第10話
「来たんだね…」
シオンは腕の中でそう言った。
白い少女はこちらを一瞥すると、噴水を降りてスタスタと怪物の方へ歩いて行く。
怪物は咆哮を上げ攻撃を仕掛けるが、その刹那。
スッ
少女は払うように手を動かした。
「オ…オォ?」
すると怪物の上半身が徐々《じょじょ》にズレ、やがでドシン!と地面に落ちた。
それはまるで、鋭い何かで切り裂かれたように。
「今…何をしたんだ、あの子は一体?」
理解の追いつかない僕にシオンは言う。
「あれはもう一人の私。咲間シオンの心が、母親への思いを断ち切ろうと生み出した、『決意の姿』」
白い少女はこちらへ歩いてくる、そして僕に向かって言った。
「さあ圭吾さん。こちらへ」
「え…?」
「どうしました?その子はもう必要ありません、私と新たな一歩を歩んでいきましょう」
シオンが僕の胸を押す。
「圭吾さん行って…覚悟はできてる。これが私の最期なんだよ」
「何言ってるんだ…」
少女はさらに近づいてくる。
「どうしました圭吾さん。早くこっちへ」
肩に手が触れ、咄嗟にシオン抱えて後ずさる。
その行動に、白い少女は訝しげな顔をした。
「なぜです圭吾さん?なぜその子を大事にするんですか?」
「……」
「なにかおっしゃってください」
シオンを強く抱きしめる。
「本当にそうなのか?」
「え?」
「本当に…お母さんへの思いを断ち切ることが、咲間さんにとって最高の結末なのか?」
「え?そんなの当たり前じゃないですか」
白い少女はシオンを指差す。
「その子がどれだけ願おうと現実は変わりません。優しかったお母さんはもういないし、そんな想いに縛られたままじゃ、あの子が前に進めない。ならそんな心、消してしまうのが正しいに決まっているじゃありませんか」
「……」
僕は押し黙り、シオンに眼を向ける。
「シオン。君はどうしたい?」
「え?どうしたいって…」
「君はまだ、お母さんに会いたいと思ってる?」
「それは…だって…それが私の本心だから」
「分かった」
彼女の前に立ち、両手を広げる。
「何の真似ですか?」
冷たい顔の少女が言った。
「悪いけど、僕はシオンの味方をするよ」
「なぜです、なぜそんな不要な心に」
「不要なんかじゃない。君もシオンも、咲間さんの心の一部だ。それなら僕はこの子を守る」
スーッと息を吸い込む。
「シオン。あの日僕が言えなかったこと、今君に伝えるよ」
「圭吾さん…」
そして、思いの丈を彼女にぶつけた。
「お願いだシオン…生きてくれ!!!」
「……!」
その瞬間シオンの体が強い光に包まれた。
右腕は繊維を紡ぐように、右脚は歯車がかみ合ったかのように復活していく。
そして彼女はゆっくりと自分の力で立ち上がった。
「なにこれ、力が溢れて…ああそうか」
シオンは僕の顔を見る。
「圭吾さん…こんな私を認めてくれたんだね。もう一度優しいお母さんに会いたいなんて、こんなバカな私を…」
「バカなもんか、君も立派な咲間さんの本心だ。たから僕は全力で応援する」
「……ありがとう圭吾さん。本当に嬉しい」
彼女は涙を浮かべ抱きついてくる。
そして「じゃあ、行ってくるね」と背中を向けた。
その背中はあの日公園。夕焼けの道を歩いていった咲間さんを思い出させる。
だから僕はあの時と同じ、その背中に向かって大きく叫んだ。
「がんばれ!!!」
白い少女は憎悪の眼差しを向けている。
「なぜです圭吾さん…なぜそんな子を…」
「…君の言う通り、お母さんへの思いを断ち切ることは必要かもしれない。でも裏を返せば、それは自分の弱さを見せることを恐れてるだけじゃないか?」
「恐れている?この私が?」
「そう。それこそが君のついてる『嘘』だ」
中庭の空気がビリビリと震える。
植物たちが葉を震わせ、まるでこの世界が少女の怒りに呼応しているみたいだった。
「シオンのお母さんに会いたいって気持ち、それは弱さなんかじゃない」
「…何を言ってるんですか?」
「優しかったお母さんに会いたいって思うこと、それは当然のことだよ。だってお母さんは昔本当に優しかったんだろ? ミルクティーを作ってくれたり、ブランコを押してくれたり…そんな思い出があるから今の咲間さんがあるんだ」
「でも…その思い出があの子を縛りつけてるんです。もう戻らない過去に囚われて、前に進むことができなくなってる」
少女は拳を握りしめる。
「だからこそ…断ち切らなきゃいけないんです…優しかったお母さんなんて幻想を。現実のお母さんはあの子を傷つけた。それを忘れて歩き出す。それが正しい結末なんです」
「違うよ。忘れることが正しいなんて、誰が決めたんだ?」
「……」
「思い出を捨てて前を向くのが強さ? そんなの逃げてるのと同じじゃないか。本当の強さって、痛いことも悲しいことも弱さも全部抱えたまま、それでも歩いていくことだと思う」
シオンも白い少女に向かって口を開く。
「圭吾さんが認めてくれて分かったの。私たち二人とも、あの子の心の一部。だからどっちが正しくて、どっちが間違ってるかなんて決める必要ない。両方存在していいんだよ」
「そんなわけ…」
「お願い、もう自分の心を否定しないで。この世界に絶対に正しい答えを出せる人なんていないんだから」
「やめろ……私はただ…あの子が前へ進むために!!!」
少女が手を振り上げ、地面が切り裂かれる。
シオンはその腕を掴み「やめて!」と取っ組み合いを始めた。
「この!離せ!!私こそが正しいんだ!」
「だから!正しい答えを出せる人なんて……この分からず屋!!」
その時、シオンの頭突きが少女の鼻にめり込む。
ゴン!!!
「あっ」
「痛ってぇ…てめぇ…なにしやがんだ!!!」
鼻血を流しながら、白い少女はシオンの頬を殴る。
「ぐぅ!あんたこそ!!」
負けじとシオンも殴り返し、まるで子供の喧嘩のごとき殴り合いが始まった。
そして互いの力は常人をはるかに超えており、その一撃一撃に命を奪うような気迫を感じた。
「くつ!!」
「うぐっ!!」
ドンッ!バキ!!
痛々しいまでの殴打が繰り返され、互いの首を掴んで2人は地面を転がる。
「この!私だって寂しいんだ!それでも前に進まないといけない…お前さえ…お前さえ消えれば!」
「私は消えない!圭吾さんが生きてくれって…言ってくれたから!」
血と涙で顔はぐちゃぐちゃ。紫の髪が泥と混じって、どちらがシオンでどちらが白い少女か、もうほとんど区別がつかない。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながらシオンが呟く。
「もう……いいでしょ」
白い少女も、鼻血を垂らしながら言った。
「……よくない…これじゃ…終われない」
二人は同時にふらつきながら立ち上がる。そして互いに最後の一撃となるであろう右腕を振りかぶった。
「お前は……消えろ!!!」
「私は……消えない!!!」
ドッ!!!
拳と拳がぶつかり、衝撃波が走る。
植物は強風に打ち付けられ、ガラス張りの建物全体に亀裂が入った。
「うっ」
僕は目を両腕で守った。
そして衝撃波の終わりに目を空けた時、シオンと少女は抱き合うように膝をついていた。
「シオン!」
駆け寄り二人を抱きしめる。
「もういい…もう十分だ」
シオンが掠れた声で呟く。
「圭吾さん……私負けた……?」
「負けてないよ…どっちも負けてない」
白い少女は、鼻をすすりながら顔を上げる。
「…まだ…終わってな…」
「終わったよ…もう戦わなくていい」
二人の手をゆっくりと重ねさせる。
「優しかったお母さんに会いたいって気持ちも、断ち切って前に進みたいって気持ちも、どっちも正しい咲間さんの心なんだよ」
シオンが、弱々しく笑う。
「……私たち…これからどうなるのかな?」
「わからない、でも消えなくていい。これから二人でひとつの心になればいいじゃないか」
少女が尋ねる。
「……それって……許されることなの?」
「許されるも何も、最初から許されてる。心って、いつも矛盾だらけなものだろ?」
「はは……変なの」
その瞬間、二人の体が淡く光り始めた。
紫の髪が混じり合い、黒と白のワンピースが溶けるよう一つに重なる。
光は次第に強くなり、視界を覆った。
「……圭吾さん」
暖かい風の中、シオンの声がどこからか聞こえる。
「ありがとう……あの日の『がんばれ』も、今日の『生きてくれ』も……全部、ちゃんと届いたよ」
「うん」
「これからは……あの子が笑えるように、私もずっと側にいる」
光が収まると、そこには色鮮やかな植物の姿があった。
もう一人の少女は消え、ただ紫のポニーテールを揺らす、いつものシオンだけがが立っている。
右腕も右脚もちゃんと動いて、傷だらけの顔で確かに笑っていた。
「……私たち、一つになっちゃった」
「そうだね.でもシオンはちゃんとここにいる」
「うん、少し形が変わっただけ。これからは…もっと静かにあの子の心の隅にいるよ。時々、優しかったお母さんの夢を見せてあげたり、怖い夢を見たら、そっと慰めてあげたり」
彼女は噴水の縁に腰を下ろし、透明になった水面を見る。
「この世界……こんなにも綺麗だったんだ」
「そうだね」
隣に座り、シオンの肩に手を置く。
そして彼女にこう言った。
「これから、一緒に歩いていこう」
「うん」




