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第2話

 六月に入り梅雨入り前の少し蒸し暑い日が増えてきた。

 店長は「ちょっと銀行に用事が」とか「大事な仕入れ先に顔出ししてくる」とか、あるいは単に「一服してくる」とか、何かと理由をつけては店を不在にすることが多くなり、結果として私が一人で店番をする時間も珍しいことではなくなっていた。


 有線の響く店内に大型冷蔵庫の唸るような音と自分の少しだけ緊張した心臓の音だけがやけに大きく響く。少し心細い気持ちもあるけれど、これも仕事だ、と自分に言い聞かせる。


 自動ドアが開いたので、反射的に「いらっしゃいませー!」と、できるだけ明るい声を出しながら顔を上げ、そして私は息を呑んだ。

 そこに立っていたのは見慣れた青葉ヶ丘高校の制服――それも、紛れもなく、私のクラスメイトである春川輝夜さんだったからだ。


 私の通う高校からこのコンビニまでは決して近いとは言えない距離がある。これまで、クラスメイトはもちろん同じ学校の生徒すら一度も来店したことがなかった。

 だから、『もしクラスメイトが来たらどう対応しよう?』とベッドの中で悶々とシミュレーションを重ねた、あの涙ぐましい努力の結晶である『クラスメイト別・完璧応対マニュアル(脳内保存版・全3パターン)』は、完全に杞憂に終わるものだとばかり思っていたのに……まさか、よりにもよって校内一の有名人であり、私にとっては雲の上の存在である彼女にこんな不意打ちのような形で遭遇するなんて!


 まずい……マニュアルが全く役に立たないイレギュラー発生! ええと、パターンB『有名人だけど個人的面識は極めて薄い相手』の場合の対応手順は……『1:平静を装う』『2:視線を合わせすぎない』『3:事務的な会話に徹する』……思い出せ私……!


 いや、それ以前にそもそも春川さんって、コンビニとか来るイメージが全くなかったんだけど……。

 だって彼女は春川輝夜さんなのだ「かぐや姫の生まれ変わり」なんて、ちょっとア(げふんげふん)らしいけど言い得て妙なあだ名で呼ばれるほどの、完璧なまでの美少女。

 絹糸のように滑らかで窓から差し込む初夏の光を受けて淡く輝く艶やかな黒髪は、腰のあたりまで届き、歩くたびにまるで意思を持っているかのように緩やかに揺れる。

 その整いすぎた容姿とどこか浮世離れした雰囲気から、学校のヒエラルキーの頂点に立つような派手なグループの子たちでさえ、彼女には敬意を払って一目置いている。

 体育の授業で女子が着替える時でさえ、同性であるはずのクラスメイトたちが、思わず彼女の均整の取れた肢体に見惚れてしまう……そんな、文字通り別格の存在なのだ。


 そんな彼女が、まさか栄養ドリンクをエナジードリンクで割って、さらに滋養強壮剤を一気飲みするようなタイプだとは到底思えないし(買うにしてもコンビニではなかろうもん)コンビニでお菓子や雑誌を物色する姿なんて、想像することすら難しかった。


 春川さんは、しばらく店内を、何かを探すように静かに見て回っていた。何も買わずにそのまま出ていく学生客も多いので、彼女もそうかもしれない、と少しだけ思ったけれど。


 やがて春川さんは迷いのない、しかしどこか忍者のような足取りで、特定のコーナー――今、大々的にコラボキャンペーンを展開しているキャラクターグッズの棚へと向かい、そして、私の目を疑うほどの量の、カラフルなパッケージを両手に抱え、静かにレジへとやってきた。


 これって、全部『ネコ娘プリティプリンセス』のコラボグッズ……? しかも、お菓子からクリアファイル、アクリルスタンドまで、こんなに大量に……!?


 『ネコ娘プリティプリンセス』通称『ネコプリ』は様々な種類の猫を擬人化した美少女キャラクターを育成しコンテストで競わせるという、今、巷で爆発的な人気を誇るソーシャルゲームだ。

 その中毒性の高いゲーム性と愛らしい(そして時にお色気のある)キャラクター、そして巧妙極まりない課金システムで、多くのプレイヤーを文字通り虜にし、中には中東の石油王もかくやというほどの金額を注ぎ込む「ガチ勢」もいるとかいないとか……。


 店長や他のパートさんたちは「どうせいつもの、既存の商品にアニメの絵をくっつけただけでしょ?」程度の認識だし、私自身も、流行っているらしい、という以上に詳しい知識は持ち合わせていない。

 そんなディープな世界のグッズを、あのクールビューティーで完璧超人の春川さんが、いわゆる「箱買い」に近いレベルで……!? 彼女の意外すぎる一面に、私の脳内は大混乱だ。


 しかし、驚きは内心に押し込め、私は深呼吸し完璧なるコンビニ店員の仮面を装着した。

 お客様が何を買われようとそれはお客様の自由であり、尊い選択なのだ。店員がその内容について、心の中であれこれ言うのは不遜というものだろう。

 私は努めて平静を装い、できる限り楚々とした態度を意識しながら、商品のバーコードを読み取る作業を始めた。


「お会計は、2万……」


 春川さんがレジのこちら側にいるのが、あのいつも教室でぼんやりしているクラスメイトの夏野遥だと気づいてしまったらしい。

 まるで時間が凍り付いたかのように彼女はその美しい顔を強張らせ、ピシリと固まっているのが分かった。


 私は一触即発の状況を打破すべく、プロのコンビニ店員として培ってきた(まだ2ヶ月だけど)全てのスキルを発動させることを決意した。相手は、ただの見知らぬお客様。完璧な接客を、寸分の隙もなく遂行してみせるまでだ。


「……2万1380円になります。レジ袋はご利用になりますか?」


 努めて平静な、あくまで事務的な、抑揚のない声で尋ねる。


「いえ、マイバックを持っていますので……」


 春川さんもまた、かろうじて平静を取り繕い、小さな、しかし凛とした声で答えた。

 けれどその声が、ほんのわずかに震えているような気がしたのは、私の気のせいだろうか。

 彼女は明らかに一刻も早く、この気まずい空間から脱出したいと思っている。普段ならマイバッグのお客様にも「よろしければ、重いものだけでも袋にお入れしましょうか?」と尋ねるところだけども、今はその親切心が逆効果になるだろうことは、火を見るより明らかだった。

 私は迅速に差し出された現金を受け取り、レジに打ち込み、レシートとお釣りを正確に差し出した。


 春川さんはそれを受け取ると、目にも留まらぬとは言い過ぎかもしれないけど、驚くほどの速さで大量のネコプリグッズを自前のシックなエコバッグに詰め込み、そして文字通り脱兎のごとく、しかしその優雅な身のこなしは最後まで崩さずに、店から飛び出していったのだった。


「……ありがとうございましたー」


 聞こえているはずもないもう閉じた自動ドアの向こうの背中に向かって、私はそれでも、コンビニ店員としての本分を全うすべく、できる限りの愛想の良い声を張り上げた。


 そしてそのわずか数秒後。まるで全てを見計らっていたかのように、千秋さんが少しばかりのタバコの匂いを肩先に纏わせながら、何食わぬ顔でバックヤードから店内に戻ってきた。


「なんかすごい勢いで飛び出して行ったが、アレは万引きか?」

「いえ……その、クラスメイトで……」


 お客様に尋ねられたなら知らない顔で通せたかもしれない。けれど、相手は私の上司である。

 しかも、彼女が不在の時には「もし何か聞かれたら『私は用事で手が離せないから分からない』って言っとけ」と脅迫――いや、事前に指示されている手前「さあ? 知らない人でしたけど、何かよっぽど急いでたんでしょうねえ」なんていう見え透いた嘘をつくわけにもいかない。


「へえ、クラスメイト……名前は?」


 店長さんの目が、少しだけ好奇心に光る。


「春川輝夜さん、です」

「ふーん、春川ね。で、住所とスリーサイズは?」

「名前までしか分からないですね……」

「なぜだ。制服着てたんだろ? 目視でおおよそのスリーサイズくらい、だいたい分かるだろうが」


 さも当然のように、とんでもないことを言う。


「ちなみに夏野は上からきゅーじゅ……」

「やめてください! セクハラですよ!?」


 最近は、何か気に入らない意見や行動を、何でもかんでもハラスメントだと騒ぎ立てる風潮もあるせいで「ハラスメント」という言葉自体の重みが、少し軽くなっているような気もするけれど……。

 それでも、言うべき時は言わなくては。正当な理由があるハラスメントへの抗議は、たとえ相手が店長で、後でどんな面倒なことになる可能性があろうとも、ちゃんと主張するべきなのだ。

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