第4話
「お母さん…?」
「そう私の…いや。咲間シオンのお母さんて言うべきかな」
少女の言葉に首を傾げる。
「どう言う意味?」
「あなたの質問通り、確かに私は咲間シオンじゃない」
「じゃあ…なんなんだ?」
「うーん、あの子の『本心』ってとこかな」
その言葉でさらに首をかしげる。
「意味がわからないんだけど…」
「まあわかりやすく説明すると、ここは咲間シオンの心を映した【鏡の世界】で、私はあの子の【心の姿】ってこと」
「鏡の世界?心の姿?」
「そう。あなたが通ってきた鏡、あれは人の心を映す特殊な鏡なの。そして鏡の世界は現実世界と繋がってて、全く逆のことが起こるわけ」
確かに。それならこの異常な寒さや通路が逆なのも説明がつく。
「だから私の体も」
彼女は手を広げると「気づけ」と言わんばかりに体を見せつけた。
僕はうーんと考える。
「現実世界と逆…だから不随の本人と違って、君の右腕と右脚は動くし…あんなにも強いってこと?」
「そういうこと」
「じゃあ、このお母さんの怪物みたいな姿は…」
「あれが咲間シオンから見た母親の姿」
「……」
中身を見た時からそんな気はしていた。
虐待を受ける人間にとって、与えてくる人間はああも醜く映るのか。
人の心とは計り知れない。
少女はしゃがんで母親をじっと見る。
「咲間シオン。あの子は母親の虐待のせいで心も体もズタズタになっちゃった。だから毎晩悪夢にうなされて、必死に『逃げたい』って願ってるの」
「……」
「そしてその願いがこの世界と私を生み出した。だから私はあの子の願いを叶えるため戦ってる」
「毎晩…ここで戦ってるの?あの化け物と?」
「うん、1日一回ね。それで今日は3回目」
しばらくすると母親の身体も溶けて消えた。それを見ながら、彼女はまた自分の右手を気にしている。
「……」
「右手どうかしたの?」
質問に少女は「んー」と目を伏せる。
「これ、中指が動かなくなっちゃった」
「え?」
近いづいて確認すると、その中指はブラリと力なく揺れていた。
「もしかして…あの凄いパンチで折れちゃった!?」
慌てる僕に「違う違う」と少女は笑う。
「さっきの怪物。あれを倒すたび、私の右腕と右脚は少しずつ機能を失うの」
「な…なんで?」
「それが『対価』だから」
「おかしい」と僕は思った。
対価とは労力に対して得る物に使う言葉だ。
ではなぜ指の機能を失った彼女はその言葉を選んだのだろう。
「……失ったら対価じゃなくない?」
少女は寂しげに笑う。
「言ったでしょ?ここは鏡の世界、現実世界と逆のことが起こるの。つまり私の指が動かなくなったってことは?」
「……まさか、現実の咲間さんの指が…動くようになってる?」
「その通り。今ごろあの子の右手中指は回復してるんじゃないかな?」
彼女の言う対価とは、病室で眠っている咲間シオンに与えられるものだった。
「……」
言葉を失う僕に少女は続ける。
「小指から始まって今日が中指だから明日は人差し指。明後日は親指で腕が治ると思う。そしたら次は右足の小指になるのかな」
「でもその対価を受け続けたら君がどんどん不利にならないか?」
彼女は一瞬黙り「はぁ」とため息をつく。
「確かにそうだね。でも結局《結局》願いを叶えるのって楽じゃないんだよ。進むたびに難易度が上がるゲームと一緒で、不利な状況を乗り越えないと大きな結果は得られないの」
「……」
その言葉に何も返せなかった。
動かない指が力なく揺れ、残った指で握り拳を作る姿。
そこに少女がもう明日の戦いを覚悟しているのが分かる。
「この戦い、いつまで続くの?」
「んー多分私の右脚が使えなくなるまでかな」
「その後は?」
「さあ?咲間シオンの体が治ってバンザイで終わりじゃない?」
本当にそうなのだろうか。
対価で動かなくなった指。それを見ているとただ咲間さんの体が治って終わりなんて、そんな都合のいい結末になるのだろうかと思えてしまう。
憶測を巡らす僕に彼女は言った。
「と言うか、あなたこそいつまで人の心の中にいるつもり?」
「え?」
「そもそも鏡の世界は本人にすら認識できないのに。まさかあなたが入ってくるなんて…」
「僕はただ、鏡に君の姿が見えたから追いかけて来ただけで…」
少女は「ふーん」と腕を組む。
「まあいいや。今日のは終わったしあなたもそろそろ帰ったら?時間マズいんじゃない?」
携帯で時間を見る。
すると時刻は20時27分を指していた。
「うわ病院閉まっちゃう!帰らないと!」
「ついてきて」
手を引いて彼女は鏡の前へ向う。
そして鏡に触れて感触を確かめた。
「よし行けそう」
僕の手を鏡に押し込む。
その感触は今日この世界に来た時と同じ、水に触れたかのようだった。
「これで帰れるよ」
「ああ…ありがとう」
そして体が鏡に沈む中、少女が尋ねた。
「ねえ、明日も病院来るの?」
「え?うん、ばあちゃんのお見舞いに来るけど」
「じゃあさ。それが終わってからでいいからちょっと寄ってくれない?」
「え?」
彼女は照れくさそうに頬を掻いている。
「いやえーっと…なんであなたがこの世界に入れるのかは分からないけど、それならそれでいいって言うか。私一人で戦って一人で勝ってもつまんないからさ、いけー!そこだー!ってただ応援してくれる人が欲しいの。それだけ」
僕は答えに戸惑う。
しかし少女の寂しげな顔を見た途端、つい断りきれず承諾してしまった。
「あーうん、分かったよ」
体のほとんどが鏡に飲まれる。
そしてこの世界を後にしようとしたとき、かすかに彼女が何か言ったような気がした。
「あのときみたいにさ」
◇
「うわ!」
バタリッと現実世界に放り出される。
通路を確認すると今度はちゃんと右側が受付になっており、気温も寒い場所から出たためかとても暑く感じた。
「戻ってこられたのか…」
立ち上がり、後の鏡を確かめていると。
「あらどうされました?もう施錠時間ですけど」
歩いてきたのは昨日咲間さんの車椅子を押していた看護婦さんだった。
「ああっすみません!」
リュックを拾い、急いで帰ろうとする。
しかし一つだけ気になることがあったため、僕は足を止めて尋ねた。
「あのすみません」
「なんでしょう?」
「この鏡なんですけど。なにかこう…幽霊が映るみたいな、変な噂ってありますす?」
「え?」
おかしなやつだと思われたろうか、看護婦さんは難しい顔で腕を組む。
「うーん…幽霊とかはないですけど、前に院長が言ってた【付喪神】の話なら聞いたことがありますよ」
「付喪神?」
「はい。この鏡って随分古いもので、戦時中よりも前からあるらしいんですよ。100年以上は経ってるとか」
「そんなに昔から?」
確かに鏡には随分年季が入っている。縁の金箔は剥げ落ちて黒ずみ、表面には無数の細かな傷があった。
「院長の話だと長い間大切に扱われた物には付喪神って言う神様が宿って、その家に幸運をもたらしてくれたり、時には不思議な力を貸してくれるそうで。だから患者さんにもこの鏡を拝んで手術に挑まれる方がいるんですよ」
「へー…」
「あなた、早島さんのお孫さんですよね。隣のベッドのシオンちゃんもリハビリ前この鏡を拝んでるんですよ」
「……そうなんですね」
お礼を言って病院を後にする。
電源の切れた自動ドアを手で開け、外に出ると夜空には星が輝いていた。
「ふー…なんだか色々ありすぎたな」
自転車に跨がりライトをつける。
そしてペダルに足をかけて漕ぎ出した時、少女の声が脳裏を過った。
「あのときみたいにさ」
なんのことだろう。でもなぜだか僕にはその言葉が重く感じた。




