第9話
ファミレスでの会話は、柊さん……もとい小鞠さんが一方的に話し続ける形で終わった。
もともと輝夜さんがどれくらいオタクなのか知らなかったし、それがバレないように小鞠さんが頑張っていたのかも、彼女から聞いた話でしか分からない。
後日に確認するかどうかは迷うところだけど、輝夜さんが小鞠さんに感謝しているような発言は聞いておきたい。
今まで輝夜さんへの愚痴を言う機会もきっかけもなかったのか、青葉ヶ丘高校のかぐや姫の生まれ変わりである輝夜さんが、実はどれほど隙だらけだったのかを語る小鞠さんの姿には、ただただ「お見舞い申し上げます」とペコペコ頭を下げるほかなく。
「…でも夏野さんって本当にいい子だよね」
唐突に柊さんがそんなことを言った。さっきまでの輝夜さんへの(若干の?)愚痴はどこへやら、慈愛に満ちたような微笑みを浮かべている。
「今の会話の流れで、私が『いい子』だと分かるきっかけ、ありました!?」
思わず素でツッコんでしまう。私のどこにそんな要素が…?
「だって」
柊さんはこてんと首を傾げる。それがま、計算なのか天然なのか、恐ろしく可愛い。
「わたしが輝夜の悪口……じゃないけど、ちょっとした愚痴みたいなことを言っても、夏野さんはそれに乗っかってきたり、逆に頭ごなしに否定したりしないで、ただ、うんうんって聞いてくれるでしょう?」
「いや、それは、長い付き合いのある柊さん以上に、私が輝夜さんについて上手いこと言えるわけないですからねえ」
私は苦笑いで答える。もともと私は、他人のことにあまり首を突っ込まない…というか、関わってこなかったタイプだ。誰かの悪口を聞いても、それに積極的に同調することも、正義感ぶって否定することも、どちらも苦手だ。
ただ、その人がそう感じているんだな、と受け止めて曖昧に頷くくらいしかできない。
だって、もし私が誰かの悪口…例えば、輝夜さんや店長や、それこそ妹の彼方ちゃんの悪口を言われたとして、私がそれにムキになって反論しようものなら、「へえ? 夏野さんって、そういう風に言うんだ~? じゃあさ、あなたのそういう悪いところ、今から1から100まで全部言ってあげるね~?」なんて、余計な反撃にあって自爆するのがオチだ。かといって、悪口を全面的に肯定するのも、なんだか自分がすごく嫌な人間になった気がして嫌だし……。
どっちつかず、と言われれば、まさにその通りなのだ。
「わたしね輝夜が夏野さんに、あんなにオタトークマシマシで会話してるのを見て、どうしてかなぁって、昼休みの間、ずーっと考えてたんだ」
柊さんは、ポテトをつまみながら、しみじみと呟いた。
「あの……明日はもう少し楽しくて、建設的なことを考えるのをお勧めします……。なんなら、妄想の中で私を魚のエサにしていただいても構いませんので」
「もう、夏野さんったら」
柊さんはくすくす笑う。
「妄想じゃなくて、本当にエサにしたくなっちゃうかもよ?」
……その冗談は、あまり笑えない。
「……ねえ」
柊さんは、少しだけ改まった口調で言った。
「今から夏野さんのことを『遥ちゃん』って呼んでも良いかな? その代わり、わたしのことも、『ご主人さま』って呼んで良いから」
「はい、ご主人さま」
なぜだろう。考えるより先に、口が勝手にそう答えていた。
「って、そこは『えっ!? ご主人様って、何言ってるの!』ってツッコむところだよ~?」
柊さんは、楽しそうにけらけらと笑っている。
しまった……! 今のは、明らかにツッコミ待ちだったのか! 陽キャのコミュニケーション、高度すぎる……! 暗号か何かでやり取りしてるんじゃないだろうか。
ただ、もし本当に、私が誰かにメイドとして仕えるとするならば……やっぱり、優しい妹の彼方ちゃんか、この天然お嬢様の柊さんかなあ。輝夜さんや店長は、尊敬できる部分はもちろんたくさんあるけれど、いざとなったら、すごくドライにばっさりと切り捨てられそうな、そんな雰囲気がなきにしもあらずだから……。
「え、そんなにわたし、ご主人さまっぽい? 偉そうに見えるかな?」
私の内心の評価を知ってか知らずか、柊さんは少しだけ不安そうな顔をする。
「い、いやいやいや! とんでもないです!」
私は慌てて首を横に振る。
「私のような、教室の隅っこにこびりついたキノコ感溢れる人間に対しても、分け隔てなくお優しくあろうとする、その高潔さに、魂レベルでビシビシと感じ入っておりますですよ!」
「やー、でも、遥ちゃんの場合、キノコはキノコでも、そこらへんに生えてるやつじゃなくて、松茸とか本しめじみたいな、レアで高級な感じ、強くない? 見つけにくいけど、見つけたらすごく嬉しい、みたいな」
……それは、見つけにくい上に食卓にも上がりづらく、滅多にお目にかかれないレベルの、究極の陰キャ、ということでしょうか…!?
「ああでも、遥ちゃんって、メイドコスとかすごく似合いそうだよね」
「それはまあ、メイド服のデザイン自体が、反則的に可愛いですから。中身がこれでも、衣装補正で可愛く見えると断言できますよ」
「あー、なんか、いま牛柄のビキニとか着せてみたいって言ってた子、思い出しちゃったなあ」
「このタイミングで!? どういう思考回路で、その発想を飛躍させたら、そんな結論に!? ……って、まあ、確かに牛柄のビキニは、ある意味コスプレ感ありますけど! でも、私に着せるくらいなら、スタイル抜群のマネキンか、美しい砂時計のオブジェにでも着せておいた方が、よっぽど映えると思います!」
そういえば、バイト中に店長から「夏になったら、みんなでプールにでも行かないか?」と誘われた時、どうせ冗談だろうと考えて、私は「えー、時給が出るなら考えますけど…」って適当に答えたら、「よし、じゃあ決定だな」と、なぜか行くことが確定してしまったんだった……。
私の周りには、なぜか定期的に、私を水着姿にさせようと画策する人たちがいるみたいで……。可愛い妹の彼方ちゃんだって、「勉強のやる気が全然出ないから、お姉ちゃん、ちょっと水着になってみて?」「スマホゲーのガチャで推しキャラ出してくれたお礼に、お姉ちゃんが水着になってくれるって約束したよね?」とか、何かと理由をつけて要求してきますからね? 女子高生のつもりなら、いつ何時でも完璧な水着姿を披露できるように、常にスタイルを維持しておけ、という、そういう高尚なメッセージなんでしょうか? だとしたら、ハードルが高すぎます……。
……あとなんで、このタイミングで柊さんが「ご主人さま」なんて言い出したのか、その本当の理由は、後日、別の形で明らかになるんだけども。残念ながら、人の心の中に土足でズカズカ分け入るニュータイプ能力も、他人のオーラから真意を読み取る特殊能力も持ち合わせていない私は、この時はまだ、知る由もなかったのだった。




