第7話
鏡の世界。僕は過去の出来事を思い出し驚愕していた。
「そうだ…山本シオン!」
「そう。あの子の父親が離婚する前、旧姓の咲間シオンとあなたは出会っていたの」
「でも、たしかあの子は…」
◇
過去の記憶、帰り道の公園。
山本シオンと名乗る女の子は立ち上がり、ふらりと水飲み場に寄りかかった。
僕は尋ねる。
「さっき君、線路に飛び出すつもりだったろ?」
「……」
「なんでそんなことを?いじめ?それとも進路で悩んでとか?」
「あなたには…関係のないことです」
確かにそうだ。だが、それでも弱々《よわよわ》しく佇む彼女を放っておくことができなかった。
「ああそうだね、僕には関係ないこと。でもこれだけは言える、君の命は君だけのものじゃない。家族や友達、君が居なくなって悲しむ人は沢山いるんだ。その人たちのこと考えたことあるの?」
その瞬間、山本さんは怯えるように頭をかかえた。
「家族…お母さん…うぅ…」
「ちょっと!どうしたんだ!?」
「お母さんやめて…お願いだから!」
彼女はうずくまり、地面に頭を打ちつける。
「お母さん…お願い…」
「落ち着いて…ゆっくりで良いから話を聞かせて…」
山本さんをベンチに座らせ、自販機で買った水を渡す。
すると一口飲んで少し落ち着いたのか、ゆっくりと口を開いた。
「……お母さんが言うんです『あなたには幸せになってほしい』って」
「?」
彼女は母親について教えてくれた。
娘を名門高校に行かせるため、生活時間の全てを受験勉強に使わせていること。
休みなど関係なく『くだらない付き合いは不要』と友人を作ることを禁止されていること。
そして。回答ミスを見つけるたび、『暴力』を振るわれていること。
「……」
その話で、山本さんの手首や肩にアザがあることに気付き、僕は思わず息を呑んだ。
聞いた限りの話、これはもはや虐待。どう考えても警察に相談すべき内容だ。
「そのこと…誰かに相談した?お父さんや、学校の先生とか」
山本さんは首を横に振る。
「どうして…」
「だって…だってお母さんは……!」
『家族だから』言わずともそう伝えたいのが分かった。
暴力を振るわれてもかけがえのない家族。だからこそ母親を失いたくない。母親を犯罪者にしたくない。母親がいなければ生きていけない。そんな強迫観念が彼女にあるのだ。
それでも僕は、自分の正しいと思うことを伝える。
「はっきり言って、お母さんがしてることは異常だよ…君はすぐにでも警察に行って保護してもらうべきだ」
山本さんは顔を上げ、震える唇で何か言おうとするが、言葉にならない。
「……違うんです」
彼女はまた首を横に振った。
「お母さんは……本当は優しい人なんです。小さい頃、いつも一緒に公園で遊んでくれて、ブランコを押しては『シオンは私の宝物よ』って笑ってくれたんです。その笑顔は…とても温かくて……」
僕は黙って聞いた。
「だけど、私が中学に入ってから、お母さんは変わったんです『頑張らないと幸せになれないのよ』って。凄く厳しくするようになって…いつしか暴力を」
「……」
「でもそれは…お母さんが私を愛してるから。私のためを思ってしてることで。受験にさえ成功すれば、あの優しいお母さんに戻ってくれるはずです。そしたら『よく頑張ったね』って抱きしめて、沢山褒めてくれる…」
「そんなばかな…」
虐待の被害者が加害者を庇う。
そんな話を聞いたことがあるけど、これじゃまるで洗脳。本当は優しいなんて過去の幻想に縛り付けられているだけだ。
「山本さん…それは君の思い込みじゃないか? お母さんはとっくに一線を越えてる。愛してるのは分かるけど暴力は許されることじゃない。このまままだと、たとえ受験に成功しても次は大学、次は就職って暴力が続くだけだ」
「そんな…お母さんはただ私を幸せにしたいだけで…この先の人生をちゃんと考えて…頑張らないと幸せになれないことを叩いてでも教えてくれてるんです!」
山本さんは声を張るが、それに対し現実的な言葉を返す。
「じゃあ、なんで君は自殺しようとしたの?」
「え……?」
「お母さんは君を愛してるんだろ?ならなんで君はその愛に応えず、命を断とうとしたの?」
「それは…」
そっと彼女の手を取る。
「本当は逃げ出したかったんだろ?」
「!?」
山本さんは矛盾に押しつぶされ、泣き崩れた。
「あ…あぁ…」
「警察に行こう。僕も一緒に行くから」
「でも、そんなことしたら家族がバラバラになっちゃう… お母さんがいなくなったら、私…」
声は震え、涙がボロボロと地面に落ちる。
確かに彼女程の齢の子には辛い選択だ。
「……」
どんな言葉をかければいいか分からない。
今どんな言葉がこの子に必要なのか考えてるのに答えが出せない。
すると、山本さんは何か決断したように顔を上げ、僕に向かってこう言った。
「早島さん、あなたの言うことは…きっと正しいです。でも、もう少しだけ待ってくれませんか?」
「待つって…どう言う?」
「お母さんのこと、最後にもう一度だけ信じたいんです。明後日の受験を終えて、合格発表見るその日まで」
彼女は両手をぎゅっと握りしめる。
「山本さん…」
その瞳には、今にも消えてしまいそうな覚悟の光が浮かんでいた。
「早島さん…ありがとうございます。こんな私の話を真剣に聞いてくれて。人に話すと結構スッキリするものなんですね」
「……本当に大丈夫?合格発表の日まで」
「……はい」
今にも消えそうな声に顔をしかめる。
「早島さんは本当に優しい人ですね。赤の他人のためにそんな顔をするなんて。でも心配しないでください。受験、絶対成功させますから」
「限界を感じたらすぐに逃げるんだよ?」
山本さんは小さく頷く。
「それでその…1月30日。合格発表の日、またこの時間にここでお会いすることできますか?もしお母さんが変わらなかったら、その時私は…あの人を諦めます」
「……わかった。1月30日、ここで待ってる。約束だ」
「ありがとう、圭吾さん」
彼女は笑顔で、初めて僕を名前で呼んだ。
「それじゃあ、行ってきます」
山本さんは夕焼けの道を歩き出す。
僕はその背中に向かって大きく叫んだ。
「がんばれ!!!」
◇
鏡の世界、シオンはじっと僕の瞳を覗き込んでいた。
「全部思い出した?」
「あ…ああ。でも、1月30日の夕方…あの子は公園に来なかった…一体何が?」
彼女は目を閉じ、ペタペタとレンガの道を歩き出す。
「…あの子は受験の日、高校に向かうバスの中で意識を失ったの…ため込んだプレッシャーが限界を超えてね」
「そんな…」
「その後のことは知ってるでしょ?病院に搬送されて受験は失敗。母親は怒り狂って、退院したあの子を階段から突き落とした」
その話に罪悪感が全身を駆け巡る。
「……僕のせいだ」
あのとき、僕がもっと強く手を引いていれば。
「警察に行こう」じゃなくて、ただひすら二人で逃げていれば。
「もう母親に会わなくていい」と、はっきり言ってあげていれば。
いやもっと違う…何か他に言わないといけないことがあったはずだ。
「僕は何もできず…ただ…むざむざ咲間さんを送り出してしまった…」
地面に手をつき、土を強く握りしめる。
「あの時…ちゃんと止めていれば、こんなことにはならなかった…」
「違うよ、圭吾さんは何も悪くない。むしろあの子は感謝してる」
「え?」
「もう教えてもいいよね、あなたがこの世界に入れた理由。それはただの偶然なんかじゃない」
シオンは目を合わせるようしゃがみ込む。
「あの日、圭吾さんは死ぬこと以外の道をあの子にくれた。それが最後に【母親を信じる勇気】と【母親を断ち切る勇気】となってあの子の心を支えたの。だからこそ、この世界は圭吾さんを受け入れた」
「そんな…支えたなんて。僕はほんの一瞬しか咲間さんに寄り添えなかったのに…」
「たとえ一瞬でも、あの子の心は救われていた。そこになんの違いもない」
彼女は僕の手を取り微笑む。
「ありがとう、圭吾さん」
「そんな、僕は…」
言いかけた時、携帯のアラームがピピッと鳴る。
「ああもうこんな時に…」
「ほら、帰らないとでしょ?」
「でも…」
「明日、あの子にあったら話してあげて。思い出したこと、それから…これからのこと」
「……うん」
頷き、その日も鏡の世界を後にする。
そして現実世界で鏡を見た時、そこに一瞬白い服の誰かが写ったような気がした。
「?」
目を擦り、もう一度確認するが誰もいない。
「見間違い…?」
そう言って僕は病院を出た。




