第18話
(Side 輝夜)
多くの女性が程度の差こそあれ自覚しているように「美麗」というのは、この社会において極めて強力な武器だ。
そしてかつての私はその武器をかなり無自覚に振り回すような、そういう傲慢な性格をしていた、という自覚がある……できれば遥には、永遠に知ってほしくないことの一つだ。
彼女との出会いは高校入学よりも少し前、あの緊張感に満ちた高校入試の日にまで遡る……って、あんまり劇的に遡ってないじゃないかって、遥あたりにはツッコまれるかしら?
確かにこれがもっとドラマチックな展開なら、幼いころに運命的な邂逅があって、長い時を経て高校で奇跡的に再会した、とかだったら、それを「運命」と呼んでも差し支えないのかもしれない。
――でも、運命って、別に時間の長さだけで決まるものじゃないでしょう? 自分の中でどうしようもなく感情が激しく揺さぶられて、その人と片時も離れたくないとか、一緒にお風呂に入って背中を流したいとか、できればそのまま初夜はこんな感じでこうしようねとか、そういう考えが嵐のようにめまぐるしく駆け巡れば、それはすなわち、もう立派な運命なのよ! ……え? それって、もしかしてただの性欲? 運命と性欲って実はコインの裏表みたいに密接不可分に関わっていたりした? そ、そんなバカな……。
まあそれはさておき。物心ついた頃から自分はこの世界でかわいい女の子なんて存在しない、と本気で思っていた。少し負け惜しみを込めて言うならば、隣にいる柊小鞠がギリギリ私と匹敵するかしないか、って感じだったかしら。
だって、そもそもタイプが違うし。この私、春川輝夜といえば、誰もが認める正統派のクールビューティーだって自分で断言するし、どちらかというと、こう、気高くて、ちょっと意地っ張りで、でも実はアナルが弱い…みたいな孤高の女騎士タイプだし!(別に私自身がそうだと言っているわけじゃないのよ? 勘違いしないでよね!? でも、もし、遥がそっちのプレイをお望みだというのなら、わたしは「全身全霊で洗浄するから、どうか30分だけ待っていて!」とネットで学んだ洗浄法で彼女のために死力を尽くすつもりではあるわ!)
……付け焼き刃の知識で果たしてなんとかなるのか、とのツッコミは当然ありそうだけど。考えてもみてほしい。相手の未知なる性的嗜好に完璧に応えるべく、事前にありとあらゆるプレイを仕込んでおきました、なんて、もしそれが外れた時の精神的ダメージが大きすぎないかしら? ……いけない、また話がズレたな。
今日の昼休み、小鞠と遥が二人で連れ立って教室を出て行ったけれど。私は平静を装い別に何も気にしてなんかいませんわ、オーラを完璧に維持できていたと信じている。
周囲のクラスメイトたちが、朝の私の奇行(常に物事を俯瞰して見られる、冷静沈着な女なのだから)について、何か聞きたそうに、こちらにチラチラと意識を向けているのは分かっていたけれど、基本、私は顔面偏差値が65以上の人間じゃないと、視界に入らない特異体質の女なの。
……嘘なの。本当は、めちゃくちゃ気になってたし、クラスメイトの視線も痛かったわ。
そうそう遥は自身の緊張やら何やらで、周囲の声なんて全く聞こえていなかったみたいだけど。私だって、あの高校入試の時、正直、試験どころじゃなかったのよ。近くの席に座っていた、あの異常に可愛い(しかも、後で判明したことだけど、とんでもなくおっぱいも大きい)女の子の存在に気づいてからはもう大変。
彼女の存在を意識した瞬間に英単語は頭から抜け落ちるし、日本史の年号もあやふやになるし、現代文の「この時の作中の登場人物の気持ちとして、最も適当なものを選びなさい」なんて問題の選択肢も、全部同じに見えてきて外しそうになったんだから――!
や、まあ「作者でもない人間に、登場人物の気持ちの正解が分かるか!」って話は、私にもよく分かるつもりよ? でも、考えてみてほしい。本人(作者)と、それ以外の不特定多数の他者(読者)とでは、圧倒的に他者の母数が多いのだから、その他者に広く知れ渡っている解釈の方が、より「真実」に近い場合だってあるのよ、きっと。
たとえ作者本人が後から「いや、私の意図はそうじゃなくて」なんて言ったとしても、ね。――まあ、もし私が作者の立場だったらそんな読者の自由な解釈を否定するような、無粋な問題を作った出題者を全力で殴りに行くけど。物理的に。
……嘘なの。殴りに行ったりはしないわ。たぶん。
とにかく入試の時の遥は試験そっちのけでこちらが凝視してしまうレベルで美人で、おまけに胸も大きかった――いや別に、エロゲーに出てくる制服みたいにあからさまにおっぱいの形が分かるようなデザインじゃないのよ? 上北中学の制服は至って普通だわ。
でもその標準的なデザインのブレザーやシャツの上からでも分かるくらい、その発育の良さでこちらを煽り散らしていたのだから仕方ないじゃない! ……もしかしたら、前は神に捧げているけれど後ろならオーケー、みたいな、ちょっと背徳的な聖職者コスプレが、あのスタイルの良さなら最高に似合うんじゃないかしらあの女……なんて試験中に不埒な妄想までしてしまったわ。
……嘘なの。いや、妄想したのは本当だけど、別に遥に聖職者コスしてほしいとかそういうわけでは……いや、ちょっと見てみたい気も。
えっと、そう、入試が終わった後、彼女は確か「ちょっとお腹が痛いので」とか言って、声をかけてきた男子生徒のナンパを(たぶん)やんわりと断って、すぐに帰宅の途についていたわね。私だって、別に入学からの二ヶ月間(受験期間を含めれば四ヶ月くらい?)ただ指をくわえて彼女のことを眺めていただけじゃないのよ。
あの入試の教室で、あれほどまでに可愛い子(しかも巨乳)がいる、と認識してしまったからには「ま、まあ、同じ高校に通うことになったら、将来的にクラスメイトになる可能性だってあるんだから、今のうちに唾……いえ、その、知り合いになっておきましょう」と、身構えるのは当然の反応でしょう?
でもね、おかしいのよ。私の人脈……いえ、情報網(というほど大したものじゃないけど)を駆使して、周囲のどこの中学の情報を集めてみても、あの『夏野遥』という女の子に関する情報は、なにひとつとして引っかかりもしなかったのよ。確かに小鞠と違って誰とでもすぐに親しくなれるタイプじゃないかもしれないし、根は陰キャだから自分のテリトリーにズカズカ踏み込まれるのは嫌で、人付き合いには若干の難があったのは事実だけども。それでも、同じ地区の中学校なら、ある程度の情報は入ってくるはずなのに……。
結局、後になって判明したのは彼女が他県からの、かなりの遠距離通学をしている、ということだった。
そして、その理由というのがまた……これは、後日、小鞠がどこからか仕入れてきた情報なのだけれども。なんでも中学時代にクラスのボス的なちょっと気の強い女の子が好きだった男子生徒があろうことか遥にベタ惚れしてしまった、という、まあ、お粗末としか言いようのない理由で、そのボスの取り巻き連中からハブられ始めたらしいの。
しかも、そのボスというのが、むやみやたらに顔が広くて、根も葉もない悪評をあちこちに振りまくタイプだったせいで、彼女は完全に孤立してしまい、耐えきれずに、わざわざ県境を越えて、この青葉ヶ丘高校を受験せざるを得なかったんだとか……。
あ、念のために言っておくけれど、この情報はあくまで、小鞠が独自に入手したものであって、私自身が探偵まがいのことをして調べ上げたわけではないからね? もし何か問題になったとしても「えー? 知らなーい。全部、小鞠が勝手に調べて教えてくれたんだもーん!」と、可愛い幼なじみを差し出す準備はできているつもりよ?
……嘘なの。
さらに言えば遥がそういう目に遭ったのは、中学時代だけじゃなかったらしい。小学校時代にも、その天使のような可愛らしさ故に、それはもうモッテモテの『遥ちゃんフィーバー』状態だったのは言うまでもないのだけれど、あの子は元から「私って、もしかして可愛いのかも?」なんて、自信を持つタイプじゃなくて、むしろ、みんなと仲良く和を大事にする、自己肯定感の低いタイプだったみたい。だから、周りから「可愛いね」「天使だね」って褒められるたびに、それをひたすら「そんなことないです」「わたしなんて全然……」と『否定』し続けてきたらしいのだけれども。それが、クラスのやっぱりボス的な女子から見ると「可愛いって言われてるくせに、ぶりっ子して! 生意気!」と映ってしまい、結局、またしてもハブられる原因になってしまった、とか。
そして、中学でも先に語ったエピソードに加えて――遥は「小学校時代は否定し続けたから、距離を取られてしまったんだ。じゃあ今度は、肯定も否定もせず、ただ微笑みを通じて穏やかに受け流すことにしよう」と、子供なりに必死で考え、学習した結果なのでしょう。
「何を言われても、ただ曖昧に微笑んで、話を濁す」という方向に舵を取った……。や、でも、それが結局、またしても別のボス的な女子(中学のボスと同一人物かは不明)から見ると、「チヤホヤされてるくせに、こっちを馬鹿にして! 何を言われてもヘラヘラして! 生意気だ!」って槍玉に挙げられてしまい、最終的に、遠方の高校へ逃げるように進学する大きなきっかけになってしまったというわけ。
……もうなんなのよその理不尽すぎる仕打ちは! その情報をもっと早く、後出しじゃなく教えてくれてさえいれば! 私だってあんな風に彼女のトラウマを抉るような真似……つまりは「遥は可愛い!」「美少女!」って、一方的に、しつこく押し付けたりなんか絶対にしなかったわよ! 本当よ!?
録画しておいた深夜アニメを(ヤケクソ気味に)見ながら「もう人間なんて信じられない…」って落ち込んでいたら、隣で小鞠が「遥ちゃんのことなんだけど……」なんていう枕詞と共に、上記の事情を懇切丁寧に説明してくれた時は、もう、怒りと後悔と、そして遥への同情と庇護欲が一気に込み上げてきて、私の心の中で大復活祭が開催されたわよ!




