第24話
最低でも最寄りの駅まで……いや、いっそ高校まで迎えに行きますから、そこから一緒に帰りましょう。
という私の切実な申し出は「遥ちゃんったら。お友達の家にお邪魔するっていうのはね、そこへ行くまでの道中だって大切な楽しみの一つなんだよ?」という小鞠さんの優しい諭しと「そうよ。過程までも存分に楽しまなければ、本当の友達とは言えないわ」という輝夜さんの追撃によって、あっけなく雲散霧消してしまったのだった。
「ね、ねえ、彼方ちゃん……やっぱりお客さんをお出迎えするのに、わたし、こんな普通の私服ってのは、いくらなんでも失礼にあたるんじゃないかな? せめて、制服に着替えたほうが良いんじゃない?」
ちょっと可愛らしいフリルの付いた白いブラウスに、動きやすいけれどお洒落感は皆無なストレートパンツは、どうにも心許ない。
これから我が家におわすのは天下一品の美少女二人組なのだ。最大限の敬意を払うべきでは?
しかし、妹はスマホから顔も上げずに、あっさりと言い放った。
「お姉ちゃん、それはないよ。だって、自宅でわざわざ制服に着替えるっていうのは、それはもう『プレイ』の範疇だって、前に輝夜さんから借りたコミックにも、はっきり書いてあったもん」
「輝夜さんは彼方ちゃんに、一体どんな漫画を貸しているんですかね!?」
ちなみに彼方ちゃんの今日の服装は、白いシンプルなTシャツに、流行りのハイウエストのカーゴパンツを合わせた、都会的でカジュアルなスタイルだ。
これも、たぶんお母さんが選んだのだろう。彼女の服装に文句をつけるつもりは全くないし、むしろ、お母さんのコーディネートセンスにはいつも感服している。
器量の悪いこの私でさえ、今日のように「ちょっとよそ行き」っぽく着飾ってもらえばそれなりに見えるのだから、本当に魔法のようだと感心してしまう。
「遥」
不意に背後から凛とした声がかかる。振り返ると、そこには、珍しく少しだけお出かけ感を漂わせた服装の母が立っていた。上質なシルクのブラウスに、ゆったりとしたラインのイージーパンツ。普段の、近所のスーパーに行く時のようなカジュアルさとは明らかに違う。
「あなたは家にやって来た友達に対して、一番失礼なことが何なのか、まだ分かっていないようね」
「お、お母さん!」
元タレント――それも、一世を風靡した美少女アイドルとして名を馳せた母。40歳近い年齢になってもなお、その美貌は衰えるどころか、ますます磨きがかかっているように見える。
多くの男性はもちろん同性である女性からも憧れの視線を集めているのは、娘である私から見ても、少しだけ鼻が高い。
まあ、そのせいで二人で一緒に出かけるのは、年齢的に気恥ずかしい部分があるのと「え、親子? 姉妹かと思った!」と言われるならまだしも「え、お母さん若すぎ! 娘さんの方が年上に見える……」なんて言われるのが怖くて、最近はなかなか実現できていないのだけれども……。
彼方ちゃんと二人で歩いていると、「なんて綺麗な姉妹!」なんて声をかけられることもある、と母は嬉しそうに言っていたっけ。
「一番失礼なのはね、相手に余計な気を使わせてしまうことよ」
母は、諭すように言った。
「せっかく遊びに来てくれたのに『なんだか申し訳ないな』なんて思わせてしまったら、二度と来たいとは思ってもらえないでしょう? それでは本末転倒よ……だからお父さんには、今日はちゃんと朝からお出かけしてもらったわ」
「今日、朝早くから出かけていったのって、ゴルフ仲間との遠征じゃなくて、お母さんの指令だったんですね! ごめなさいお父さん……後日、ちゃんと謝っておきます」
我が家はどちらかというと女系家族だ。このマイホームを建てる時も、費用の大部分はお母さんが出した(らしい)というのも手伝って、お父さんは家の中ではあまり発言権が強くない。
それでも、毎日真面目に働いて、キッチリ毎月生活費を家に入れてくれる、本当にありがたいお父さんなのだ。
……去年の父の日には姉妹揃ってお小遣いを出し合ってプレゼントを贈ったのだけれども「おお、ありがとう! お前達は僕のことをATM扱いしなくて、本当に良い子たちだなあ……いや、知り合いの家の話なんだがね」なんて、しみじみと語り始めたせいで、食卓が絶妙にお通夜のような雰囲気になったのは、今となっては懐かしい思い出だ。まあ、それはそれとして。
ただでさえ普段から女性率の高い我が家に、今日、あの青葉ヶ丘高校が誇る二大美少女がやって来るとなれば。数少ない異性であるお父さんは、さぞかし肩身が狭い思いをするだろうし、万が一、億が一にも、何かこう、間違って、父と娘の友人との間に淡い恋愛模様へと発展し、結果として我が家が昼ドラのような家庭崩壊を迎えたら、えらいことである。
美少女(ただし私を除く)には比較的慣れているはずのお父さんでも、さすがに輝夜さんと小鞠さんクラスの美少女が二人同時に家に現れたら、目に留まらないはずがないだろうから……うん、お父さんの外出は、やはり英断だったのかもしれない。
「あ、お姉ちゃん」
リビングのソファでスマホを見ていた彼方ちゃんが、顔を上げて言った。
「もうすぐみたいだよ、小鞠さんから連絡届いた」
そして、玄関の方へ向かおうとする私を、手で制するように続けた。
「ほらお姉ちゃんはリビング。玄関で待ち構えてたら、二人ともびっくりしちゃうでしょ」
「ええ!? でも、お客様をお迎えするのに玄関で待つのは当然では!? い、いっそ、劉備が諸葛孔明を迎えた時のように三顧の礼をもって、彼女たちの到着をお待ち申し上げるべきなのでは!? その後に桃園の誓いを新たにして、来るべき期末テストへの決意表明を……」
隣にいた母が、やれやれといった表情で冷静にツッコミを入れてくれた。
「三顧の礼だとこっちが敬われる側になっちゃうじゃないの……それに、彼方の言う通りよ。ドアの前でいかにも『お待ちしておりました!』って態度を取られると、来た方はかえって恐縮してしまうわ。 普通に、リビングで待っていればいいのよ」
……なるほど。母の言うことは、いつも的確で、ぐうの音も出ない。
私は大人しく、リビングのソファに腰を下ろし、何とはなしにテレビの画面に視線を向けた。土曜の朝によくやっている、当たり障りのない情報番組が流れているけれど、その内容は全くこれっぽっちも頭の中に入ってきやしません。
大丈夫かな、二人とも。今日のこの蒸し暑さだ、ここまで来るのに、汗をかいたり、暑がったりしていやしないだろうか。
あるいは家に着いた途端「やっぱり、こんな庶民の家に来るんじゃなかったわ。帰りましょう、小鞠」「そうね輝夜」なんて、幻滅して踵を返してしまったりしないだろうか。
お泊まり用のお客様向けのお布団はちゃんと天日干しして、カバーも新しいのに替えて、万全の調子を整えてあるけど……もし「わたくし、実は竹の中でしか安眠できないのよ」なんて輝夜さんに突然カミングアウトされたらどうしよう。
……いや、ゆめゆめ考えてみると、竹の中から生まれたとされる本家かぐや姫って、明らかに一般的な新生児よりも小さいサイズ感じゃないかな……だって、あの硬い竹の筒の中にすっぽり入ってたわけでしょ? 下手したら、500ミリリットルのコカ・コーラのペットボトルくらいに収まっちゃうサイズ感ってこと……? すごいな、古代日本のテクノロジーあるいはファンタジー。ジオン驚異のメカニズム……指にヒートロッドを仕込む技術力……。
ピーンポーン。
軽やかなインターホンの音が、私の妄想を打ち破った。
「来たね」
彼方ちゃんが、嬉しそうな声を上げる。
来た! ついに来てしまった!
私はバクバクと鳴る心臓を抑えながら、玄関へと向かう。道すがら「普段通り、普段通り……私はただのクラスメイト、普通に、ナチュラルに……」と、呪文のように口の中で繰り返し呟き、そして深呼吸を一つして、玄関のドアを開いた。
そこに立っていたのは、基本的に制服姿(あるいは、あの衝撃的なコスプレ姿)でしか、お互いに遭遇したことのない、クラスメイト二人の、貴重な休日の私服コーデだった。
そして私は、上から下まで、じっくりと二人を見比べてしまった。
「――輝夜さん、下、穿いてますか!?」
「え!? な、何か間違ったかしら!?」
私のあまりにもストレートすぎる問いかけに、輝夜さんは、美しい顔を真っ赤にして、慌てて自分の服装を確認している。
「輝夜はこれだから、隠すのはお尻だけで良いってあれほど言ったのに……」
隣で、小鞠さんがやれやれといった表情で、小さくため息をついた。
輝夜さんの今日の服装は大きなサイズの白いシャツを、ワンピースのように着こなしたスタイルだ。
足元はブーツに、膝上までの黒いソックス。その組み合わせは、モデルさんのように抜群のスタイルを持つ彼女が着ると、驚くほどスタイリッシュで、モードな雰囲気すら漂わせていて、なんというかただただ美って感じなんだけど。
……だけども、問題は、そのシャツの裾が、絶妙に太もものあたりまでしか隠しきれていないことだ。
下にショートパンツか何かを穿いているのだろうとは推測できる。できるけれども、もしかしたら「輝夜さんほどの美少女ならば、潔くパンツ(下着のほう)一枚でも、それはそれでスタイリッシュに着こなせてしまうのかもしれない……」なんていう、恐ろしい考えが、一瞬、頭をよぎってしまった。
一方小鞠さんは、白いフリルのついたブラウスの上に、淡いピンク色の、透かし編みが可愛らしいファンシーなカーディガンを羽織り、下はふんわりとした白いロングスカート、という出で立ちだ。
「わあ……小鞠さんは、その……ファンシーなカーディガンが、非常に乙女チックと申しますか、まるでキャベツ畑から生まれた清純派プリンセスの二つ名に、全く恥じない素晴らしい着こなしだと思います!」
輝夜さんのファッションに関して、ちょっとお笑い要素を含んでしまった手前、私は慌てて、青葉ヶ丘高校のもう一方の美少女に対して最大限の賛辞を送った。
「また変なあだ名が増えてる」
ただ、なんでも過度は良くないので青葉ヶ丘高校で昨今聞かれる小鞠さんへのあだ名を添えたところ、彼女はなんとも言えない表情を浮かべた。




