「この病院では、正気が壊れる」第1話 ——始まりの話
※本作は実体験や取材をもとに再構成したフィクションです。
読後に少しでも「考えるきっかけ」になれば幸いです。
第1話(最終完成版)
母は、昔の話をほとんどしない人だった。
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だから、その話を聞いたのは一度だけだ。
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「お姉ちゃんね、昔はすごく頭が良かったの」
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それが、すべての始まりだった。
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夜中。
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庭に出て、
空に向かって一礼し、
そのまま踊り出したという。
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——誰もいないはずの場所で。
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それが、“病気”だった。
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生活は、すぐに壊れた。
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幻覚。
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独語。
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そして、制御できない行動。
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見かねた祖母は、
精神科病院に連絡した。
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——医療保護入院。
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それが、最後だった。
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面会は許されなかった。
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理由は説明されなかった。
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ただ、時間だけが過ぎていった。
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そして半年後。
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病院から、一本の電話が来た。
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「急変して、お亡くなりになりました」
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——それだけだった。
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死因は、
“新薬による急死”と説明されたらしい。
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らしい、というのは——
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母も、
祖母も、
納得していなかったからだ。
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「……おかしいよね」
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母は、そのときだけ、
そう言った。
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それ以上は、何も話さなかった。
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それから、何年も経った。
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僕は、
その話を忘れていた。
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いや——
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忘れたつもりになっていた。
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「ここが配属先になります」
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目の前にある建物を見上げる。
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古い。
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どこか、
時代から取り残されたような外観。
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精神科病院。
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あの話に出てきた場所と、
同じ名前だった。
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心臓が、わずかに強く打つ。
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「……よろしくお願いします」
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そう言いながら、
中へ入る。
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扉をくぐった瞬間。
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違和感があった。
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空気が、重い。
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いや——
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違う。
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臭いだ。
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鼻の奥にまとわりつく、
言葉にできない感覚。
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思わず顔をしかめる。
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だが——
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誰も、何も言わない。
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受付の職員も、
看護師も、
普通に動いている。
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「……気のせいか」
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そう呟いた瞬間。
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奥の廊下で、
何かが動いた。
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視線を向ける。
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一人の女性が立っていた。
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ゆっくりと、
空を見上げている。
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そして——
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頭を下げる。
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一礼。
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そのまま、
踊り出した。
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時間が、止まる。
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見覚えがあった。
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母の話と、
完全に一致していた。
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「……あれ」
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声が出る。
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そのとき。
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背後から、
低い声がした。
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「見るな」
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振り向く。
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男性看護師。
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無表情。
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だが、目だけが鋭い。
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「決して患者に背を向けるな」
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低く、はっきりと言う。
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「それと」
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一瞬だけ、
間を置く。
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「余計なことは考えるな」
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その言葉が、
妙に重く響いた。
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再び、女性を見る。
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まだ踊っている。
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誰も止めない。
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誰も見ていない。
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ただ、自分だけが見ている。
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そして。
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臭いが、
強くなった。
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——この病院では、何かが壊れている。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
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