第3話
「咲間…さん?」
鏡に映る少女は僕の背後に立ち、どこか不思議そうにこちらを見ていた。
これは夢か幻覚か?
しかし鏡には間違いなく咲間さんの姿をした少女が映っている。
「え…?」
わからないことだらけの状況。
しかし、そんな中でも一つだけはっきりしていることがある。
「君は…誰だ?」
鏡に写る少女、それが咲間さんではないということ。
姿形こそ彼女であるが、車椅子に座っていないことや、不随の右腕を動かしていることで違いが分かる。
なにより今、彼女は病室のベッドで眠っているはず。
「……」
僕の質問に答えず、少女はそっぽを向いて中庭の方へ走り鏡から姿を消した。
「ちょっと!」
顔を鏡に押し付け覗き込む――――すると。
「冷た!…これは……水!?」
突如、鏡に触れた手が水に飲まれるよにう沈み込んだ。
「なんだ!?」
前のめりの僕はバランスを崩し、そのまま鏡に飲まれていく。
「待て待て待て待て!!!うわあああ!!」
恐怖で心臓が締め付けられる。
目の前には冷たい闇が広がり、やがて考える間もなく意識を失った。
◇
「んん…あれ?どうなった?」
目を開けると、そこは先ほどまでいた病院の通路だった。
床に倒れていた僕は立ち上がり、目の前の鏡を確かめる。
「たしかさっき、この鏡に飲まれて…」
鏡に触れても先ほどのような感触はない。
軽く叩いてみても、コンコンッと硬い音がするだけ。
「……やっぱりさっきのは夢で実は階段から落ちて気絶してたとか?」
そんなことを言っていたとき。鼻がムズムズして大きなくしゃみが出てしまう。
「ハクション!!…あぁやっぱり寒い……」
寒さは先ほどより勢いを増し、周囲の雰囲気も少し変わったように感じる。
通路の壁は塗装が《とそう》剥がれ、床の亀裂からは植物が生えていた。
「この病院こんなに寂れてたっけ……?そうださっきの子」
一瞬少女のことを考えたが、あれはただの夢かもしれない。
まずは受付に行ってこの寒さをなんとかしてもらうことにした。
「えーと受付は階段を下って右だから」
首を右に向け通路を見る。
すると、鏡の横にある何かが目に入った。
「ん?なんだこれ?」
携帯のライトをつけて確かめる。
するとそれにはこんな文字が書かれていた。
『この先中庭』
「え?」
僕は確かに受付のある右側通路を見たはず。
なのに目の前には中庭への看板がある。
「どういうこと……?」
誰かがいたずらで位置を変えたのか?
念の為暗い通路を進んで奥を確かめる。
すると、確かにそこに昨日見たガラス扉があった。
扉は黒ずみ向こう側が見えない。
「そんなありえない…通路が逆になってる!?」
そう、鏡に飲まれる前いたあの通路。それが全く反対になっているのだ。
「夢じゃなかった…?いや、もしかしてまだ夢を見てるのか!?」
鏡だけに写る少女。人を飲み込む鏡。極めつけに逆になった通路。
あまりに現実離れした状況でパニックを起こし、僕は頬を引っ張りながら左側通路や階段を確かめた――――しかし。
「なんだよこれ…」
左側通路は天上が崩れて塞がれており、階段も踊り場から先が無く進めなくなっていた。
つまり、今この場所から移動出来るのは中庭だけ。
「行けってことか…?」
体をさすり、ガラス扉に近づく。
扉はツタで覆われていて、それは通路にまで侵食している。
冷えた取っ手を握り奥へ押し込む。
すると開けた隙間からさらに冷たい冷気が流れ出して来た。
「うぅ……」
中へ入り周囲を確かめる。
するとそこには昨日美しく咲いていた植物達の腐り果てた姿があり、水やガラスも黒く濁り切っていた。
「酷い匂い…」
植物の腐敗臭に鼻をつまんでさらに奥へ進む。
そしてサボテンの植えられた場所へたどり着くと、そこにいたのは。
「来たんだ」
鏡の中に見た、咲間さんと瓜二つの少女だった。
紫のポニーテールに黒いワンピース。
彼女は軽やかなステップでこちらへ振り向く。
その姿はまるで、黒い絵の具に一滴だけ紫を落としたような。
そんな異彩を放っていた。
僕は尋ねる。
「ねぇ…君」
「なに?」
「そんな格好で寒くないの?」
「え?」
少女は呆気に取られた顔でプフッと笑う。
「最初に聞くのそれなんだ」
「だって…」
笑っているがこの異常な寒さ。
ワンピース一枚の人を心配しない方がどうかしてる。
それでも彼女は平気な様子。
裸足でレンガの道を歩きこちらへ来る。
そして僕に向かってこんなことを言った。
「大丈夫。私人間じゃないから」
「……」
ここまでの出来事に、もはや「だろうな」という感想しか持てなかった。
感覚が麻痺してあまり難しいことは考えられない。
なので僕は要点だけを尋ねることにした。
「えーとじゃあ君は何者で…なんで咲間さんの姿をしてるの?それにこの場所は一体……」
そう言いかけた時、目の前の少女が「しっ」と口元で人差し指を立てる。
「来るよ」
「?」
「なにが?」と聞く前に異変は起きた。
腐った植物から黒い液体が流れ出し、僕たちの足元を抜けて噴水に集まり始めたのだ。
「なんだこれ!?」
やがて噴水は液体で満たされ、ベチャッと言う音ともに黒い何かが姿を見せる。
「あれは……手?」
それはまさに人の手の形をしていた。腕はかなり太く、指先には鋭い爪が生えている。
そして『ヴヴヴ…』と獣のような声を上げた後、もう片方の手が噴水の縁をガシリと掴んだ。
縁にはピシッと亀裂が走り、僕は思わず動揺してしまう。
「おいおい…ヤバくないかあれ!」
反して少女は涼しい顔。
「大丈夫、あんなの全然怖くないから」
「はあ…?」
ザバッ!!!と水飛沫を上げ、噴水から2メートルを超える黒い怪物が現れる。
それは頭部に二本の角を生やし、赤い目でギロリとこちら見た。
「あ…あぁ…」
腰を抜かしす僕を置いて、少女はスタスタと怪物へ向かっていく。
「そこにいて、すぐ終わるから」
「え…?」
怪物は叫び、少女めがけて拳を叩きつける。
『グオオオ!!!』
地面が砕け、衝撃で土埃が舞う。
「うっ!?」
僕は目を守ったため少女の姿を見失い、首を振って必死に探した。
「どこに!まさか潰されて!?」
そのとき、上空から「ここだよ!」と声が響く。
「あ、え!?」
見上げると、少女は怪物よりもはるかに高い上空を飛んでおり、その位置から右拳を突き出し急降下した。
「くらえ!!!」
怪物も右拳を構えて迎撃する。
『グオオオオ!!!』
そして二人の拳がぶつかった瞬間。
ドッッ!!!
光と炸裂音で怪物の腕が砕け散った。
「ウソだろ…」
僕は口を開けたまま、ただ呆然としている。
『グアアア!』
怪物は苦しみ、無くなった腕から大量の黒い液体が流れ落ちた。
「はい、おしまい」
少女の言葉に激昂し、怪物は『オオオ!!!』と左手の爪で攻撃を掛けるが。
「しつこい、なあ!」
回し蹴りが怪物の首を蹴り飛ばし、吹き飛んだ首がボチャリと噴水に落ちた。
残った体は地面に倒れ、ゆっくり溶けていく。
僕は少女に問う。
「ねえ!あの化け物はなに!?ここに来てから訳分かんないことだらけだよ!!」
しかし彼女には届いていないのか、自分の右手をじっと見つめている。
「今日は中指か」
「……?」
そのとき、怪物の溶けた体から一人の人間が姿を現した。
それは成人女性の姿をしていて、死んだように横たわっている。
「え…この人は?」
見つめる僕に少女は言った。
「それ、私のお母さんだよ」




