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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

白塔 外伝 〜砂漠迷宮に誓う、二人の絆〜

作者: 小野寺 翔
掲載日:2025/11/20

アフタル大陸の砂漠地帯に口を開ける、ルベルの地下ダンジョン。場所はカカラド共和国に位置する。

この世界で最も有名で、いまだ誰一人として最深部に辿りついていない“未完の迷宮”だ。


何故そこまで冒険者が集まるのか――理由は単純。

魔石が取れ、運が良ければ魔道具まで拾えるからだ。魔道具はどれも希少で、高値がつく。一攫千金を求めて、世界中から冒険者たちが押し寄せる。


だが、ここはただの金脈ではない。

他のダンジョンと決定的に違うのは、出てくる魔物の強さだ。数えきれない冒険者が、この迷宮に潜ったまま二度と戻らない。ルベルの地下ダンジョンは、“富と死”が同じくらい転がっている場所だった。


今日もまた、新しい二人の冒険者が、その入り口に立っていた。


一攫千金のためか。

強くなるためか。

それとも、ささやかな夢と約束のためか。


それを知るのは、彼ら本人だけだった。



「おいノルク! ここが世界で最も有名な“ルベルの地下ダンジョン”だ!!」


「兄さん、はしゃぎすぎ。……でも、本当に大きいね。入り口も、変に迫力ある」


「見ろ見ろ、どんどん冒険者が入っていくぞ! 俺たちも早く潜ろうぜ!」


「その前に、探索許可証。迷宮管理庁で許可もらわないと入れないよ」


「あ! そうだった! よし、さっさと貰いに行こうぜ!」


砂の坂道を、兄弟は転げ落ちるように駆け下りる。


「うっわ……。すげぇなここ、人も店も多すぎだろ」


「だね。冒険者がたくさん来て、お金を落とすから、宿も店も潤ってるって聞いたよ」


「だよなー。でも、暑い。これはマジでキツい」


「兄さん、氷飴でも買ってくる? 体冷やした方がいいよ」


「お、いいな! ノルクはここで待ってろ、俺が買ってくる!」


「えっ、いいよ兄さ……って、もう行っちゃった」


ノルクは一人になり、改めて周りを見渡す。

獣人族、リザードマン、ドワーフ――さまざまな種族が行き交い、砂と汗と鉄の匂いが混ざり合っていた。


「ノルク! 待たせたな! ほら、キャッチ!」


「わっ……ありがとう、兄さん」


軽く放られた袋をノルクは上手くキャッチし、そのまま中の氷飴を頬張る。


「暑いところで食う氷飴、うんめぇぇぇ!」


「ほんとだ……! 冷たくて、甘くて、おいしい!」


二人が夢中で噛み砕いたせいで、氷飴はあっという間になくなった。


「よし。それじゃあ迷宮管理庁だな。許可証もらわねーと。……どこだっけ?」


「兄さん……ルベルの地下ダンジョンの横に白い建物あったでしょ? あそこが迷宮管理庁だよ」


「あれか! よし、行くぞノルク!」


二人は駆け足で白い建物へ向かった。



「結構並んでるな〜。いつ順番回ってくるんだよこれ」


「まぁまぁ。兄さん、ここは室内だからまだマシだよ。外より涼しいし」


小一時間ほど待って、ようやく二人の番がやってきた――その瞬間。


横から、柄の悪い男がふてぶてしく割り込んできた。


「えっと、僕たちの番なんですけど……」


「あん? なに? いたの気づかんかったわ」


「いや、気づかないはおかしいですよね? それと、大人なんですから順番は――」


「おいノルク。順番なんていいよ。面倒に巻き込まれる」


「チビのくせに偉そうじゃねぇか? ああ? やんのかコラ」


もう一人のガラの悪い男も詰め寄り、二人を取り囲む。ノルクは歯を食いしばって睨み返す。周りの冒険者がざわめき、受付嬢も困ったように視線を泳がせる。


その空気の中で、ケインが一歩前に出た。


「いやぁ〜、すいませんね。俺の弟がさ。ほら、これやるからさ、機嫌直してくれよ」


そう言って、ケインは男たちに金を差し出す。


「兄さん!? 何してるの!? こんな奴らに金なんて――」


男たちは金をひったくり、鼻で笑った。


「ケッ、こんなはした金、足りねぇなぁ。坊主。俺らはテメェらなんかよりダンジョン潜って、この国に貢献してんだよ。たかが順番抜かされたくらいでピーピー喚いてんじゃねぇよ」


「……」


「俺らにボコられたくなかったら、金貨三枚くらいよこせや」


「いや〜、そんな大金持ってねぇんだよ。だから、これで勘弁してくれって」


「はあ? 知るかボケ! いいから持ってこいやぁ!」


ノルクは今にも飛びかかりそうな姿勢になる。


「兄さん……もう我慢の限界だ……」


ケインはそんなノルクの頭に手を置いた。


「――あのさ。あんま調子乗るなよ? バカかテメェら」


「……あ?」


「こんなくだらねぇ口喧嘩して時間潰すよりさ、さっさとダンジョン潜って稼いだ方が早えだろ。もう一度言う。金渡したろ。とっとと失せろ、雑魚」


「……っ!」


「なんだとコラァ!!」


雑魚と言われた瞬間、二人のチンピラが一斉に殴りかかる――が。


ケインの右フック。

ノルクの鋭いハイキック。


それだけで、二人の男は床に沈んだ。


「やっぱり兄さんも、溜まってたんだね」


「そりゃそうだろ。あんだけボロクソ言われたらな」


何事もなかったかのように、二人は受付に進み、探索許可証を受け取る。


「――よっしゃーー!! これでルベルに入れる! 行くぞノルク!」


「うん。行こう!」



ダンジョンの入り口に立つと、“巨大”という言葉がぴったりの闇がそこにあった。


「近くで見ると、本当にでっけぇな……!」


「だね、兄さん」


「まずは一層から小手調べだ。様子見ながら行くぞ!」


しばらく進むと、数匹のゴブリンが現れた。


「よし。肩慣らしがてら、順番に仕留めるぞ」


「了解、兄さん」


ゴブリンたちの稚拙な攻撃を、二人は軽くかわし、首元へ剣を走らせる。あっという間に、ゴブリンの群れは地に伏した。


「余裕だな」


「ね。もっと強いのが出るかと思ったけど、そうでもないね」


「この調子で体力続く限りゴブリン狩るか。魔石、山ほど稼げるぞ」


「いいね。僕も気合い入ってきた」


陽が沈むころまで狩り続けた二人は、地上へ戻り、宿に入った。

夜、ノルクが寝返りを打つと、窓辺に座るケインの背中が見えた。


「兄さん……まだ起きてるの?」


「お、起こしちまったか?」


「ううん。たまたま目が覚めただけ。ふぁぁぁぁ……」


「欠伸長ぇな。……なぁ、ノルク」


ケインは窓の外の星空を見たまま、ぽつりと言葉を落とす。


「やっと、ここまで来たな」


「だね。スタンピードで村が滅んで……色々あって、なんとか耐えて、ここに辿りついた」


「俺たちが“兄弟”になったのも、こんな夜だったか」


「そうだね。周りが静かで、星がきれいで……二人でお金出し合って買った安い酒で乾杯して、“義兄弟になろう”って」


「懐かしいな……。あとはここルベルで稼いで、城壁都市ムガンの“白煌光はくこうこう騎士団”に二人で入る。スタンピードのとき、俺たちを助けてくれたからな。ちゃんと恩返ししねぇとな」


「うん。兄さんと一緒に、あの騎士団に入る。……明日は三層くらいまで潜ってみる?」


「いいな。それくらいなら余裕だろ。じゃ、さっさと寝て、明日に備えるぞ」


二人はそのまま、朝までぐっすり眠った。



「スッキリしたぜぇぇ!! よし、行くぞダンジョン!」


「行こう! 僕も昨日からウズウズしてた!」


二人は一気に三層を目指す。

他の冒険者から教えてもらった隠し通路のおかげで、迷うことなく進めた。


「岩の裏に隠し通路とか、聞いてなきゃ絶対気づかねぇよな」


「ほんとだよ。けど、おかげで三層まで来れた。……行こう、兄さん」


三層は湿った空気と、おぞましい気配に満ちていた。

道中、ゴブリンやスケルトンが現れるが、二人は危なげなく斬り伏せて進んでいく。


そんなときだった。


「だれか〜……誰かいませんかぁ〜……。足をひねってしまって……ポーション、分けてほしいです〜……」


か細い女の声が、洞窟の奥から響いてきた。


ノルクとケインは足を止め、互いに目を合わせる。


「兄さん……今の、聞こえた?」


「……ああ。こっちだな」


声のする方へ駆けていくと、岩に腰掛け、足をさすっている人族の女性がいた。

肩で息をし、苦しそうに顔をしかめている。


ノルクは迷わず駆け寄り、ポーションを差し出した。


「だ、大丈夫ですか?」


「ええ……助かるわ。ありがとう」


女性がポーションを受け取った、そのときノルクは違和感に気づいた。


――霧。

足元を這うように、薄い煙のようなものが広がっている。


「兄さん……。なんか、この場所……変だ。変な匂いもするし、霧まで――」


「なに言ってんだ? 霧なんか出てねぇぞ?」


ケインは首をかしげる。

ノルクが女性へ視線を戻すと、彼女がこちらを見て、微笑んでいた。


ぞわり、と背筋に嫌なものが走る。


「兄さん!! 罠だ――っ……? あ……体が……動かな……い、兄……さ……」


「ノルク!? おい、ノルク!!」


女性が、甲高い笑い声をあげた。


「キャハハハハ! 大丈夫よ〜? ただちょーっと、寝てもらうだけ」


「なんだと――」


ケインが身構えた瞬間、背後から細い鋭い痛みが走る。

振り返る間もなく、首筋に吹き矢が刺さっていた。


「っ……クソ……」


「じゃあ、おやすみなさ〜い」


意識が、闇に引きずり込まれていった。



ぽた…ぽた…と、水滴の音がする。


「……く……。兄さん……? どこ……?」


重たい瞼をこじ開けると、そこは薄暗い洞窟の一角だった。

手足には冷たい金属の感触はなく、ただ身体が重い。ノルクは頭を押さえ、ふらりと立ち上がる。


――と、その瞬間、視界が歪んだ。


「う……な、なんだ、これ……頭が……」


ズキズキと脳を刺すような痛みが走り、ノルクは思わず膝をついた。

そして、不自然なほどの“明るさ”が、視界を満たしていく。


「……眩しい……」


恐る恐る目を開けると、そこには見覚えのある景色が広がっていた。


「ここ……村だ……。僕の……前に住んでた……」


砂ではなく、柔らかい土の匂い。

村の家々、畑、風。すべてが懐かしい。


ノルクの身体は、何かに導かれるように動き出し、子どもの頃よく遊んでいた空き地へ足を向けていた。


「どうして……」


前方から歩いてくる男の姿に、ノルクは目を見開く。


「ベンおじさん……!」


ノルクは手を振るが、返事はない。近づいて肩に触れようとしたが――指先は虚空をすり抜けた。


「……え」


もう一度、もう一度と試すが、結果は同じだった。

声も届かず、身体も触れない。


「……幻、なのか……」


歩き続け、空き地に出たところで、ノルクはある少女を見て息を呑む。


「ユラン……」


初恋の相手。

誰にでも優しく、笑顔が可愛い少女。

その周りに、子どもたちが集まってくる。そして――


そこには、小さな自分と、小さなケインもいた。


「……この日、覚えてる。兄さんとユランと一緒に森に行って、蜂蜜を取りに行った日だ」


景色が切り替わる。

笑いながら蜂蜜を分け合う自分たち。

また場面が変わり、次々と楽しい思い出が映し出される。


「楽しかったな……」


暖かい記憶が続いたあと、ふっと空気が変わる。


ノルクは息を呑んだ。

そこは、村の大きな木の上。夕焼けに染まる空。


枝に腰掛ける少年と少女。

ユランと、小さな自分――。


「ユラン、よく登ってこれたね。ここ、ちょっと怖くない?」


「全然平気だよ。ケインと、暇なときよく登ってるもん。高いとこから景色見てると、気持ちいいんだよ?」


「そっか……ケインと、か……」


「ノルク? どうしたの? 元気ない?」


「そ、そうかな……。あのさ、ユラン。ユランって……す、好きな人、いる?」


「え? 急にどうしたの?」


「いや、その……ケインと仲いいから……ケインのこと好きなのかなって」


ユランは少しだけ考えたあと、首を振った。


「わたし、ケインのことは好きじゃないよ? 友達としては好きだけどね」


「……そう、なんだ。そっか、そっか!」


「じゃあノルクは? さっきから変だよ。もしかして――好きな人、できた?」


喉がからからに乾いた。

ノルクは唾を飲み込み、拳を握りしめる。


「ぼ、僕は……ず、ずっと……ユランのことが……す、す……好きなんだああああ!!」


大声が出て、木に止まっていた鳥が一斉に飛び立った。

ユランは目をぱちくりさせ、ノルクを見つめていた。


「ご、ごめん! 急だったよね! 今の忘れ――」


木から降りようとしたノルクの腕を、ユランが掴んだ。


「え、ユラン……?」


「ノルク、ありがとう。すっごく嬉しい。わたしも……ノルクのこと、好きだよ。これからもよろしくね」



「……この時のことは、今でも覚えてる。嬉しくて、嬉しくて、しばらくずっとニヤニヤしてた」


しかし――その幸せは、長く続かなかった。


場面が変わる。

今度は、村の陰で大人たちがひそひそ話をしている。


『おい、アイツの母親、売春婦だったらしいぜ。しかも、その前は奴隷だとよ』


『うわ、マジかよ』


『捨てられたのか、逃げたのか。あんなのと関わったら村の評判が落ちる』


ノルクは、子どもの自分の肩が小さく震えているのを見つめる。


「……母さんの肩にあった刻印。あれが“奴隷紋”だって、あとになって僕は知った。

 夜中に帰ってきて、泣きながら、それでも朝には笑って“おはよう”って言ってくれる人だった」


景色がまた変わる。

石を投げられ、罵られる自分と母親。

友達だと思っていた子どもたちの視線は冷たく、口から出るのは汚い言葉だけになっていた。


ただ、一人を除いて――。


「おーい、ノルク! ノルクのお母さーん! 見てこれ! いい肉と野菜、持ってきたぞ!」


「ケインくん、いつもありがとうねぇ」


「ケイン……ありがとう」


「礼なんていらねーよ。それよりノルク! 森で“三耳ウサギ”見つけたんだよ! 飯食ったら一緒に探しに行こうぜ!」


「……僕のことはいいよ。ケインまで印象悪くなる」


「はぁ? 俺、誰だと思ってんだよ。この村の領主の息子だぞ? 俺を悪く言う奴なんていねぇよ。それに――」


ケインは真っ直ぐ、ノルクを見ていた。


「ノルクと、ノルクのお母さんは、人を殺したわけでもなんでもねぇ。なんで石投げられなきゃいけねぇんだよ。そんなのおかしいに決まってんだろ」


「でも……」


「うだうだ言うな。行くぞ。今日は三耳ウサギ仕留めて、ノルクん家で鍋だ!」


「……うん!」


ノルクは、自分と母がその言葉に何度救われたか、数えきれないことを知っていた。



その温かい記憶を切り裂くように、新しい場面が浮かぶ。


ユランが、泣きそうな顔で立っていた。


「ノルク……ごめん。もう会えないの。パパとママが、もう会うなって……」


「え……なんで? 僕、何もしてないよ」


「ノルクは悪くない。ノルクのママも、とってもいい人。でもね、ノルクに会うと、パパとママが村の人から悪く言われちゃうの……。だから、もう会えないの。ごめんね」


ユランはノルクの手を振り払うように背を向けた。


「ユラン!」


叫んでも、彼女は振り返らなかった。



再び場面が変わる。

家で泣き崩れる母の姿。


『ノルク……ごめんね。お母さんのせいで……こんな……ごめんなさい……』


『母さんは、何も悪くないよ! だからそんなこと言わないで!』


石を投げられ、罵られながらも、それでも母は笑おうとしていた。


そして――


村の噂話が、どこから広まったのか。


背後から、声が聞こえた。


「おかしいと思わなかったか?」


振り返ると、もう一人の“ノルク”が立っていた。

暗い笑みを浮かべ、自分を見下ろしている。


「おまえの母さんは、誰にも言ってない。なのに、なんで“奴隷の子”だってバレた?」


「それは……」


「教えてやろうか? ――広めたのは、おまえの“兄さん”だよ」


「兄さんは、そんなこと――!」


「じゃあ、見てみればいい」


景色が変わる。

木の上でユランと自分が並んで座っていた、あの告白の場面。


「ほら。そこ、“木の陰”に誰がいる?」


木の裏側に、小さなケインが立っていた。

二人を睨むように、じっと見つめている。


「このあと、どうなったか知ってるだろ。

 “奴隷の子”って噂が広がって。村中が、おまえらを叩き始めた」


「じゃあ……兄さんが……?」


「理由は簡単。ケインもユランが好きだった。おまえとの仲を裂くために、全部ぶちまけたのさ」


ノルクは、言葉を失っていた。


「憎いだろう? 大切な人を全部奪ったのは、“兄さん”だ。

 ――やり返そう。せっかく剣も持ってるし、殺しちゃえよ。そうすりゃ、この胸のモヤモヤも消える」


黒い影が、耳元で囁く。


「早くしろよ。ケインを殺せよ」


そのとき。


ノルクは、ふと問いかけるように口を開いた。


「……兄さんって、ユランに“命をかけて守る”って言ってた?」


「言ってたさ」


「“何があってもユランを優先して助ける”って、言ってた?」


「言ってた。だから、ケインは――」


「――兄さんが、そんなこと言うわけないだろ!!」


ノルクの怒声が、記憶の景色を震わせた。


「兄さんは、いつだって僕のために剣を振ってくれた。

 笑って、励まして、毎日、家に来てくれた。

 スタンピードのときも、命がけで僕と母さんを守ってくれた。

 そして“弟”として、僕を認めてくれた。この世界でたった一人の、兄さんだ!」


ノルクの右手には、いつの間にか剣が握られていた。


「そんな兄さんを、悪く言ってんじゃねぇぇぇぇ!!」


黒い影を、ノルクは迷いなく貫いた。


影が消え、視界が真っ白に弾け飛ぶ。



次に目を開けたとき、ノルクは椅子に縛られて座っていた。

まだ頭は重いが、目の前で剣戟の音が響いている。


「あなたは、やっぱり全然“洗脳”されなかったわね」


艶やかな声。

先ほどの女――ミランダが薄く笑っていた。


「洗脳、だと?」


ケインが、ミランダの前に立ち、剣を構えている。


「“深層断ちの小杯しんそうだちのしょうはい”。

 この魔道具から出る霧は、心に溜まった憎しみや憎悪を刺激して、記憶をえぐり出すの。

 心が荒んでない人には、ただの空気。でも、あなたの弟さんは霧が見えていたみたいよ?」


「……だから、あんなクソみたいな幻見せて、兄弟同士で殺し合わせるつもりだったってことか」


「そういうこと。ここは“ダンジョン”。中で誰が死のうと、魔物のせいってことにできる。ねぇ、最高じゃない?」


奥で椅子に座っていた男が、心底楽しそうに笑った。


「ここは冒険者しか来ないしなぁ。誰が殺したかなんて分からない。

 兄弟? 恋人? 家族? いいねぇ……この小杯の霧を吸った連中が、目を覚ましたときの“惨劇”がたまらない」


「……最低だな」


「褒め言葉だ。さあ、次はお前の番だ、兄貴。弟に殺される気分はどうだ?」


ノルクは、ゆっくりと立ち上がる。

その姿に、男は期待に満ちた目を向けた。


「さあ、弟くん。お兄ちゃんを――」


「トレンス・エンシス(激流剣)」


ノルクの声が、静かに響いた。


剣先に水のマナが集い、一気に放たれる。

激流のような斬撃が渦となり、ミランダの首を薙ぐ。


一瞬、誰も何が起きたか理解できなかった。


次の瞬間、ミランダの首が宙を舞い、音もなく床に落ちた。


「ノルク……おまえ……」


「兄さん、大丈夫?」


奥にいた男の顔色が、一気に変わる。


「そ、そんな……バカな……。小杯の霧を断ち切った……!? お前は憎しみが強かったはずだ……!」


ノルクは、剣を握りしめたまま、静かに言った。


「許せない過去は、確かにある。

 でも、その過去があったからこそ、僕は“大切な人を守る”って決めた。

 兄さんと一緒に歩む、夢への道を。誰にも、踏みにじらせたりしない」


その言葉に、男は後ずさりして透明な円盤を掴む。


「……緊急事態だ。全員、今すぐ来い!!」


円盤に怒鳴ると、両手を広げて笑い出した。


「いやぁ、まいったまいった。まさかこんな冒険者がいるとはね。

 ノルクくん、だったか? よくミランダを倒した。強いなぁ」


「急に何だよ……」


「警戒、解かないで。兄さん」


そのときだった。

奥の岩壁が青く光り、その前に次々と人影が現れた。


およそ二十人ほどの武装した男たち。

さっきまで“ボス”と呼ばれていた男の背後に整列する。


「形勢逆転だな。くくく……。――野郎ども!! こいつら半殺しにしろ! 拷問は俺がやる!!」


「了解だ、ボス!」


剣を構え、ケインとノルクににじり寄る。


「おいノルク。ここ切り抜けたらさ、すぐ白煌光騎士団に入れるかもな」


「なら、絶対に生き残らなきゃだね。兄さん」


その時――。


ボスの背後で、ボンッ、と爆ぜる音がした。


「な、なんだ!?」


男たちが振り返ると、岩壁の向こうから、ゆっくりと歩いてくる人影があった。


肩まで伸びた蓬色の髪。

白い肌。細い体躯。


だが、その姿を見た瞬間、ケインもノルクも、全身に鳥肌が立つのを感じた。


「おいおいおいおいおい……。なんだここはぁ? ガラクタだらけじゃねぇか。ケッハハハハ!」


「お、おまえ……どこから――」


「しゃべるな。ガラクタが」


その瞬間。

ボスの胸に、ぽっかりと穴が空いた。


誰も、動きが見えなかった。


「……今の、見えたか?」


「ごめん、兄さん。全然……」


蓬色の髪の男は、楽しそうに周囲を見渡す。


「なぁなぁ。ちょっと聞きてぇんだけどよ。人を操る魔道具って、知らねぇか?」


「そ、それは……」


「おせーな」


ひと言。それだけで、男の首が飛んだ。

あまりにも無慈悲な殺しに、残りの手下たちは一斉に逃げ出そうとする。


「おいおいおいおい。次逃げたら、目ぇえぐるぞ」


ケインは、その隙を見逃さなかった。


「ノルク。あいつらが持ってる小さい石、さっきの円盤の鍵じゃねぇか?」


「わからないけど……でも、奥の部屋に、何かあるのは確か」


「一か八かだ。手下から石奪って、あの奥の部屋まで走るぞ。あのヒョロガリ、今はガラクタしか見てねぇうちにな」


「わかった。兄さん」


二人は同時に駆け出した。

ちょうどそのタイミングで、手下たちが蓬色の男に恐る恐る剣を向ける。


「ナイスタイミング……!」


「石、取れた!」


「よし、そのまま奥の岩に――」


どごぉおん、と、洞窟全体が揺れるほどの突風が吹き荒れた。


「くっ……なんだ、この風……!」


「兄さんっ!? だいじょ……ぶ……?」


しばらく続いた暴風が止み、周囲を見渡したときには、ヒョロガリの男以外の手下は全員、バラバラになって転がっていた。


「ったく、ガラクタ共が無駄な悪知恵働かせやがってよ」


蓬色の男は舌打ちすると、ぐるりと首を回した。


その視線が、ケインとノルクを捉える。


「ノルク!! 走れ!! ラーピス・スキンデンス(裂石剣)!」


ケインが地面を斬りつけると、床が縦に裂け、鋭い石柱が突き上がる。

蓬色の男の前に石の壁が立ちふさがり、一瞬の時間を稼いだ。


「兄さん!」


「ノルク、先に行け! 後で追いつく! 振り返るな!」


ノルクは奥の岩へ走り、そこに置かれた円形のプレートに石をかざす。

石が眩く光り、プレートに触れた瞬間――視界が反転した。


気づけば、そこは静かな水面のそば。

洞窟のどこか、別の場所のようだった。


「ここ……どこ……。兄さんのところに、戻らなきゃ……」


そのとき、遥か向こうから轟音が響き、さっきまでいたはずの場所が崩れ落ちていくのが見えた。


「……嘘だ……。兄さん……?」


ノルクは膝から崩れ落ち、握っていた石を取り落とした。石はもう、光らなかった。



一方その頃。


「ケハハハハ! ガラクタがよ、俺を足止めしたつもりか?」


「うるせぇよ、ヒョロガリ。足止めだなんて思っちゃいねぇさ。

 ただ、ノルクが無事にどこかへ移動できりゃ、それでいい」


「なんだと? まさか“転送装置”があるのか……!」


「もう、さっきので崩れて使えねぇけどな」


「ガラクタガラクタガラクタァ!!」


蓬色の男は、両腕を広げて笑った。


「まぁいいや。目的は転送装置じゃねぇし。――テンプス・ウェントールム(風の時)」


世界から音が消えた。


ケインは剣を構えたまま、違和感に眉をひそめる。


「……今、なにを――」


答えは、来なかった。

視界が回転し、床が迫る。


最後に見えたのは、自分の身体だった。

首のない、自分の身体が、そこに立っていた。


「ノルク……生きろよ……。お前は、昔から辛い思いたくさんしてきたんだからよ……。これからは、楽しい記憶で上書きしろ……」


言葉にはならない願いだけが、虚空に溶けていった。



「クソッ……兄さんのところに戻らないと……!」


ノルクは、転送された先の洞窟をひたすら走っていた。

自分がどこにいるのかもわからない。出口も見えない。


それでも――


「兄さんは、生きてる。絶対、生きてる……!」


それだけを胸に、ノルクは暗い迷宮の中を走り続けた。


兄弟として。

友として。

自分を救ってくれた、たった一人の“兄さん”を信じて。


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