第9話
時刻は20時25分。
シオンに明日も来ると約束を交わし、僕は鏡の世界を出て病院の出口へ向かっていた。
すると、受付で看護婦さんと一人の男性が押し問答しているのを見かけた。
「規則ですので。申し訳ありません」
「そこをなんとか…せめて顔を見るだけでも」
「『咲間』さん。本当に申し訳ないんですが施錠時間ですので」
その名前に、僕はピタリと足を止めた。
「咲間?」
「ん?君は?」
病院を出て、男性と話をする。
「もしかして、咲間さんのお父さんですか?」
「はいそうですけど…ってああそうか!娘から聞いてるよ。君が圭吾くんだね?」
「は…はい」
「娘とよくお話してくれるそうだね…いつも本当にありがとう」
父親は僕の手を取り上下に揺らした。
「自分が忙しくなければもっと早い時間に来てやれるんだけど。なかなかそうもいかなくてね…ああそうだ。日頃お礼と言ってはなんだが…」
彼はおもむろに財布から1万円を数枚取り出す。
「え?いやいやそれは!!」
「ん?どうしたんだい?」
「その…お金が欲しくてやってるわけじゃありませんから!僕が好きでやってることなんで」
「あ…ああそうかすまない、野暮なことをしてしまったね。こんなだから娘にも言われるんだ。お父さんはデリカシーが無いって…本当に悪い癖だよ」
その行動に、咲間さんが見せてくれた大量の小説を思い出し、父親ということに更に納得がいく。
「……あの子には悪いことをした…妻なら正しい教育をしてくれると任せきりになって、気づいたらこんな…自分は本当に情けない父親だ」
「そんなこと…」
街灯の光が、疲れきった横顔を照らす。
すると彼は「ああそうだ」と何か思い出したように尋ねてきた。
「君に聞くのもなんだが、娘は…何か言っていたかい?」
「何か?」
「妻のこと…いや、かつての母親のこと。あの子は自分に気を使ってあまり話そうとしなくてね。君なら何か聞いてるんじゃないかと思って」
「あぁ……僕の聞いた限りでよければ。咲間さんはお母さんのことを恨んでないと言っていました。もう終わったことだから『早く忘れたい』って」
その言葉に、父親は目を大きく開いた。
「早く忘れたい?あの子はそう言っていたのかい?」
「は、はい…それが何か?」
「……」
彼は難しい顔で考え込み、僕は「どうしたんですか?」と尋ねる。
すると父親はスーツのポケットから携帯を取り出し操作した。
「杞憂だと思うんだけどね…」
「?」
「前にあの子がリハビリに行っていた時。自分はベッドの周りを整理しようと片付けをしていたんだ。そのとき、ベッドの下に紙クズを見つけてね。見るのは悪いと思ったけど、どうしても気になって…」
そう言って彼は携帯を渡してくる。
「そこにこれが書かれていたんだ」
受け取り画面を見る。
するとそこに映された紙には、ペンで何度も書き殴ったのであろうぐしゃぐしゃの文字がびっしりと書かれていた。
その文字は全て同じ。
『おかあさんにあいたい』
「これって!?」
「……自分は、あの子が母親を忘れたいと言うならそれを信じたい。けどこれを見ると思うんだ。『本心』では、今もどこかで母親を恋しがっているんじゃないかと」
「そんな…」
「もしかしたらあの子は、僕にも君にも『嘘』をついてるのかもしれない…」
『本心』『嘘』その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内にシオンとの会話が蘇った。
――――――――――――
「あなたの質問通り、確かに私は咲間シオンじゃない」
「じゃあ…なんなんだ?」
「うーん、あの子の『本心』ってとこかな」
――――――――――――
「毎晩…ここで戦ってるの?あの化け物と?」
「うん、『1日一回』ね。今日で3回目になるのかな」
――――――――――――
「……一度だけでいいから、私をぎゅって抱きしめてほしいの。昔…優しかった母さんがしてくれたみたいに」
――――――――――――
父親が尋ねる。
「早島くん…どうしたんだい?」
「……おかしい」
「え?」
「咲間さんが言ってた…『1日に何度も』お母さんの姿が夢に出るって。でもシオンは『1日一回』って…」
その瞬間、僕の全身に寒気が走り、咄嗟にその場から駆け出した。
「ちょっと!早島くん!?」
遠ざかる父親の声に振り向くことなく、まだ施錠されてない可能性がある裏口を目指す。
「シオン!君は!!君の本心は!!!」
息を切らしながら裏口の扉に辿り着く。
扉の曇りガラスには懐中電灯の光が見え、今まさに誰かが鍵を閉めようとしていた。
「うおおお!!!」
僕はドアノブを握りタックルで押し込む。
「うわ!何!?もう施錠時間ですよ!?」
「すみません!!」
中庭を抜けて通路を走る。そして迷うことなく鏡に飛び込んだ。
ジャポン!!!
◇
鏡の世界に入った瞬間、通路には春のような心地よい風が通り抜けた――――そして。
「はああああ!!!」
シオンの叫び声で中庭の扉がガシャンと割れ、怪物の大きな指が転がり込んでくる。
「!?シオン!」
僕は彼女の元へ向かった。
中庭へ着くと、腐った植物は半分彩りがつき、黒い水も少しだけ濁りが薄れている。
その中で、シオンは更に大きくなった怪物と激しい死闘を繰り広げていた。
「うおりゃ!どりゃあ!!」
彼女は蹴りやパンチを何発も繰り出すが、その攻撃に以前のような力強さはない。
ふらふらとよろめきながら、立っているのもやっとの様子だ。
怪物の拳が頭上を掠める。
「くぅ…!」
彼女は地面に倒れ込み絶体絶命。
僕は咄嗟にリュックを怪物めがけて投げつけた。
「グゥ?」
「こっちだ!こっちを見ろ!!」
その行動にシオンは驚いている。
「圭吾さん!?なんでここに!?早く逃げて!」
怪物の赤い目がこちらを捉える。
僕は震える脚で草木に身を隠し、とにかく走った。
「うおおおお!!」
「グオオオオ!!」
背後からドン!ドン!!と地面を叩きつける音が近づいてくる。
体を木の葉や枝が傷付けるが、痛みなんて気にしている暇はない。
「はぁっ!はあ!!」
そして怪物がこちらを見失った隙を見て、シオンの体を噴水の影に隠した。
「よし…見失ってるな…」
彼女は腕の中で泣きそうな顔をしていた。
「なんで…圭吾さん…どうして戻ってきたの?」
「細かいことはいい。答えてくれ…君は僕に嘘をついてるな?」
「……っ」
「教えてくれ…君の本心はなんなんだ」
答えづらそうに左手を握り込んだ後、彼女は「はぁ…」と諦めたように口を開いた。
「もう隠しても仕方ないよね…私の本心…それはただお母さんに……もう一度『優しかった頃のお母さんに会いたい』だけなの」
「……」
「鏡の世界のことも…他にもいっぱい嘘ついてる。いつか対価の話をしたよね…あれも全部嘘。咲間シオンの腕や脚が治ったのはあの怪物を倒したからじゃない。ただあの子のリハビリが実って回復しただけ。むしろ影響を受けてたのは私の方」
「そんな……」
「あの子の体が回復して心が前を向くたび…お母さんに会いたいって言う願いはどんどん薄れていった。一番決定的だったのは、圭吾さんに会えたことかな…」
怪物はいまだキョロキョロとこちらを探している。
「あの怪物のことも嘘。あれはあの子が見てる悪夢なんかじゃない。実際は私という本心から溢れ出した…お母さんへの期待と絶望。あいつを倒したからって何も起こらない」
「……」
シオンは悲しそうに笑った。
「圭吾さん…咲間シオンにとって最高の結末ってなんだと思う?」
「え?」
「私はね…お母さんへの思いを断ち切ることだと思うの。そしてそれは、私という本心が消えることで達成される」
「……そう思うなら…なんで君は今日まで必死に戦ってたんだ?なんで初めからあの怪物に殺されようとしなかった…」
彼女はそっと僕の頬を撫でる。
「最初はそのつもりだった……でも、あなたが来てくれたから」
「え?」
「あなたが私の名前を呼んでくれたから。あなたが、私を『シオン』って、一人の存在として見てくれたから」
静かに、ただ静かに、言葉が落ちていく。
「あなたが私の存在に気づいてくれたから。あなたが私の存在を認めてくれたから。あの日。あの夕焼けの公園で、お母さんを信じたいなんて私を応援してくれたから。だからほんの少し…私が消えるまでのほんの少しの間…あなたのそばに居たいと思ってしまった…」
「シオン…」
「そのために、嘘でもいいから戦う理由を作った。あの子のためだから応援してほしいだなんて言い張って。そうすればあなは来てくれるから…」
「そんな理由で無意味な戦いを?」
シオンの頬に涙がつたう。
「確かにあの怪物を倒すことに意味は無かった。だけど…それでも失うばかりじゃない。ちゃんと対価をもらってた」
「え?」
「『あなたと過ごした時間』……それが私にとっての対価だった…」
「グルル…」と怪物がこちらに気づく。僕はシオンの体を抱えて逃げようとするが、バランスを崩して転んでしまう。
「うぅ!」
怪物がジャンプし、飛びかかってくる。
終わりを覚悟し、シオンの体を抱きしめた――――そのとき。
ジャバ!!!!
噴水が水飛沫を上げ、何か飛び出してきた。
「な、なんだ!?」
飛び出した何かは怪物を蹴り上げ、つま先で噴水孔に着地する。
「……」
紫のポニーテールに白いワンピースの姿。それは、シオンと全く同じ姿をした少女だった。




