第1話
僕の目の前で、二人の少女が戦っていた。
腐った植物が周囲を囲む【鏡の世界】で。
互いの拳が交差し、口からは血液が噴き出している。
それはもはや、子供の喧嘩のごとき命の奪い合いだった。
◇
1ヶ月前のこと。
大学に通っている僕に実家から連絡が来た。
『圭、おばあちゃんが』
「!?」
祖母が階段でつまづき、『骨折』したのだそうだ。
「ばあちゃん……」
僕が生まれた時から世話を焼き、わがままを聞いては笑っていた祖母が入院した。
人に話せば「骨折程度、死ぬようなもんじゃない」と笑われそうだが、おばあちゃん子の僕にとっては一大事件。
しかし、ここ数日の講義選択やバイトの忙しさですぐには駆けつけられず、一人暮らしの心細さもあって僕の心は強く揺さぶられていた。
幸い病院は実家と大学の中間にあり、自転車なら1時間で行ける距離。
到着すると、受付で祖母は検診中と知らされ「後で呼びますので」と待合席で待つことになった。
「ふー…それにしても暑いな」
時期は9月の下旬、とはいえまだまだ気温は高く、水分補給に自販機で飲み物を買うことにした。
ガコンッ
買った飲み物を取り蓋を開ける。
すると一つ飛ばして隣の自販機。そこに、ミルクティーのボタンへ手を伸ばす『車椅子の少女』がいた。
「んんっ」
紫髪のポニーテールを揺らし、指先があと少しのところで届かない様子。
それを見て、僕は変わりに押してあげようと近づいた。
「あの、押しま…」
「結構です」
即座に断られ、驚きで動揺する。
「えぇ…」
親切心からの行動だったのに、こうもキッパリ断られたら結構傷つく。
「…すいません」
でも、確かに僕は今汗をかいていて不潔だったかもしれない。
特に最近の子はデリケートだからもう少し配慮すべきだった。
「そ…それじゃぁ」
後退り、その場を去ろうとする――――すると。
「あ…」
少女はこちらを見て、何か気づいたように言った。
「あの…すみません、今のは言い方を間違えました。ちょっとイライラしていたもので…」
「え?」
「あなたの行為自体には感謝しています。だから気を悪くしないでください」
「は…はあ」
そうして立ち尽くしていると。
「早島さーん、【早島 圭吾】さーん。もう面会してもよろしいですよー」
名前が呼ばれ、それに向かって「はーい」と返す。
「じゃあ、行くんで」
そう言って僕は彼女を後にした。
「早島…」
◇
2階の203号室。
そこは4人部屋の病室で、祖母は左奥にある窓際のベッドに横たわっていた。
「あら圭ちゃん、来てくれたの?大学は?」
「今日は午後の講義無いから大丈夫。ていうか僕より自分の心配しなよ」
「ありがとうね。まったく…ちょっとつまづいただけなのにダメになったもんだよ…」
見たところ、祖母に苦しそうな様子はない。足は固定されて動けないが、病室にはテレビや冷蔵庫、ネット環境までも整っている。
祖母は携帯も使えるから退屈の心配はないだろう。
「ふー…大丈夫そうで安心した。母さんたちは来たの?」
「ああ、昨日も来てくれたよ。みんなには迷惑かけるねえ」
「大丈夫だよ。それより何か食べたいものとかない?買ってくるよ?」
「ああ出さなくていいよ。これ使いな」
祖母はバッグから財布を取り出し5千円札を渡してきた。
「ちょっとばあちゃんいいって…どうせお釣りくれるつもりなんだろ?」
「いいから持っときな。お母さん来ちゃうから、早くしまって」
「いやいいって…僕バイトしてるんだから……」
いくら断っても結局は掴まされる。祖母という人はどうもお金に執着がない。
無欲とまではいかないのだろうが、いつも家族のためにお金を使いたがる。
どこのおばあちゃんもそうなのだろうか?
「はぁ…また違う形で返そう」
1階の売店に向かうため階段で下りていく。
下りた先はT字路になっていて、その真ん中に僕の全身が映り込むほどの大きな鏡が置いてあった。
鏡の左には看板がかけられていて『この先中庭』と矢印が書かれている。
「へー、中庭とかあるんだ」
矢印の方向にはガラス扉、その奥に緑の景色が見えた。
看板にはこうも書かれている。
『中庭は温室となっており、さまざまな植物が鑑賞できます。どなたでもお気軽にどうぞ』
「ちょっとだけ行ってみようか」
ガラス扉を開けると、広々とした程よい温度の空間が広がっていた。
ヤシの木や色鮮やかな熱帯植物が並び、中央の噴水周りにはベンチが置かれている。どうやら患者さんたちの憩いの場にとして使われているようだ。
「思ったより凄いな」
レンガの道を進み、サボテンの植えられた場所が見えてくる。
するとそこに。
「あっ」
「あ…」
先ほど自販機の前で会ったポニーテールの少女がいて、看護婦さんに車椅子を押してもらいながら中庭を回っていた。
「……」
「……」
目を合わせる僕たちを見て、看護婦さんは言う。
「あら、シオンちゃんのお知り合い?」
脳裏に「結構です」という少女の言葉が蘇る。
気まずさのあまり無言でその場を歩き去り、出口と書かれた扉の取っ手を掴みグイッと回す。
出口を抜けるとそこは病院の裏側で、気温39℃にもなるであろう歩道へと放り出された。
「暑っつ…」
猛暑の中、病院の表に迂回しようとするが、今帰れば表につく頃またあの少女と鉢合わせるかもしれない。
僕は外のコンビニで買い物してから戻ることにした。
◇
「あら、おかえり圭ちゃん。随分長かったね」
「うんまあ、色々あって」
病室に戻ると祖母の元に母親が来ていた。
今日は平日ということもあって、父や妹は来られなかったらしい。
「あら圭、アンタも何か買ってきたの?」
母は僕と同じくコンビニの袋を持っており、中から水羊羹や抹茶のスイーツを取り出し机に並べた。
「なんだ、そっちも買ってきたのか」
僕も同じようなラインナップを袋から出し「冷蔵庫に入れとくよ」としまっておく。
すると母が「ねえ、それでさっきの話」と言った。
祖母は「ああ…可哀想にねえ、高校生になったばかりなのに」と隣のベッドを見る。
僕は汗をぬぐいながら祖母に尋ねた。
「何の話?」
「いやね。隣のベッドの患者さんが高校生の子なんだけど。どうもお家のことで怪我して入院してるらしいの」
「家のこと?」
「まあ看護婦さんから聞いた話なんだけどね…」
祖母は憐れみながら、その高校生について教えてくれた。
「DV?」
「人様に言うんじゃないよ?なんでも家族に暴力を振るわれて『半身不随』になったんだって」
「えぇ…酷いな。なんだそれ…」
「たからその子、右腕と右脚が動かせないのよ」
『半身不随』体半分の手足を動かすことができなくなる麻痺状態のことだ。
医学的に治療が難しいと言われているが、リハビリによってある程度は回復が見込めるらしい。
「大変だな…」
そんな話をしていると、病室の外から誰かの声が聞こえて来た。
「はい着きましたよー、リハビリお疲れ様ー」
「いつもすみません」
「いいのよー、これが仕事なんだから気にしないで」
その話し声を聞いた瞬間、祖母は血相を変えてこう言った。
「しーっ、あの子だよ」
空いたドアから、車椅子に腰掛けた少女が現れる。
紫髪にポニーテール。見覚えのある姿に僕の全身から再び汗が溢れた。
「ウソだろ…」
「あっ…」
目線が合い、彼女が隣のベッドへやってくる。
そしてゆっくり体を上げながら僕にこう言った。
「今日はよく会いますね」
「は…はは」




