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第38話

side 輝夜


 昼休みだというのに私たちは空き教室にいた。施錠されているわけではないから、厳密には「不法侵入」ではないかもしれないが、無断で使用している現状は、できればどなたかに密告して欲しいとすら思う。

 もっとも自身の望みを誰かに頼って叶えようとしているうちは、それが現実になることはないだろう、と、私は自分自身に小さく皮肉を向けた。


 目の前にいる柊小鞠は私の言葉を待つようにじっと立っていた。彼女は私と二人きりになると、時折、壁際に追い詰めるかのような仕草をして、私をたじろがせる癖がある。

 今回も物理的な距離は保ちつつも、その視線と纏う空気は、私を壁際に縫い付けるかのようだった。


「あなたは、私と二人っきりになると壁際に追い込んでたじろがせるけど、遥に、そういうことしたい願望でもあるの?」


 冗談めかしてそう問いかける。実際に遥に壁ドンなどしようものなら、彼女の自己主張の強い胸がこちらに当たりそうだ。しかし、長年の付き合いである幼なじみが、そんなトンチキな趣味を持っているとは到底思えない。


 これは、単純な威嚇行為なのだろう。あるいは、私の動揺を誘い、優位に立とうとするいつもの手。

 周囲からふわふわしているとか、天使だとかの単語で表現されている彼女だが、その本質は言葉よりもまず肉体言語で相手に共感を求める、いや、自身の意思を通そうとする強引さにある。


 昨夜は深夜アニメの放送が始まったばかりで、ワンクール最後まで見るかどうかなどと考えていたら、いつの間にかウトウトと眠り込んでしまい、目が覚めたら、待ち合わせの出発時間が間近だった。

 彼女はそんな私の失態を許さずにいて、この緊迫した状況に追い込んだ? いや、アホなことを考えてはいけない。小鞠はそんなつまらない意趣返しをするような人間ではない。だとしたら、一体何の用件?


「まずは、わたしの言葉でふざけないこと。茶化すような発言をしたら、二度と朝日を見られると思わないように」


 小鞠は一切の感情を排したような、鋭利な刃物にも似た視線を私に向けて言った。その剣呑な雰囲気に、一瞬「なぜ、そこまで言われなければならないのだ」と思ったけども、最初にふざけた物言いをしたのは、紛れもない自分自身だと思い至る。心の中で舌打ちをしながら、形式的に反省した(チッ、うっせーな、反省してまーす)


 小鞠はそんな私の内心を見透かすように、本題に入った。


「遥ちゃんが、ようやく自分が苦手なものに対して、気づきを得たみたいなんだ」


 誰にでも好きなものや嫌いなもの、得意なことや苦手なこと、そしてそれらに対する様々な感想や感情がある。

 だけども遥は基本的に、どの分野に対しても曖昧に、言葉を濁した反応をすることが多かった。

 断定を避け、波風を立てないようにしているというか。それはきっと、彼女の根本的な優しさと、どこか自信のなさから来ているものだと、私は理解している。


 ただ、好きなものに関してだけは堰を切ったように饒舌になる。もしかしたら、その分野に関しては周囲に遠慮がいらない、自分の感情をストレートに出しても許されると考えているのかもしれない。


 それはともかく、小鞠が今話題に出した「苦手なもの」遥は、生まれつきの人の良さと優しさ、そして幼少期から大人びていたことも手伝って「どうしたら周囲と円滑に交われるか」ばかりを考えて生きてきた節がある。

 子どもなんだから、もっと無邪気に遊び始めて、帰る頃にはもう友達になってる、くらいの気軽さで良かったはずなのに、彼女はそれができなかった。

 幼い頃から大人顔負けの配慮ができたがゆえに、どんな人にもいい顔をしていると見なされてしまい、それが原因でいじめられたのだろう。


 それでも、遥は周囲を恨むこともできず、徹底的に自分の非を追求して「どうあるべきか」を考え続けた。

 だが、思春期に入り、さらに容姿へのやっかみが上乗せされて襲いかかってきた。直接的な嫌がらせだけでなく、彼女自身が認知できない範囲にまで悪質な風評が垂れ流され、全く知らない人間までがまるで当然のように遥を後ろ指差す。


 自分の家族以外、全員が自分に敵意を向けていると感じていたら、それはもう周囲になじむとか、苦手なものを克服するとか、そういう以前の話だ。

 ただひたすら周囲の悪意の目から、いかにして自分自身を守るか。心の奥底に蓋をして、感情を表に出さないようにするか。それだけを考える毎日だったはずだ。


 一体どこの誰だかは知らないけどもうまいこと遥を信用させ、そして悪意のある噂を垂れ流した女がいたものだ、とは思う。

 相当に外面が良いのだろう。まあ、今の私には直接関係のない話だが。自分たちとの交流によって、周囲が遥が思うほど敵ばかりではない、と彼女が考えられるようになるだけでなく、「こういうことは苦手です」と、自分の感情や意思を主張する余裕が出てきたのだとすれば、少しずつでも、彼女の未来は明るい方向に向かっているに違いない。


「で、何が苦手なんだって? 随分と言いよどんでいるじゃない? あなたにとって、そんなに都合の悪いことなの? 私としてはどんなことでも歓迎だから、さっさと告白してちょうだい」


 私は小鞠の言葉の裏を探るように問い詰める。なぜ彼女は、遥の「苦手なもの」について、これほどまでに言葉を濁すのだろう?


「どうして自分の苦手なものをぼかすの? そんなの、ただの逃避癖じゃない?」


 そう言いながら私自身にも逃避癖があることは自覚している、と内心で付け加える。春川輝夜が遥と自然な会話を交わせるようになるまで、随分と時間がかかったと、以前小鞠にディスられたことがある。

 だが、「私が会話のとっかかりを作ってやらなければ、遥と交流すらできなかったこの子にも問題がある」と、私は密かに反論する。


 柊小鞠の弱点は万全の準備をした状況で、相手に想定外の反応をされたり、拒否されたりすることだ。事前準備をすることも厭わない、非常に抜け目のない女だが、こと想定外やアドリブを求められる状況には弱い。

 彼女が今、私に話す内容をこれほどまでに躊躇しているということは……。


「どんな内容が来ても……もう、過去は変えられたりはしないわ。遥が、それを苦手になったのだというのならば、私は、それを今後、言及するのを避けるだけ」


 小鞠は観念したように、あるいは何かを決意したように、ゆっくりと口を開いた。それが何を指し示すのか、この時点ではまだ分からなかったが、小鞠が何の理由もなく口を噤むはずがないのだから、それは私にとって、あるいは私たちにとって、衝撃的な事案なのだろうと覚悟した。


「そう。なら、正直に告げてあげるわ。あのね? 彼女は、嘘をつかれるのが、苦手なの」


 小鞠の言葉を聞いた瞬間に私はみっともなく震えた。呼吸が浅くなり、心臓が早鐘を打つ。

 遥と私の最初の、そして唯一と言っていい交流のきっかけは、他でもない、「嘘」から始まったわけであるからして。


「あ……ど、どどどどうすんの……どーすんのよ、小鞠……」

「さあ? 自分で何とかなさい」


 狼狽する私を、小鞠は冷ややかに突き放した。


 よくよく考えれば、遥は誰かがついた悪意のある嘘によって、長く深く苦しめられてきたのだ。その嘘に、彼女が強い拒否反応を示すのは、当然のこと、当たり前のことだった。頭では理解できた。だが、感情は、その事実の重さに押しつぶされそうになっていた。


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