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第22話

 彼方ちゃんとの少しだけ込み入ったお風呂上がりの会話から、気づけば二週間ほどの月日が流れていた。


 その間この世界に突如としてマモノと呼ばれるヒトあらざる存在が跋扈し始め、実は私の知人友人はそれを人知れず狩る秘密のハンターであり、彼女たちが命を懸けて守っているのが、特別な力を持つこの私だった……なんていう、どこかのラノベで使い古されたような設定が都合よく判明したりすることは当然ながら全くなく、非常に、驚くほど平穏な時間が過ぎていった。


 青葉ヶ丘高校のかぐや姫の生まれ変わりこと春川輝夜さんと、リアル……ええと、リアル二次元美少女と称される柊小鞠さんとのあの奇妙な昼食会以降、微妙に変化した交流も続いている。


 「おうおう、貴様、我が校が誇る二大女神と馴れ馴れしく交流しやがって!」と、どこぞのモブ男子生徒あたりから因縁をふっかけられる可能性も、私のネガティブな脳裏をほんの一瞬だけよぎったりもしたけれども、幸いなことに、そんな漫画みたいな出来事も発生しなかった。


 バイト先の店長が、実は前世で悪逆非道な悪役令嬢をやっていて、現世ではその時に積み重ねた悪業の因縁を果たすために私を利用しようとしていたとか――まあ、そんなファンタジーなことも、もちろん起こるはずもなく。

 強いて最近の変化を挙げるならば、「返信を打つのが面倒だから、言いたいことがあるなら直接顔を見て言え」と、若干高圧的なお達しをLINEで受けたくらいで。例の体調不良で二日間お休みを頂いた以外は、本当にいつも通りの、忙しくも平凡なコンビニバイトの日々が続いていた。


「ねえ、遥ちゃん。もうすぐテストだねえ」


 そんな比較的平穏な日々が続いていた六月中旬くらい初夏のくせして、連日30度超えの真夏日を記録するとか、「ちょっと地球さん!? 温度調整、完全に間違ってません!?」と思わず天に向かって訴えたい気分にもなる蒸し暑い日の昼休みのことだった。

 小鞠さんがのんびりとした口調で話しかけてきた。


 うわ、びっくりした……今一瞬、「知ってる? カバの汗って、実は赤いんだよ? あ、ごめんごめん、遥ちゃんはカバにそっくりだけど、カバじゃなかったね、うっかり☆」とか、とんでもなく失礼なことを言われたらどうしようかな、って勝手に想像して、一人で肝を冷やしていたところだった。


 いや、絶対に、小鞠さんがそんなこと言うはずないんだけどね? 最近ちょっと、心が荒みすぎているのかもしれない、私。


「遥ちゃんは、ちゃんと自分で勉強してる? 輝夜みたいに『授業さえ真面目に聞いていればテスト範囲のことしか出ないんだから、対策なんてしなくても余裕でしょ?』とかそういうことは言わないよね?」


 ちらり、と小鞠さんの視線が輝夜さんへと向けられる。


「うーん、すっごく一度は言ってみたいかっこいいセリフですけど」


 私は苦笑しながら答える。


「もし私がそんなこと言い出したら、きっと怒られちゃいます」

「あ、ごめん、自重するわ……」


 私の言葉に含まれた、回りくどい「そういうのを自慢の種みたいに言うのは、やめた方が良いですよ」という暗喩を正確に読み取ったのか、輝夜さんは少しバツが悪そうに、しかし素直にそう言って、すっと背筋を伸ばした。


 恐らく隣にいる小鞠さんも、同じ意図を含んで輝夜さんに視線を送っていたのだろう。私の意見だけを、こんなに素直に聞き入れてくれるはずがない(はず)。


「まあ、わたしのこの幼なじみは」


 小鞠さんは、やれやれといった口調で続ける。


「テストそのものは出来ても、こと『テスト勉強』……特に、誰かに教えるということに関しては、絶望的に役立たずなんだよね」

「ちょっと待ちなさい、小鞠。遥の前で、私をそこまで下げるようなことを言うのはやめなさい」


 輝夜さんが、少しむっとしたように反論する。


「だ、大丈夫ですよ! 輝夜さんなら、多少評価が下がったところで、多くの人から憧れられる存在であることには、全く変わりありませんから!」


 私が慌ててフォローを入れる。


「ふ、ふん! 別に本腰を入れてやった経験がないだけで、やればできるのよ! テスト勉強とやらも、この優秀な学業成績と同じくらい、真っ当にやってみせるわ! いいこと、私失敗しないので!」


 輝夜さんは、なぜか偉そうに胸を張って宣言する。その姿は、自信満々というよりは、むしろ少し意地になっているように見えた。


 確かに輝夜さんは天才肌だ。学業成績は学年トップだし、どんな部活に助っ人として参加しても初めてとは思えないほどそつなくこなしてしまう。

 でもその反面人に何かを教える、ということに関しては苦手みたい。


 そういえば逆上がりができない私に対して、彼女がくれたアドバイスは「そうね、まず完成形を脳内で完璧にイメージすることが大切よ。そして、そのイメージ通りに、寸分違わず身体を動かせば、誰だってできるはずよ」というものだった。

 そのあまりにも天才的な発想に、私はただ「で、できるんですか、そんなことが!? さすが輝夜さん、天才ですか!?」と、尊敬の念(?)を込めて持ち上げるに留めるしかなかった。


 当然、それで私が逆上がりができるようになったかと言えば、全くそんなことはなかったけれど……運動神経ゼロの私には、脳内イメージと身体の動きを一致させる、という高等技術は難しすぎた。


「テスト勉強というのは、アレでしょう? 授業中にとったノートを丹念に振り返ったり、教科書の大事そうな部分に線を引いて、それを何度も何度も紙に書き出したりして暗記する、そういう地道な作業なんでしょう?」


 なんて、まるで他人事のように言うわけだけれども。


「輝夜、あなたのノートは?」


 小鞠さんが、至極当然のように尋ねる。


「……」


 輝夜さんは、すっと目を逸らして黙り込んだ……そう、彼女は、あれだけ授業中は背筋を伸ばして、真面目に黒板の方を向いて先生の話を聞いている風ではあるけれど、その手元はほとんど動いていないのだ。


 せいぜい、教科書のページをぱらぱらと捲ったりするくらいで、いわゆる「ノートを取る」という行為をしているのを、私は見たことがない。

 大抵は「ふーん?」みたいな、分かっているんだか分かっていないんだか判別不能な顔をして黒板を見ているか……あるいは、たまに、本当にたまに、ちらっと私の顔を横目で見て、なぜか「ふんす!」と気合を入れたみたいな顔をするかだ。


 ちなみにその気合顔に初めて気づいた時、私はあまりにもびっくりして、「へあっ!」と、どこかの光の巨人か怪獣みたいな、奇妙な声を上げてしまい、日本史の小室先生から「夏野! 授業に集中」と叱られてしまった……海援隊の件以来、私はかなり先生に目をつけられている気がする。


「じゃあ、小鞠……あなたのノートは、さぞかし世間一般の目から見ても完璧で……それこそ『東大合格生のノート術』みたいなご大層な名前をつけて展示されても、全く霞むことのない、全高校生が模範とすべき、素晴らしい存在だと言えるのね?」


 輝夜さんが、少しだけ皮肉っぽく反撃する。


「当たり前でしょ?」


 しかし、小鞠さんは全く動じることなく、自信満々に胸を張った(ように見えた)。


「当たり前じゃないわよ! あなたのその古代エジプトの壁画みたいな象形文字を解読しているだけで、貴重なテスト勉強の時間がほとんど終わってしまうわ!」


 輝夜さんの悲痛な叫びが、昼休みの教室に響く。


 以前、小鞠さんのノートを(たまたま)見せてもらったことがあるけれど「かわいい文字ですね」との私の感想に対し「……無理して褒めなくても良いのよ?」と輝夜さんが遠い目で言っていたのを思い出す。


 確かに彼女の書く文字は、非常に個性的……というか、解読には若干の慣れが必要なタイプではあった。私も最初は少し戸惑ったけれど、慣れればちゃんと読めるんだけどな。


 ただ先生方の受けはあまり良くないらしく、そのせいで誤字や判読不能と判定されて、一教科あたり10点くらい損をしている、と本人は嘆いていたけれど。


 ……それでいて、彼女の成績は、私と同じくらい…つまり、学年上位をキープしているのだから、やはりこの「二大美少女」は、こと勉学の面においてもなお、その評判にたがわぬ恐るべき才覚を誇っているのだろう。や、まあ、「かぐや姫」も「リアル二次元美少女」も、別に学業面での評判を踏まえて付けられたあだ名ではないのだろうけど。


「えー、でも遥ちゃんは、わたしの書くこの可愛い文字をちゃんと読んでくれるんだから、その点で言えば、わたしの完璧なノートを叩き台にして、一緒に勉強をするのは当然の流れじゃない?」


 小鞠さんは、私にウインクしながら、そう提案してきた。


 この時点で、私は「ん?」と、ある事実に気がついてしまった――今までの人生で、あまりにも教室の隅の陰の部分でひっそりと過ごしていたせいか、すっかり忘れていた。「陽キャと呼ばれる人種は、テスト前に集まって勉強会をする」という、あのキラキラした青春イベントの存在に。


 や、勉強会って言うか、実際にはファストフード店やファミレスとかに集まって、9割はお喋りを中心とした楽しい会合にご参加になる、っていうイメージだけども……。

 果たして、そんな陽キャの祭典に、私のような者が参加しても許されるのだろうか? そもそも、私は過去にそんなイベントに誘われたことがあったっけなあ……どうだったかなあ(遠い目)。


「……まあ、私のやっているゲームでも、見ているアニメでも、そういうテスト前の勉強会的な姿はよく描かれているし、同じことをするというのも、ある意味、聖地巡礼みたいなものかしらね」


 輝夜さんは意外にもあっさりと、その提案を受け入れた。


 なるほど、彼女にとっては、クラスメイトの間に自分のオタク趣味をオープンにしていない以上、そういう『お約束』的なイベントに参加できる場所は限られている。そして、そういうのが可能な場所といえば、つまりは、そういうことに理解のある(あるいは、何も知らない)人間のいる場所……すなわち?


「うん、では場所は……そうだなあ、遥ちゃんのハウスで決定ね!」


 小鞠さんが、有無を言わさぬ笑顔で宣言した。


「あの女のハウスみたいに言わないでください……って、ええ!? うちですか!? ここからだと結構遠いですよ!?」


 予想外の展開に、私は素で驚きの声を上げる。


「大丈夫、大丈夫! 休日に泊まりがけでやったら、お泊まり会みたいで、きっとすっごく楽しいじゃない?」


 小鞠さんは楽しそうに続ける。


「あ、もしかして遥ちゃんは、休日にはこっそり恋人を自分の部屋に連れ込む系の、アグレッシブな女子だったりする?」

「部屋に連れ込むような相手がいる系女子がバイトに明け暮れすぎて、店長から逆にお前もうちょっと休めとか言われたりしないですよ!?」


 私は全力で否定した。風邪で休んだ時にも、「代わりのシフトとか全然いらないから。てか、普段から他の面々の代わりに入り過ぎなんだお前は」って、店長に若干呆れ気味にたしなめられたくらいなのに。


「まあまあ。そんなに興奮しないの」


 輝夜さんが小鞠さんを宥めるように言った。


「いきなり押しかけるのは流石に失礼よ。ちゃんとご家族にもご挨拶しないと。どんな菓子折りを持っていけば、失礼にあたらないかしら?」


 彼女は、妙に真面目な顔で、そんなことを心配し始めた。


「い、いえいえ、そんな、お気持ちだけで充分です」

 私は慌てて首を横に振る。


 輝夜さんはあの仰々しい二つ名とは裏腹に、もしかしたら少し苦学生めいているのかもしれないと私は密かに思っている。


 もちろんアニメグッズ購入費とか、各種アニメ視聴サービスのサブスク費用とかを全部取っ払えば、普通の高校生レベルのノートくらい買えるでしょ(いや、元から普通に買えるんだろうけども)と言われれば、それはまあ、その通りなのかもしれないけれど。


 伺ったことはないけど「うちは集合住宅だから、あまり大きな音は出せないの」と彼女が言っていたのを、以前小耳に挟んだことがある。


 「え? じゃあ、今まで買った大量のアニメグッズとかは、一体どこに……?」とその時私が素朴な疑問を口にしたら、隣にいた小鞠さんが、なぜかものすごく苦い顔をしていたのを覚えている。


 「ちゃんと『出世払い』はするから、安心して」とは輝夜さんの言だけども。彼女の類稀なる才覚は、きっとどんな方面でも活躍できる余地があるのだろうけれど、「人生における見込み違い」というのは、誰にだって等しく発生する可能性があるのだから、やっぱり少し心配になってしまう。


 そういえば、以前、店長が「ああ、あいつのバイト先の店長は、一応、私の知り合いだから、まあ、何かあっても心配するな」と、さらっと言っていたけれど……私は、輝夜さんがバイトをしているという情報しか持っていなかったので、その言葉を聞いて、逆に心配が募っただけだったよ……?


「あと、彼方ちゃんから、お姉ちゃんの家で勉強会を実施するって話は、ちゃんとご家族には連絡が行っているはずだから、心配しないで大丈夫よ」


 小鞠さんが、にっこりと微笑んで、決定的な一言を告げた。


「彼方ちゃんと直接交流してたのは、やっぱり小鞠さんだったんですね!? ありがとうございます。今、このタイミングで、私にきっちりネタばらししてくださって」

「ほら」


 と、小鞠さんは、なぜか輝夜さんの方を見て言った。


 私は、何が「ほら」なのかはさっぱり分からなかったし、輝夜さんがすごく残念そうな、しょんぼりとした表情で「そうね」と言葉を濁したのか。

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