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第21話

(Side 輝夜)


 危険というのはいつだって予期せぬ方向からやってくる。そして、それを回避するためには常に学び続けなければならないのだろう。

 まるで死ぬまで続く終わりのない試験のように……なんて、らしくないことを考えてしまうくらいには、今の私は緊張していた。


「緊張しているのか?」


 目の前で、優雅にお茶をすする女性――九重千秋さんは、こともなげにそう尋ねてきた。


「まあ、無理もないか。しかし心配はいらん。今日は美人のお姉さんの奢りだ。存分に味わうといい。私の『嫁』は、ペットボトルの飲み物一本差し出しただけで恐縮するから、正直、奢り甲斐がないんでな。キミには、その代わりだと思って、しっかり食べてもらわんとな」



 美人カッコかりカッコ閉じる、とか、嫁(自称)とか、ツッコミたい箇所は山ほどあるけれど、それよりもまずこの状況そのものに疑問を呈するべきだろう。


 私は今なぜか高級料亭の静謐な個室に通されているのだ。磨き上げられた白木のテーブル、壁には掛け軸そして障子の向こうからは、微かに水の音が聞こえるような気もする。


 時代が時代なら悪代官と廻船問屋が「お主も悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」なんて、密談を交わしていそうな雰囲気だ。(最近読んだ本によれば、実際の廻船問屋はすごく真っ当に商売をしていた人たちが多いらしいし、時代劇はあくまでフィクション。オタクに優しいギャルが存在しないのと同じようなものだ)


「二人きりで会話すると言っても、いくらなんでも機密保ちすぎじゃないですかね!? ここ、絶対お高いでしょう!?」


 私がそう言うと、千秋さんはくつくつと喉を鳴らして笑った。


「……まあその」


 観念して正直に白状した。


「『詳しく聞かせて』と意気揚々とやって来ましたけど、いざこんな場所に通されたら、この後生きて帰れるのかな、みたいな……そういう困難とぶつかって、普通に緊張している、と言いますか……」

「なるほど……。知り合いでもない相手に唐突にこんな料亭へと連れてこられれば、まあ、そんな感想を抱くのも無理はないか。私としては、たまには美味いものでも、という親切心……善意のつもりだったんだがね。受け取る側が恐縮してしまえば、それは善意とは言えんだろうな」


 千秋さんは、意外なほど素直にそう言って、少しだけ反省するような表情を見せた。


「い、いえ、そんな、すみません……!」


 慌てて謝る私に、彼女は「まあ、いい」と手を振った。


「子どもが、大人のすることにいちいち遠慮をするな。キミが大人になったときに、年下の子に対して、そういう無用な気を遣わせない人間になってくれれば、それで良い」


 高校生になって将来の展望がハッキリしている人間の方が、きっと少ない。スポーツや芸術、あるいは芸能の道に進む一握りの人間を除けば、大抵は「将来? うーん、その時になったら、なんとなく決まるでしょ」くらいの、漠然とした考えしか持っていないはずだ。


 というか、そもそも未来のことなんかよりも、「次のテスト」「気になるあの人」「友人関係」「趣味のゲームやアニメ」といった、もっと身近で、目の前にある話題に集中しているのが、大概の学生という生き物だろう。

 スポーツ強豪校の生徒なら「部活」一筋だろうし、超進学校の生徒ならば「進学のための勉強」に全ての情熱を向けていて「自分の未来」そのものには、意外と目を向けていなかったりする。


 未来をどうしようなんて具体的に考え始めるのは、多分、「大人」と呼ばれる段階になってからだ。

 目の前の何か以外のこと……責任とか、生活とか、そういうものを考えられるように、そして、考えなければいけなくなった時に、人は否応なく大人になるのだろう。


 ……なんて、偉そうなことを考えているけれど。さっき、遥のことを『嫁』と言われて、内心ピキっと来た私が結局、相手のペースに乗せられて、ホイホイとこんな場所まで付いてきてしまったのだ。

 これがもし本当に悪意のある人間だったら今頃どうなっていたか……よもや、現代日本でエロ同人みたいな、そんな非現実的な展開が起こるとは思わないけれども。油断は禁物だ。


「さて」


 千秋さんは、お茶を一口すすり、本題に入った。


「夏野遥に関して、キミはどれほど知っている?」


 核心を突く問いに、私は少しだけ身構えた。


「……ちょっと前に、彼女に対する情報源……その、彼女が溺愛している可愛い妹さんからだって、幼なじみ……柊小鞠から聞きました」

「まあ、そうだろうな」


 千秋さんは特に驚いた様子もなく頷いた。


「私が把握している情報も巷の風聞と、あとは遥の母親である美奈子さん、それから彼方さんからの情報が中心だ」

「美奈子さん?」


 初めて聞く名前に、私は首を傾げた。


「ああ、遥は本当、あの可愛い妹さん以外の家族の情報は、意図的に、徹底して外部に流さないようにしているからな……妹を溺愛し、大事に思っているのは確かだろうが、それ以外の情報を周囲に悟られないように、かなり警戒している節がある……そうだな、例えば、彼女が通っていた中学の名前は、おそらくキミも、遥本人からは直接聞いたことはないだろう?」


 言われてみれば、そうだ。遥がどこの中学出身なのか、小鞠からは聞いていたけれど(小鞠は彼方さんと強い繋がりがあるみたいだから、情報源は恐らくそこだろう)遥自身の口からその名前を聞いた記憶はない。


 彼女自身の情報について自分が直接耳にしていることは、驚くほど少ないことに、今更ながら気づかされた。


 自嘲するように、「今までずっとぼっちで」とか、「クラスでも一人でいることが多くて」とか「妹の彼方ちゃんが、もう本当に天使で可愛くて」とか、あるいは「意外と家事に精通しているんです」みたいな発言は、確かに耳にしていた。


 でも、じゃあ、なぜ「ぼっち」だったのか、どうして「一人」でいたのか、そもそも、なぜわざわざ県外の高校を受験してまで、この青葉ヶ丘に来たのか……その核心に触れるような理由は、彼女自身の口からは一度も語られていないのだ。


「ちなみに、その美奈子さんというのは、遥の母親の名前だ」


 千秋さんは、何でもないことのように、しかし決定的な情報を口にした。


「昔は、ちょっとした有名人でね。元タレントで、国民的な朝ドラなんかにも出てたんだぞ?」

「――本当ですか!?」


 思わず素で聞き返してしまった。遥のお母さんが元タレント? 朝ドラにまで出ていた? 全く知らなかった事実に、私の頭は完全にキャパシティオーバーを起こしかけている。


「おや、驚いたか。やはり、キミは本当に何も知らされてないんだな……」


 千秋さんは面白がるように私の反応を見ている。


「恐らくだけど、キミの幼なじみさん……柊小鞠さんは、これ、知ってるぞ?」

「ええ!?」


 今度こそ私は本気で驚愕した。小鞠が知っていた? 知っていて黙っていた、ということ? どうして?


「まあ、キミのその反応を見る限り」


 千秋さんは、まるで私の心の中を見透かすように続けた。


「あの子……小鞠さんは、キミが知らないでいた方が、遥とキチンと友人として交流できる、と踏んだんだろう――私は悪い大人だからな、むしろ二人の関係がギクシャクして貰った方が見ていて面白いし、ありがたいくらいだが。なにせ『嫁』にたかる悪い虫は、それがたとえ同性であろうと、積極的に排除せねばならんからな」


 冗談めかしてはいるけれど、その目は全く笑っていない。


 嫁うんぬんについては、もうツッコむ気力もないけれど。本当に悪い大人ならば、そんな手の内を明かすようなことを、わざわざ相手に告げたりはしないだろう。

 それに今日だって、見ず知らずレベルのただの高校生である私相手に、おそらく数万はくだらないであろうこの料亭の代金をポンと支払ってくれたりもしないはずだ。この人は、一体何を考えているんだろう?


「じゃあ、小学校の時に、遥が相手に合わせて会話してたら『生意気』扱いされてたのって……もしかして、遥が自分の境遇……お母さんが元タレントだとか、そういうことを自慢してたり……は、しない、か」


 私は混乱しながらも一つの可能性に思い至り、しかしすぐにそれを打ち消した。あの遥に限ってそんなことをするはずがない。


「しないな」


 千秋さんは、きっぱりと断言した。


「考えてもみろ。小学校くらいだと、親同士の付き合いも密だろう? 特に母親連中ときたら自分の子供の自慢話と同じくらい、とにかく他人のゴシップと、人の不幸が大好物なもんだ。自分の子供の面倒だけ、ちゃんと見ていれば良いものをな」


 その言葉には、深い侮蔑と諦念が滲んでいた。

 

 なるほど。遥は、今でもあれだけの美少女なんだから、子どもの頃からだって、きっと(アルバムを見せてもらえば確信できるだろうけど)その学区でも有名な、飛び抜けた美少女だったんだろう。

 そして母親が元有名タレント。それをひけらかさない、むしろ隠そうとするような心優しい性格……そんな子が、周りからどう見られるか。


 他人から何かをしてもらうこと、ちやほやされることが、女の中でのステータスになるようなそういう狭いコミュニティにおいて。


 生まれた時から誰もが羨むような美貌と恵まれた家庭環境を持ち、それを鼻にかけることもなく、ただ普通に、優しくあろうとする人間は……。

 そう、持たざる者、才能のなさを認められない人間、満たされない人間からしてみれば、格好の憎悪の対象になる。許せない。何かズルいことをしているに違いない。そうやって理由をつけてやっかみ、貶めることでしか、自身の歪んだ自尊心を保てない、そういう人間は、残念ながらどこにでもいるのだ。


「……っ」


 そこまで考えた瞬間、私の目から、ぽろり、と涙が一粒、こぼれ落ちた。


「おい、泣くな。大人が悪者になるだろうが」


 千秋さんの、少しだけ焦ったような声が聞こえる。


「だって、だってぇ……!」


 違う。あなたが悪いわけじゃない。悪いのは……。


 なんとなくぐずってるかな? と自分でも思ったけれど、それに続くはずの反論の声は、涙声になってしまって、うまく言葉にならない。自分でも笑っちゃうくらい、ひどく動揺しているのが分かった。


 普段、私はあまり他人に対して「可哀想」だなんて、安易に考えたりしないようにしている。

 自分自身を哀れんだところで、それで問題が解決するわけでもなければ、それは所詮、自己満足の感傷に過ぎないからだ。そして自分を厳しく律している、なんて口が裂けても言えないけれど(遥との最初の出会いの時からして騙し討ちしている)


 でも、彼女は……遥は。


 望んで手に入れたわけでは決してないものを、ただ、生まれた時から持っていたという、ただそれだけの理由で、周りの人間から心ない対応をされ続けてきたなんて。それでも、他人を恨むこともせず、きっと「自分が悪いんだ」って、全部自分のせいにして、心を閉ざして、自分を守るしかなかったなんて。


 そんなの……そんなの、あまりにも……。


 「可哀想」以外に、どんな言葉でこの気持ちを表現すれば良いのか、まだ子供のわたしには、全然分からない――わっかんないよ……!


 嗚咽を漏らしながら、私はただ、テーブルの上に置かれた自分の手を見つめることしかできなかった。



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