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第25話

 人を自分の部屋に招くという行為そのものが、これまでの人生でほとんど経験のなかった私にとって、今この瞬間は未知との遭遇に近いものがあった。

 招いた相手が輝夜さんと小鞠さんなのだから、なおさらだ。私の自室に入るなり、なぜか二人とも少し緊張したような、あるいは何かを値踏みするような、微妙な態度を取っているように見えて、それがかえって私の背筋をこわばらせた。


 大丈夫、なはずだ。ご飯までの時間はまだたっぷりあるし、昼食は後で外に出てファミレスで済ませようと提案済み。

 夕飯の食材だって、昨日のうちに完璧に買い揃えてある。飲み物に関しても、彼方ちゃんがお手伝いしてくれたおかげで数種類は用意してある。


 姉としては、衣食住の「住」の部分……つまりこの部屋においても、お二人に失礼がないように、最大限の評価を得られるよう、それはもう気合を入れて掃除もしたのだ。

 元より他人様に見られて恥ずかしいような代物……例えば、こっそり隠し持っている変なポスターとか、読みかけのエッチな本とか、そういうものは一切置いていない(持ってもいないけど)。下着の類だって当然ちゃんとタンスにしまってあるし。


 ……それとも、まさか、空調の設定温度が、地球環境に優しくないとか、そういう理由で内心憤慨しておられるとか? いやいや、そんな地球の代弁者みたいな高尚な存在、アクシズ落としを目論むどこぞの総帥レベルじゃないと無理でしょう? 言語を発しないものの代弁者を気取っていい気になるのは、せいぜい小学生までだよねー。


 考えすぎかと自嘲しつつ、私は二人の微妙な空気を和らげようと、努めて明るい声を出した。


「え、えと……その、やっぱり、狭くて、暗くて、怖いですかね?」


 すると輝夜さんがふんわりと微笑んで、首を横に振った。


「いいえ! そんなことないわ! きちんと掃除が隅々まで行き届いていて、清潔感があるし、置いてあるものも、シンプルだけどとてもセンスが良いと思う。寝具や他の調度品といったものも、なんだかとても……そう、あなたらしい、落ち着いた雰囲気で素敵よ」

「あ、ありがとうございます……。まあ、だいたいはお母さんに面倒を見てもらった結果なんですけど……」


 私が謙遜した、その瞬間だった。


「へぁっ!?」


 輝夜さんが突然ウルトラマンのような、奇妙な声を上げたのだ。何事かと思って隣を見ると、小鞠さんがいつの間にか輝夜さんのすぐ隣に移動しており、そのおみ足で輝夜さんのスネのあたりを、素早く、しかし確実にローキックで蹴り上げていた……ように見えた。


 輝夜さんが痛みに顔を歪めるのを完全に無視して、小鞠さんは、すかさず「さ、二人とも、座りましょうか?」と、何事もなかったかのように、にこやかに座布団を勧めてくる。

 そのあまりにも手慣れた一連の流れ作業のような動きは、普段からこの手の物理的な制裁……もとい、親愛の情の表現に慣れているに違いない、という確信を私に抱かせた。


 もしかして、私も二人きりでいる時間が長くなったら、ローキックどころか、華麗な回し蹴りの一発でも食らっちゃう運命にあるのかもしれない。


「遥ちゃん、どうしたの? そんな青い顔して」


 小鞠さんが、不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。


「い、いえ……あの、大変申し上げにくいのですが、小鞠さんの鋭い回し蹴りをお見舞いされるようなことがある場合は、どうか事前通告ありでお願いできますでしょうか?」

「ああ、ごめんなさい。」


 小鞠さんは私の言葉の真意を正確に理解したらしい。少しだけバツが悪そうな顔をして、ぺこりと頭を下げた。


「人間には、言語という便利な共通のコミュニケーションツールがあるのに、つい物理的なローキックに頼ってしまうのは、わたしの悪い癖ね……輝夜、あなたも、あまり遥ちゃんを褒め殺しにするようなことは、注意なさい」

「ええ……? 何か悪いこと言ったかしら……?」


 人目を盗んでのローキックは、あまり教育上よろしくありませんよ、と遠回しに言ったつもりだったんだけれども。小鞠さんは、それをキチンと本質レベルで把握した上で、輝夜さんにも、そして私にも謝罪してくれた。


「さて」


 ひとしきりの雑談がおさまったタイミングを見計らって、輝夜さんが居住まいを正し、持ってきた鞄の中から何かを取り出した。それは、綺麗にまとめられたルーズリーフの束だった。


「小鞠ときたら、私のことを『テスト勉強会では役に立たないヤツ』みたいに扱ったけれど、これをご覧なさい。今回のテスト範囲を完璧に網羅し、重要ポイントを分かりやすくまとめた、珠玉の対策グッズよ! これを丸々暗記しておけば、テストで平均点を取るどころか、高得点を狙うことだって可能なはずだわ!」


 輝夜さんは自信満々にそう言って、その資料をテーブルの上に置いた。

 彼女は授業で聞いたことはほとんどその場で暗記してしまう、まさに天才肌だ。テストにおいてもその記憶を呼び起こして解答用紙に書き出すだけで、常に高得点を叩き出してしまう。

 そんな彼女がわざわざ自分の頭の中にある知識を、こうして他人が理解できる形にアウトプットしてまとめてきてくれた……それは、本当にすごいことだな、って素直に思う。尊敬する。


「……なんで、さも自分が一人で作りました、みたいな得意げな顔をしているのよ。あなたのその、時々宇宙と交信しているかのような拙い言語表現を、わたしが必死に解読して、ちゃんとした日本語の文章にしたんじゃない」


 隣から、小鞠さんがじとーっとした目つきで、輝夜さんに冷たいツッコミを入れる。


「あら、失礼ね。そもそも、あなたのその古代の象形文字みたいな汚い文字を、現代人がちゃんと判読できるように美しいレイアウトでまとめ直したのは、この私よ? 感謝してほしいくらいだわ」


 輝夜さんも負けじと反論する。


「は、はあ……つまり、これは、お二人の愛の結晶ということですね!」


 テストなんて、本来は個人がそれぞれ頑張れば良いだけの話じゃないか、との声も聞こえてきそうだけども。


 このお泊まり勉強会のためにこの二人は、こうしてキチンと事前に資料まで共同で作成し、準備してきてくれたのだ。……翻って私といえば、部屋の掃除をして、あとはお母さんプロデュースで、部屋のインテリアを若干シンプルモダンな感じに改変したくらいで……。


 そういえば、その時に「女の子が集まるんだから、普段使ってるコスメとかも、見えるところに少し出しておきなさいな」って母に言われたけども、今日のこの勉強会で、果たしてコスメの話題になることがあるんだろうか?

 輝夜さんとか普段から「洗顔なんて水で十分よ」「肌本来の力を信じなさい。才能がない人間ほど、コスメの力に頼ろうとするものよ」とか、言いそうなイメージがあるんだけどな?


「それにしても、この資料、本当にすごいですね……!」


 私は改めて、ルーズリーフの束を手に取って感心した。


「これさえあれば、どんな難問も解決できそう! まるで、お二人がコンビを組んだら、どんな悪の組織のボスだってなぎ倒せそうな気がします!」


 私が純粋な気持ちでそう賛辞を送ると、輝夜さんは、なぜか急に真顔になり、私の目をじっと見つめて言った。


「……どうかしら? 私が、今回のテストで一番警戒しているのは、他の誰でもなく、貴女よ、夏野遥さん」


 今まで、比較的凪の中を進む小舟のように、穏やかに進んでいたはずの場の空気が、輝夜さんのその一言で、急に「フハハ! 油断したな、愚か者め!」と言わんばかりに、嵐の前の不穏なそれに変わった気がした。


 え、私を警戒? なぜ? 繰り返しになるけれど、輝夜さんは学業面でも、他のあらゆる面でも、取り分け突出した優秀さを誇っていて、いくら私が頑張ったところで、せいぜい学年で一桁の順位に入るのが限界な人間とは、それこそ住む世界が違うレベルのはずなのに……?


「そうだね……」


 私の戸惑いをよそに、隣から小鞠さんが、さらに追い打ちをかけるように、恐ろしいことを言い出した。


「輝夜はこう見えて結構、詰めが甘いというか、うっかり屋さんなところがある、いわゆる『バカ』だから。もしかしたら、今度の学年一位の座は遥ちゃんが持って行っちゃうかも?」

「輝夜さんを奈落の底に突き落としました?」


 私の目が節穴なのかそれとも幼なじみである小鞠さんの目が、常人の100倍くらい優れているから、輝夜さんの些細な穴まで見えてしまうのか……どちらにせよ、私には「こう見えてバカ」という評価に同意できる要素が、今のところ何一つ見つけられない。


「じゃあ輝夜」


 小鞠さんは、いたずらっぽく笑って、私のドレッサー(というほど立派なものではないが)の上に置いてあった化粧品のポーチを指さした。


「この中で一番お値段の高そうなこのコスメはどこで買ったものでしょう?」


 突然のクイズ。


「え?」


 輝夜さんは、きょとんとして、その化粧品を一瞥し、そして自信なさげに答えた。


「さあ……。お薬屋さん……とか?」

「ほら、ね?」 

「せ、正解は、デパートのオンラインショップで買ったもの、です……。」


 お母さんが元タレントという関係上、我が家にはなぜか基礎化粧品やら何やらが豊富にあり、そのおこぼれを幼い頃からなんとなく使っていた過去から、現在では私もバイト代を使って、時々デパートのオンラインショップとかで、ちょっとだけ背伸びしたお買い物をするようになっているのだ。


「ほら見なさい、輝夜!」


 小鞠さんは、ここぞとばかりに輝夜さんに向き直った。


「遥ちゃんだってちゃんと自分の将来を見据えて、基礎化粧品でお肌を大事にしているっていうのに! あなたときたらいつまでもリップクリームと、ドラッグストアで買えるようなプチプラコスメだけで『永遠の美は保たれる』とか言ってないで! たまにはデパートのコスメカウンターにでも行って、試供品くらい貰ってきなさいな!」

「嫌よ! ああいうキラキラしたところの店員さんって、何か一つでも買わせるまで、絶対に客を帰さない雰囲気があるじゃない!? ああやって、従業員に魂を売るくらいなら、わたしは、そこら辺のドラッグストアで買える、ある程度の品質の製品で構わないもの!」

「だからって、アニメイトやゲーマーズやとらのあなばっかり利用してないで、たまには伊勢丹とか三越とか松坂屋とかのオンラインストアくらいチェックしなさいって言ってるの! ……おほん」


 小鞠さんは一つ咳払いをして、なぜか急に真顔になり、私と輝夜さんを交互に見ながら宣言した。


「いいこと? わたし達はこの勉強会を通じて、友人として、そしてライバルとして、遥ちゃんを全力でライバル視していく所存よ!」

「……その、軌道修正の角度が、インド人を右にレベルで急カーブすぎやしませんかね!?」


 私のツッコミも虚しく、話は完全にコスメとライバル宣言の方向へと流れていってしまった。


「そういえば、このアプリ、あなたたちが普段使っているコスメを登録すると、それに合った最適なファッションとか、似合う髪型とかをAIが判定してくれるんですって。ちょっと試してみない?」

 

 まだ昼だからセーフだよね……?

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