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第5話

「ち、違うのよ!」


 青葉ヶ丘高校のかの有名な「かぐや姫の生まれ変(略)」は、その華奢な体には全く似つかわしくないほどの大げさな身振り手振りで――まるで駄々をこねる幼子のように、床をドンッと踏み鳴らし、両手をぶんぶんと激しく上下に振りながら、裏返ったような高い声で必死に否定の言葉を叫んだ。

 その顔は羞恥と怒りで、耳まで真っ赤に染まっている。


 人は誰しも正解もするし、間違いもする。そしてこの世に絶対的な正解も絶対的な間違いもないなんて高尚なことを言う人もいるけれど。それでも、人は無意識のうちに、周りに認められるであろう「正解」を求めてしまうものだ。


 ……春川さんは今、必死になって何かを隠そうとしている。その必死さが、かえって彼女の動揺を物語っていた。

 人の心の中を完全に読み解くことなんて、それこそガンダム世界に出てくるニュータイプのような特殊能力者にでもならない限り不可能だけれど……目の前の相手が何を考え、何を感じているのか、できる限り良い方に解釈しようと努めることは、きっと誰にだってできるはず。

 まあそのニュータイプも、結局は戦争の道具として利用される悲しい運命なんだけども。


 私がそんな現実逃避気味な思考を巡らせていると、輝夜さんがハッと顔を上げ、涙目で私をぐいっと睨みつけてきた。


「な、なんで笑っているのよ!? 今の私は最高に滑稽だけれども! だからって笑うことないじゃない!」


 どうやら私の内心の思考が表情に出てしまっていたみたい。


「すみません、そういうわけじゃなくて……」


 私は慌てて首を振る。


「なんだか、その…とても可愛らしいなあって、つい、正直に思ってしまって」


 それが、今の状況で最も当たり障りのない、そしておそらくは真実に近い感想だった。


 しかし春川さんはその言葉に面白みを感じた、というよりはむしろ、完全に馬鹿にされたと受け取ったのだろう。

 彼女は「なんですって!?」と、それこそ泡を吹くような勢いで私の右手首を掴むと、まるで熟れた果実でも握り潰すかのようなとんでもない力を込めてきた。


「あいだだだだだだたたたたっ!!!」


 思わず情けない悲鳴が上がる。痛い! 痛い  本気で手首の骨が軋む音がした気がする! 深夜アニメを週に20本見ることと、このゴリラ並みの握力に、一体何の相関関係が!?


 一瞬そう思ったけれど、すぐに思い出した。春川輝夜さんは様々な運動部から助っ人として引っ張りだこになるほどの驚異的な運動神経の持ち主なのだ。

 当然、基礎体力だって、筋力だって……少なくとも、しがないコンビニ店員としてレジ打ちと品出しに明け暮れている非力な私より、人とタイマンを張る場面においては遥かに、圧倒的に、長けているはずだ。痛い! 本当に折れるかと思った!


「ち、違います、本当に悪い意味じゃなくって!」


私は涙目で必死に弁解する。


「その普段、完璧で、ちょっとお高くとまっているって、もしかしたら周りから誤解されがちな人の、こういう人間らしいというか、意外で愛嬌のある一面が垣間見えたのが、私はとても良いなって、純粋に思ったんですけど! ちょっと言葉の選び方が致命的に良くなかったです本当にごめんなさい!」


 私の必死の訴えがようやく通じたのか春川さんは少しだけ手首を握る力を緩め、潤んだ大きな瞳で、疑うように私を上目遣いで見つめてきた。


「……ほんとうに?」


 ……反則だ。こんな美少女に、こんな表情で問いかけられたら、たとえそれが悪魔の囁きであったとしても「はい、もちろんですとも! 心の底から!」と即答せざるを得ないのが、哀しいかな人間の性というものではないだろうか。


「ふむ……」


 春川さんはしばらく私を疑わしげに睨んでいたけども、やがて私の必死さが伝わったのか、あるいは単に飽きたのか、納得したように、ぱっと手を離した。


「……なら、許すわ」


 そして次の瞬間には、先ほどの怒り狂ったような剣幕が嘘のように、ふいっと顔を背け照れたように俯いてきゅっと静かに丸くなっている。その姿はやはりというか、なんというか「まことにかぐや姫の生まれ変わり」と評するにあまりにも相応しい、計算され尽くしたかのような(いや、多分天然なのだろうけど)反則的なまでの可愛さだった。


 私はそっと安堵の息をつき、痛む手首をさすりながら


「じゃあ、私はこのあたりで失礼しますね」


 と、今度こそさりげなくこの場を離れようとした。二人の仲……いや、私と彼女の一方的な誤解を取り持った(ことにしておこう)のだから、私の仕事はもう終わったはずだ。


「うん……」


 と一度は小さく頷きかけた輝夜さんは、すぐにハッと何かに気づき、


「って、そうじゃないわ!」


 と慌てて私の制服の袖を掴んで呼び止めた。


「待ちなさい、夏野さん! 話はまだ終わっていないわ! 私の名誉に関わるかもしれない、重大な秘密を知ってしまったのよ……。これは、由々しき事態だわ」


 再び彼女の表情に深刻な、そしてどこか芝居がかったような(?)色が戻る。


「……いや、あの、秘密というか、アニメの視聴本数に関しては、春川さんが自ら暴露したじゃないですかぁ」


 春川さんの家がどこにあるのか知らないけれど、少なくとも、この青葉ヶ丘高校からはかなり遠いはずだ。

 だって、この学校の制服を着た子が私のバイト先のコンビニに来たなんて、昨日が本当に初めての出来事だったのだから。


「秘密を知ったからといって、その都度、関係者を物理的に排除……いえ、穏便に口封じをしていたら大変なことになるわ。だって、計算してみたのだけど、このペース……仮に、二ヶ月で一人にバレると仮定すればよ? 今後、卒業までの残りの期間で……ええと、軽く見積もっても十人くらいには、私のこの愛すべき趣味が露見してしまう計算になるのよ!」


 いやその計算の根拠がまず謎ですけど! どういう確率論なんですかそれは! ていうか、五人目くらいで開き直って、オタク趣味、普通にカミングアウトしちゃってくださいよぉ……。


 教室内では、彼女を頂点とした見えないピラミッドのようなヒエラルキーが、自然と形成されている。

 そしてその最下層の基礎となる石の下に隠れるようにして、かろうじて息を潜めているのが私だ。


 仮にクラスメイトに彼女のオタク趣味がバレたとしても、彼女ほどの存在なら、「何か文句ある?」の一睨み、あるいは「この話はここだけの秘密よ? 分かってるわね?」の一言で、事態を容易に収束させることができるだろう。


 そもそも、私に限って言えば、誰かに彼女の秘密を喋ろうなんて考えは微塵もない。まあ、悲しいかな、そもそもそんな秘密を打ち明けられるような友達もいないのだから、そんな心配をすること自体が完全に見当違いなのだけれども。


「それは、絶対にダメよ」


 輝夜さんは、私の内心を見透かしたかのように、きっぱりと言った。その声には、強い意志が籠っている。


「この、華々しい高校デビューが成功して、ようやく勝ち得た今のこの立場を、自ら投げ打つなんてできない。それは……あの時……必死で変わろうと決意した、過去の自分自身を否定することになってしまうから」


 彼女の声には、強い決意と、そしてどこか痛切な響きが籠っていた。「あの時」が、具体的に彼女にとって何を意味するのか、私には知る由もない。


 けれどその真剣な態度から察するに、それは決して楽しい思い出ではなく、彼女の人生にとって非常に重要な転換点であり、今の彼女を支える根幹に関わることなのだろうということは、想像に難くない。空気を読むのが致命的に苦手な私ではないつもりなので「えー、何々~? その『あの時』って、詳しく教えてよ、誰にも言わないからさぁ」なんて軽々しく口にしちゃいけないってことくらいは、ちゃんと分かってる。

 そもそも、そこまで親しい間柄でもないのだから、彼女の過去を詮索する権利など、私にはないのだ。


「あの、春川さん。私は本当に誰にも言いませんから、安心してください」


 私は、自分の無害さをアピールするために、自分の胸をドンと力強く叩いてみせた。


「こういう秘密を共有できるような友達は私には本当に一人もいませんし……! 口の堅さには絶対の自信があります! 保証します!」


 自信たっぷりにそう宣言すると「おお」という感じで、なぜか輝夜さんの視線が私の叩いた胸元に注がれる。


 私の言葉の内容じゃなくて、物理的な胸の方に感心してるんですか? ……まあ、猫背気味で、できるだけ目立たないように縮こまって過ごしている私にとって、唯一クラスメイトの視線を集める可能性があるのが、この主張の激しい胸部だけども……その、そういう反応は求めてないというか……。


「…申し訳ないけれども、夏野さん」


 輝夜さんは、私の胸元から視線を外し、再び深刻な表情に戻った。


「貴女に悪意がないことは分かったわ。信用しましょう。でも、『バレてしまった』という事実そのものが、重大事なのよ。だから今、どうやって穏便に貴女の口を封じようかと、必死に考えているところなの」


 穏便に口封じ……その、矛盾しているようでいて、最高に物騒な言葉の響きに、背筋が凍る思いがした。


 あ、ダメです。完全に詰んだ。こちらがどれだけ必死に無害をアピールしても、忠誠を誓っても、全く聞く耳を持ってくれない時点で、私のちっぽけな学園生活の終わり、あるいは物理的な遺体が東京湾あたりにぷかぷか浮かぶ未来が、ほぼ確定事項になってしまった……さようなら、私の短い人生……。


「まあ、安心してちょうだい。そこまではしないけど」


 春川さんは、私の内心を正確に読んだかのように、さらりと付け加えた。


「それに近いくらいのことは、必要になるかもしれないわね」

「近いくらいでも十分すぎるほど犯罪なのでは!?」

「そうかしら? 最悪の場合、この秘密を漏らしたくても漏らせないような、そういう状況にしてしまえば、全て丸く収まるのではなくて?」


 彼女は、純粋で美しい瞳で、とんでもなく物騒なことを、さも名案のように口にする。


「夏野遥を絶対に社会的に抹殺するガールですか、あなたは!!」


 思わず、最大級のツッコミを入れてしまう。何かしたわけでもないのに! 彼女の秘密を知ってしまったというただそれだけの理由で、私がこんなにも理不尽で恐ろしい目に遭わなければならないとは! 世の中って、なんて不公平なんだろう!


 神様が人間に無理難題な試練を与えてその忠誠心を試すなんて話は、古い神話とかによくあるけれど! かぐや姫だって、求婚してきた偉い身分の人たちに「そんなに私と会いたいなら、この世に存在するかどうかも分からないような、めちゃくちゃ手に入れるのが難しいレアアイテムを持ってきなさいよ」って、とんでもない要求をしてたけども!


「……青葉ヶ丘高校のかぐや姫の生まれ変わりってそういう?」

「いや、そこじゃなくて! 夏野さん、殺すガールから発想が飛躍しすぎじゃない!?」

 

 彼女がそう鋭くツッコミ返した、まさにその時だった。


 キーンコーンカーンコーン……。


 無情にも、しかし私たちにとっては救いの鐘のように、ホームルーム開始5分前を告げる予鈴のチャイムが、校舎に朗々と鳴り響いた。


「あっ」

「そろそろ教室に戻らないと……」


 私たちは顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。


 ――この、誰にも知られてはいけない(と彼女が思っている)秘密を共有する「共犯者」として。


 そして、これから始まるかもしれない、予測不可能で、奇妙で、もしかしたらほんの少しだけ、楽しいかもしれない友情(?)の、ほんの小さな始まりを、漠然と予感しながら。

 我々は遅刻して先生に目をつけられないように、足早に教室へと向かったのだった。


「ていうか、走りながらそんなナレーションみたいなこと言うの、春川さんすごいですね!?」


 私の最後のツッコミは廊下に虚しく響いた。

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