第二章 1話
夏休みが終わったというのに日差しの鋭さは全く衰えることなく、太陽が照りつける様はまるで全ての人々の肌を焼き焦がして楽しんでいるかのようだった。
アスファルトは陽炎を揺らし、さらには空気はねっとりと肌にまとわりつく。
ただ私は千秋さんの運転する車内で窓の外をぼんやりと眺めながら考え事をしていた。高校一年生の夏休みはあっという間に終わってしまった。
時間を作って出かけたり日が暮れるまで遊んだりお泊まり会をしたり……友達と過ごす初めての特別な時間は確かに充実していた。
それでもこれで良かったのか、みんなに楽しんでもらえたのか不安が胸をよぎる。
「千秋さんは私と過ごす日々を楽しんでいただけてますか?」
「まるで、お前が私の中で世界の中心だとでも言わんばかりだな。私の人生は私のものだぞ」
彼女はハンドルを握ったまま口元だけで小さく笑みを浮かべた。バックミラーには彼女のキリリとした瞳が映るけれども何を考えているのかまでは私にはまるで分からない。
私が間違ったことを口にすれば即座に訂正してくれるのが千秋さんだ。だからきっと彼女の心の中にある答えは肯定的なものなのだろう。
「やたらに不安になるな。こちらまで心配になるぞ」
「それは本当に申し訳ないんですけど」
そんな会話を終え夏休み前のように高校の近くに停車した車から私は外の暑苦しい世界へと降り立った。
「自信を持てとは言わないが……いて嫌な人間と休みの日まで会おうと思う人間はなかなかおらんよ」
千秋さんはそう言って私を安心させようとした。うまく微笑み返せたかは自信がなかったけれど彼女の運転する車が遠ざかっていくのを見送るだけの余裕はあった。
(そういえば夏休み明けには人が変わったようになるなんて話を聞いたことがある)
小鞠さんも輝夜さんも宿題に追われるタイプではなかったから夏休みが終わるまで頻繁に会っていた。
妹の彼方ちゃんはいつも一緒にいる家族だから変化には気づかなかったけれど……もしかしたら青葉ヶ丘高校の中ですごく変わった子とかがいるかもしれない。
そんな時に私はどうすればいいんだろう? 特に仲良くない相手なら触れないでおくのが正解なのかな? でも輝夜さんや小鞠さんはクラスのほとんどの子と仲良しだし私もお二人と仲良くさせてもらっているなら何かリアクションしないと変に思われるかな……?
私はもともとクラスでも早く登校するほうで、始業式であろうともごくごく当たり前のように誰もいない教室に鞄を置いた。
当然のことながら目新しいものは何もない。まあ教室がいきなりダンジョンになっていて、先生が冒険者になっていて、私がギルドのメンバーになるとかになったらそれはそれで困るけれども。
「おや、これは夏野さんではありませんか。私の仕入れた情報によれば見事なプロポーションをプールでご披露なされたとか」
「誰がそれを知らせました!?」
「情報通として情報源の情報はあまり大っぴらにはできませんねぇ」
それはまあ当たり前のことなのかもしれない。ただ高校生が入手できる情報なんて社会的に口に出せないような怪しい筋から手に入れるようなものではないのだから、ポロッと教えてくれてもいいと思うんだけど?
それでも木村さんは瞳を隠すような大きな瓶底眼鏡を上下させながら口に出すのをためらっていた。
そこまで否定的になるのならば無理に聞き出すこともないかなと考えてしまう。
「木村さんは夏休み明けに大きく姿が変貌するというシチュエーションをご存知ですか?」
「もちろん聞いたことはありますよ。私は情報通として興味のあるものしか興味もありませんけど」
それは本当に情報通として胸を張っていいものかわからない。
興味がないものでもとりあえず追っておくくらいが賢いのかもしれない。
人は興味がないものにはどうしてもその知識が浅くなってしまうものだし。
「もしも大きく姿が変貌したクラスメイトがいたら、どうリアクションするのが正解だと思いますか?」
「それはつまり以前まで人間として活動していた生徒が夏休み明けにパンダになったとかですか?」
「一体どういう経緯で人間が夏休み明けにパンダになるのか分かりませんがそんな感じです」
もしクラスメイトが人間からパンダに変貌したら人語でのコミュニケーションは難しくなるだろうし、誰かしらがSNSに写真をアップしてマスコミが殺到するに違いない。文字通り客寄せパンダになろう。
変貌したクラスメイトだけが注目を浴びるならまだしもいや本人は迷惑だろうから素直に歓迎はしないけれど……輝夜さんや小鞠さんの美貌が世間に知れ渡って芸能界デビューなんてことになったら、まあ彼女たちはそういう世界に興味ないみたいだけど。
「それは……せっかくパンダになったのに注目を集めなかったらそれを苦に死んでしまいそうですね?」
「パンダになった時点でなかなかの苦しみだと思いますけどそういえばパンダは制服を着られるんでしょうか」
「それは着ていただかないと困りますね。もしも男子だった場合はなかなかのモノが四六時中ブランブランすることになりますからね……」
「人間と動物が一緒に暮らすというのは様々な困難があるんですね……」
ブランブランの件は掘り下げるつもりはないけどウチの制服を着てない場合は上野動物園から逃げ出したのかクラスメイトが変身したのか見分けがつかないよね?
もしその生徒が喋れなかったら動物園の職員が来て連れて行っちゃうかもしれないし……まあ人間がパンダになるなんてありえないから無駄な想像なんだけども。
「それはそうとご覧くださいませ夏野さん。新しいクラスメイトが来ると思しき机が追加されてますよ!」
「お早い登校はもしかして転校生の存在を知ったからですか? 転校生さんもこんな早い時間から来ないと思いますけど」
「それはそうなんですけど!」
木村さんが指差す先を見ると確かに夏休み前にはなかった机が教室に追加されていた。
真新しいものではないその机はまるで学校の財政難を物語っているかのようだけども。新品の机でなければ嫌だと駄々をこねる生徒はまずいないだろう。
「転校生といえばやはり美少女。まあもう美少女はバーゲンセールみたいにいっぱいいるので夏野さんより胸が大きいか否かですね」
「どこに着目しているんですか!? やめてくださいそんな風にはっきりと視線を向けるのは! セクハラで訴えますよ! 誰に訴えるのかは分かりませんけど!」
木村さんの戯言はさておき確かに美少女転校生って漫画やラノベじゃ定番だけど……現実は漫画でもラノベでもないし普通に転校生が来るだけだよね?
「夏野さんも見に行きます? 私としてはフラグが立つと思うので見に行った方がいいと思いますが」
「興味本位で見に行って内申点が下がるフラグが立つかもしれませんよ?」
「あーそれは困りますねぇ……」
「じゃあ」と言いながら木村さんはそそくさと自分の席に戻っていった。彼女と入れ替わるように登校してきた小鞠さんに転校生の話をしてみると、
「わー本当だね。でもまあこのクラスには美少女がバーゲンセールみたいにいっぱいいるから」
「流行ってるんですかその表現!? なかなか聞くことないですけど!」
我が校のトップオブトップが揃っているだけでバーゲンセールみたいに美少女がいるってわけじゃないと思うんだけど。否定するとクラスの女子が可愛くないと思ってるみたいって私が判断されるかもしれないから口にはしない。
損得で判断するのは寂しいことだけど……夏野遥の心得「否定して損をするくらいなら同意せよ」




