第5話
その夜、なんだか懐かしい夢を見た。
高校の帰り道、夕焼けが赤く染めた公園。
そこに僕ともう一人の誰かがいる。
「ありがとう、圭吾さん」
これは誰だ?顔を思い浮かべても、モヤがかかってぼやけてしまう。
「それじゃあ、行ってきます」
女の子の声。どこかで聞いたことがあるような、柔らかくて少し寂しげな雰囲気。
彼女が歩き去っていくと、僕はその背中に大きく叫んだ。
「がんばれ!!!」
ハッと目が覚め、ベッドの上で起き上がる。
体は汗だくでTシャツが背中に張り付いていた。
時計を見ると朝の6時。1限目の講義までまだ3時間はある。
「なんだ、まだこんな時間か」
再びベッドに横たわり、昨日のことを思い返す。
咲間さんの心の姿。黒い怪物の母親。対価として動かなくなる指。
それと別れ際にあの少女が言った言葉。
『あのときみたいにさ』
「……なんのことだ」
僕たち知り合いだったっけ?いや、昨日が初対面のはず。
そもそも彼女は心の姿で人間じゃない、会ったことなんてあるはずないだろ。
でも…もし現実の咲間さんといつかどこかで会っていたら?
記憶を漁るが分からなくてモヤモヤする。
さっき高校時代の夢をみてからというもの、どうも何かおかしい。
咲間さんの心の姿。彼女にどこか見覚えがある気がしてしまう。
急に懐かしい夢を見たのは単なる偶然?ただ古い記憶と新しい記憶が夢でゴチャ混ぜになっただけ?
「……」
考えても答えは出ず、諦めてシャワーを浴びにバスルームへ向かった。
◇
その日の午後。バイトは客足が落ち着き、店長も「今日はいいよ」と17時には上がらせてくれた。
自転車を漕いで病院に着いたのは18時過ぎ。
受付を済ませて病室に入ると祖母はいつものように笑顔で迎えてくれた。
「あら圭ちゃん、今日は早いのね。ほら、シオンちゃんもまだ起きてるわよ」
カーテンの開いたベッドで咲間さんが本を読んでいる。
「どうも」
紫のポニーテールを揺らし、左手だけでページをめくる。
その姿は先日となんら変わらないように見えるが、鏡の世界のこともあって僕はつい彼女の右腕に目が行ってしまう。
椅子に腰掛けると、祖母は嬉しそうに言った。
「ねえ圭ちゃん聞いて?今日シオンちゃんに凄く良いことがあったの」
「良いこと?」
「そうなの。ねえシオンちゃん、この子にも見せてあげてくれない?」
咲間さんは戸惑いながらも答えてくれた。
「そんな…たいしたことじゃありませんよ」
彼女は右手を掴み僕の方に向ける。
そして「フッ」と力を入れるように、中指、薬指、小指を少しだけ動かしてみせた。
「す…すごい!動いた!動いてるよ咲間さん!!」(おいおい!?本当に動いたよ…)
指が動いたことにももちろん驚いたが。
鏡の世界の出来事が本当に現実世界に反映されたことに驚いた。
「驚きすぎですよ…回復期間なのでこのくらい普通です」
「いやそんなことないよ!これは咲間さんの頑張りがなかったら起こせなかった…いわば奇跡なんだよ!!」
僕の反応に咲間さんは少し笑ったが、その表情はどこか寂しげな雰囲気を纏っていた。
「あ、そうだ早島さん」
彼女が口を開く。
「なに?」
「その…この間はすみませんでした。自販機のボタン、押すのを手伝ってくださったのにあんな断り方してしまって…そのことちゃんと謝れてなくて」
「いやいや!いいんだよそんなこと!全然気にしてないから」
意外な言葉にあたふたしてしまう。
「それと…先日はどうも」
「え?なにが?」
一瞬鏡の世界のことを言ってるのかと思い、心臓がドキッと跳ねる。
「スイーツ。美味しかったです」
「あ…ああー!うん!そのことね!それはよかった!」
それはそうだ。現実世界の咲間さんと鏡の世界の少女は別人。
しかしどこか二人が繋がっているような気がして胸の奥がざわざわてしまう。
安堵してホッと息をつく。
すると祖母はニコニコしながらこんなことを言った。
「ねえ圭ちゃん。今日はシオンちゃんも調子いいみたいだし、二人でおしゃべりしたら?」
「え!?何言ってんの!?」
「いいじゃない。シオンちゃんお友達少ないって言ってたし、ね?」
「いや読書の邪魔しちゃ悪いよ…」
咲間さんは付箋を挟み本を閉じる。
「あの、私は構いません」
「え…えぇ!?」
祖母は「ごゆっくりー」とカーテンを閉じた。
「……」
「……」
無言の時が流れ、とにかく話題を探さなくてはとキョロキョロする。
そして「これだ」と言わんばかりに彼女の本について尋ねた。
「あのっ…本読みの、好きなんですか?」(なんだよ読みのって!噛んでんじゃねーよ!!)
咲間さんはクスリと笑い「はい」と返す。
「私小説が好きで、特に最近はよく読んでるんです。それをお父さんに伝えたら病院で退屈だろうからってこんなに買ってきてくれたんですよ」
ベッド下の紙袋を開け中を見せてくれる。
そこには様々な作者の小説がぎっしりと詰め込まれており、いかにも加減の分からない父親が娘のため買い集めたのが伝わってきた。
「良いお父さんだね」
「はい。いつもは仕事で忙しいんすけど、私が入院してからはよくお見舞いに来てくれてるんです」
「そっか、ちなみにどんな小説が好きなの?」
「主にミステリーですね。特に終盤まで登場人物の本心が明かされないのが好きで」
話すうち、彼女の声にどんどん熱がこもっていく。
次第に笑顔も増え、初めて見せる表情に「こんな顔もするんだな」と僕の心は温かくなった。
「ミスリードっていうんですかね。読者にこの人物の目的はこれって植え付けておいて、最後は誰にも予想できない展開になるのがすごく意表を突かれたって感じがして」
「あー分かるよ。関係ないと思ってた伏線が回収されて、驚きと一緒にスッキリするんだよね!」
「ふふ、そうなんです」
意外にも共感できる部分が多く、思わず話し込んでしまう。
なので、咲間さんが今読んでいる小説についても尋ねた。
「この小説もそういう展開なの?」
「ああ…いえこれは」
「?」
彼女は左手で本に触れる。
「少し…好きな展開じゃなかったですね」
「ああ、そうなんだ」
「ええ、家族ものなんですけど」
「へ…へぇー」
嫌な予感に寒気が走る。
「主人公の同級生が車の事故で母親を失くすんです。同級生は悲しんで、辛い、悲しいと嘆くんですが、実は仕組まれた復讐劇だったんですよ」
「復讐劇…か」
「なんというか。同級生の被害者アピールも露骨で、読んでいるうち先の展開が読めてしまうんですよね。母親に酷い仕打ちを受けてたなんて最後に明かされても、そうだろうなとしかならなくて」
「……うん」
小説の同級生と咲間さんの身の上が重なり。次の言葉が出てこなくなる。
「……」
「早島さん、どうかしました?具合でも?」
「あーいやその…」
「あぁ…もしかして私に気を遣ってくれてるんですか?」
僕はさらに言葉を失う。
「確かに…私も母から暴力を受けていました。だからと言って、この小説の同級生みたいに復讐を考えたことはありません」
「そうなの…?痛い思いさせられたのに?」
「だって…もう終わったことですし」
咲間さんは目を伏せ、本の端をそっとなぞった。
「あの出来事は…母の愛が強すぎただけだと思うんです。それこそ事故みたいなもので」
その声は静かたが、どこか震えていた。
「でも暴力を振るう母が怖くなかったわけじゃありません。毎晩眠りにつくと、あの人の姿が何度も夢に出てきてしまって…早く忘れられたらと思うこともあるんです」
「そうだよね…」
「家族って…難しいですよね。愛してるはずなのに、それが理由で傷つけてしまうこともあるんですから」
「……ごめん。僕にはそんな経験がないから咲間さんの気持ちを分かってあげられなくて…」
口ごもる僕に彼女は気まずそうに目を泳がせた。
そして沈んだ空気を変えようと、無理やり話しを前に進める。
「早島さんは何も悪くありません。私こそごめんなさい、せっかく楽しいお話をしてたのにこんな空気にしてしまって……」
「いや…そんな」
「時間も19時を過ぎてますし、今日はこのくらいにしましょう。たくさんお話しできて楽しかったです、ありがとうございました」
「あぁ…うん。またお話聞かせてね」
矢継ぎ早に締め括られ、僕は曖昧に頷くしかできなかった。
おまけに過去どこかで会ったか聞くのも忘れる始末。
散々《さんざん》な終わり方だ。
後ろのカーテンを開けて祖母のもとに帰る。
「おや終わったのかい?随分楽しそうだったねえ」
「うん。でも…ちょっと余計なことまで話させちゃったかも…」
「そうかい?けど、誰にも話さないより話した方が楽になることもあるよ。あまり気にしないで、また話かてあげな」
「うん…」
時刻は19時半。僕は祖母に帰ることを伝えると、階段を降りてまた鏡の世界へ足を踏み入れた。




