力周りのことを気にせず戦えるように配慮してくれているということなのだろうか。
大学から忽然と消えた液体窒素にはどんな説明がされているのだろう。
「願いがあった。とても強い願いだった」
「そうか」
それきり、コージはもうリリスの事は聞こうとしなかった。
家に着くと泥の様に眠った。ソフィが添い寝したいと言ってきたが生返事をしてすぐに横になって眠ってしまった。異様に疲れていたのだ。思い出したくもないが、両足を吹き飛ばされたのは精神的にかなり堪えた。
リリスは、彰はどうなのだろう。両足を失ったとき、そのときの気持ちについては彼は何も話さなかった。空を見上げ、瞑目したリリスは「次は負けない」とそう言ってその場を去っていた。赤髪の美少女が押す車椅子に乗って。
姉ちゃんを助けたいという僕の願いも、両足を元に戻したい彰の願いも、どちらもきっと正しい。お金がほしいとか、そういう願いだってきっと正しいんだ。それでも叶う願いは一つだけ。
ソルガルの勝利者はたった一人なのだから。
運命が僕らを運ぶ。ゲームは次のステージへと進む。僕らには知るよしもなかったが、この時点で東京には五十名のソルガル参加者、つまりソルボーイが残っていた。当初百名だった参加者は半数ほどに減っていたらしい。そしてこの五十名も、次の十日間で半分以下にまで減ることになる。
サバイバルクエスト。
ゲームは次のステージへと進む。
「あのソフィ・・・・・」
「どうしました?」
目が覚めたとき、ソフィの生足が僕の脚に艶かしく絡まり、その両腕が首の後ろに回されていた。
「離してくれる?」
「嫌です」
笑顔でそう言うソフィにため息を吐き、僕は自分の短慮を呪ったのだった。