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第20話

 ご主人さまを洗濯したい――人は最初から匂いに鈍感ではなく、その匂いに適応するからこそ感じにくくなるのだという話には思わず膝を打った。


 なんか元気がないな、と感じていた遥相手に「美味しいもの作る時って味見とかするの?」と尋ねたとき「味見を重ねるときは口をゆすがないとだめだよ」の話へと発展したのだ。


「どうして?」

「どうしてかは分からないけど、感じにくくなるから?」


 話はまったく変わるけれども、巨乳の人が感じにくいという話は、常日頃から乳圧を自身に受けダメージ判定が大きいからこその風説なのではないかと春川輝夜は考えた。


 そんな会話の翌日から二日間「風邪を引きました……」という素っ気ないメッセージだけを残して、遥は学校を休んだ。


 正直、彼女がいない教室はなんだか妙に物足りなかった。小鞠も心なしか元気がないように見える。まるで心にぽっかりと穴が空いてしまったような、そんな感覚……ああ、そういえば、幼いころに小鞠が風邪か何かで数日幼稚園を休んだ時も、こんな風に寂しいと感じていたっけ。


 これがきっと「慣れ」というものなのだろうな、と思った。そして同時に、いつも隣にいてくれるこの幼なじみに対して、ちょっと面はゆいところもあるけれど「ありがとう」と、たまにはちゃんと伝えておかねば……なんてらしくないことを考えたりもした。


 そう思ったので昼休みに、少しだけ恥ずかしい気持ちを胸の奥に隠しながら小鞠に、ぽつりと謝意を伝えてみたのだ。

 なんだかんだ言いながらも自分の傍にいてくれることへの感謝の気持ちを。


「ふうん」


 と、喜んでいるのか、呆れているのか、それとも少し怒っているのか……喜怒哀楽で言えば、たぶん「喜」の感情が大きいのだろうけど、なぜだか他の感情も複雑にない混ぜになったような何とも言えない声色で呟き内心で冷や汗をかいた。やっぱり、素直に感謝を伝えるのって難しいわね。


 が、しかし。その直後に小鞠はとんでもない爆弾を投下してきたのだ。


「……まあ、でも、あなたが知らないだろうから、一応言っておくけど。遥ちゃんが休んでる間も、わたし、ちゃんと彼方ちゃんとはメッセージでやり取りしてるから。遥ちゃんの様子もだいたい聞いてるし」


 ……は? 彼方ちゃん? 目に入れても痛くないほど可愛いと評判の妹がいる、という話は遥に聞いていたけれども。まさか、小鞠が、その妹さんと直接連絡を取り合っていたなんて。


 ということはつまり、私が初期の頃に聞いていた、夏野遥関連の様々な情報……例えば、彼女が他県から通っていることや、中学時代にいじめに遭っていたらしいことなどの出所は、全て、その妹さんだったというわけ……!?


 べ、別に、私だって、入学からの二ヶ月間、ただ指をくわえて遥のことを眺めていただけじゃなくて! どうすれば彼女ともっと親しくなれるか、どうすれば彼女の警戒心を解けるか、自分なりにそれはもう万全の対策とシミュレーションを練っていたんだけども! その計画を立てる上で非常に重要だった基礎情報のほとんどは結局のところ小鞠から又聞きしていただけで、そしてその大元の情報源は遥の妹である彼方さんだったってことじゃないの!?


 またしてもこの幼なじみからの、絶妙なタイミングでの後出し情報! 思わず「ちょっと小鞠! あんたねぇ!」とぶん殴ってやろうかと思ったけれど、ぐっと堪えた。

 そうしたら最後、確実に彼女から倍以上の力で殴り返されて、この美しい顔とかに、一生消えないような傷を作られてしまう可能性があるのだから。


 私だって、ただ黙って今の地位にいるわけじゃない。運動部の助っ人とかに積極的に駆り出されて、地道に恩を売ったり、クラスでは小粋な(と自分では思っている、多分周りから見たらクソどうでも良い)トークを繰り広げたりして、今のこの「青葉ヶ丘高校のかぐや姫」としてのポジションを築き上げてきたのだ。


 まあ寝不足の時とかは、若干、人との交流が雑になってしまうのは、だいたいの人に把握してもらっていると思うけど。


 でも、小鞠は違う。彼女は、自分が発している、あの独特の、ふんわりとした、それでいて有無を言わせぬオーラだけで、なんとなく何もかもを周囲に理解させてしまうタイプの人間だ。


 その実、本人は結構な策士で、相手が気にしているポイントを的確に、かつサラッと突いてきて、面白がって笑ったり、時には「ねえねえ輝夜ちゃんのおっぱい、将来はどれくらい大きくなりまちゅか~?」なんて、平気で煽ってきたりもするのだから油断ならない。

 ――まあ、最近は、遥という、ある意味で彼女以上の傑物(?)が登場したおかげで、そういう私へのちょっかいは、なりを潜めているみたいだけれども。


 「遥ちゃんのおっぱいをちょっとだけ揉ませてもらったら、わたしにもおすそ分けしてもらえるかな……?」なんて、とんでもないことを言っていたような気もするけど……。


 ……ってことは、まさか、私がこの二ヶ月の間、本当は遥に話しかけたくて仕方なかったのにいざとなると勇気が出なくて、遠くから見つめることしかできなかったっていうこの情けないビビり具合も、全部妹の彼方さんに筒抜けだったってこと……!?


「そこまでは流石に分からないと思うけど」


 小鞠は私の動揺ぶりを見て少し呆れたように返してきた。


「まあ、気になるなら、直接聞いてみたら?」


 彼方さんとは未だに当たり障りのない天気の話とか、せいぜい学校行事に関する事務連絡程度の極めて軽い交流に留まっている。

 だって向こうは小鞠から一体どこまで、私の(主に残念な)情報を聞かされているか、分からないんだもの! 下手にボロを出せないじゃない!


 それにしても遥という人間は本当に不思議だ。たぶん、彼女なら私がどんなに落ち込んでいても、あるいは理不尽なことを言ったとしても。


「お帰りなさいませ、お嬢様~」


 全てを肯定し受け入れてくれるような気がしてしまう。もちろん、それは私の勝手な願望で、彼女自身の意思とは関係ないのだろうけれど。


 相手に合わせて口調も、態度も、まるでカメレオンのように変えることができる……それが、言ってみれば彼女の処世術であり、「大人」みたいな部分なのだろう。

 そしてその、ある意味で捉えどころのない、自分の本心を見せないところが、未熟で、感情的な子供にとっては、たまらなく癇に障るのかもしれない。中学時代の彼女が経験した苦労は、そういう部分にも原因があったんじゃないかな、なんて、今になって思う。


「――キミが、かの有名な青葉ヶ丘高校のかぐや姫の生まれ変わり、か?」


 不意に低いしかしよく通る声がかけられ、ハッと我に返った。いつの間にか、放課後のアルバイト先……まあ、色々あって働いているコンセプトカフェのような場所で、接客の真っ最中だったのだ。目の前には、長身で、どこか人を食ったような、それでいて鋭い眼光を持つ女性客。


「ええ~? ち、違いますぅ。私の名前はかぐぴょんだニャン。 あおばなんとかかんとかのかんとかなんとかは、よく分からないミャー」


 私は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じながらも、完璧な営業スマイルと、猫なでのつもりで応対する。キャラ設定、守らないと……。


「ふーん」


 面白がるように私を値踏みしてから、本題を切り出した。


「まあ、その猫撫で声はいいとして。ちょっと私の『嫁』について、キミに話があるんだがね。仕事終わりに少しだけ付き合ってもらいたい」

「えええ? かぐぴょんは、アフターとかそういうのは、基本お断りしてるニャ……そういうお店でもないニャ」


 ついうっかり、お金払いの良いお客様への常套句を口走りそうになったけれど、慌てて修正する。

 これは、そういう意味での「アフター」ではない……たぶん。正直、店外でお客様と個人的に交流するのが、法律的に、あるいは店則的にセーフなのかアウトなのか、その境界線は非常に曖昧だけども、私個人としては、そういうのは基本的にNGにしているし「高校生相手にそういうのを要求するのはマズい」とお店のマネージャーさんも言っている。


 ……はたして、「高校生だとマズい」店外の交流とは、具体的に何を指すのだろうか。


「ああ、すまない、誤解させたか。私の『嫁』といっても、二次元のキャラクターの話ではない――夏野遥というこの国でも屈指のリアルな美少女についての話だ」


 その名前を聞いた瞬間、私の背筋が伸びた。営業用の猫なで声は消え失せ、地金の声が漏れる。


「……詳しく聞かせて」


 遥からはまったく相手にされていない可哀想なオバさんには、そろそろ現実というものを、そして自分の身の程ってものを、ちゃんと教えてあげないといけないみたいね。


 中学時代、あれほど酷い「男を何人も相手にしていたクソビッチ」だなんていう、事実無根の悪評をあらゆる人間に、それこそ粘着質なまでに言いふらされても、彼女は決して「否定」も「肯定」もしなかったという。

 そこまでされてもなお気にしていない風を装いつつ、かと言って、相手が悪意を持って差し向けてくる会話の流れに、易々と乗っかることも多分に嫌がるあの頑なさ。


 もし、お互いに特別な愛情を持って接している人間がいるなら、相手の顔を立てるために、その関係性を誰にでもではないにせよ、少なくとも“春川輝夜”くらい親しい友人に対しては何らかの説明があってしかるべきはずだ。それがないということは……つまり、そういうことでしょう?

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